工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

震災から5年という月日が意味するもの(2)

3.11大震災からの復興を考える=日本のこれからを見通す試金石

前回視てきた復興をめぐる5年後の状況、槌音高くインフラ事業が進む一方、間もなく避難生活支援金が打ち切られる被災者の困惑、あるいは移り住んだ災害復興住宅地域での過疎化、高齢化など、これらは日本が抱える問題をある種先取りしたものと言える。

この後、少し詳しく見ていく福島第一原子力発電所過酷事故からの復旧、つまり本格的に始まった廃炉へ向けての事業の困難さ、あるいはこの事故への原因究明すら十分になされぬままに、日本列島に設置されている44基の原発のうち、24基が再稼働申請され、そのうち、川内原子力発電所1号機が「新規制基準」の下で運転再開し、これを突破口として今後相次いで運転Go!の認可が出されようとしているのだが、311前の「安全神話」が「世界一厳しい安全基準」なるもので糊塗され、ゾンビのごとくに復活しようとしている。

前回冒頭に挙げた大津地裁での高浜原発の運転差し止め決定は、まさにこの「安全神話」を根底から問いかけるものだったわけで、高浜固有の問題点を突くというよりも、311、F1過酷事故とその後の原発を巡る旧態依然たる日本の暗部を問いかけ、待った!を掛ける静かな叫びだったように思う。

ドイツは3.11に衝撃を受け、当事国日本の優柔不断な対応を尻目に、直後からそれまでの原発依存体質からの脱却を決断し、一転して再生可能ネルギーへの転換を決め、着々と新産業への税制誘導などで、フクシマを克服する道を選択している。
この東西の彼我の差は何だろう。

さて、これまで記述してきた3.11復興事業に投下されている巨額予算の使徒に関わる問題、原発過酷事故後の再稼働に突き進む原発ムラの問題。
これらの信じがたい国内の空気を考える時、地球規模での大きな時代の転換点に差し掛かっている状況下、世界の中にあって、日本が果たしてこの先、社会経済システムがまともに存立し得るのか、という怖ろしくて考えたくも無い事柄が頭をよぎる。

例えば、2020東京五輪の新国立競技場の工事が本格的に始まった矢先、聖火台を設置する場所が無い、関係者の誰もが考えていなかった、という笑えない話が飛び出し、腰を抜かした人は多いと思う。
こんなあり得ないことが、重要な国家プロジェクトにおいて事実起きている。

その後の関係者の対応を視ていると、お互いに責任をなすりつけ、あるいは薄ら笑いを見せ、平静を装うといった、いつも見せつけられる光景に辟易するばかり。

日本の行政官僚制は世界に冠たるものがあり、頭脳明晰で、彼らに任せておけば安心、という、都市伝説でもあるまいに、流布されているらしいが、例えそれが真実であったとしても、結局はプロジェクトを統括するだけの司令塔がいない、からではないのか。

誰もが自分の業務に精励し、立派な企画立案ができるのだけれども、隣のプロジェクトで何をしてるのか関心すらない。
聖火台にしても、頭の隅では誰かが考えているはずだから、自分が介入しなくても大丈夫だろうと。

しかしこれほどまでに救いがたく、日本という国の劣化が進んでいるのかと思うと、薄ら寒く、やがては哀しみに沈む。

この聖火台をめぐる問題は今の日本と言う国を表す表象の1つでしかないが、アジア各国が経済社会において、急速に台頭してくる時代にあって、日本がこれまでのポジションを維持することが本当にできるのだろうかと不安を覚える。
私のような一介の職人でさえ、こうした危機意識に駆られるわけで、専門的な立場にいて、より詳しく状況に触れられる立場の人はストレスが高じ、病に斃れはしないのだろうかと心配になる。笑


こうした時代状況をもっとも先鋭的に見せているのが、3.11東日本大震災後の、復興プロジェクトの在り様であり、F1過酷事故からの復旧、廃炉へ向けての展望なのだろうと思う。

私のような一介の職人風情がこんな事を語るのは、たぶんおこがましいことだろう事も理解しているし、ネットの片隅でいかに騒ごうが、有意なものとして、誰かの耳に届くとも思えない。

また近々にもお知らせすることになる、展示会を控えた大事な時に、資料を収集し、分析し、思考を深め、文章化するなどという一連の作業に時間を費やすことがいかにアホらしいものではあっても、事が日本の将来に深く関わってくると考える以上、安易にスルーしていくこともできない以上、こうして書き連ねることになっている。

たぶん、1938〜41年あたりの国家総動員態勢下では、戦争へと雪崩を打って突き進む中、こんな無謀な戦争に本当に勝てると思えない、と考える人もいたに違いない。
しかし、そうした冷静沈着な思考は潰され、あるいは腹に呑み込み、誰もが停められないままに、同調圧力に屈し、無惨な状況へと雪崩れ込んでいった。

3.11東日本大震災直後には、これを「第二の敗戦」とアナロジーした人もいて(私も確かそのようなことをBlogで書いた覚えがある)、5年が経過した今、この洞察は、より真実味を帯びてきているように思えてならない。

さて、以下少し詳しく福島の現況を見ていこうと思う。

福島原発過酷事故と廃炉への気の遠くなるほどの道

[youtube]https://www.youtube.com/watch?v=3efVCKhmzYE[/youtube]
3.11東日本大震災はその地震の激越さ、1,000年に1度と言われる津波被害の深刻さ、それらが複合的に、また極めて広域にわたり被害をもたらすという、日本列島を屡々襲う自然災害の中にあっても、稀に見る巨大さを特徴としている。

しかし、そうした特徴を持つ激越災害であったとしても、例え衰えつつある日本という国とはいえ、これに立ち向かい、克服することは可能だろうし、事実、5年という月日は、まだら模様を示しているとはいえ、被災前の水準までに産業復興を成し遂げつつある地域もある。

若い力は哀しみを乗り越え、未来をこじ開ける力に変え、希望に向かってすっくと立っている姿を見せてくれている。

そうした未来と希望を語ることができつつある一方、ある種絶対的な困難という問題を私たちに突きつけているのが3.11東日本大震災の大きな特徴でもある。
福島第一原子力発電所での過酷事故である。

311後、複数の事故調査委員会が起ち上げられ、様々な問題が浮かび上がり、いずれも原発という国策の「安全神話」がもろくも崩れ去ってきたことを教えてくれたが、しかし、未だに事故からの復旧、つまりは廃炉へ向けての新たな事業をスタートさせたものの、すべての冷却機能を失った原子力プラントは核燃料棒を暴走させ、圧力容器を溶融破壊させ、格納容器へと溶け落ち、さらにはそれをも突き破り、核燃料、デブリがいったいどこに、どのような状態にあるのかさえ、誰も分かっていない。

東電と廃炉プロジェクトチームは、損傷したダクトや配管のなかで障害物を乗り越えることのできるロボットを開発し、投入したものの、コントロール不能となり、デブリの状況を把握するまでには至っていない(Nスペでやっていたね)。

廃炉まで40年という見立てを想定しているようだが、最近では、もうデブリの取り出しは諦め、埋めてしまえ、といった根本的な方針転換を示す専門家さえ出てきている始末である。

確かに、311以前から、原発の安全性を根本的に批判してきた原子力工学の学者・小出裕章氏は「もうそこらじゅうに飛び散ってしまっていますので、それをつかみだすことは基本的にはできない」とさえ語っている[1]

たぶん、それが真実に近い状況なのだろうと思えてくる。


このことが意味するのは、チェルノブイリがそうであるように、最大限に核物質関連を除去するにしても、結局最後は、このプラントはコンクリートで封印してしまうという道しか残されていないのかもしれないという想定さえ、私たちは頭に入れておかねばならない事なのかも知れない。

既に、F1立地地点は我が国の領土でありながら、中心部には誰も立ち入ることのできない「グラウンド・ゼロ」であるわけだが、これを未来永劫にわたって封印するしかないということであれば、まさに蒙古襲来を含め、他国の侵犯を許さずにやってきた日本国の一部の国土が、アンタッチャブルな地域としてこれからの世代に遺される、という、大変重大な決断を迫られているということになる。

朝日新聞2016.03.12

朝日新聞2016.03.12

さて、昨日の新聞に「福島県の空間線量変化」という図版があり、この5年間の変化を示してくれていたが、確かに全域において線量が低減していることをしめしていた。

これも当然ではある。
放射性物質も、時間経過とともに崩壊を繰り返し、やがては安定した物質へと変化していく。
原発の核燃料が崩壊した際に放出される核物質は様々なものがあるようだが、ヒトへの影響という意味で注意せねばならないのが、セシウム134(Cs134)、およびセシウム137(Cs137)であると言われている。
これらの半減期は

▼Cs134:2.1年
▼Cs137:30.2年

である。

したがって、最初の膨大な量の放出から5年が経過し、Cs134は最初の量を1とすると、0.19まで減衰している。決して無視できないものの、ほとんど影響ないと視ることもできるかもしれない。

他方、Cs137は5年が経過してもなお、0.89という数値であり、ほとんど減衰していないと言うことが分かる。つまり何も変わってはいないというのが実態だ。

半減期30年という核物質のしつこさは、近未来に向け、最大の障害として居座り続けるというのが、科学的な正しい知見であることを銘記すべきだろう。(参考資料:東京都環境局「放射性物質の半減期」、 「ゼロはこない半減期 セシウム137 120年後も残る」(東京新聞)

また、放射線量が自然な減衰による低減があるとしても、果たして人体にとり、どこからが安全なのかということは、ICRP(国際放射線防護委員会)による勧告による一定の基準が示されているとは言うものの、ヒトの個体差により、放射線の許容線量は多様であると考えるのが科学的知見というべきであり、可能な限りに低く保つというのが正しい考え方だろう。

福島県「ホッとゾーン」への帰還(Reuters)

福島県「ホッとゾーン」への帰還(Reuters)

図版(Reutersサイトから拝借しました)は「避難指示区域の概念図」。
強烈な放射線に見舞われた原発から20Km地点であっても、一部では除染が進み、その川内村のほとんどが、楢葉町のすべてが「避難指示区域解除」となり(2015/09/05)、政府は住民の帰還を促している。

しかし、これに応じたのはわずかに町の人口の6%、わずか459人だという。
しかもその70%近くが還暦を超えた人々。

また、この帰還に応じなかった人々へは、それまでの「強制避難者」では無くなり「自主避難者」扱いとなり、支援金は打ち切られる。
そうした経済的な「脅し」をも受忍し、帰還を選択できないという人が圧倒的に多いという実態がある。

政府は避難指示解除の条件を、当初は20mSv/年、としていたが、被災者からの抗議を受け、許容される年間被ばく線量を1mSv/年、と修正している(長期目標)
因みに楢葉町の放射線量は0.1〜0.2μSv/h あたり。
年間に換算すると0.8〜1.8mSv/y
福島県放射能測定マップ】を参照

私見では、これらは除染が集中的に行われた地域でのものであり、面全域がそうであるとは言えず、除染仕切れなく、残存しているところもあるだろうし、しかも生活空間の空間線量の値であって、子供たちの行動範囲である里山や地べたなどは、たぶんはるかに高い数値が示されることは少なく無いはず。

ましてや、この地域の住民には生活に欠かせなかっただろう、山菜捕り、渓流での釣り、木材の供給、森林の散策、などは、ほぼ絶望的だろう。
全く除染の手は伸びていないからだ。

あるいは除染が済まされた住宅でも、やがては裏山から流れ落ちる雨水に含まれる放射線が敷地内へと流入してくることも避けがたいだろう。

私は2011年の10月、11月に集中的に福島市、および飯舘村に《放射能除染・回復プロジェクト》に入ったことがあり、この地域の放射線汚染の実態をつぶさに観察する機会があった。
空間線量の高さもさることながら、大型ショッピングセンターの駐車場のフェンス周囲では、ガイガーカウンターの針が振り切れ、計測不能になるほどの状況に接し、また小学校の通学路上においても、怖ろしく高い数値が出て、慌てふためくことが屡々だった。
過酷な被曝現場に立つことで見えること(福島からの便り)

こうして「集中復興期間」を今年度に終えることを背景とし、除染を終えた地域での「避難解除」は進み、住民への帰還が促されていくことになる。
これに応ずる人、一方、子育てを優先せざるを得ずに帰還を断念する若い人、これまでは仮設とは言え、親族、住民のコミュニティーがかろうじて保たれていた人々も分断されていくことになる。

甲状腺がん多発をめぐる科学的知見の混迷

3.11後、福島県内において、甲状腺がんが多発している事に関しては、様々に取り上げられており、私も注視してきているが、 津田敏秀氏による疫学的調査研究への信頼は厚く、それだけに、怖ろしいまでの発症率の高さに怯えてしまう。
今さらながら、3.11後、安定ヨウ素剤が全く処方されること無く、引き出しの奥で眠っていたことを悔やむ[2]

福島県、甲状腺ガンのデータ(ハフィントンポスト・津田教授)

福島県、甲状腺ガンのデータ
(ハフィントンポスト・津田教授)

残念ながら、この津田氏の認識に関しては多くの否定論者がいるようで、県単位での甲状腺がんの多発状況も、「過剰診断」によるものとされ、ここでもまた「安全神話」が再生させられようとしている。

図版は、 津田敏秀氏による日本全国での1年間の発症率と比較したデータ(倍数))ハフィントンポストから借用しました)

[youtube]https://youtu.be/NORBfsfSxV8[/youtube]

「安全神話」復活し、原発再稼働へと雪崩れ込む日本

3.11東日本大震災による福島第一原子力発電所過酷事故は、膨大な量の放射線を放出させた。
同一敷地内、原子炉4基のうち3基までもがメルトダウンし(残り1基では圧力容器には核燃料が装填されてなかった。ただし使用済み燃料プールには膨大な数の核燃料があり、危機的事態ではあった←これらはすべて取り出し、搬送済み)、格納容器を破壊させ、外部へと膨大な量の放射線を拡散させ、北関東から東北一帯、あるいは日本列島から、地球規模に至るまでに大気圏を覆っていった。

地震により電力供給が途絶したことで、すべての冷却システムが機能しなくなり、原子炉は制御不能となり暴走していったのだが、対処を誤ると、首都圏を含む広大な地域を死の街へと変えてしまう危険性があったとも言われる。

作業員、消防、自衛隊などによる超人的な働きにより、極めて限定的な地域に留めたということはできたのだと思う。

しかし、5年を経て、今もなお、いや未来永劫に帰還できない地域があり、福島の中通り(福島市、郡山市など)でさえ高度に汚染され続け、除染されているとはいっても、面として地域を見た場合、狭い領域の面の連なり(つまりは生活圏のライン)でしかなく、日本の領土は明らかに人類の生存を脅かす放射線という禍々しいものに侵犯されてしまったことに変わりは無い。

誰が何と抗弁しようが、日本はもうかつての日本では無くなってしまった。
この冷厳なる事実認識からはじめるしかない、というのが私たちの共有認識だろう。

これらの罪を負うべきは、東電であり、原子力ムラであり、日本に原子力プラントを持ち込んだ正力松太郎であり、中曽根康弘であり、自民党政権であり、あるいはここに電力会社の労組を加えても良いかも知れない。
そして、この原発政策を受忍し、受け入れてきた私たち市民にも責任の一端があるというのが公平な見方であるのだろう。

だからこそ、私たち一人一人は責任を持ち、この破れてしまい、打ち捨てられた山河を少しでも復興させ、次の世代に引き継ぎために為し得ることをしていかねばならない。
そうした倫理的責任が私たちには課されている。

有史以来の日本において、2011年から、今日2016年、さらには2020年あたりまでは、日本列島を破損させてしまった時代の子として歴史に刻まれ、さらには、これに懲りずに、またまた再稼働に突き進み、やがては再度、間違いを起こしてしまう基盤を作ってしまった愚かな子として、深々と刻印されていくことになるだろう。
そうした地点に立っているという認識を持ちたいと思う。

終わりに

原発を巡る問題は、多岐にして複雑で問題がありすぎ、今回はその一端に触れただけに留まる。
近々、完成を見ると言われている凍土壁についても言及したかった。

たぶん、これも上手くいかないと思う。
要するに、そもそも恒久的な壁では無く、テストでも失敗続きの未知の領域の工学であり、成功する保障など何も無い。

復興を巡っては、3.11・5年での各TV局の特報などで数多く伝えられていたようだし、ここでも少し触れて見た。
「集中復興期間」終了後、いよいよ新たに避難住民は分断され、孤立化と未来展望を失う人も多く出てくる。
この巨額な「復興予算」を仕切るのがパンツ大臣とあれば、避難民はあまりに哀しすぎるのでは無いだろうか。全く罪の無い被災者をこれほどまでに愚弄して良いものだろうか。

タイトルにも示したとおり、この3.11からの復興と、原発を巡る問題への関わりは、たぶん、これからの日本の未来を考える上での1つの大きな試金石になるだろうことは間違いがないように思っている。

無論、これらの中にはいくつもの希望と未来を感じさせてくれる蠢きがあることは知っているし、そこに救いを見ることも可能だ。

しかし、今回は甘っちょろい事はあえて避けた。事ほど左様に、問題は深刻だと感じているからだ。
何よりも、原発再稼働に突き進む安倍政権の支持率は下がるどころか、高く安定しているという、この日本の不思議なぬるま湯状態に背中を向けてみたかったからである。
(「茹で蛙」という寓話を知っているだろうか。私はゴメン被りたいからね)yuh.rakkan

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♦ 脚注
  1. 小出裕章ジャーナル []
  2. WSJ《配布されなかった安定ヨウ素剤―福島原発事故後の混乱で》 []
                   
    

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