工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

「濱田庄司スタイル展」於:汐留ミュージアム

3.11大震災は益子にも大きな被害を及ぼしていたことは新聞報道などで知っていたが、「益子参考館」も例に漏れず、その被害は大きかったようだ。

そんな懸念を抱えての、汐留ミュージアムで開催中の「濱田庄司スタイル展」拝観だった。

「民芸」への眼差しとして、「土着的、前近代的」な、といったニュアンスを多分に含むものがあることは否定できない。

これは決してその作者がそうしたものをねらっていたということでは全く無く、流通、消費段階でそのようなイメージを纏っていったということ、またいわば産地の土産物に「民芸」のポップが付くといったような、「消費」対象として、「民芸」の大衆化の側面での理解のされ方であったと言うべきだろう。

しかし良く知られているように「民芸」の著名な作家の多くはモダニストであり、「民芸」の何たるかという定義との間で自己承認の難しさを抱えながら活動していたということもあるのではないか。

民芸運動を最前線で担っていた濱田庄司もまたそうした近代という時代を駆け抜けた工芸作家だった。

例えば、この企画展のポスターにあるように、イームズのラウンジチェアにどっかと腰掛けている姿というのは、どこかのギャラリーでのスナップなどではなく、自身のアトリエ(現在の益子記念館)というか、住まいでの日常を切り取った1枚であり、まさにモダニストとしての生活者を象徴する姿であるだろう。

ボクは彼の代表的な作品を知る程度の認識しか無かったのだが(民芸の陶芸家としては、どちらかと言えば河井寛次郎氏の方に惹かれてもいたので)、今回の企画展で彼のヒストリーを振り返ることで、イームズに辿り着く必然性というものを理解することができたように思った。

つまり益子という地に窯を構える前の20代半ば、バーナード・リーチに誘われるようにイギリスに渡り、アートコロニーの1つであったセント・アイブスに4年ほど滞在する中で、どっぷりとアーツ・アンド・クラフツ運動に触れ、工芸家としての生活スタイルの在り方のイメージを掴んでいった。

その後、柳宗悦とともに訪米した折に訪問したイームズの住まい方に強い印象を受けたようで、これをきっかけとしてラウンジチェアの購入に繋がっていくことにもなる(その経緯もおもしろい。濱田はいったんギャラリーから購入するが、その後イームズ本人から、通関の問題もあるだろうから、自分が少し使い古し、中古として格安で後から送ってやるとの配慮を示される)。

ここで興味深いのは、イームズがデザイナーというスタンスで工芸に関わり、美しくモダンで高品質な椅子を作り、これを高く評価する濱田はあくまでも手工芸の作り手という違い。
「民芸」の定義と自身の工芸の評価基準、および工芸家としての生き方をめぐるこの微妙な、しかし明らかなずれ、差異をどのような論理整合で理解しようとしたのであろうか。

我々のようにデザイナーという立場でも無く、かといってデザイナーから仕事を請けて木工をするという職人的な者でも無い、言われるところの木工家というスタンスというものの、ある種の特異な存在様式。
この“特異な存在様式”というものが、世界的に見れば特異な形態であることは知っておいた方が良いだろう。
日本、米国を除けば、木工家具の先進地域、北欧でさえ困難なスタイルであることの自覚の問題である。

少し脇道に入ってしまったが、濱田のイームズ評価と、自身の工芸家としてのスタンスの“ずれ”の問題こそ、「民芸」というものの固有の立ち位置と、ある種の限界を示すものと言って良いだろう。駒場民芸館の館長を継いだ柳宗悦のご長男の宗理氏が、工芸家としてでは無く、日本における近代デザインにおいて大きな貢献をした人であることにも、この“ずれ”を示すものとして象徴的だ。

またここでは詳しく触れないが、民芸は、民芸運動という側面を持っていたが、濱田本人のスタンスとしては益子移住後の工芸生活の中にあっても、必ずしも地域社会への積極的な働きかけをしたということもないようで、それは「間接的」としてリーチから評される程度のものであったようだ。
この辺りのことは、以前紹介した『アーツ・アンド・クラフツと日本』という研究論文集に詳しい(こちら)。

会場には、イームズチェアの他に、「三国荘」の部屋の一部のレプリカ、あるいは益子記念館から、濱田自身のデザインによる食卓セットなどが展示され、興味深かった。
また彼自身が使っていたライティングビューローの他、自身のデザインによるワードローブもあったが、これもなかなか見所があった。
ボクのデザイン制作によるワードローブと構造上共通するところもあったしね。(参照

無垢板数枚を吸い付き桟で接合、構成された扉など‥‥
展示の物は、この扉が痩せて大きく隙間が空いていた。
同じような構成でも、隙間が空かない解決策がある

あ、もちろん、濱田の代表的な陶芸も多く展示されていることは言うまでも無いよ。
イギリスでリーチと共に窯を構えていた時代、初の個展に出品した器から始まり、沖縄、壺屋での作陶、赤絵の角皿など豊富に展示され、楽しむことができた。
公的活動で忙しくなっていった晩年の作陶にむしろ魅力的なものが多いのも特徴的だった。

この汐留ミュージアム、次回の企画も必見
■ ウィーン工房1903-1932─増殖する装飾
  Wiener Werkstatte 1903-1932, Multiplicative Decoration
■ 会期2011年10月8日(土)-12月20日(火)
http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/exhibition/11/111008/index.html

* 参照
「アーツ・アンド・クラフツと日本」

『サヨナラ民芸。こんにちは民藝』

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