工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

頭脳明晰ならずとも(木工職人の資質とは)

自分の頭のできには自己嫌悪に陥ることしばしばだ。

読書をしていても頭に入ってこない、小難しい文章は苦手、好ましい音楽なのに鳴っているコードがわからん、なんてことはしょっちゅうだ。
しかしそれらは少し凹む程度で自己処理することができるが、仕事の範疇の問題となるとスルーするわけにもいかず、いきなり支障をきたすことになる。

今度もその1つ、幾何学に関わる能力問題。
数値換算できずに、現物合わせで凌ぐ。

画像がそれである。


帆立、甲板で筺を構成するというとてもシンプルな構造。
シンプルではあるが、ただ見付けに少し意匠を施すことにした。
甲板の見付け部分を円弧状に張らせる。
今回は間口が400mm弱なので1,800Rのなだらかな円弧とした。

またそれだけではつまらないので、帆立、甲板、見付断面部分を内側に削り込む面形状とした。不定型な坊主面といったところ。
もちろんここに入ってくる抽斗前板も円弧状になるわけで、それらと一体的に統一感を出すための意匠である。

小さな〈手許チェスト〉とでも言うようなシンプルなものなので、装飾性を廃しながらも、柔らかいラインで、暖かい感じの意匠にしたいと考えた。

ところが、である。
この円弧状の甲板に、帆立ともども内側に削り込んだ面形状を留めで接合し、ピタリと面形状が合わせるのは——、簡単で無いことだけは分かったものの、その処理に手間取ってしまった。

甲板は良いのだが、この甲板の面を取った断面木端に、同一の面形状した帆立の木端が接合してくる。

だがしかし全く同じく面を取っても、接合部は合ってはくれない。
なぜなら甲板の方は円弧状をしているので、合わさった部分ではこの2つの要素を満たす面形状が求められるということになるからである。

これはたぶん然るべく少し複雑な計算式で出せるはずだが、頭の悪いボクにはお手上げだ。

仕方が無いので、甲板とは若干異なるものの、帆立の内側だけに接合部でのビミョウな偏倚を考慮して削り込んで組み上げた。

当然にも外側の接線は合わず、組み上げた状態で、その後に小鉋、南京鉋、さらには突きノミで現物合わせをしながら削り込んでいく。

恥ずかしいね、まったく。

ボクの親方だった職人は三角関数は、それとしては理解できない人だった。
しかし、どんな複雑な傾斜角を持った仕事も鼻歌交じりで加工を進めることができた。
規矩術である。
いわゆる三角関数の sin、cos、tan は知らずとも、傾斜角の処理は十分すぎるほどに深く理解している職人だった。
実業の世界ではそれ以上に何が必要であろうか。

ボクなどは面倒なので電卓で三角関数の計算式で責めていく。
でもたぶん、親方の規矩術の方が理に適った思考スタイルなのだね。

ちょっと話しが脇に知れたが、恐らくは計算式で出せたとしても、それはそれで立派なものではあるが、今回のボクのような思考も決して悪いわけでは無い。
甲板、帆立、それぞれ同一面形状では合わないよ、ということを理解し、それに対応できる力量があればダイジョウブ。

そうなのだね、木工という実業は、ボクのようなオポチュニストで無いと務まらない、ということは言えるのかも 笑。

ま、できれば計算で責めることもできればなお良いわけだがね。
負け惜しみ、って奴だ。

小学校、中学校の算数、数学を侮っては木工はできません。

今では、Webサイトも自身で作れる才覚が無ければだめだろうしね(ちょっと視点が違うけど)
若い職人志望者は、そうした意味合いでいくと、我々の頃と較べてもなおたいへんだ。

最近、世話になっている師匠と話をしていて、ボクほどの年齢でコンピューターを駆使し、Webを作ったり、Twitterしているのは少ない。会社務めではなお少ない。適応力が無いと今の時代は生きていけない、などといった話しに及んだ。

片足を棺桶に突っ込みながらの還暦過ぎの木工職人だが、コンピューターも興味津々で楽しんでやれているし、人生楽しんでやれているので、何とか生き存えているが、ただの会社務めでリタイアして、さてこの後、どうして生きていくの?、などといった人は大変だろう。
 
つまりは世界への関心の深さの度合いである。
若ければ未知の世界への憧憬は強いだろうし、頭脳も柔らかく、吸い取り紙に新しいインクが吸い込まれるように新鮮な知が納められていく。

ボクほどの年齢にもなれば、未来志向の意欲も無ければ、頭脳は硬直し、新たな情報の入る余地はいくらも残ってはいない。
新しい世界は次世代に任せっきりで由とするわけだ。

こうしたある種の抗いがたいライフサイクルに、いかに抗し、不服従の精神で、魅力的な人生を歩んでいくのかが残された課題だと言うことになろうか。

何やら少し余談が過ぎてしまったが、良い木工に勤しみ、魅力的な造形を楽しみ、良い人生を送りたいモノだと、あらためて思った週末金曜日だった。

Twitterでは近々にでも〈天秤指〉の話しをしようと約束していたが、Bob MarleyのCDを流していたら、どうでも良くなってきちゃった。
いやいや、次回はぜひ。

《関連すると思われる記事》

                   
    

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.