工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

STING & Chris Botti

週末の今宵、バーボンでも傾けながらおぼろの月を見上げるのも良いだろう。
ポリス解散後、STING(スティング)の最初のアルバムThe Dream of the Blue Turtles(ブルー・タートルの夢:1985)は繰り返しよく聞くアルバム。
バックはブランフォード・マルサリス(先に紹介)などJazz界のミュージシャンを引き連れてのもので、それまでのポリス時代とは大きく変貌を遂げている。
今回はYouTubeから「Moon Over Bourbon Street 」(邦題:バーボン・ストリートの月)
を。
ソリストとして参加しているのはマルサリスではなく、Chris Botti(クリス・ボッティ)。
クラシック(最近ではヨーヨー・マとも)からジャズ、ポップスまで様々なジャンルのミュージシャンとコラボレートする若き才能。スティングとも10年ほど交流があるようだ。
その甘いマスクは演奏の方よりも話題になるらしいが、ミュート奏法のトランペットも甘美。
個人的にはあまり好きなタイプの演奏ではないが、そのメランコリックな歌心は確かに酔わせてくれる。
Moon Over Bourbon Street

なお、このStingの「Moon Over Bourbon Street 」、YouTubeには様々なビデオクリップがある。それぞれに楽しめる。
The Dream of the Blue Turtles

世界環境デー、全世界で一斉公開 『HOME 空から見た地球』

来週末6月5日は国連による国際的な記念日「世界環境デー」(World Environment Day)。
これに合わせて日本の環境省も6月の一ヶ月を「環境月間」として様々なセミナー、展示会を開催することになっているが、ここでは映画『HOME 空から見た地球』の紹介を。
HOME 空から見た地球 [DVD]フランスの航空写真家ヤン・アルテュス=ベルトランが監督したすばらしい作品だが、彼の全世界の人々に無料で公開したいとの熱い思いを、かのリュック・ベッソンが受け止め、彼のプロデュースにより、この世界環境デーの6月5日に5大陸88カ国以上で一斉公開することになっている。
日本ではユナイテッド・シネマ豊洲にて特別上映会が行われ(75組150名、既に〆切)、
WOWWOWでも無料放送。

【HOME 空から見た地球】

  • 原題:Home
    ドキュメンタリー
  • 制作年:2009年
  • 制作国:フランス
  • 上映時間:94分
  • 監督:ヤン・アルテュス=ベルトラン
  • 製作:リュック・ベッソン
  • ナレーション:道端ジェシカ

・6月5日 WOWOW 無料TV放送 18:00〜、
・同日 DVDリリース( ↑ 画像クリック → amazonジャンプ)
・6月上旬、写真集『HOME 空から見た地球』(ピエ・ブックス発行)発売予定

*参照
『HOME 空から見た地球』(予告編あり)
国連環境計画(UNEP)

映画紹介PDF

WOWOW紹介ページ

原木抱えてふらふら右往左往

ミズナラ原木
晴れはしたものの、梅雨入り間近と思わせる湿潤な大気が身体にまとわりつき少し不快。
そんな陽気の中、今朝からエルフ1.5tトラックに積載オーバーかと思われるほどの原木丸太を積み込んで、ふらふら、右往左往。
自力で製材所へと運ぶだけの行程であったのだが、ちょっとリサーチ不足で、戸惑ってしまった。
10日ほど前、地元のあるところからミズナラがあるのですが、買っていただけませんか、との電話が入る。
山を所有している会社からで、昨年の台風被害で周囲の針葉樹が倒され、これを処分するために、どうしても邪魔なミズナラがあり、これを切り倒し運んできたのだと言われる。
ネットで検索したら、あなたのところが有益に活用してくれそうだから電話したのだ、という。
そうですか、まず拝見しましょうと、いそいそと出掛ければ、太さ1mを越すかというような大きな原木が転がっていた。
既に7尺ほどの単位で玉切りされている丸太がゴロンと4つ。
樹高20mを越すような大きな原木であったのだろう。
ほぉ〜と案内されたが、近づけば近づくほどに、実は首はうなだれてしまうのだった。
遠目にもほとんどヤケでやられているようだったからだ。
いわゆる褐色腐朽菌という奴の仕業だね。
あらためてよく見てみれば、4本のうち何とか元玉だけは被害が最小限に留まっているようだった。
二番玉より上はほとんど使い物にならないような表情をその木口から見せていた。
しかしボクは原木をしかと見定めるほどの眼を鍛えているわけではない。
とりあえず、紹介していただいた方にこの原木が訴えている症状をお話しし、一両日中に返答することにして、写真撮影をしただけで引き返した。
懇意にしていただいている材木屋のMさんにこの画像を添付して判断を仰ぐことにしたが、さっそくいただいた所見は、ボクと同じく、いや、より厳しい評価が待っていた。

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ちゃぶ台(卓袱台)

ちゃぶ台2
子供の頃、父親が荒れて卓袱台返しをしたことがかすかな記憶の中に封じ込まれている。
普段は家族に優しい父親だったが、子らの幼い世界では及びもよらない心の闇のようなものがあったのだろうか。
おっと、「卓袱台返し」なんて言葉は初耳、という人も多いかも知れない。
いわゆる4畳半ほどの狭い空間で家族が食事をする時に使われる小さな座式の飯台、“ちゃぶだい”をひっくり返すという、今では映画の中ぐらいでしか見ることのないなつかしい光景。
さて‥‥

このちゃぶ台、日本固有のスタイルの家具だと思われるが、果たしていつ頃からこのようなものが作られるようになったのだろうか。

と、先のBlogでは曖昧に表現したが、大正時代の頃からなのだそうだ。
日本における庶民の食卓になじみの深い食卓の1種だが、1960年代半ばの頃から、いわゆる文化住宅と言われるような洋風の生活が現れる頃を境にして、消えていったものだね。
ところでこの“卓袱”(しっぽく)というのは、元は中国における食卓のことだそうで、このちゃぶ台も大陸伝来のものであるのかも知れない。
っとっと、このままだと半端な文化人類学的な考察に拘泥しそうなので、軌道修正して家具としてのこの卓袱台の考察を。
ボクが最初にこの卓袱台の設計図を見たのは、工作社(雑誌『室内』の出版社)から発刊された『和家具の工作・仕上法』という著書からだった。
後付を見ればボクの生年から数年後というかなり旧い発刊のものだが、恐らくはこうした類書は少ないと思われるので、貴重な書になるのかも知れない。(Top画像、背景の杢は今回のちゃぶ台の天板)
最初に発見したのは家具職人をめざし模索中の頃に訪ねた国立国会図書館の奥深い閉架からであったが、その後現在の地に工房を構えて後に同じものを知遇を得た先輩からお借りすることができ、コピーもさせていただいたものだ。
後付の定価を見れば250円となっている。当時の貨幣価値でどの程度のものかは不明だが、200頁にわたる文献で、資料的価値は少なくないものがあるのではないか。
さて、さっそく関係するところから引いてみたい。

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ハバナからの緩い風を受けて

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ今朝はさほどではなかったが、水銀柱は一気にうなぎ登り、太陽が天空に達する頃にはTシャツ1枚へと真夏の様相だ。
来客時を除き、終日鳴らしていたのが、この「Buena Vista Social Club」の2枚のアルバム。
だって、暑いからねぇ。暑いときはカリブ海の音楽を、だ。 
ライ・クーダーに見出され、その友ヴィム・ヴェンダース監督が撮った同名のドキュメンタリー映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』で一躍時の人に。
あれから早10年か(CD発売からは12年)。
時代は移り、そして世界も大きく変わった。
その間、周囲では幾人もの物故者を数えてきたが、しかしボクはこの老ミュージシャンのように飄々と生きていくだろう。
(YouTubeで画質、音質ともに良い状態のものが他にもあるが、埋め込み規制が多い)
Buena Vista Social Club – Chan Chan

朝日・椅子展の行く末

朝日椅子展から返却
朝日新聞社による「第6回 暮らしの中の木の椅子展」の長きにわたった全国巡回の旅もようやくピリオドを迎え、入選作が戻ってきた。
実は既に10日ほど前に戻っていたのだったが、何かと忙しく荷ほどきをしていなかった。
そして今日開けてみてびっくり。
いやいや破損していたというのではない。
確かに座の部分に少なくないひっかき傷のようなものが散見され、やられちゃった、との思いがあるのはその通りだが、これは座ることを前提とした展覧会であれば仕方がないこと。
座る人のパンツのポケットなどに凶器が忍ばされていたということだろう。(鍵束、ケータイ、etc)
びっくりしたのはそれではなく、茶封筒に図録と共に入っていたA4 1枚の挨拶の文書の方。
一通りの謝辞が記された次の段落には‥‥、
「第7回募集の説明ができない、‥‥ 一年間様子を見て、再度公募の提案が出来るよう努めていきたい」とあった。
要するに、この公募展は休止に追い込まれた、という冷厳な事実が書き記されていたのだね。
実は伏線がないわけではなかった。
先に3月末の朝日に「朝日陶芸展」を休止する旨の知らせがあったからね。(こちら
この時には、まさか椅子展までは、と懸念がもたげたのは言うまでもない。
しかしこうして現実のこととなってみれば、その喪失感は深く重い。
先の名古屋での「木工家ウィーク」でも、それらしきことは噂されていた。
会場確保の問題もあるようだった。
しかし、これはそうした開催に伴う周辺整備だけの問題などではなく、事業資金の確保という本質的な問題というものが開催計画を阻む大きな要因になっているのではないかとの推論を持たざるを得ない。

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爽快とはいえない一日

今日は終日快適な陽気だった。けれども気分は爽快とはいかなかった。
眼に異物を入れてしまった。
つぶらな瞳であるための災い?
いやいや、ゴーグルをしなかった報い。
名古屋から戻り、取りかかったのは、ちゃぶ台の修理。
このちゃぶ台という卓のスタイルを見知っているのはボクのような団塊の世代ぐらいまでだろうか。
3尺(約90cm)ほどの丸い天板を持ち、脚部が折りたためる機構となっているものだ。
日本固有のスタイルの家具だと思われるが、果たしていつ頃からこのようなものが作られるようになったのだろうか。
今回の修理というのはボクにとっては異例のケース。
自身の制作によるものであるなら積極的にやらせていただくが、そうでない場合の修理は大抵遠慮させていただく。
理由はいくつかあるが、大層なものでもないのでパス。
今回は世話になった顧客であるために受けざるを得なかったという次第。
依頼主はほぼ同世代のご夫人だが、子供の頃に父親が地域の建具屋に作ってもらったとのこと。
これが数年前に使っていられないほどにガタがきて修理に出したのだという。
この制作者は既に亡く、修理は跡を継いだ同じく建具屋を営む息子に依頼した。
これが芳しくなく、程なくガタがきちゃっていたのだと、その息子をとがめる。

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《木工家ウィーク2009・NAGOYA》を終え(その1)

ボクは百貨店などでの大きな催事への出展も若い頃は頻繁に重ねていたが、講演会、シンポジウムなどといった自主的な企画立案に従事するというようなことは、この「木工家ウィーク」の端緒となった一昨年の催し「木工家の集う会」以降であるが、普段工房に籠もって木に向かう静かで個人的な営みとは大きく異なる事業への関わりであり、それだけに難しくもあり、また楽しくもあるというところか。
企画は複数の合同展示会と、スケジュール後半に設定した「フォーラム」という大きく分けて2つの構成であったが、実現に向けての内部的な調整と、開催に欠かせない予算調達の困難さなどで、開催も危ぶまれる時もあったほどだが、事務局の献身的な努力と、外部関係者の積極的な関与、支援によって、まずは盛況に開催することができ、本当にありがたく思う。
ここに事務局、実行委員の方々、そして展示会に参加された各地域の木工家の方々、さらには大勢のファンを引き連れてきてくれた講演のメインスピーカー・中村好文氏、そしてシンポジウムのパネリストとして積極的に応えてくれた木工芸の数寄者、川井さま、あるいはメディア・編集者の内田さん、また本番会場においてスタッフの手となり足となり助力いただいた、お若い木工関係者、学生さんにも、心よりの感謝を申し述べさせていただく。
無論、早朝からの雨にもかかわらず、駆けつけてくれた参加者があってのフォーラムでもあり、それらの人々にとって、果たして期待したものが得られたのかはともかくも、長時間にわたる講演会、シンポジウムに参加していただけましたことをとてもありがたく思う。
いずれ近く事務局からの総括的なメッセージも出されると思われるが、ここでは極私的な感想めいたものを少し記しておきたい。

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名古屋で思った

名古屋という街、それはトヨタに代表される企業城下町という捉え方というのは、実はものごとの半分を指しているに過ぎないということを教えられた。
今日は残念ながらメディアリーダーを持ち込まなかったことから、画像は張り込めないのだが、実は街中のそこかしこに古刹、名刹が軒を連ねる、まさに秀吉公以来のトラッドな空気を纏った街であることをあらためて教えられた。
山アジサイが小さな可憐な花を付け、サツキもちらほら、よく整えられた庭に佇めば、メガタウンの喧噪を忘れさせる異空間に心休まる。
いくつかの展示会会場を巡り、力作を愛で、若い木工の方々と語る。
夜はいつ果てるとも分からない宴が続いた。
翌日の講演会、シンポジウムの打ち合わせと称する集まりであったが、ただの宴に終始する。
しかし確かなことは確認できた。
旧世代(ボクも含めての)木工家とその周囲の人たちというのは、実はとても飲んべいで、しかも見果てぬ夢に興じる人たち、ということで暦が変わるまで呑みつづけ、談論風発、大いに盛り上がり、かつ、如何にこの思いを次世代に繋げるのか、ということを共有できた夜であった。
ま、いいだろう。
メディアのヒト曰く、若い世代は、あんた達とは違って、もっと軽やかに木工、インテリアの世界を闊歩している、ということなのだそうだ。
変わるもの、しかし変わらないもの、そこに世代を超えたなにものかが連綿として繋がれば、生きてきた証というものが確認でき、それ以上、何を求めることがあろう、という結語で、名古屋・栄の夜は更けていった。

Keynoteのスタイリッシュさと、困惑と

やっと仕事を終えることができた。
決して辛い仕事というのではかったし、むしろもぎ取ろうとしているその成果に期待があるだけに、快い疲れというところか。
Powerpointでのプレゼンテーション経験は数回あるものの、まともにKeynoteを使ったのは初めてのこと。
プレゼンテーションのソフトウェアといえば、Powerpointがそのシェアをほぼ抑えてしまっているだろうから、Keynoteが現場でどれだけ使われているのかははなはだ心許ない。
Mac OS X ユーザーであればこのKeynoteという名称ぐらい知っているはず。
スティーブ・ジョブズの基調講演で使われる、あのクールでスタイリッシュな美しい表現力を持つ奴のことと言ったら判ってくれるだろうか。
残念なことにMacユーザーであっても、使用頻度は恐らくはPowerpointのMac版が多いと思われる。
でもやはりスティーブ・ジョブズばり、とはいかずとも、Keynoteが使いたいじゃない。
というワケで、このソフトで作成してみた。
明後日、16日に名古屋で開催される「木工家ウィーク2009・NAGOYA」における「フォーラム」のある企画に使うものなのだが‥‥。

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