工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

爽快とはいえない一日

今日は終日快適な陽気だった。けれども気分は爽快とはいかなかった。
眼に異物を入れてしまった。
つぶらな瞳であるための災い?
いやいや、ゴーグルをしなかった報い。
名古屋から戻り、取りかかったのは、ちゃぶ台の修理。
このちゃぶ台という卓のスタイルを見知っているのはボクのような団塊の世代ぐらいまでだろうか。
3尺(約90cm)ほどの丸い天板を持ち、脚部が折りたためる機構となっているものだ。
日本固有のスタイルの家具だと思われるが、果たしていつ頃からこのようなものが作られるようになったのだろうか。
今回の修理というのはボクにとっては異例のケース。
自身の制作によるものであるなら積極的にやらせていただくが、そうでない場合の修理は大抵遠慮させていただく。
理由はいくつかあるが、大層なものでもないのでパス。
今回は世話になった顧客であるために受けざるを得なかったという次第。
依頼主はほぼ同世代のご夫人だが、子供の頃に父親が地域の建具屋に作ってもらったとのこと。
これが数年前に使っていられないほどにガタがきて修理に出したのだという。
この制作者は既に亡く、修理は跡を継いだ同じく建具屋を営む息子に依頼した。
これが芳しくなく、程なくガタがきちゃっていたのだと、その息子をとがめる。


なるほど‥‥、見ればペンキをベタベタと塗ったような天板と、あちこち継ぎ接ぎだらけの脚部。折りたたみという機構が肝心なこのちゃぶ台。その機構のためにホゾが緩み、ガタつきが出ていた。
ホゾ部分が劣化し本来の木の性が失せてしまったところに、ただ増量した接着剤で持たせ、接ぎ木をすることでガタつきを抑えていたのだろうが、これでは破綻は必至。
こりゃあかんわ、、、、。
何とか修理を断る理由を探しながらの所見だったが、天板をよく見れば欅の1枚板。
ワォ ! 縮み杢も出ている。
ボクの認識ではこのちゃぶ台という卓に用いられる材種は一般にニレが多いということであったはずだが(確かに脚部はニレだった)、天板は芯が片方に寄っているとはいうものの、杢を持つ1枚板の欅。
断るはずだった理由は徐々に失せ、再生することになっちゃった、という経緯。
冒頭の眼の怪我だが、この機能部分を持つ脚部に使うためのアルミ棒をカットしていた時のこと。
うっかりこのアルミの切断の際に飛び散った破片が(つぶらな)眼に飛び込んで来ちゃった、という次第。
あわてて流水で流し落とした(積もり)が、痛みは増すばかり。
既に夕刻5時を廻っていたが、近くの眼科を確認すれば、まだ診療時間内。
そそくさと着替えして、自転車に飛び乗りこの眼科へと向かった。
結果、破片は取り去られていたようで、炎症があるだけだった。
カッティングディスクによる摩擦熱で数100度に熱せられたアルミ片だから火傷もするわけだ。
数日痛みは残るだろうが、傷もないので完治するだろうとのありがたい所見。
普段はゴーグルをするのだが、ちょっとこのゴーグルが行方不明で、ま、大丈夫だろうと高を括ってカッターに向かったのがまずかった。
帰宅して、再度アルミに向かい作業を済ませ、仮組。
ほぼ所定の設計通り、再生が完了した。再塗装を残すのみ。
実はこのちゃぶ台、制作するのは初めてのこと。
今回は脚部を全て新たな材で作り直したのだったが、今後制作することは無いとは思うものの、その構造を学習できたのは良かったと思う。
戦後日本家庭の食卓を支えてきた、代表的な記念すべき家具だからね。
その制作スキルを獲得する機会を得たことは素直に喜んでおこう。
いずれまた、少し制作プロセスを紹介しようかな。
閑話休題。
実は自転車でこの眼科へと向かう道筋でのこと。
小学4年生ほどの男女の児童8人ほどが固まって何かに興じているようだったのだが、中央に女児が膝を抱えてうつむいている。
時折手で顔を拭う所作。泣いているらしいのがわかった。
どうせ他愛ない遊びで小さな怪我でもしたのだろうと、さほど気にも留めずに眼科へと急いだ。
そして40分ほどで帰路に着いたのだったが、何と、同じ光景が痛む眼に飛び込んできた。
鳴き声は出ていないものの、腫れた眼をして明らかに泣いているではないか。
実はどう対処すべきか、迷いに迷った。
声を掛けて仲裁に入るべきか‥‥‥、
「どうしたの、大丈夫?」と声を掛けると、数人の女児が大きな朗らかな声で輪唱のように「大丈夫で〜す」と。
いやいや全然大丈夫ではない。泣いている子はその元気な声に反してより悲嘆に暮れる感じがありあり。
「君たち、もう遅いから帰りなさい !」と、少し強く言い聞かせる。
お互い顔を見合わせながら、弱ったな、どうしようか、と言ったふうで、なかなか立ち去らなかったが、しばらくして三々五々散らばり、それぞれに離れていってくれた。
残ったのは泣き濡れたこの女児と、もう一人の残ってくれた女児。なぐさめながらやっと立ち上がるこの子の背中を支えながら帰路に着いてくれた。
事情はあえて聞かなかったし、送り届けることもしなかった。
しかし自分の対応が、果たして適正であったかどうかははなはだ心許ない。
最初躊躇したのは、子供の世界に大人が強制的に介入するのは決して良くないだろうという判断があってのこと。
確かに介入すればその場は納まるだろう。
しかしこの子供たちの間に孕む緊張感というものは、何も解決しないばかりか、より陰湿になってこの子に襲いかかる懸念を感じたから。
「大丈夫で〜す」という声を合わせた反応というものは、平静さを装う演技を通した大人世界への拒絶であり、子供の狡猾さを示すもの。
7、8人の子供たちによる延々と40分以上にもわたるイジメという異様な光景は尋常ではない。
何があったかはともかくも、泣いている子を誰も救おうとしないといった子供世界の異様さ、そこに巣くう同調圧力と言ったものは、いろいろと聞こえてきていたものの、いざ自分の目の前で展開されてしまうと怒りというよりも、そのこわさ、怖ろしさというものに胸が痛くなるほどだ。
ただの子供の世界のたわごと、と気にも留めずにいることもできようが、ザラザラとした肌触り、悪寒をもよおさずにはおかないような人との関係、いわば今の社会の閉塞感というものが子供社会にも見事なまでに侵入し、そして心の成長を阻み、自己正当化と、装いの狡猾さに長けた歪んだ心のままに大人社会へと入っていく。
うちには子供がいないためか、どうもこうした対処には処方箋を持たないというところがあり、一人の大人としての欠落を感じ自己嫌悪に陥ってしまうのだが、少し児童心理学でも勉強しないといけないのかな。
反省多である。
眼はまだ痛いのだが、この遭遇の一件の方が傷は深い。

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  • artisanさんは、確か眼鏡はされていませんでしたね。
    木の粉ぐらいなら涙でだいたい流れてしまいますが
    アルミだと眼球を傷つける恐れもあります。
    ちゃぶ台にアルミ棒ですか。興味があります、機会が
    あったらご披露ください。
    私が小学生の頃もいじめっ子はいましたがクラスに一人か
    二人、大勢で一人をいじめることはなかったですし
    異性をいじめるなんて考えられなかったですね。
    私は素通りしてしまうかもしれません。

  • acanthogobiusさん、今晩は。
    >ちゃぶ台にアルミ棒ですか。興味があります、
    >機会があったらご披露ください。
    実はこれ、ネットから入手した手法。
    次回明かしますが、Good idea なのですね。
    ところでこの子供の世界の集団での抑圧というものは、いつ頃から広がってきたものなのでしょうかね。
    孤立することへの恐怖の裏返しでしょうが、そこから自律できた時の解放感をぜひ感じ取ってもらいたいと思います。
    群れることの安逸よりも、自律の厳しさを選ぶことの方が、その人にとっての世界が開けると思うのですがね。個々の人間としての力がひ弱になってきちゃったのかな?
    これらもしかし、大人社会の在りようの反映とみれば、責任を感じてしまいますね。

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