工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

朝日・椅子展の行く末

朝日椅子展から返却
朝日新聞社による「第6回 暮らしの中の木の椅子展」の長きにわたった全国巡回の旅もようやくピリオドを迎え、入選作が戻ってきた。
実は既に10日ほど前に戻っていたのだったが、何かと忙しく荷ほどきをしていなかった。
そして今日開けてみてびっくり。
いやいや破損していたというのではない。
確かに座の部分に少なくないひっかき傷のようなものが散見され、やられちゃった、との思いがあるのはその通りだが、これは座ることを前提とした展覧会であれば仕方がないこと。
座る人のパンツのポケットなどに凶器が忍ばされていたということだろう。(鍵束、ケータイ、etc)
びっくりしたのはそれではなく、茶封筒に図録と共に入っていたA4 1枚の挨拶の文書の方。
一通りの謝辞が記された次の段落には‥‥、
「第7回募集の説明ができない、‥‥ 一年間様子を見て、再度公募の提案が出来るよう努めていきたい」とあった。
要するに、この公募展は休止に追い込まれた、という冷厳な事実が書き記されていたのだね。
実は伏線がないわけではなかった。
先に3月末の朝日に「朝日陶芸展」を休止する旨の知らせがあったからね。(こちら
この時には、まさか椅子展までは、と懸念がもたげたのは言うまでもない。
しかしこうして現実のこととなってみれば、その喪失感は深く重い。
先の名古屋での「木工家ウィーク」でも、それらしきことは噂されていた。
会場確保の問題もあるようだった。
しかし、これはそうした開催に伴う周辺整備だけの問題などではなく、事業資金の確保という本質的な問題というものが開催計画を阻む大きな要因になっているのではないかとの推論を持たざるを得ない。


ところで最近の朝日新聞の広告にある変化が起きていることに気付いたのはいつの頃からだったろうか。
かつては考えられないような、二流三流の企業からの広告が幅を利かせている。
つまり広告主が少し変容してきていることを感じる。
それだけ広告収入の確保に苦労しているのではないだろうか。
様々に複雑な要因が重なるのだろう。
昨秋来のリーマン・ブラザーズの破綻に発する世界規模での経済収縮、消費不況、という情勢は新聞メディアへの広告出稿において著しい影響を与えているだろう事は察して余りある。
あるいはここ数年、顕著となった広告媒体の変容ということもある。
紙媒体から、Webへと大きくシフトしているという話しは引きも切らないのだね。
経済誌などを深く読めば、それらの傾向が数値としても分析されているだろうと思われるのでそれらを参照していただければ良いだろうが、こうした傾向というものは、恐らくはこれから数年で揺り戻しが来るなどという一過性のことではないだろう。
まさに紙を媒体とするディアから、デジタルを駆使したネットメディアへと大きく歴史的に変容しつつあるというのが時代的趨勢であるのだろう。
ボク個人としては、まだまだ新聞メディアの歴史的使命が終了したなどとはこれっぽちも思わない。
個人的にもかなりWebブラウジングに時間も労力も注がれていることは間違いないし、新聞については決して良い読者ではないのだが、しかしジャーナリズムの媒体としての新聞という形態は、まだまだ他の媒体と較べても有用であると考えている。
一方のGoogleニュース、Yahooニュースなどの特性、ニュース収集という点において、あるいは速報性という点においてはこうしたネットメディアにそれまでの支配力を譲るだろうけれど、調査報道、評論、分析、あるいは一覧性というスタイルからしても、まだまだ新聞の位置づけが揺らぐとは思えない。
いやむしろ、現在のWebからの情報収集というのは、個人的嗜好に傾斜しがちで、実は視野外のところにある、有用で大切な情報を見逃すリスクはとても高いように思う。
最近も朝日新聞社を含む論壇誌の相次ぐ休刊に対し、出版社が堕落しているであるとか、ライターの質が落ちた、あるいは読者の質が悪い、などと責任の押し付け合いをしているように見えて仕方ないが、つまりは若者がケータイやらゲーム機に時間と経費を奪われ、社会時評への興味も無ければ、新聞にも関心が向かない、と言ったところに見られる現象というものは、科学文明の進化というものに踊らされた現代社会の脆弱性の一つの表れであろうと思う。
ボクはこうした時代精神にとても危惧を覚える立場だ。
しかし実態は実態。
現在の新聞メディアを巡るこうした状況下にあって、陶芸展、椅子展のようなアーツ&クラフツへの公器としての積極的な事業展開に大きなブレーキが掛かることに、その遠因を理解できるとしても、しかしやはり甚だ残念に思うということは言っておかねばならない。
他の媒体ではなく朝日だからこそやらねばならない事業であるだろうし、それを休止にしてしまうという経営判断には無念としか言いようがない。
何も新聞だけに急激な経済収縮から超然としていろ、などと言うつもりはないが、新自由主義的金融支配の下僕のように翻弄される謂われは無いだろうとは思うね。
実はこの公募展には個人的には少なく無い思い入れがある。
数回の入選を果たした、ということだけではない。
この企画は朝日新聞名古屋本社の企画部によるものだが、この担当K氏の最初のプランのきっかけとなったのが、名鉄百貨店名古屋における「椅子百脚展」(1995年)に端を発するということに関わる。
友人のT氏が個人的に企画したこの展覧会は、大きな反響を呼び、これが起点となって朝日新聞社の企画としてスタートしたという経緯は知る人ぞ知る裏話である。
若き頃のボクもこの企画段階で企画担当の依頼を受けて、周囲の多くの方々へと公募へのエントリーを誘ったものだった。
そうした経緯を知り、裏から関わった者の一人として、6回、13年間にわたる積み重ねの中で、木工界からインテリア、建築、各界への大きな拡がりと、様々な領域における成果というものが、こうして断たれるということの無念さを受容せなばならないことはとても残念なことだ。
一度休止したものを、再生させるということの困難さは想像を超えるものがあると思う。
しかしもしこれを可能ならしめるものがあるとするならば、単に主催者、朝日新聞の屋台骨が揺るがない、ということだけではなく、恐らくは私たち、これまでエントリーを重ねてきた木工家、デザイナー、学生らの、椅子制作に賭ける熱意の長けの強さなのではないだろうか。
ボク個人に再起へ向けての有力なプランがあるわけではないが、これまでエントリーしてきた多くの椅子制作者の中の一人として、何ができるのか考えていきたいものだと思う
まずはぜひこれら各界のひとり一人の思いというものを、名古屋本社企画部へと届けていただけないだろうか。
ボクなどはこれまでそれなりにやってきたので諦めが付くかも知れないが、これからの若者たちに門を閉ざすのは我慢ならない。彼らの希望を断ち切ってはならない。
「暮らしの中の木の椅子」展 事務局
〒460-8488 名古屋市中区栄1-3-3
朝日新聞名古屋本社 企画事業チーム
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