過酷な被曝現場に立つことで見えること(福島からの便り)
19日未明から寝食世話になっている福島市内のとある住居の居間、
持ち込んだガーガーカウンターのアラームが鳴りっぱなし(顔を引きつらせながら笑うしか無い状況だが、ここにシュラフを広げ、眠りに就く)。
デジタル表示が示す数値は 0.34μSv/h。
この線量計のデフォルトのアラーム設定が0.3μSv/hだったわけだが、まったく甘かったというわけだね。
うるさいアラームを消すために設定を3.0μSv/nと一桁上げておく。
室内でさえそうなのだから、後は推して知るべし、ハハハ。
そうはいっても推し量るのは難しい。数10cm離れるだけで一桁も異なる汚染状況があるというのが現実。
ところでなんでオマエがそんなところにいるのかって?
3.11から旬日後、緊急災害ボランティアに赴いた被災地・石巻への往復は日本海周りだったし、8月の盛岡 – 仙台行でも往路は日本海周り、復路の東北道では鼻をつまみ、息を止めて、福島一帯を突破。
こうしてさんざん忌避してきたホットポイントに数日間居住するというのだから、我ながら妙な気持ちだ。
まぁ、ちょっと考えるところがあり、数日前より〈放射能除染・回復プロジェクト〉に参加させていただき、そしてさっそく現地活動に入ってしまった、というわけ。
〈放射能除染・回復プロジェクト〉については、最後にLinkがあるので、要チェックのこと。
今回の除染実証実験対象個所は市内飯野町という地域にある一軒の民家、および「介護センター」。
そして市内西部に立地する養護学校敷地の計3個所)
民家は山裾に建てられているおおきな兼業農家の平屋住宅。
室内でも0.8μSv/hを超える部屋もあるような過酷な環境で暮らしている。
もちろんここ福島市内は避難勧奨地域でも無いので、自治体などからの支援などは無く、ほったらかしのところ。
室外を計測すると、局所的には20μSv/hを超えるポイントが随所にあり、息が詰まりのけぞってしまうほどの怖ろしい汚染状況。
アラーム設定を3.0μSv/nと一桁上げておいた措置をまるで笑い飛ばすかのよう。
今回はこうしたところを除染するにはどのような方法が良いのか実証実験していくわけだが、
福島大学、京都精華大学、同志社大学、茨城大学などの有志の諸先生、除染関連資材企業3社の担当者、社長、そしてNGO活動家数名、そしてなぜか私(男ばっかり(>_<)、ら総勢15〜20名ほどが分担して懸かる。
当然ながら初めての経験の方がほとんど全て(一部チェルノブイリでの経験者)だが、この〈放射能除染・回復プロジェクト〉は5月から起ち上がったもので、大学、市民、企業という異質な立場での関わりでありながら、内部のコミュニケーションも良く、連帯意識も高いためもあってか、限られた条件の下でありながらも実効性の高いプロジェクトが進んでいるように思えた。
ボクは今回は関わって間もないことから、彼らのお手伝い程度しかできなかったのだが、良い体験をさせてもらったと思う。
それより何より、これまで忌避してきた福島に降り立ち、低線量とはいえ過酷な汚染地域に居住し、被災者、被曝者に寄り添う活動にほんの少しでも従事できたことはうれしいことだ。
さて、〈放射能除染・回復プロジェクト〉の具体的活動内容については下のLinkを参照していただきたいが、
今日は基本的なことについてだけ触れておきたい。
まず大事なことは、TVなどでよく見掛ける高水圧洗浄などの方法ではなく、効率的、巧妙に表土を矧がす、という目的を持って実証していくものだ。
賢明な諸兄姉にはお分かりのことと思うが、数日前のニュースでも取りあげられた、どぜう首相立ち会いの下での高圧洗浄による除染作業というものは、ほとんど意味をなさないどころか、除染という概念をねじ曲げる所業でしかないのだね。
今回の徹底した測定においても屋根瓦の汚染を除去するのは民家の室内居住空間の除染にとり、とても大切な方法であることは間違いないものの、残念ながら高圧洗浄による除染作業はほとんどといって効果は認められないというのがはっきりした。
屋根瓦の放射線汚染は、実は表面だけではなく、それ以上に小口(断面だね)から底面に掛けて付着している。
そのためにいかに高圧であれ、洗浄では放射線汚染は剥離しない。
また高圧洗浄による除染は、決して除去ではなく、拡張、移動でしかないことは知っておかねばならない。
そうしたパフォーマンスでしかない手法の裏には多くのことを見ることができるのだが、ここでは詳述しない。
こうした安易な方法で除染できるのだよ、という誤ったメッセージは、真の除染ではなく、被曝者をその地から離散させずに踏みとどまらせるためのものであるということだけは指摘しておきたい。
つまりは、住民の命を守るためのものというよりは、秩序維持のためのものでしかない、という、いつの時代においても、どこの国家においてもみられる、フツウの住民支配の思考だということだ。
そうではなく、まずはこんな過酷な状況下で日々被曝させられている子供たちをいち早く避難させ、疎開させることが最も重要な施策であることは大きな声で主張したいと思っている。
ボクに言わせれば60数年前の戦時中に集団疎開ができて、なぜ今の時代にそれができないのか、許せない気持ちがある。
確かに、先にも触れたことがあったが、いち早く疎開を決行した方々が少なくない数でいたのも事実。
しかし、様々な事情から疎開できないという人々が多いのが実態なんだね。
あるいはまた、飯舘村や浪江町などのめちゃくちゃ高濃度の汚染地域では無く、福島市内のかなりの地域では、徹底した除染をすることで数年後には居住可能な地域を蘇らせることも可能ではないか、という冷静な視座に立つことが求められている。
一部の子供たちは家族とともに自主的に避難している。しかし、まだ多くの子供たちが 福島で不安を感じながら暮らしており、一刻も早く放射能除染を行なうべきである。「避 難」と「除染」という2つの方法は、互いに矛盾するものではない。子供たちの健康と生 命を放射能の脅威から守るという最も重要で基本的な立場に立つならば、「避難」と「除 染」は相互補完的なものである。
放射能除染マニュアル(第2版)より引用
今日は朝からの雨の中、ドブネズミ状態で小さなな子供たちが暮らす養護施設の敷地の除染活動に従事。
笑顔の子供たち、協力的に接遇してくれた施設職員の明るい笑顔は、腰の痛みも、ぐしょ濡れで体力喪失の疲労も忘れさせる。
この子らに帰るところは、ここしかない。
もし除染することで、安心して暮らし、遊ぶことのできる環境になれば、それも1つの解答だろう。
明日も早くから〈放射能除染・回復プロジェクト〉に出掛けるので、今日はここまでとしたい。
* 参照
■ 放射能除染マニュアル(第2版) PDF
mu-
2011-10-23(日) 22:36
ご苦労様です。
僕も8月にいわき市の北にある久ノ浜地区という原発から30数キロという地域でボランティア活動をしてきました。
この地域では、当時も現在と同じくらいの数値で0.3μSv/h位でした。
当時は子供たちはほとんど非難していていましたが、残念ながら現在は子供たちも戻ってきているようです。
諸事情はあるでしょうが、子供たちが非難出来る妙案はないものでしょうか?
artisan
2011-10-24(月) 00:43
久ノ浜地区でのボランティア活動でしたか。
心より敬服いたします。
早川由起夫氏の汚染マップでは久ノ浜地区は1〜2μSv/hとなっていますので、子供たちには避難してもらいたいレベルですね。
私の今回の「除染活動」は、ややもすると避難を押しとどめるための措置のように受け取られかねない嫌いがあり、正直かなり悩みました。
そこでLinkした〈放射能除染・回復プロジェクト〉に辿り着いたわけですが、いずれにしろ基本はやはり逃げるべき地域に居住する子供たちには可能な限りに避難して欲しいのですね。
そうした措置は、この問題の発生源たる東電と政府の責任の下で実施されるべきものです。
しかし大変残念ながらそうはなっておらず、民間の諸団体や個人のネットワークの避難プロジェクトに依存しているというのが実態ですね。(具体的な組織などについてはネットで検索することでいくらでもヒットします。必要でしたらアドバイスさせていただきます)
避難が遅れている現実にはそうした責任所在の不明確な問題の他、親の無理解であったり、親族縁者らからの抑圧の問題があることも想像に難くありませんね。
しかしともかくもそうした現状を突破し、未来を生きる子供たちの命を優先させるための理解と運動が求められますね。
そうした方々との連携の中で〈放射能除染・回復プロジェクト〉も位置づけていきたいと願うばかりです。
今日も養護学校での除染活動をしてきましたが、子供たちの輝いた眼と、あっけらからんとした天使のような笑顔に、その責任の重さを再確認させられてきました。
mu-
2011-10-24(月) 20:09
今のところ、コメントのように民間・個人レベルで理解を深め地道に活動していくしかないようですね。