工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

彫刻刀にも活躍の場を

彫刻刀
年賀状作成と言えばPC、Macで画像を取り込み、レイアウトし、文字を飾り、
プリンターにデータを送るという風が今様というところ。
一昔前であれば版木に下絵を貼り付け、彫刻刀でシコシコと彫り込むという工芸的所産によるものが比較的一般的だった。
中学の美術の時間などでも彫刻刀での版画作成は必須のカリキュラムであったように記憶しているが、今の教育現場はどうなのだろうか。
コンピューターを操作しての画像レタッチ、イラストレーターの操作などにシフトしているのかも知れない。
しかしやはり工芸的カリキュラムの充実というのは初等、中等教育課程においてとても重要なものだと思う。
手先を器用に動かすというのは、単にゲーム機の操作を上達させるために必要なものというのではなく、頭脳をバランスよく生育させるといった効用だったり、人が生きるにあたり、その術(すべ)を獲得、充実させることに寄与させるものだったりすると思うのだが、どうだろう。
ボクのガキの頃は、肥後の守(「ひごのかみ」と呼称される小型の折りたたみナイフ)をポケットに忍ばせ、林に入っては木を切り、竹を切り、水鉄砲を作ったり、竹とんぼで飛行時間を競ったり、川での釣り竿をこしらえたり、野鳥を捕る仕掛けを作ったり、等々、里山を駆け巡り、自然界から遊ばせてもらったというのが、ごく当たり前の子供の世界だった。
当然にも教室での鉛筆はその肥後の守で削り、その筆先の形状は、それぞれの個性を表して見事だった。
そうしたガキの頃からの刃物への親しみが、やがては木工へと収斂していくことになったとまでは言わないまでも、全く関係のないことではないだろう。
ペザントチェアの背板に紐模様を掘り進めていて、そんな懐旧に浸ってしまった。
隣の席のお下げ髪の不器用な女の子に、毎日のように愛用の肥後の守を取り出し鉛筆を削ってやっていたが、今思い返せば余計なお節介だったかもしれない。果たして今ではちゃんと包丁を使えているのだろうか。

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  •  先代が亡くなり、年賀状を木版に戻しました。先代の木版画は干支板とともに定評がありましたので、挑戦というスタンスで何年かつづけていますが、続けているとどんどん楽しくなっていきますね。
     小学校で支給された肥後守まだ持っています、キングの赤砥で砥ぎ倒してチビチビの刃になっていますが捨てることはできません。
     子供と付き合っていて、与えるものとして、刃物とお金は似ているなぁと思います。

  • たいすけさん、あなたの世代ではまだ肥後守は健在でしたか。
    少年に刃物を !  老人にiPadを ! ‥‥ ちょっと違ったか ^_^; 。
    >子供と付き合っていて、与えるものとして、刃物とお金は似ている
    与え方は難しい、ということでしょうか。なるほど‥‥、言い得て妙ですね。
    刃物の悪用での事件も少なくないようですが、刃物はその危険性を含め、どのように使うかをしっかり教育するのが大人の責任ですね。
    >先代が亡くなり、年賀状を木版に戻しました
    あなたの「ククサ」も含め、鑿痕のテクスチャーが美しいのも、そうした“こころざし”の表れでしょうね。

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