工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

COVID-19による美術館閉鎖を憂う

はじめに

COVID-19感染拡大はひたひたと自分の身にも襲いかかってくる気配に怯え…。
と言うのは半分は本当ですが、実態としてはいたって平然と仕事に専念する日々だ。

当たり前だ。自宅兼作業場であれば無用に外に出る必要もなく、他者とのコンタクトはとても稀。

その稀だが、先週から歯科に通い始めてる。
奥歯のブリッジが取れ、治療が必要となったからで、歯石除去含めつごう3度の通院で事済むものだが、大口開け、ドクターと歯科衛生技師に至近距離で濃厚対面するのだから、多少の怖さはあるわな。

あるいは、数少ない趣味の1つが映画で、これには困った。
会員となっている単館上映ものばかりが掛かるお気に入りの映画館だが、開館しているらしいのだが、大勢の客のいる密室の閉鎖空間で2時間余を過ごすのは、前期高齢者+喘息持ちの私には蛮勇を奮わねば立ち向かえないということになる。

例えマスクを装着していたとしても、喘息持ちの症状から突然咳き込むことは避けがたく、これはただちにCovid-19罹患者ではないかと疑いの視線が集中しても無理が無いご時世だからね。

蛮勇を奮えない弱虫、ということだけならば影で笑われるだけで済むが、このCOVID-19を対象とした話しとなれば、まかりまちがって感染させられたとすれば、数日後にはたちまち周囲への感染源になり得るというやっかいさが纏わり付いてくるからね。本当に困ったものだ。

こうして趣味の欲望を抑制させられてはいるものの、業務上は(今のところ)何ら影響下には無いので、他者とのコンタクトが極小で済むという職業選択におけるありがたさをあらためて感じ入っているところだ(大げさな物言いですが…😬)

さて、映画はともかくも、困ったことがあった。
3月初旬、上京しての2つの美術工芸の観覧を予定していたのだが、この2つともがCOVID-19感染拡大を受けての予防措置として「閉館」となり、大変落胆させられた。

『モダンデザインが結ぶ暮らしの夢』

その1つめだが、私としては久々の汐留美術館だったが、以前は年に2、3度ほど好みの企画展が掛かり、馴染みの深い美術館だったし、とりわけこの《モダンデザインが結ぶ暮らしの夢》は嗜好にピッタリ填まるものだった。

  • ブルーノ・タウト(1880–1938)
  • 井上房一郎(1898–1993)
  • アントニン&ノエミ・レーモンド夫妻(1888–1976、1889–1980))
  • 剣持勇(1912–1971)
  • ジョージ・ナカシマ(1905–1990)
  • イサム・ノグチ(1904–1988)

これら日本の近代デザイン、建築、工芸の分野でのキラ星の如くの先人らの工芸品、建築模型など、作品資料160点の展示があるというので、大いに楽しみにしていたのだったが…。

無論これまでも井上房一郎を除けば、そのほとんど全ての人の作品を様々な機会に観覧し(いくつかはこの汐留でのことだったが)、いくつもの示唆を受けてきたのだったが、こうして1つの企画展として展示されることで。近代日本のデザイン、美術工芸、建築の息吹、黎明期ならではの健康的な美を総覧する絶好の機会だっただろうに、悔やみきれない思いがある。

『所蔵作品展 パッション20 今みておきたい工芸の想い』

wikiからCC(クリエイティブ・コモンズ)での二次利用

2つめは東京国立近代美術館工芸館。
ここも馴染み深い美術館で、工藝全般、多くの優れたコレクションを抱えているところから、その企画展は傑出した品質のものを観覧することができるところで、上京し、少しでも時間があれば地下鉄東西線に飛び乗り、いそいそと出向いたものだった。

今回の企画は、この東京国立近代美術館工芸館が金沢に移転するのを控え、最後の企画展として、力の入ったものだったろうから、見逃すわけにはいかないと考え、仕事が一段落を終える3月初旬にスケジュールしていたのだった。(参照:美術手帖

残念ながら、この近衛師団司令部庁舎だった赤煉瓦造りのゴシック様式の豪壮な建築物のファサードの前に立ち、いったん姿勢を整え、正面に大きな階段が拡がる玄関の三和土に立ち入る事はもはや無いだろう。

観覧した中で、印象的な企画展を挙げれば「ヴァン・ド・ヴェルド」だろうか。
ヴァン・ド・ヴェルドといえば、後期アール・ヌーヴォーからモダンデザインの黎明期に活躍した建築デザイン、美術工芸デザイナーで、ドイツでは工芸学校を起こし、それが後のバウハウスの原型となったことで良く知られる人物。

《ヴァン・ド・ヴェルド 展 図録》於:東京国立近代美術館工芸館

アール・ヌーヴォー調の銀食器や華麗な陶器などとともに、住宅の内装や家具も展示され、その多くにマホガニーが用いられているところから、私はいっぺんにヴァン・ド・ヴェルドの作風とともにこの材種が好きになり今に至る。
画像にした図録の見開きページには1990年とあるので、30年も前のことだったのか。

残念だが、国立での工芸専門美術館は東京には無くなる。
六本木に〈国立新美術館〉ができたことで、そちらでの開催は可能だろうが…、
もう公立の美術館ではこのような企画はできないのだろうか。

1980年代、モダンデザインを積極的に仕掛けていたのは、セゾン美術館だったり、伊勢丹美術館だったが、それらデパート系の美術館は軒並み閉館の憂き目にあっているというのが実態。

ところで、この東京国立近代美術館工芸館《所蔵作品展 パッション20 今みておきたい工芸の想い》だが、閉館やむなしとの判断については後段に書くが、ただ「閉館で、はいオシマイ!」、というのではなく、館内の様子をビデオ収録し、これをオンラインで公開するという方途など考えはしなかったのだろうか。

COVID-19 感染拡大と美術館の過剰対応に腐す

無論、高品位の画質での収録は経費も掛かるだろうが、国立と冠を被せるのであれば、その程度のサービスは提供すべきだったろうと思う。
学芸員らの開催へ向けた準備と知的作業をそのまま無きものとして封印させられたのでは、彼らとて忸怩たる思いを募らせているに違いなく、オンラインでの公開などでの臨時的な対処はこれらをかなりの程度に濯ぐことになったのではないだろうか。

朝日新聞より

ところで、画像の通り、美術館は多くのところで閉館の扱いとなっているが、これも致し方無いという思いの一方、閉館と断ずる前、入場制限などを課すことを前提とした開館などは可能だろうし、どこまで真剣に検討された結果としての閉館なのか、不信を隠すことはできない。
「Covid-19に感染したら責任取れるのか?、みんな我慢してるのに、オマエのところだけ開館だなんて勝手な事をしやがって・・・」等々。

日本特有の「同調圧力」の前に屈したということであれば、あまりに短兵急に過ぎる判断で、開館しての観覧の提供という公共としての使命をどこまで真剣に追求されたのか、疑念は晴れない。

このCOVIC-19感染は、かなり長期的な闘いになるというのが専門家の一致した想定のようだが、であればこそ、安易に同調圧力に屈する形での閉館判断というのは、あまりにもバカげており、市民の美術工芸観覧の権利を奪うものになりかねないと思うがいかがだろうか。

Covid-19感染拡大に屈したというよりも、同調圧力の前に屈したということにならぬよう、企画担当関係者には感染症の専門家をはじめ、美術工芸のファンなども交えた公開での審議を経ての対処方針であって欲しいと願っておきたい。

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