工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

〈緊急事態宣言〉下の自宅軟禁の甘受と抗い・・・

私の日常はこの〈緊急事態宣言〉下においても大きく変わることはありません。
個人の顧客からの注文に応じ、淡々と制作活動に勤しむ毎日。

世間はテレワークとかで、会社業務を自宅に持ち込み、休校を強いられた子供がはしゃぐ隣で慣れないPC作業にストレスを高じさせている人も多いのかも知れません。

会社が引ければ同僚と縄のれんを潜る密かな楽しみも奪われ、その腹いせにPCを畳み、やけ酒を呷るに至り、やがては家人の眼を曇らせ家庭不和に陥ることもあるかもしれません。
普段では起きないだろうことも、この〈緊急事態宣言〉下では意識下における関係性のリアルな姿を無情にも浮かび上がらせ心をざわつかせることにも。

さて私の工房は自宅と同一の建物であり、生活そのものもいわゆる工房的生活と言うべきもの。こうしてMacとBluetoothで繋がれたキーボードを打っているのも、工房2階にあるショールームの一角。
作業着に着替え、階段を降りれば直ぐにも作業に取りかかれます。

朝、勤め人が出社しようとすれば「お隣、テレワークもせずに仕事に出掛けちゃうんだ、みんな自宅に籠もってがんばってるというのに…」などと指さされることも無く仕事に勤しめるというのは、今の「自粛」状況下では確かに恵まれた環境と言えるでしょう。

仕事内容も個人からの家具制作依頼が大半であり、今のところは以前と変わらぬ制作スタイルを取っています。

家具工房と言っても様々で、設計事務所からの制作依頼だったり、家具メーカーの下請けだったりというところも多いでしょうから、そうしたところは、何某か、このコロナ時代の余波を受け、仕事も少なくなっているところもあるでしょうね。


このコロナ感染拡大、いつ収束するのかは誰にも分からない。
数日前の外報では韓国では感染者の新たな発生がゼロになったと、医療従事者がはしゃぐ姿が配信されたり、すさまじい規模での感染爆発のシャワーを浴びせられた欧米でも、各国その態様は様々ながらも、恐々ではあるが、徐々に経済活動を再開させようとする動きも見えてきています。

ただ日本では〈緊急事態宣言〉真只中で、この大型連休最後の6日に終わるはずの期日も、全国規模で1月延長されることが決定されているようで、この状態がいつになったら解けるのか、先は全く見えないようです。

欧米の経済活動の再開などの新たな動きも、これ以上経済を絞め殺す事態は逆に市民社会に死を招き入れるようなものなので、恐々と少し緩めてみる、いわばトライアル&エラーの如くのものでしょう。

疫学の専門家にはこの感染拡大は今冬から来春に掛け、第二波、第三波と、大小の山々が待ち構えているだろうことは覚悟して臨めと語っています。

当初はCovid-19と闘い、これに打ち勝つと威勢良く語っていた専門家や政治家も、今ではウイルスと共存するなどとビミョウに言い換えつつあり、確かにこれまでの人類に襲いかかってきたウイルス同様、世界規模での我々の生活圏内に定在し、このやっかいなウイルスの暴発を抑えつつ、ヒトはこれと折り合いを付けながら生きるしか無いというのが歴史の教えるところのようです。

私のような個人を相手にした家具制作にあっても直接的な影響に晒されることはなくとも、これだけの規模での自粛ともなれば人々の消費マインドの冷え込みは避けがたく、ボデーブローのように基礎体力を奪っていくのではないかとの恐れはあります。

あるいは逆に、このCovid-19感染の時代を生きる私たちはライフスタイルの変容を迫られることも必至と思われ、それまでの享楽的なものへの消費願望よりは、むしろ普遍的な価値観へと回帰し、そうした方向性の中には住環境の整備へと関心が移る人もいるでしょうし、気に入った家具調度品への要求も高まる可能性だってあるかもしれません。

そうした新たな需要の創出を考えれば、このコロナ時代をただネガティヴなものとして捉えるのではなく、ライフスタイルの変容に対応可能なものとして、さらには提案型のモノ作りとして自身の家具制作を定義し直す契機とすることだってできるのでは無いでしょうか。

いずれはコロナの感染拡大を抑え通常の社会生活が営める時期がやってくるのです。
会社勤めの人たちはまた以前同様の通勤地獄が開始されるという光景が一気に無くなることは無いとしても、試みられたテレワーク型の働き方などの、いわば真の意味での「働き方改革」が定着していくようになるのでは。

いやいやそうした市民社会の微細な変容に留まらず、政治社会のパラダイムシフトも起きるかも知れません。
あるいは世界に視座を拡げれば、WHOの支援から距離を置こうとしているトランプに観られるようにアメリカ社会の孤立化は想像以上です。

WHOが米国の拠出額にふさわしい自国へのサポートをしていないとの怒りがあったとはいえ、WHOの活動を削ぐことになれば、やがてはCovid-19は医療資源の脆弱なオセアニア、さらにはアフリカ大陸を呑み込み、取り返しのつかない世界的パンデミックで覆い尽くされるリスクは大きく、この米国の独善的な振る舞いの無責任さには歴史的な審判がくだされるでしょう

武漢を中心とする湖北省における甚大な感染拡大を抑え込み、徐々に世界の工場としての本来の活動へと戻りつつある中国とは好対照に、それまでの世界のリーダーとしての自覚は消え失せ、悲惨な状況を見せつけているアメリカ社会、今やかつての輝きは無く、ポストコロナ時代には、ドルの価値が世界金融にどう位置づけられどう再定義されるかは見ものです。


まさに世界大戦後以来のパラダイムシフトを迎えるのは必至なのかも知れません。

これは何もコロナ禍を受けたから、というのではなく、それは確かに巨大ではあったかもしれませんが、1つのきっかけに過ぎず、世界経済、国際政治における枠組みは徐々に、掘り崩されつつあったところへ、このCovid-19感染拡大に晒されることで、時代の動輪を大きく転がされ、促された結果としてのパラダイムシフトなのでしょう。

もちろん、日本もここに深く関わっていくことになるわけですが、それについては別稿、あらためて考えていければと思います。

ただここでは、パラダイムシフト不可避の社会情勢がやがては訪れるだろうことを想像し、そこから敷衍し、今の段階でどのようなことを考え、何を準備すべきなのか、考えて見るのも必要なのかも知れません。

私たちはモノ作りを生業としています。デザイナーやプロデューサーであればMacとiPhoneがあればどこでも仕事はできるでしょうが、私たちは道具と、素材と、作業場が無ければ仕事にはなりません。

確かにモノ作りのある領域においてはロボットに置き換えられるのは必至のようですが、私のような個別具体的な顧客の要望に応えるといったモノづくりには、人間の頭とキャリアと手が必要で、主要部分をロボットに置き換えることなどできやしないのです。

そうしたポストコロナ時代におけるモノ作りにおいて、私たちの家具工房は尊厳ある確固たる職域として残ることは疑いなく、この荒波に吹き飛ばされること無く、じっくりと構え、マスク不要になる時期を見据え、準備していくことです。

例え注文仕事が無くなったとしても、新たな時代にふさわしいプランを練り上げ、普段には必要に迫られてもなかなかできなかったような作業、例えば機械を整備し、鉋を仕込み直し、刃を研ぎ、備えましょう。


最後に少しCovid-19感染状況の一端を確認し、今日のところは終わりとさせていただきます。

Covid-19の発生源とされる中国、そして早い時期から感染爆発を起こしていた韓国は既にピークアウトし、通常の経済活動へと移行しつつある中(AFPBB:「韓国、新型ウイルス新規感染者が初めてゼロに」)日本では〈緊急事態宣言〉がさらに1月間継続されるという、この好個のコントラストは実に鮮やかです。

こうしたアジアや、当初、われ関せずとばかりにアジアから遠く離れた欧州においてやすやすと感染を許し、感染爆発を起こしてしまった国々と較べたとき、日本では横浜港に接岸したクルーズ船での感染爆発では失態を演じてしまったものの、それにしては当初はクラスター対策とか言う奴で、それなりに感染者の増大を抑え、死に至る人の数は意外と少なく推移していたかのようでした。

しかし、中国や韓国のような経緯(それぞれ感染拡大の経緯も、これを抑え込んだ疫学的施策も全く異なるものですが)を辿る事無く、ダラダラと、いつ終わるとも知らぬ感染状況が続き、医療現場からは悲鳴が聞こえてくる有り様。

何よりも、疫病への対策には感染状況の冷徹な把握からしかスタートできないはずなのですが、日本ではそれがよく分からない。

最初におかしいなと思わされたのは、東京都の感染状況。
東京五輪の延期が決まるまでは、感染者数は1桁から数10人ほどで留まっていたのが、3月24日の延期決定の翌日にいきなり40〜60名と跳ね上がった時のこと。
2020東京五輪が数ヶ月後に迫る中、東京での感染拡大が報じられればとても開催に漕ぎ着けられるはずも無く、感染の実態を封印しつつ(事実、小池都知事は当時、今のような記者会見に臨むことは極力避けていた)ギリギリとした情報管理を敷いていたはず。

2020東京五輪組織委の森会長、安倍首相、小池都知事、そしてIOCバッハ会長との間で1年延長が決定し、それを奇貨とするかのようにその翌日に感染者数は大きく跳ね上がるという経緯。
これには公表される感染者数は作為的なのではとの疑念を持ったのは私だけで無いでしょう。

またよく指摘されるのが、PCR検査での陽性率が他国と較べ桁が1つ違うほどに高いという問題。
ようするにPCR検査でカウントされる陽性率は、極限的にPCR検査を絞りに絞っている結果としての高さだろうことを有為に示しているのです。

あるいは4月19日までの慶応大学の調査では無症状の一般疾病の患者にPCR検査を行ったところ、約6%が陽性を示したとのこと(日テレNews:”コロナ以外の患者”検査すると約6%陽性)。

これにはさすがに驚かされました。
単純計算でも、東京都内では数十万人が感染者だということが想定されるという数字なのです。



事ほど左様に、感染状況は東京都が公表する数値とはかけ離れた実態がありそうで、感染者の多くが実は無症状ながらも市中に放置されたままであることを教えているのでは無いでしょうか。
わが国の感染症対策、ホントにこれでダイジョウブなのか?との疑念はなかなか鎮まらないのです。

何よりも我らが宰相のあの漫画チックなマスク姿に象徴されるように、まったくといって安心材料は無く、為政者への信頼や希望など見出すことは無理。

週刊文春で明かされた、森友問題の渦中で文書改竄を強いられたながらも、これを真に嫌悪し、忌避し、挙げ句自害に追いやられた近畿財務局の赤木俊夫さんの遺書に示されたように、欲しいままに私物化され貶められた政治とそれへの批判には全く聴く耳を持たない政権に、このCovid-19感染対策を委ねなければならないという、歴史上の悲劇に果たして日本社会はどこまで耐えられるというのでしょう。

あの醜悪なアベノマスクが教えるところは、日本社会にあって、このCovid-19感染拡大の状況はまったく甘くは無く、為政者の言葉に振り回されること無く、科学的エビデンスに基づき、現在進行している感染状況を見据え、信頼できる疫学、感染学専門家を見出し、そこから責任ある市民の一員として批評性豊かに学習習得し、常に冷静さを失わぬよう心していこうと考えています。

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    どんな時代でも、木の仕事はあり、材料がないと始まらない。この危機にできることが沢山ありますね。10年ほど若い衆の面倒を4649.バリバリ70.

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