工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

坂本龍一 vs ベルトリッチとジラールとMacの関係

お休みの今日はちょっと昨夜夜更かしして観たTV番組「ザ・インタビュー〈坂本龍一×役所広司〜世界が求める日本のカタチ〜〉」のことやら、気になることやら、つらつらと書いてみよう。
この週末から封切りされる《シルク》という映画に準主演として出演している役所広司、音楽監督として参加した坂本龍一、両氏に黒崎めぐみアナウンサーがインタビューするという形式の構成だったが、期待に違うことなく楽しめた。
それぞれ国境を越えて活躍する音楽家、俳優として、お互いの立ち位置を認め合い、相通ずる言語感覚でのいわば対談のように進んでしまうという構成には、局内においても巷間でも評判であろう黒崎アナウンサーにしても、2人の会話に割って入っていくのはちょっと難しかったのではと、少し気の毒にさえ思えるようなインタビューであった。
既にこの2人は昨年アカデミー助演女優賞に菊池凜子がノミネートされたことで話題になった映画『バベル』において役者と、音楽監督という立場で参加しているので、今回で2度目の“共演”となるのだが、このように対面して話し合うのは初めてのことだという。
しかしこの番組に台本があったのかどうかは知らないが、1つの作品を介して共有されたであろう映画制作のシアワセな時間というものが、そのままスタジオに温かい空気として流れているように感じられ、それがこちらにも伝わってくるようだった。
ただ2人ともどちらかと言えばとてもシャイなオトコなので、まだまだツッ込み足りない部分は黒崎アナウンサーの若さ故のものとして仕方がなかったか。
ところでこの《シルク》の監督・脚本、フランソワ・ジラールだが、自身ピアノ演奏を佳くし、音楽に関する造詣は深いようだ。
代表作品が『グレン・グールドをめぐる32章』というところからもこの監督の映画と音楽への思いが測れるというもの。
「シルク」という映画が欧州とアジアを繋ぐ壮大なロードムービーという設定であれば、それぞれの文化を深く理解し、音楽表現として創作できる才能と言うことであれば、教授への指名というのも必然であったのだろう。


思い起こしてみれば教授が映画と関わったのは1983年の大島渚の『戦場のメリークリスマス』が最初だったと思うが、その4年後にはベルナルド・ベルトルッチによる『ラストエンペラー』での参加がこれに続いたが、日本人初のアカデミー作曲賞を受賞している。
それぞれ、音楽を担当するとともに役者としても重要なポジションをこなしていたのはよく知られたところ。
いずれも欧州とアジアの異質な文化を背景とするところから立ち上がってくるドラマツルギーを手法とする映画だったように思う。
ところでボクがベルトルッチを最初に意識したのは1976年の『1900年』というメタファのかけらもないようなタイトルの映画だったが、この315分にも及ぶ大作にはただただ圧倒されてしまった。
まさにイタリアの現代史を貫く一大叙事詩を描ききる壮大な絵巻物だった。
アジアの小さな島国に生を受けた者にはとても想像することさえ困難な革命と戦争の20世紀を追体験させてくれるようであったし、現代のミケランジェロの如くの芸術性豊かな映画だった。
(寡作ということもあるが、その後ボクが観ているのは「シャンドライの恋」というちょっと官能的な、しかしアフリカをメタファとした小品だけ)
音楽担当として、役者として、こうした芸術家の下で自身の想像力、演技力を研ぎ澄まされるというのは、一体どういう体験なのだろうか。
YMOの活動からはじまった海外との交流は、このインタビューでも語っていたように、いずれ海外での活動を基本としたいという彼の人生設計からの戦略的なものであったのだろうが、しかし名実ともに一流の音楽家として世界的評価を受けている今日、決して昨今よく使われるようになった「セレブ」という言葉が喚起するイメージとは大きく異なり、常に自身を見失わない、確固とした信念にもとづく自由を愛する音楽家として多彩な活動を精力的に行う姿はまぶしいばかりだ。
番組の中で役所に「外国に出ないの‥‥」(活動拠点を海外に置かないのかという意)という呼びかけは、ニューヨークに活動拠点を置くことでの「自由」と自己を強く高めていくための戦略への確信があることからの呼び掛けであったのだろう。
日本にいたのでは見えてこない、日本という国の特異性、あるいは日本という国が持つ伝統の豊かさというものにも自覚的にならざるを得なかっただろう。
彼のアパートからも見えたというWTCが崩れ落ちたあの日、9/11という現代世界の在り様を規定づけてしまったかかのような事件を目の前に突きつけられ、必然的に世界というものへの対峙を余儀なくさせられ、その後の様々な社会的活動への積極的な関与というものも、決して違和感を持つと言うよりも、教授らしさをより鮮明にするものだったように思う。
話は突然変わるが、木工の世界でも海外へと向かう人も少なくないと思う。このBlogのLinkに置かせてもらっているIkuruさんはストックホルムで木工修行の道を歩んでいるが、同様に多くの若者が海外での木工修行という道を選択肢に入れているかもしれない。
それ自身決して悪いものではないが、木工文化の伝統ということからすれば、技術体系、美意識の涵養ということについて日本が劣っているということではないので、どのような人生設計を立て、何を学習したいのかという明確なビジョンを持たなければ安易に出て行っても得るものがあらかじめ保証されているわけではないことは自覚すべきだろう。
一方、日本でキャリアを積み、海外へと活動の場を求めて出て行くのはとても良いことだと思う。
知りうる限りでも、須田賢司さん、白川武司さん、大門 嚴さん、岩崎久子さんなど、50代〜のキャリアの方々が高い評価を受けて飛翔しているのは喜ばしいと思う。
まだまだ他の工藝に較べその活躍は華やかとは言えないが、若手にもどんどん活躍の場を拡げていってもらいたいと思う。
ところで、教授はMacユーザーだということはよく知られたことだが、日米、米欧の空路にはMacBook Proを持ち歩いていると思われるが、あれはまだまだ重く、蓄えた髭もだんだん白くなってきた身には辛かろう。
しかしそれもあと数日のガマンかもしれない。
あるイベントを数日後に控え、世界の数100万人が固唾を呑んでカウントダウンをしている(かな?)
「Macworld Confrence & Expo 2008」が14日から開催される。周知のように(?)、Apple社、年間最大のイベント。
一体何が発表されるのか?
既に多くのアナリストから様々な予測が出されているが、ロイターなど大手メディアさえもその事前予測について触れてしまっている(こちら
開会まで2日を残す会場では既に準備が始まっているようで、サンフランシスコMoscone Center の入り口には「2008 There’s something in the air.」との巨大なバナーがぶら下げられたという。何なんだ、このAir とは。
一部では発表されるだろうと噂される超薄型ノートブックのMacは「MacBook Air」という名称で、以下のような内容になるのだろうという。
・13.3″スクリーン
・プロ向けではない
・光学ドライブは外付け
これだけでは概要とまでもいかないリークだ。
恐らくまだまだ多くの噂が飛び交うだろうが、ほとんど信頼はおけない。
ジョブズの口から語られ、ステージ脇に置かれたデスク上の黒い覆いから取り出し、おもむろに手に掲げたときにはじめて世界が知ることができるのだ。
やれやれ。

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