工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

2011 夏が逝く

晩夏とは言え、日中外に出れば30度を超える残暑は未だに厳しい。
しかし8月も今日で終わりだ。

石巻港、気仙沼港、大船渡港へのサンマの水揚げの報には口元が緩み、一緒に涙腺をも緩ませてしまう。
北海道沖からの漁なのだそうだが、3.11以降、強ばったままだった漁業関係者の破顔は安堵に満ち、本来の姿を取り戻しつつあることの証しだ。うれしい。

さっそく我が家でも刺身にできるものを買い求め、口いっぱいに秋の味覚を堪能させていただいた。
今年のサンマは大型でひときわ美味しく味わうことができた。

ところで前回も少し書いたのだが、今年の日本の夏は、やはりこれまでとはかなり位相を異にする風景で染まったことも確かだ。
様々な事情から、放射線に汚染された福島県下に在住する子供たちも、全国の様々な地域からの「こっちに遊びにおいでよ」との呼びかけに応じ、一時的な疎開を敢行し、閉じた心身を解き放ち、ひとときの夏らしい子供の世界に興じ、笑顔ももどったようだった。


そして9月からは、また元の汚染された土地で生きていくことになる。

もちろん一方では親の強い意志に従い、遠い地域へと長期の疎開を敢行した子供たちも少なくない。
知らぬ土地での新たな生活は、それ自体、なかなか馴染めるものでは無いだろうし、福島から来たというだけで、いじめの対象にすらなってしまうというのも、教育関係者による配慮の欠如と、知的訓練が十分でない子供世界では避けがたいだろう。

福島を離れるにあたっては、友達との確執もあっただろうし、あるいは親としてもその親族を説き伏せての離散という困難を超えての敢行であれば、家族の紐帯にいくつもの傷を残してのものであっただろうことも想像に難くない。

昨日、東京電力は福島第1原子力発電所事故に伴う損害賠償金の算定基準や支払い日程を発表したが、彼らの家族離散に伴う負債というものは、決して金銭的な保障だけで埋め合わせることなどできるものでは無いだろう。(「東電補償基準」東京新聞

福島第一原子力発電所の崩壊とは、福島在住の人々の存在そのものの崩壊、彼ら一人ひとりの尊厳の崩壊となって帰結している。

そうした現状の中にあって、高濃度放射線汚染対象地域への帰還問題があるのだが、いずれ帰れる時がやってくるだろうといった、淡い期待を内容とする“間違った方針”も一部で示されているようだが、こうしたウソは被災者へのなんの慰めともならぬばかりか、その罪深さを知るべきだろう。

福島第一原子力発電所の数基の原子炉がメルトダウンしていたと認めたのは事故後2月も経ってのことだったが(実際は津波がやってくる前後に既にメルトダウンしていたというのが多くの専門家の見立てだ)、またもや例えば大量にばらまかれているセシウム137の半減期が30年だというのに、数年で帰還できるなどということがどうしてあり得ようか。(参照:「アメリカから見た福島原発事故」NHK・ETV特集


昨日の文科省による福島第1原発から半径100キロ圏内の原発事故で放出された放射性物質セシウムによる土壌汚染の分布図の公表は、その深刻さをあらためて示すもので、本当に驚かされた。

この驚きは素人のボクだけでは無かったようで、メディアからは多くの専門家と称するセンセイ方の驚愕を臆面も無く晒していたのが印象的だった。(asahi.com

国際原子力機関(IAEA)が緊急事態の対応として一時的な住居の移転などを求める放射性物質の濃度の1平方メートル当たり1000万ベクレルを超える極めて高い数値を示した区域は、警戒区域内にある福島県大熊町(1平方メートル当たり2946万ベクレル)のほか、原発から北西方向の双葉町や浪江町の一部の地点で、チェルノブイリ原発事故の際に一時的な住居の移転が求められた1平方メートル当たり55万5000ベクレルを超える区域は、南相馬市、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、飯舘村の6市町村34地点だった。

また、農林水産省も同日、福島、宮城、栃木、群馬、茨城、千葉県の農地における放射性セシウム(137と134)の濃度分布図を作成した。調査は6県合わせて580カ所の畑や水田から土を採取して分析。6月現在の値に補正して地図にまとめられた。

コメの作付けが制限された地域以外では、伊達市霊山町下小国では8571ベクレル、いわき市川前町下樋売で6882ベクレル、大玉村大山で6856ベクレル、相馬市東玉野で5990ベクレルなど福島県内の4市村の合わせて9か所の畑で、制限の目安とされる土1キログラム当たり5000ベクレルを超える放射性セシウムを検出したことが分った。
コメの作付けが制限されている地域では、水田を中心に浪江町南津島、飯舘村長泥、大熊町野上などで、土1キログラム当たり2万ベクレルを超える放射性セシウムが検出された。

RESCUENOW.netによる

「文部科学省による放射線量等分布マップ (放射性セシウムの土壌濃度マップ)の作成について」 PDF:4.7MB

あらためて福島第一原子力発電所の事故は、チェルノブイリ原発事故相当の、いやそれをも大きく凌駕する汚染であったことが分かる。

チェルノブイリ原発事故での住居移転を求めた高濃度放射線汚染を超える対象地域も6市町村34地点というのだから、それらの地域に暮らす人々の思いや如何に‥‥。

現地では多くの在野の専門家による除染活動も盛んで、大いに期待したいものの、山野やら農地などの除染はほぼ絶望的という客観的事実を覆い隠し、あらぬ期待を口にするのは、とても罪深いことのように思えてならない。


そして同じく昨日、菅内閣は総辞職し、新内閣が組閣された。
政府のスポークスマン、枝野官房長官の最後の記者会見

「ただちに健康に影響を及ぼす数値ではない」と繰り返したことには「過小評価」との批判が出ているが、枝野氏は「私の発言録をチェックしたが、それぞれの場面で、その時点では誤解や不安を与える内容ではなかったと確信している」と語った。  

臆面も無い、とはこうしたことを指す。
上述のように広汎な地域において高濃度に土壌は汚染されてしまったことは明らかで、同時に数十万の人々が大量の放射線に被曝してしまっていることを見れば、避難区域を小出しに広げつつ、壊れたレコードのように「ただちに健康に影響を及ぼす数値ではない」とくり返されたことの意味するものは今や明らかだろう。

「ただちに‥‥」という方便は確かにそうかもしれない。
しかし晩発性と言われる放射線被曝による癌の発症、3年後、5年後に生起するだろう事態に、果たしてこの人はどのような責任を負うというのだろう。

一方、どぜう内閣ともてはやされる、新内閣の震災への取り組みや如何に。

場末の居酒屋の油に汚れた色紙によく見掛ける、安っぽい人生訓を垂れる書からの引用とするどぜうの話しだが、これほどに脱力させられた新内閣も無かったな。
思想信条における鎧を分厚い脂肪に隠してのご登場でもある。


*YouTube【ドイツのTV局ZDF「フロンタール21」シリーズが 8/26 放送した番組
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=yk3lIFxxaxo&feature=player_embedded#![/youtube]

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  • 私も昨日、秋刀魚の刺身を食べましたよ。
    ただ、刺身になってパック詰めされた秋刀魚でしたが。

    相田みつをもartisanさんにかかっては形無しですね。
    artisanさんはデブは嫌いですか?
    artisanさんも、もう少し皮下脂肪を付けて、鎧を少し隠した方が
    良いかもしれませんね。

    ところで、東北の森林の放射能汚染はどのようになっているのでしょうか?
    将来伐採されて材木として流通することになった時に、材木の中に
    どの程度の放射能が残る、もしくは残らないものなのでしょうか?
    人間に対する汚染、食べ物の汚染も、もちろん心配なのですが
    汚染された材木で作った家には住めないですもんね。
    木工家にしても汚染された家具を客に提供する訳には行きませんよね。
    最近、ちょっと気になります。

    • acanthogobiusさん、きついこと仰りますね〜。
      あ、そやね、きついのは私でしたか (^^ゞ

      >鎧を少し隠した方が‥‥
      私はカネも権力も無く、徒手空拳で立ち向かっていますねん。

      >森林の放射能汚染はどのようになっているの
      森林まではとても除染できませんので、地域によっては用木としての活用はかなり無理があるのでは?
      営林署としてもさぞ困惑していることでしょうね。

      放射線の残存は核種によってことなるでしょうが、セシウム137の半減期30年、つまり数百年経たないと使えない、ということは樹齢を考えればほぼ絶望的でしょう。

      これから個別具体的に検証されていくことになるのでしょうか。

      10日ほど前に被災地を回りましたが、津波を受けた杉檜の植栽はほぼダメですね。
      赤茶けて、枯れつつありました。塩害です。

  • 私もその手の詩には違和感あり!

    木材だけでなく、きのこ類の汚染にも心が痛みます。
    昨年はまつたけが値崩れしていましたけれど、今年もどんな値段がつくやら。昨日母がホウキタケを採ってきました。茹でて水にさらしてから食べるものなので少しは頂くことにしました。

    • aiさん、あの手の散文(詩と定義するにはかなりの勇気が必要です)がもっぱら語られるのは会社帰りのサラリーマンが寛ぐ居酒屋なのだそうです。
      日本には石川啄木、萩原朔太郎、中原中也といった優れた詩人がいますが、彼らはなぜかこうした居酒屋には掲げられることは無いですね(あるところぬはある?)
      それぞれにお似合いの場所というものがあるということですね。
      (ということは‥‥、つまりは新しい首相の話題は、もっぱら居酒屋談義がお似合い、ってこと?)

      秋の山菜の季節ですが、松茸とまではいかずとも堪能したいものです。
      でも仰るようにちょっと心配です。
      いわゆる一般の野菜とは異なる、菌類への放射線汚染の影響がどのように現れるのか ?

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