工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

『On Late Style』(晩年のスタイル)

エドワード・サイードと大江健三郎

エドワード・W・サイードの著作に『On Late Style』(邦訳:『晩年のスタイル』)というのがある。
タイトルからしてお判りのように、最晩年のものだ。
親交のあった大江健三郎は、ノーベル文学賞受賞後における自身の著作スタイルに、このLate Style、Late workを意識的に取り上げた時期があり、この対話をボクも興味深く受け取っていたことがあった(当時、朝日新聞の文芸欄に往復書簡が掲載されていた)。

そして、卑近な事例で恐縮なのだが、やがてはこの『On Late Style』は、ボク自身の問題として自覚するようになってきた。

木工職人の晩年にふさわしく、円熟した仕事に打ち込み、その資質にふさわしく社会にも受け入れられる、といった風に?
いや、サイード、あるいは大江の語る『晩年』とは、決してそうしたものではない。
むしろそうしたことに背を向け、社会への違和であったり、変調をきたす時代精神への反骨を飽くなく問い続けようとする〈若々しい精神〉を尊ぶ、というものであったはず。

宮崎 駿監督

話は飛ぶが、数日前、宮崎駿監督の新作『風立ちぬ』の紹介が新聞見開き全面広告で来ていた。
興味を惹いた方も多くいるだろう。
そのキャッチコピーはこうだ。

「これから
切迫した時代が来ます。
だからこそこの作品は
作る意味があると
思っていました」

内容には深く立ち入らないので、興味のある方はネット等で視ていただきたいが、
全面広告という紙幅にも関わらず、この『切迫した時代』とするただならぬ物言いの意味するところは必ずしも明示的に示されてはいない。
しかし、氏の最近の言動から読み解くことは可能。

『朝日新聞』7月12日夕刊(東京3版)

『朝日新聞』7月12日夕刊(東京3版)

「憲法改悪、もってのほか」などとする様々な媒体での論考と考え併せれば、まさに宮崎駿氏の『On Late Style』として受け取ることができるだろう。
(実在だった零戦の設計士をヒロインに仕立てる、というビミョウな内容の新作『風立ちぬ』は観ていないので、まるごとの評価は無理なのだが:『風立ちぬ』はご存じのように堀辰雄の代表作からのもの)

あえて世に言う「円熟」を拒み、刺激的ではあるが、事柄の本質を突く表現を世に問う、という共通する姿勢に、これら巨匠たちの「晩年」のスタイルを見ることができる。

しがない木工職人でしかないボクなどが、彼らのスタイルを真似できようも無いワケだが、若干ジェネレーションが異なるものの、還暦を超えてきたボクにしてみれば、その心の在り様、思考スタイルにおいて、彼らから学ぶことは多いだろうし、自身の生き方をそこに投影することはできるだろう。

お詫び、のようなもの

そんな思いを吐露させてもらっているこのBlog投稿だが、ずいぶんと間が開いてしまったことの詫びから始めるのが礼儀ではないのか、などと訝っている諸兄、諸姉の皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

間が開いてしまったことには、いくつかの理由があるのだが、まず何よりも物理的に投稿するだけの余裕が無くなっていた、ということにさせていただこう。
いやこれは事実で、7月上旬までの6週間ほどの間、休日無しでぶっ通しでの制作活動が続いてしまっていた。
しかも連日12時間を超えるハードワークだった。

これはつまり、寝る、食う、を除けば、ただひたすら工房に詰め、木と向かい合う日々で、外部との交流も制作活動に関わるもの以外シャットアウトし、定期購読している雑誌、新聞からも遠ざかっていた。
ネットアクセスにおいても、Twitter、Blog投稿はもとより、閲覧も含め遮断。
最低限のメール送受のみといったものだった。

そして、これらの成果を2トントラックに満載、納品設置に漕ぎ着け、先週から徐々に平穏な日常に戻ってきていた。

このハードワークぶりというのは、上述の『On Late Style』らしさであったかは、甚だギモンではあるものの、長年やってきた木工活動への一定の評価があったればこその、顧客からの依頼であったことは確かだろうから、ボクらしい『On Late Style』であるのかも知れない。
まさに《円熟》にはほど遠い、熟練のわざと、荒々しい魂を持つ家具職人らしい『On Late Style』というわけだ。

さらには、この過程で、いつになく多くの個人の方から家具制作依頼が飛び込んできており、忙しい『晩年』初期の光景が眼前に拡がってもいる。

また、遠くないうちにご案内できるはずだが、年内に限ってみても複数の個展などの事業が待ち構えており、上げた巨匠らの生き様に敬意を表しつつ、恥じない『晩年』に移行できればと、自身に言い聞かせている今日この頃である。

そして、あらためて『切迫した時代』に眼を曇らせること無く、全てを寛容に受容する《円熟》に背を向け、気むずかしくも、社会と切り結ぶ関係を持ち続けていきたいと願っている。

Blog投稿については、投稿頻度は抑えつつも、今後も継続していきたいと考えているので、この間の無沙汰を詫びつつ、どうか今後もしぶとくお付き合い願えればありがたい。


PS:そう言えば、J・クレノフの晩年は、とても気むずかしく、やっかいな爺ちゃんという側面もあったことは、以前訃報の際に取り上げた「スミソニアン博物館による長時間のインタビュー」でも伺える。(こちらに

もちろん、これは単にクレノフの『晩年のスタイル』に関わる振る舞いというより、彼の作風、木工への思考スタイルそのものに深く根ざすものであるのではと想像しているのだが……。

※ 久しく投稿していないので、タグ打ちができなくなっていることに気付き、慌ててしまった (◎-◎;)

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