工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

『世界の終わりの過ごし方』

このところ、普段あまり視ないTVにかじりつきになることが多い。
昨夜もNHK BS2の映画劇場に釘付け。
サンダンス・NHK国際映像作家賞特集として「世界の終わりの過ごし方」(ルーマニア)がとても良かった。
このところルーマニアの映画はカンヌ映画祭などで評価が高くなってきているが、この「世界の終わりの過ごし方」は全く予備知識もなく、そのタイトルに引かれTVの前に座ってしまっただけであったが、その直感に間違いはなかった。
チャウシェスク政権末期のルーマニアの人々の日常を背景に、思春期の姉と学齢期に達したばかりの幼い弟が繰りひろげるドラマ。
家族愛、近隣の人々との暖かい交流に見守られ、しかし時にこれと衝突し、成長していく2人。
こうして書けばどこにでも転がっている物語にしか過ぎないが、しかしこの映画はルーマニアの圧制の時代の最期を背景とすることによって、その様相はよりドラマティックでもあり、どこかもの悲しくもある。
そして全ての人々が愛おしく、過酷であろうはずの日常をたくましく生き抜く姿は美しくさえある。時折ドラマの変転の狭間に顔を出す知恵遅れのオジサンへも、その地域にとっては欠かせない存在として暖かな眼差しが注がれる。
やや展開が荒っぽい感じも与えるが、寓話的な手法として見れば許せない範囲ではない。
未熟なエロスも挟まれているが、相手役の青年はなかなかの面構え(どこかエゴン・シーレのような)で気に入った。
姉役の女優もクールな面構えの中に時折見せる笑顔は美しかった。
姉は、周りからは疎まれるが現状を打破しようと考える意志の強いボーイフレンドとともにドナウ川を渡河して駆け落ち、国外脱出を企てようとする。
しかし彼女一人、川の中程で引き返してしまう。
弟はこれを真似てのものか、河に沈むし、そして最後この6歳の少年はチャウシェスクを襲うべく、大統領に近づくために一計を案ずるのだが、あのバルコニーでの演説中の民衆からの嵐のようなチャウシェスク打倒の声にうろたえるシーンの中にこの少年のパチンコ玉を打つ姿を嵌め込む。
そして独裁政権は倒され、人々は自由をかちとり、解放された民衆は乱舞する。
圧制の下でも、絶望することなく、かといって現状を打破しようと起ちあがるのでもなく、シニックに、優柔不断に、そしてたくましく日常を生きる市井の人々。
オトナのように賢くはないが、この姉、弟のどこか危なっかしくも、たくましく生きる日常の姿に、民衆の生命力というものを体現させられていて秀逸な映画だった。
生きると言うことはかくも尊いものだ。

────────── * ──────────

実はこのエントリ、書き始めはNHK教育の「知るを楽しむ:グレン・グールド」の話しを書こうと思っていたのだが、ちょっと筆が別のジャンルの話しに滑りすぎてしまった。
グレン・グールドは次回に。

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • グールドのこと是非書いてください。
    待ってます。
    シーレお好きなんですか?
    あの超自信家っぷりが好きなんです。わたし。

  • グールド、書きますが、この種のBlogでは主要テーマでもないのであまりプレッシャー与えないでください(苦笑)。
    エゴン・シーレはクリムトなどと並んで若い頃から気になる存在でしたが、やはり都内での回顧展(伊勢丹美術館:1979)で嵌りましたね。
    クリムトほどの人気がないのは、その露悪的な描き方、スキャンダラスなモデルとの関係などからだと思いますが、クリムトを師と仰ぎ、正当な後継者と自認していただけあってその筆致は確かで、しかしユーゲントシュティールの様式化された高慢さを拒否し独自な世界を作ろうと苦闘した姿というものは近代という時代に生きる人間の苦悩を表し、やはり目を背けるわけにはいかない画家ですね。
    (余談ですが、彼が学んだ「ウィーン美術アカデミー」の同期受験生にはアドルフ・ヒトラーがいたようです。→ 但しヒトラーの方は不合格だった)

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.