工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

イサム・ノグチ庭園美術館に立ち

イサム・ノグチ庭園美術館イサム・ノグチとは一体何者だったのだろうか。

ブランクーシに学んだ21世紀を代表する抽象彫刻の大家、という定義も間違ってはいないだろうが、岐阜提灯から発想した「灯り」シリーズは彼の名前を知らずとも照らされたことの無い人がいないほどに普及しているデザインであり、またTVスタジオなどで良く用いられるオムスビ型のガラスのテーブル(ジョージ・ネルソンの依頼による「ノグチ・テーブル」)なども余技と言うには水準を超えたものだ。

あるいは公園に置かれたキューブの遊具から始まり、人生最期の大プロジェクト、モエレ沼公園のランドスケープに至っては、建築設計の分野にまで侵犯しているかのようで、「地球を彫刻した男」と別称されるほどに、その対象は捉えどころがなく定まらない。

イサム・ノグチ―宿命の越境者『イサム・ノグチ ─ 宿命の越境者』(ドウス昌代 著)は優れた評伝だったが、この「越境」とは、生まれながらにして日米の国境を超え出たことを指すことはもちろんだが、世界を舞台として神出鬼没の活躍をした芸術家でもあり、またその活動の領域も多岐にわたったことをも意味する。
しかしこの度、イサム・ノグチ庭園美術館を観覧することで、少しその落ち着き処を確認できたように感じたものだ。

line

イサム・ノグチが鬼籍に入って20年と10ヶ月だそうだ。
そしてこの11月、イサム・ノグチ庭園美術館は開館10周年を記念していくつかのイベントも開催されるそうで、あらためて広く耳目を集めることになるだろう(Top画像の下がそのチラシ)。

今回はこの記念イベントが間近に控えていた時期の観覧ではあったがが、事前予約制ということもあったためかレギュラーシーズン通り、10名に満たない人数での静かでゆったりとした環境で楽しむことができた。

‥‥ 会場内、ビジネスマン風で女性同伴の見学者による数度のケータイ着信通話で邪魔されたのはいただけなかったが ‥‥。
彫刻に興味のある人であれば、このいわば聖地のような牟礼には1度ぐらいは足を運んでいることだろう。

高松から東に約10Km、西隣りに屋島という大きな山と、北東に岩肌粗い五剣山に挟まれた、いくつもの石材店が軒を連ねる長閑な田舎町の一角に立地する。
ここがイサム・ノグチ晩年20年間の活動拠点であった場所であり、没後庭園美術館として整備公開されている。


line

さてこの庭園美術館、何よりもまず印象的であるのが、イサム・ノグチが活動していた頃の状態を今に留めることに注意深く配慮しているのではと思わされた。

主が黄泉の世界から帰り来て、直ぐにでもノミが振るえるように、とでも言うような。
無論園内は周囲の生け垣も手入れされ、足下の土の庭も掃き清められるなど美しく整備されていたが、作業蔵にはノミ、ハンマー、ディスクグラインダー、カッター、コンプレッサーなどが往時を偲ばせるようにさりげなく置かれ、この蔵以外の展示蔵なども稲ワラが漉き込まれた粗い土壁が露わなままに、幾何学的なフォルムの石彫とともに妙に良いバランスが取られているのだった。

彫刻とは言っても彼の場合、石だけではなく、木、ブロンズなど素材も多様だが、やはりこの庭園美術館に整然と配置された様々なフォルムの石彫が基本であり、しかもいくつかの代表作がここに遺されていることはありがたい。

Energie Void》(エナジー・ヴォイド)、《無限の螺旋》(Helix of the Endless)、《Entasis of a Pentagonal Helix》、《真夜中の太陽》(Sun At Midnight)、《Walking Void》などなど。(「イサム・ノグチ庭園美術館」あるいはNY「Isamu Noguchi Garden Museum」から、それぞれ参照することができる)

家具職人のボクがイサム・ノグチの作品評などできようも無いわけで、いくつかの印象を書き記すに留めるしかないわけだが、展示蔵の単独スペースに鎮座する《エナジー・ヴォイド》は、やはり強烈な力を持って迫ってくる。

その質量(17t)もさることながら、スウェーデン産黒花崗岩を円柱に切り出し、これを巨大なメビウスの環の如くに閉じた、どちらかと言えばシンプルな物体ながら、その発するエナジーは強い。

個人的印象からは『2001年宇宙の旅』での謎の物体、石柱・モノリスの如くの何ものか、である。

line

ボクはかつて国立近代美術館での回顧展(1992)と、東京都現代美術館(2005)でのイサム・ノグチ展、と、それぞれ鑑賞させてもらっている。

そこでも《エナジー・ヴォイド》が黒光りを放ちながら屹立していたことを、今も印象的に網膜に定着させることができるのだが、この庭園美術館に置かれたものにあらためて対峙すると、より強くイサム・ノグチのノミを振るう息づかい、上腕の緊張した力こぶが見えてくるようである。
おかれるべき処に在る、ということからのものだろう。

イサム・ノグチが刻み、磨いた、その場所に置かれることの意味もそこにある。
無論、イサム・ノグチの仕事の対象が、大衆社会という20c近代にふさわしくも個人コレクターのものとしてお屋敷深くで愛でられるのではなく、広く一般に開放された公共空間に設置することを前提としたものであれば、それにふさわしい場所に置けば、どこでも良いのだろうと思う。

しかし、この庭園美術館は別格だ。
アトリエであり、住まいであったこの牟礼の地にあって、その訴求力は増大する。
“聖地”ゆえのものがある。
別格、ということでは、丸亀の豪商の屋敷を移したという住居が同敷地内に保存され、その佇まい、暮らしぶりに思いを馳せることができることも、少なくない意味を持つだろう。
この住居、内部には立ち入ることはできないものの、開け放たれた玄関、窓からのぞき込むことはできる。
三和土に置かれたブロンズ彫刻、イニシャル入りの石彫テーブル。居間の天井から吊された数種類の「あかり」、他、コレクションされた東南アジアの楽器などが往時を偲ばせる。
庭の竹林は没後の整備か。

line

ところで木工職人のボクが、なぜこの彫刻家に興味を抱いたかと言えば、著名な芸術家の一人であることは言うまでもないとしても「フリーダ・カーロ」と一緒のところを夫のリベラに見つかってしまい、ピストルをぶっ放された話し(メキシコ壁画運動との関わり)とか、北鎌倉の地で李香蘭(山口淑子)との束の間の結婚生活を送った頃、魯山人に師事し土をひねっていたとか言う逸話とも関係しないとはいわないが、やはり何と言ってもジョージ・ナカシマ ← 流政之 → イサム・ノグチ 〔= 聖地:牟礼〕という人脈にその源はあるのも確かなこと。

そうした文脈での興味から過去、都内での2つの回顧展では造形的な魅力、石の力、というものに魅せられてしまっただけであったのだが、『イサム・ノグチ 宿命の越境者』(ドウス昌代)に触れることで彼の数奇な運命を通して、より近しく関わることになり、そして懸案だった聖地訪問が結局今までお預けとなってしまっていたのだったが、黒い眼が濁ってしまう前に訪ねて来られたことをありがたく思う。

無論、まだまだ残された課題はある。
札幌郊外に建造されたモエレ沼公園、そしてNY「Isamu Noguchi Garden Museum」を訪ねること。

ネーション、国民国家を分け隔てる国境に股割きになりながら、それを無化する行為としての世界を股に掛けた芸術活動がコスモポリタン、イサム・ノグチを形成したと言うべきかも知れないが、晩年をこの牟礼の地で過ごしたということは、いったい何を示唆するものなのだろうか。
やはり、いくつもの謎があらたにもたげてくるのだった。

line

閑話休題。
ボクは小学生の短い期間、この牟礼の対岸、岡山県は牛窓というところで過ごしたことがあった。
良く釣り糸を垂れたその小さな港からも小豆島の更に先にこの牟礼の「屋島」を遠望できたことを思い出す。
字義通りに大きな台形をした屋島は30kmほどの瀬戸の海を挟んでもなお、印象的な地形で忘れもしない。
庭園美術館内の小高い山に登ってその牛窓を探そうとしたが、どうも北西側の五剣山が遮っているようで叶わなかった。
今回は時間的余裕がなかったので叶わなかったが、西隣の屋島に登ればその牛窓の灯台を捉えることは容易なはずだ。
今回こうして屋島側に立ち、いささか面映ゆくも不思議な気持ちがしてくるのは、ただ郷愁がもたらす感傷でしかないのだが、牟礼からの帰路途上時の瀬戸の海へのサンセットは染み入るほどに美しかった。

*参照
イサム・ノグチ庭園美術館
《エナジー・ヴォイド》(2005年札幌展チラシから‥‥)
Isamu Noguchi Garden Museum
■ flicker 「ISAMU NOGUCHI」より
下画像は美術館から南に数Kmの最寄りの琴電の駅へ向かう途上、五剣山を望む。
この通りで美術館へと向かうものと思しき数組の外国人カップル、ソロと出会い挨拶を交わす。
なお、美術館内は一切の撮影が規制され、そのため画像は無い。
五剣山を望む

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • 数年前、セントラルパークが見事に紅葉していた頃に
    NYのGarden Museumを訪れました。
    NYと呼ぶにはあまりにも静かで ただ美しく
    とても落ち着いた雰囲気を持った場所でした。
    (ちなみにNYは写真撮り放題です)
    イサム・ノグチという人が
    日本とアメリカの間でどんな思いをしてきた人物なのか
    恥ずかしながらその頃はあまり知りませんでした。
    私もいつかここを訪れてみたいです。
    もちろんモエレ沼公園にも。
    そしてartisanさんのような記事にできたらいいなー!

  • サワノさん、「Isamu Noguchi Garden Museum」行かれましたか。
    しかし、どうして連れて行ってくれなかったのでしょう(苦笑)
    イサム・ノグチ氏はモエレ沼の工事現場から羽田を発ち、NYのアトリエに戻って間もなく死の床に着いたのでしたね。
    SHIZUOKA → NY → SAPPORO → MURE とツアーを組みますか。

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.

Trackbacks / Pingbacks