工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

〈肥後の守〉

過日、大型連休にあたる休日、妻の弟家族が住む播州三木市を訪ねた時のこと、普段は観光地を訪ねても土産らしきモノにはほとんど食指が動かないのだが、めずらしく市内の道の駅の観光物産展で買い求めたものがある。

刃物産地で知られた三木市のことであり、想像は付くと思う。
ノミ、鉋、etc、いやいや、そうではなく、ナイフだ。
これはどこまで知られているかは判らない〈肥後の守〉(higonokami)のことだね。

1950年代生まれまでの男の子であれば誰しもがフトコロに忍ばせていた、あの、少年必携、御用達のナイフである。

往時は何軒もの刃物製作所がこの〈肥後の守〉を製造していたのだろうが、今では1軒の鍛治屋がその火を絶やさぬよう守り続け、かろうじて今に伝えているのだという。

普及版の安物の刃物とは言え、一時代を画したものであれば、この〈肥後の守〉はまさに“文化”であり、ぜひ今後もフイゴの火を落とさぬよう、作り続けていってもらいたいと切に思う。


肥後の守

ほぼ半世紀を経て手にした〈肥後の守〉だが、少年時代の往時の事柄をフラッシュバックさせるに十分に懐かしいモノだったが、戻りようも無いほど、はるか遠くまで来たもんだとの思いの方が強かった。

時代は大きく変わり、少年の面影など探しようも無いほどに老けた姿形のみすぼらしさに愕然とするというわけだ。

あふれかえる今の時代とは違い、遊び道具が限られていた頃の数少ないガジェットの1つ、この〈肥後の守〉。
竹とんぼをこいつ1つで削り上げたり、水鉄砲を作ったり、あるいは野山を駆け巡るための必須のツールだったり、少年時代を彩るに欠かせない道具だった。
ランドセルの筆箱の中には必ず1つ忍ばせてあり、鉛筆削りはもっぱらこの〈肥後の守〉だった。

全ての鉛筆を一生懸命削ってやった隣の席のかわいいお下げの女子は、今は孫に囲まれて半世紀前のことなど忘却の彼方か。

女子の中にも上手に〈肥後の守〉を扱う者がいて、彼女はひたすら剣先鋭く削り込む女だったが、子供心にその怖さに震え上がったものだった。

テストの時間は、まずは〈肥後の守〉で鉛筆を削り、精神を統一して向かうのが慣わしだった(これは嘘っぽいね。鉛筆舐め舐め、答案用紙に汚い字で書いていた)

さて、これからの教室では鉛筆はおろか、シャープペンまでもが不用となり、iPadのような端末で、指タッチでの解答か?
いよいよ〈肥後の守〉など無用というわけだ。

結局は〈肥後の守〉を守っていこうとするのであれば、それを担ってくれる消費者とは、本来の少年少女の方ではなく、懐古趣味の俺たちオヤジ達ってこと?
やれやれ困ったものだ。

戯れ言はともかくも、購入後、とりあえずあらためて研ぎ上げ、試し切りしてみたところ、なかなか良いフィーリングだ。
「青紙割込」という鍛造であり(画像、刀身の根元部分に刻印表示が見える)、きちんと研ぎ上げれば十分に実用に耐えられる。

通販でも買えるようなので、興味があればぜひ。
ネットにはこの〈肥後の守〉が教室から、さらには社会から消えていくきっかけになった浅沼稲次郎刺殺事件を含め、詳しい情報も豊富にヒットするはず。

またフランス製の〈オピネル〉は大小2丁持っているので、切れ味のテストもしてみたいと思っている。


三木市内、金物神社(金物資料館併設)

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  •  僕は小学校で支給して頂いたのをまだ持ってます。鎌を砥ぐ砥石の悪くなったのを貰ってコンクリ土間でズリズリしたもので砥ぎまくったので、刃巾は本来の半分ほどですが、、、。僕達の世代は両刃の肥後守がナイフ=刃物の原点なので、片刃の刃物が主流の木工・大工の世界で、割合上手く両刃の利便性を理解出来るかなと思う時がありますね。
     オピネルのナイフいいですね、僕も砥いでみます。

    • >両刃の肥後守
      実は、肥後守を研ぐにあたって、両刃特有のフィーリングをあらためて
      感じ取ることになったわけですが、
      もっぱら片刃のフィーリングで鍛え上げてきた研ぎの技法とは
      少し異なるものが求められますね。

      しかし「青紙割込」という鍛造であれば、
      カンナ、ノミなどの炭素工具綱同様の技法で十分でしょうね。

      >両刃の利便性を理解出来るかな
      なるほど、
      今日も松本クラフトフェアの会場で新潟三条の刃物屋のオヤジと
      少し無駄話しをしてきたのですが、刃物の世界も深く、また広いものがありますね。

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