工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

職業としての家具作りについて(10)

「家具工房」という生き方について

幸せで豊かな人生を送りたいと思うのは人として誰しも共通の願いだ。
しかし「幸せ」も、「豊かな人生」もその基準はとても茫漠なもので人によっても、考え方によっても様々だろう。

「家具工房」という生き方はそうしたあいまいなものというよりも、より明確な基準として考えてみたとしても十分に魅力的な生き方ではないだろうか。

確かに拝金主義が全盛の世の中にあって、経済的見返りの少ない「家具工房」という生き方は一般的評価においては社会的に低い地位に位置づけられるものかもしれない。
しかし金銭的な欲望などに人生のほとんどを費やすなどということが果たして「幸せ」で「豊かな人生」なのだろうか。逆にそのことの追求途上で失うものは少なくないかもしれない。

ライブドアの堀江貴文、あるいは村上ファンドの村上世彰のような巨万の富を手にした成功者がついに塀の内側に捕らえられことを指すだけではない。彼らのような「金融界の寵児」であれば極限的なところへまで金儲けに走るのは戦略的な裏付けと強い意志とを持つ志向的な人生の過程での破綻だったわけで、自業自得的な側面があるが、市井の人々の金銭的追求などかわいいもので、額に汗しながら日々の生活を維持するための労働に身をやつすというのがごく一般的な姿だろう。昨今では以前のように年齢と共に所得が自然増する高度成長の時代とはうって変わり、大企業の労働者ではあってもボクたちの世代ではもはや昇給も頭打ちで、家事専業だった妻たちもパート労働に出なければ持ち家住宅購入のローンも払えないという状態だ。
このような労働と生活を支配する経済環境の激変の時代にあって、生き方そのものが問われてきているように感じるのはボク一人だけではないだろう。

この課題を詳しく解き明かすのは本稿の領域を越えることなのでまずは留保したいと思うが、「家具工房」という生き方、工芸を生業とする生活は、これまでのそうした現代的な消費経済生活のある種の限界というものを措定した上で、「可能性の開かれた生き方」であることを提示したいと思う。
いわば消費経済生活万能社会というものに主軸を置くのではなく、もの作りの本質を日々追求することを通した本来の人間らしい生活の獲得という道筋のことである。


以前、ボクとほぼ同時期に木工の道に入ってきた人が工房を訪れた時の会話に、その人は木工で一旗揚げて、それを資金にさらに大きなことにチャレンジしたいといったような希望を開陳してくれたのだったが、ずいぶんとはき違えた考えを持った人もいるものだと驚かされたものだった。

村上世彰の「金儲けは悪いことですか?」との問いかけには、そんなことはない、と応えてあげたいと思うが、しかし木工で一旗揚げようなどという思考に内在するある種の危うさが同居するような工房生活であれば、残念ながらまともな木工は難しいだろうというのがこの世界だ。
金儲けがしたいのであれば、何も木工などというやっかいなものではなくそれにふさわしい業種を選択すべきだろうね。
これは希なケースだろうから、あまり検討対象にはならない。

さて家具デザイナー、あるいは家具プロデューサーなどの人たちからいわゆる木工家という人たちにしばしば耳の痛いことを云われることがある。
曰く「田舎に籠もって、一人で、ヒゲなど生やして、手作りにこだわり、耳付きの板を使い、あまりデザインも考えずに、人とのコミュニケーションが苦手で、……」これに「べらぼうに高価で、市場性など無視してる」などといったことを加えれば、1つの類型ができあがる。

確かにそのように映ることを全否定するつもりはない。
とかくそのような否定的側面に陥りがちなこともあるのだろうね。
あえてそのような生き方に独自の価値観を求め、「田舎に籠もって、一人で、コツコツと…」やっている人も少なくないだろう。

このような人からすれば「否定的側面」という評価は受け入れがたいだろう。強固な価値観と、これを貫く生き方は尊いものだし、何事かなし得る力にもなるだろう。このような生き方には如何なる人も介入などできはしない。

じじつ、ボクが入校した職業訓練校には木工加工技法を学びたいからと云うよりも、都会から田舎に移住し、静かに暮らしたい。そのための転職として木工を選択した、という人たちもいたことは確かだ。
2007年問題とやらで、今後こうした転職希望、リタイア後の再チャレンジとして木工を、という人も増えてくるのかも知れない。
それはそれで結構なことだろう。
こうした人々から優れた木工をする人も多くでてくることを期待したい。

上述の類型への否定的評価に見られるものは…、都市における大企業、あるいは上級公務員などの職から「落ちこぼれた」ような人物であるとか、あるいは現代的都市生活を忌避するようないわゆるカウンターカルチャーを志向する人たちに担われていることへの否定的評価に繋がるものと言っても良いかも知れない。
じじつそうした側面を有することは否定しないし、むしろこうした人々を単純に否定的評価をすることの当否を問いたいぐらいだ。人物評価における好みなどは勝手だが、これを悪し様に否定する論調には与しがたい。

そうした立場からあえて再定義すれば、田舎志向もカウンターカルチャーも「○○からの逃避」という後ろ向きのものではなく、積極的に位置づけられた「可能性の開かれた」生活形態の1つでありたいと願うものだ。

否定的評価をする人々には残念ながらこうしたところがまだまだ十分に理解されていないのだろう。
さて一方、朝日新聞社(名古屋本社、企画)の「暮らしの中の木の椅子展」などには木工家による優れたデザインと制作による椅子が出品、受賞することなどが1つの契機になり、木工家という在り方への実力の評価と理解というものが少しずつ家具業界から一般社会へと認識が広がりつつあると云っても良いのではないだろうか。

恐らくはこの公募企画も初期の頃には「木工家の作る椅子」などへの審査委員の評価はかなり低いものであったに違いない(ほとんど正当に理解されていない、と言った方が正しいだろう)。

ここに見られる不当な批評の根拠をあえて探せば、家具業界、インテリア業界を支配しているのは既存のシステム(デザイナー、家具制作会社、問屋、販売店、といった)であり、そのシステムの中核を占めるのであろう自分たち(審査委員のデザイナーなど=幾分のヒエラルキー的視点を含む)のフレームワークを越える分野からの出品への嫌悪感が潜んでいたかも知れないと言う見方は皮相に過ぎるであろうか。

以前、デザイナーと職人との関係を問うコラムを自身のサイトに記したことがあったが(「職人はバカ ? 」)、こうした不幸な関係性は克服したいと思うのだが、なかなか難しいのだろうね。
しかし制作されたモノという絶対的基準を対象とするコンペにあってはデザイナーであろうと、木工家であろうとその出自は関係なく審査されているはずであり、ここで選定された作品の数々の中には多くのキャリアのあるいは若手の木工家のものがあったはずだ。
(このコンペの審査への様々な評価もあるようだが、ここでは触れない。コンペというものはそういうもの。   あえて1つだけ疑念を挙げさせてもらえば、何故審査委員のメンバーの中に木工家が一人としていないのか、ということだ。不思議なことだね。このコンペでは入選作品が全国数カ所を巡回するのだが、その間いくつもの椅子が損壊するらしい。木工家が審査員であればそんな構造的欠陥のあるようなものは選外にするのだがね〜)
(この項、続く)

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • 後半の「木の椅子展」にはまったく同感です。
    私も落選組の一人として新宿での展示会初期に見学して来ましたが既に座れない椅子がありました。これ以上書くと負け惜しみにしかならないのでこの辺でやめておきます。
    先日、紹介しましたmixiの家具関係コミュニティの中で
    家具作家をめざす若者の悩み事の投稿をきっかけに
    コメントが30以上もついていました。
    ひとつの投稿にこんなにたくさんのコメントが付くことは
    めずらしいことです。
    貴ブログもその中で紹介されていましたので見てくれている
    方も多いと思います。

  • acanthogobius さま さっそくの「同感」のコメントありがとうございます。
    ボクも「これ以上書くと負け惜しみにしかならないのでこの辺でやめておきます。」(笑)
    >先日、紹介しましたmixiの家具関係コミュニティの中で……
    ボクは会員ではありませんので、どのようなやりとりがされているのか不明ですが、なかなかコミュニティーが増強されているようですね。
    若者は大いに悩み、これを乗り越えてもらいたいですね。未来は明らかにボクたち老境の側にあるのではなく、若者側にあるのでしょうから。
    残念ながらちょっと小粒の人が多いという印象もありますが(そんなことはない ? か)

  • 「小粒」ですか自分のことを言われているようで耳が痛いです。
    知り合いの方でmixiの会員の方がいればメールで紹介状を
    送ってもらったらいかがでしょう。
    入会は簡単です。(もちろん無料)
    ある意味閉鎖空間ではありますがMACのコミュニティー等も
    色々あります。
    逆にあまり手を広げすぎるとたいへんかもしれませんね。
    失礼しました。

  • 事後報告になってしまい申し訳ございませんが、上記、acanthogobius さまのコメントにございますmixiのコミュでの書き込みに、このカテゴリーへ参照リンクさせていただいきました。(ばれなきゃ黙っておくつもりだったのに……笑……否、失礼致しました。)
    mixiの性質上、若い世代の利用者が多い為か、夢に向かう似た境遇の制作者(小粒の……?)の方々(自分も含め)の励ましのコメントが書き連なる中(それはそれですばらしいもので、否定する訳ではございません)に、少し現実に向かい合う機会を持っていただくには、このぐらいの刺激(笑)は必要と思い、また、他の皆さんにも是非お目を通していただきたいという深い意図もあり、お言葉を拝借させて頂きました。
    事後報告で申し訳ございません。

  • KAKUさん 丁寧なコメント感謝します。
    残念ながらmixiを拝見していませんので、適切なレスが付けられません(苦笑)
    もとよりこうしたBlog内記事は公開を前提に記述されたものですので、著作権の基本的な規定に従うものであれば、どのように再利用されるのも書き手が束縛できるものではありません。
    本日(25日)のエントリーも何を隠そうBBSから示唆されてのものでした。

  • 公にお許しをいただけたということで、これから堂々と参照リンクさせていただきます。(笑)
    webの成り立ちにおけるハイパーリンクの精神と、またその流れを汲む weblog のスタイルに順じられて情報をオープンに共有しあうというartisan氏のブログの主旨(これまた深読みし過ぎですか……笑)には大いに賛同いたします。
    また当方掲示板でのスクレーパー関連のコメントにつきまして、通してお読みいただけるよう当方の weblog にまとめさせていただきましたので、またしても僭越ですがトラックバックさせていただきましたことご報告させていただきます。

  • KAKUさん 貴Weblogでのカテゴライズ、およびトラックバックでの連携ありがとうございます。木工ポータルサイトの様相を呈していますね。

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