Archive for the ‘世相を読む’ Category

3.11以後の日本社会を生きるということ

初盆を迎える被災地 東日本大震災と呼称される3月11日の大災害から早くもく5ヶ月が経過し、犠牲者、遺族にとってのこの夏は初盆でもある。 その初盆を迎えるべき我が家も今は流出し、流浪の民として生きる遺族も少なくない。 また […]

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2011.8.6 ヒロシマを想う

8.6「平和宣言」 66回目の核廃絶を願う平和記念式典が開かれた。 今年の8.6ヒロシマは例年とは少し次元を異にするものとして注目されていたようだ。 事実これまでには無い内容を盛り込んだ「平和宣言」が採択されている。 他 […]

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私たちに決定的に欠けているのは、このような怒りなのかも

3.11から140日経過。 震災復興という名の戦後処理は遅遅として進まず、原発事業主体の電力会社と地元自治体首長、そして所轄官庁(原子力安全・保安院)の腐臭きわまる癒着、馴れ合いがあからさまな形で暴露され、「この程度の線 […]

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2011年の折り返しと、文学者の振るまい

今日で6月も終わり、今年も折り返しに向かう。 このところ6月としては記録的な猛暑が続き、早くも夏本番のような陽気だが、海や山に、あるいは里や街に、いつものあの夏のように子供たちの弾んだ声は聞こえているだろうか。 震災復興 […]

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日本社会の再生が懸かっている(大震災後のボクたち)

ボランティアについて少し考えてみたい。 ボクはかつて、これといったボランティアに従事したことはない。 あるいは、街頭で見かける募金にも必ずしも積極的に応じるという方でもない。 どちらたかと言えば、むしろ懐疑的な見方、いわ […]

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〈The Social Network〉オスカー主要部門は逃したがその威力は

週末は業務外の事柄など、例えばアート全般、IT情報機器関連、ネットメディア、あるいはエンターティメントなどについて書いていきたいと考えているが、映画をこよなく愛する者として02/28のアカデミー賞は外せない。 先のグラミ […]

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春めいて‥‥、

工房裏の藪椿がほころび始めている。 春である。 春への胎動を知らせる節分が引きつれてきたものが〈大相撲・てんやわんやの八百長騒ぎ〉の突風だったわけだが、それもまたすぐれて日本的特異現象なのかも知れない。 日本の“国技”に […]

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ジュリアン・アサンジと、日本のメディア

MacモニターではAFCアジアカップ決勝戦、日本 vs オーストラリア戦がキックオフ。 オーストラリアがオセアニアグループからアジアへとグループ替えしたその意図がどうあれ、ぜひともその意図を木っ葉みじんに打ち砕いてもらい […]

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2010年を終えるにあたり

最近の天気予報精度は、思いの外に高いようで、今日は以前より予報されていた通りに極寒の年越しになりそう。 南の鹿児島でも大雪、太平洋側の各地域でも降雪を記録するというように、強い寒気団が南下。 残念ながら、さすがにここ静岡 […]

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COP10への関心の低さ

18日にスタートしたCOP10(国連生物多様性条約第10回締約国会議)本会議だが、本年度の「国際生物多様性年」終了後、2011〜2020を「国連生物多様性の10年」と位置づけ、生態系の保全に取り組むことで合意、採択の見込 […]

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