工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

東日本大震災・災害ボランティア活動日録(10)

被災地・災害復興支援活動

3月27日(地震発生から16日経過)天気:曇り

出発から6日目、早くも撤収の日の朝を迎える。
破断したテントの骨の仮修復も何とか持ちこたえてくれたようで、良い睡眠が取れた。

現地での最後の食事となる、この日の朝食。
残った食材をふんだんに(?)使い、しっかりと腹に収める。

野営の撤収。
石巻専修大学の敷地(グラウンド)をお借りしての野営であったので、煮炊きも含めローインパクトを心がけた積もりだったが、ゴミも残さず全て持ち帰る。

山形から参加してくれたSさんとはここでお別れとなる。
決して長い日程ではなかったが、過酷な状況の中での過酷なボランティア活動を共に挑んだことの意味は決して少なくはない。

お互いの帰路の無事を願いつつ出発。
石巻専修大学の施設を去るにあたっては、様々な思いが交錯し、複雑なものがあった。
もちろん所期の活動をやり終えたという一定の充実感はあるのだが、しかしそれらはほんのちっぽけな支援活動でしかなかったわけで、後ろ髪を引かれながら、数日間の活動で世話になった被災者、ボランティア活動の統括的なサポートをいただいたセンターの方々らとのやりとりを反芻しつ、また大震災と大津波に大きく姿を変えられた石巻という土地への愛着を惜しみ、そうした諸々への万感の思いを引きヅリながら、一足早く立ち去る。

帰路のコースも、基本的には往路と同じ日本海周りとした。
途中、Sさんから教えてもらった山形市近郊の温泉に浸かり、汚れを落としてから帰還することに。
地元農協が開発経営する「百目鬼温泉」。
田んぼの中の1軒屋だが、農協の経営とは言え、なかなか立派な施設で、お湯も良かった。
ここらも3.11では大きく揺さぶられたであろうけど、風呂の内外を流れる空気は長閑なもの。
昼行灯とは、このことか、といった人々の中で自然に緊張もほぐれていく。

1週間の汗と汚れを落とし、リフレッシュ。
風呂がこんなにもありがたいものか、ということに気づかされるひとときだった。

道の駅での食事と給油

帰路も長い、長い距離だった。
途中運んできた燃料を何度も注油しながら、緊張と充実の石巻での活動の熱気をひきづりながらのハンドル。

ところで高速道のIC料金所で、収受員から軽く敬礼を受けるということがあった。
ハテ?
そうか、高速道チケット利用区間の名称、および「緊急災害 ボランティア」という車両ボデーのステッカーを見てのものだったのだろう。
少し照れる。

……………

自宅・工房に戻ったのは深夜遅く。
いくつかの懸案事項の確認とともに簡単な総括を行う。
・無事に帰還できたこと
・いくばくかの支援を行うことができたことの確認
・様々な抑制的情報に溢れかえる中、ボランティア活動に踏み切ったことの正当性
・これはあくまでも第1弾でしかなく、今後に繋げることの重要性
etc.

服部さんは、さらに200Km近い距離を走行しなければならない。
お互いの健闘を確認し合い、解散ということになる。
そして、次なる活動へ向かうための1歩として。

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