工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

『一枚のハガキ』 新藤兼人、最後の作品?

御年99歳の映画監督・新藤兼人氏による「最後の作品」という触れ込みで封切りされた『一枚のハガキ』。
15年戦争・太平洋戦争の敗戦記念日、8.15を控えた13日から全国ロードショーがスタート。
昨日さっそく90歳になる母親を伴って観に出掛ける。
母子二人での移動、映画鑑賞なんて初めて、かな。

撮影現場で98歳を迎えたという超高齢でのメガフォンの現場は果たしてどんなだったか興味深いところだが、無謀な戦争と、これに駆り出され戦死した兵士、生き残った兵士、その後の人生のコントラストといった厳しいテーマ設定の中にも、庶民の生き様、人間の情念を描ききり、どこまでも、どこまでも新藤兼人の映画世界で貫かれた作品だった。

大竹しのぶと豊川悦司が抑制的な中にも熱演をしてくれている。
もちろんいずれも戦後世代であり、往時の庶民の生きる姿を想像することが困難でありながらも、しかし二人とも新藤監督への強い信頼と、役者魂の発露で演じきったと思う。

ミッドウェー激戦を転換点として、敗戦へと転げ落ちていった戦争末期、30歳を超える百姓の下に赤紙が届けられ、多くの兵士は南方の地で、あるいはその航路上で戦死し(大竹しのぶはそうして亡くなった兵士の妻役)、かろうじて生き残った兵士(豊川悦司が演ずる)は、復員するも、そこにいるはずの妻と父親は出奔しもぬけの殻という、哀れな状況に置かれる。
したがって戦後の日々の漁師暮らしにも全く身が入らない。

死者と、生き残った自分を隔てるのは、上官が引いたクジ。
たまたま数度のクジをくぐりぬけ生き残ってしまった自分への負い目などが戦後の生き様に複雑に印影を与えている。

大阪へと父と出奔した妻が働くキャバレーでの再会シーンは豊川の凄みが良かった。
「‥‥オヤジを捨てたら殺すぞ !!」と言い残した後、出て行く元夫の背中に浴びせかける泣きじゃくりながらの言葉が「あんたなんか戦争で死んでしまえば良かったのに‥‥」
半ば自伝に近いと言われる本(新藤兼人による脚本)だが、これらの印象的なエピソードがそうした体験に近いものであるかは知らない。

ブラジルへでも移民して活路を開こうと決意し、身辺整理をしていて出てきたのが、戦死した戦友へとその妻から宛てられ、生き残ったらぜひ妻に伝えて欲しいと彼に託された「一枚のハガキ」

今日はお祭りですが
 あなたがいらっしゃらないので
  何の風情もありません
         友子

戦死した友から託されたハガキと遺言は何としてもブラジルに渡る前に伝えねばならないと、漁船を処分したお金を携え、友子のもとを訪ねる。

朽ち果てんとするばかりの茅葺きの農家に、老いた舅姑(柄本明、倍賞美津子、それぞれ名演)と暮らす友子は「英霊」とだけ記された1枚の紙切れだけが入った白木の箱として戻ってきた夫を迎え、舅姑からは、自分たちが生き、世話をしてもらうために出て行かないで欲しいと懇願され、さらには夫の弟との再婚を迫れら、唯々諾々とこれに従う(実際こうした話しは多かったようだ。子を産み、銃後の守りと位置づけられた女性は一家の重要な働き手)。
間もなくこの新しい夫の下にも赤紙が届き、沖縄戦線へと送られ、ほどなく再び兄(元の夫)と同じように白木の箱となって帰還する。

息子二人の戦死という酷い状況の後、相次いで舅姑は不遇の死を遂げ、朽ち果てんばかりの茅葺きの農家で友子は一人きりになってしまう。

このあたりまでの描かれ方も、やはり当時のことを良く知る新藤監督ならではと言うべきか、その頃の日本社会、低層に暮らす人々のエートスというものが、巧に描かれている。
次々と身内を戦争に奪われ、非業な死を強いられながらも、それを宿命の如くに受忍する人々。
しかし実はその核となる部分には燃えたぎる怒りがあることは後半の友子の振る舞いの中に描かれるのだが、庶民の強さ、農夫の農夫たる普遍的な生き様というものが、友子の天秤棒を持って大きな樽2つを水場から持ち上げるシーンで象徴的に描かれている。
これは同監督の初期の名作、乙羽信子と殿山泰司の『裸の島』の再現であることは、新藤ファンならすぐに理解できる。

そしてハガキを携えて友子のもとを訪ねる最後のシーンへと移るのだが、そこで二人で交わされる壮絶な言葉の格闘はこの映画の中でも白眉。
それまで静かに精一杯に客人をもてなしていた友子だったが、抑えていたものが堰を切ったように迸り出るがごとくに、「夫が死んで、なんであんただけが生き残っているんじゃ !」
核心的で、またそれ故の情念の言葉の飛び交う様は、戦争に翻弄されっぱなしの庶民の強い怒りと心情への共感に涙せずにはおかない迫力があり、新藤監督の映画人生を閉じるにあたっての強いメッセージをそこに見る思いがしたものだ。


生きること、どんなに辛くても生き抜くこと。この一見当たり前の人生訓も、かつて難しい時代があった。
しかしいつの時代にも、困難な時代にも、人の生きる姿は尊く、また美しい。
そして翻って現代を生きる我々、生を本当の意味で全うしているのか、との問いかけへと繋がっていく。

これからを生きる若い人々にこそ観てもらいたい映画だが、劇場にはボクと同年代の客で占められているようだった。
青春時代を戦争に奪われつも、家族を育んできてくれた90になる母親も、久しぶりに堪能できた映画だったようだ。

繰り返しになるが、大竹しのぶは友子に憑依したかのようにはまっていたし、豊川悦司の抑制的な中にも生き残った者としての生き様、戦友の妻とともに歩もうとする覚悟の演技もまた美しいものを感じ取ることができた。
それぞれを乙羽信子と殿山泰司に重ねるのは無理としても、監督のこの二人への信頼は厚いものがあったに相違ない。

ラストシーンはその後の二人の人生のささやかな希望を暗喩しつつ静かに閉じていくのだが、新藤監督自身の人生の総括もまたそのようなものであって欲しいと願うばかりだ。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=MSPwZhmQ8iY[/youtube]

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