工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

可もなく不可もなく(チェリーの製材)

もっと早くやっておくべきだったが、いくつかの理由で、梅雨間近のこんな時期になってしまった。

さほどの太さのものではなかったが、ストーンとした素直な樹形でもあったので、勧められるままに買ってしまった。
3本のチェリー材の製材。

割って、積んで、乾かす、これらは梅雨入り前に終わらせるのはもちろんのこと、初期段階の天然乾燥を済ませておくことが必須の要件になってくる。
5月初旬であればぎりぎりのところか。

昨日はフィリピンで9名の犠牲者を出しつつ北上してきている台風1号の余波を受けて荒れた陽気になるとの予報。
ここ静岡では真夏日を超えようという、全国1の記録的気温上昇であったようだ。

粉塵対策を考慮してのフード付きの作業着も、厚手の軍手も、蒸れて邪魔くさい。
静岡市内では34度まで上がったというので驚く。

しかし懸念された雨はさほどではなく、朝1番での製材作業はほとんど影響も受けずに済ますことができた。

結果は可もなく不可もなく、といったところか。(まるで自分の人生みたいだって?)
1本を柾目で割り、残り2本をまるっぴき。
うち1本は、内部に隠れていた大きな節の欠陥があり慌てさせたものの、まずまず良い製材だった。
More »

東日本大震災・災害ボランティア活動日録(10)

被災地・災害復興支援活動

3月27日(地震発生から16日経過)天気:曇り

出発から6日目、早くも撤収の日の朝を迎える。
破断したテントの骨の仮修復も何とか持ちこたえてくれたようで、良い睡眠が取れた。

現地での最後の食事となる、この日の朝食。
残った食材をふんだんに(?)使い、しっかりと腹に収める。

野営の撤収。
石巻専修大学の敷地(グラウンド)をお借りしての野営であったので、煮炊きも含めローインパクトを心がけた積もりだったが、ゴミも残さず全て持ち帰る。

山形から参加してくれたSさんとはここでお別れとなる。
決して長い日程ではなかったが、過酷な状況の中での過酷なボランティア活動を共に挑んだことの意味は決して少なくはない。

お互いの帰路の無事を願いつつ出発。
石巻専修大学の施設を去るにあたっては、様々な思いが交錯し、複雑なものがあった。
もちろん所期の活動をやり終えたという一定の充実感はあるのだが、しかしそれらはほんのちっぽけな支援活動でしかなかったわけで、後ろ髪を引かれながら、数日間の活動で世話になった被災者、ボランティア活動の統括的なサポートをいただいたセンターの方々らとのやりとりを反芻しつ、また大震災と大津波に大きく姿を変えられた石巻という土地への愛着を惜しみ、そうした諸々への万感の思いを引きヅリながら、一足早く立ち去る。
More »

嬉しい小さな顧客からの礼状

顧客からのメッセージ



子どものための‥‥、もとい、少年のための家具を制作するということの意味を、彼らの礼状から知った。

小学1年生からのワンフレーズのメッセージは、ちゃんと制作者のボクの元へ届いたよ。

北の都ではまだ少し楽しめる桜の押し花をあしらった、心のこもった礼状。

しょせん調度品の“売買”でしか無いとしても、作り手と使い手が結びあう関係性。
そうしたスタイル、手から手へ、心から心へと繋がることの喜びと高揚感は、小さな心の中で了解され、育まれていくことの意味は少なくないと思う。

納品設置を終え、もてなされた地元食材の数々、自家栽培で持ち込まれた和洋様々なハーブによる、素材の滋味を活かした料理の数々、ごちそうさまでした。

炊き込みご飯の具であった焼きウニだが、果たして来シーズンは入手することの叶わないものになってしまったかもしれないね。
三陸からの海の恵みの多くが、一時的とは言え、断絶されるということはとても悔しく、残念なこと。


盛岡は桜の季節を越え、

パタゴニアへの旅ではないけれど、今日はちょっと遠く、東北盛岡への旅路。





予報では雨に遣られるところで、確かに白石あたりでは田植え前の代掻き作業で耕耘機を忙しく操作する人を濡らしているのが車窓から眺められたが、仙台を過ぎた辺りから晴れ間も広がり、何とか終日持ちこたえてくれたようで助かった。

助かったというのは、ただの観光での雨男であればともかくも、納品での搬入作業とあらば、少なからぬ影響を受けてしまうことから。

いくつかの家具を納品設置させていただく旅だが、年初より取り掛かるというかなりのボリュームだったこともあり、こうして終えたことの安堵もまた深いものがある。

当初、3月下旬の納品スケジュールだったのが、この大震災を受け、被災地でもある地域に在住する顧客の要望もあり、この時期になってしまった。

この盛岡市内の顧客の新しい住宅は、幸いにして無傷であったので予定通りに進めることもできなくはなかったのだが、状況が状況だけに、少し落ち着いてからにしたいという要望を受けてのものとなった。
More »

東日本大震災・災害ボランティア活動日録(9)

被災地・災害復興支援活動

3月26日(地震発生から15日経過)天気:雪のち雨

ブルルッと震えながら目覚めたのは5時過ぎくらいか。
テント幕を通しての周囲がいやに明るい。



テントのジッパーを外して外を見やると、一面の銀世界。
寒いわけだ。
静岡では桜も開花もしているというのに、この地では真冬の気候が続く。
避難所の人々はちゃんと暖を取れているのだろうか、などと思いを馳せるが、まずは自分たちもストーブを焚いて暖まらねばならないが、この朝にロケットストーブは石巻ボラセンに託すことになっているので、使えない。

コールマンストーブでの煮炊き兼用で腹から暖めることに。
その前にテントの雪を払い、タープの雪を下ろす。

静岡から農家が託してくれた採れたてのレタスでサラダを拵え、α米を暖め、ラーメンスープで口に押し込む。
暫し、ボランティア登録手続き開始までの時間、寒え込む空の下ではあるがコーヒーを啜りながら、周囲の他のボランティアで駆けつけた方々と交流を図る。

食後、これまで同様にボラセンでの登録手続き。
日に日にボランティアの人数も増加している様子。
多くは学生のようだが、駐車している車両を見れば、かなり遠方から駆けつけた様子も伺える。

それぞれ、「東北大震災 ○▽緊急支援部隊」などと大書された幕などが雪まみれ、泥まみれでの車体に貼り付けてある。

我々も「災害ボランティア エスペランサ 木工隊」としたマグネットステッカーを貼り付けてきたのは大正解だった。
決して高速料金が安くなったり、GSでの優先扱いなどがあったわけではないが、被災地での運行にあたり、我々の運行目的を明示することで、周囲に分かってもらうのは必須のツールだった。
More »

《180°SOUTH》を楽しむ

GWですが、皆さんは良い旅をしていますか?

“どこか知らない遠くへ行ってみたい‥‥”というのは、人間の根源的な欲望の1つかもしれない。

未知の土地への旅は発見と感動をもたらし、人を豊かに鍛えてくれる。

数多くはないものの、ボクもこれまでいくつかの旅をしてきたが、南米の果て、パタゴニアに行ってみたいと思わされる映画がこの《180°SOUTH/ワンエイティ・サウス》

patagonia〉の創業者イヴォン・シュイナードと〈THE NORTH FACE〉の創業者ダグ・トンプキンス、二人の運命を変えた伝説の旅の映画。
もちろんただのロードムービーなどではなく、自然の厳しさを前にしてのチャレンジングな旅と、この体験を元にした二人のその後の人生を追体験するものとなっている。

〔STORY〕
1968年のある日、友人のダグ・トンプキンスが南米パタゴニアの山に登らないかとイヴォンを誘った。
2週間後、サーフボードや登山道具、旅を記録するための16ミリのカメラを中古のヴァンに載せ、2人は南米を目指して旅立った。
‥‥‥‥
それから40年近くの時が流れ、ジェフ・ジョンソンというアメリカの青年が、パタゴニア行きの旅に出ようとしていた。
彼はイヴォンとダグによる旅の記録映像を偶然見て衝撃を受け、自分も彼らの旅を追体験しようと考えたのだ。
‥‥‥‥
メキシコを出発してから124日目。ついにパタゴニアへ到着。
イヴォンが彼らを迎えてくれた。
天候がよくなるのを待ちながら、パタゴニアの高峰コルコバド山登頂を目指す。
‥‥‥‥(公式Webサイトから引用)

More »

東日本大震災・災害ボランティア活動日録(8)

被災地・災害復興支援活動

3月25日(地震発生から14日経過)天気:曇りのち雨

ボランティア活動のその日の登録を前に、早朝から石巻市街沿岸部を眺望できる「日和山公園」に5名全員で向かう。

石巻に入って3日目に入るが、市街地の惨状というものは走行の度に新たな衝撃と哀しみを誘う。

石巻市沿岸部(石巻市民病院) 石巻沿岸部(日和山より)

日和山公園はJR石巻駅から南に1Km余りの位置の住宅地として造成されつくした小高い丘陵地の一角にある「鹿島御児神社」の境内を公園として整備されたところ。

石巻ボラセンのスタッフから聞いてはいたのだが、ここから海に向かっての地域は、旧北上川を挟み、東西の地域、および中瀬と呼ぶのか、いわゆる中州のすべてと言って良いほどに壊滅的な惨状を呈していることを目の当たりにする。

石巻の地形に関する沿革などは不明なるも、恐らくは埋め立て地として開発されてきた地域のそのほとんどがやられてしまっている。
湾岸に近い位置に立地する石巻市立病院の白いビルだけがポツンと残っていることに、むしろ強い違和感を覚えるほど。
焦土と化す、という表現があるが、煙こそ出てはいないものの、まさに絨毯爆撃攻撃を受けた後のような惨状である。

アポカリプスの世界とは、果たしてこのようなものか、と思わされるほどに‥‥。
More »

ハンス・コパー、とは一体何ものだったのか(観覧記)

美術館カフェ

美術館カフェ



ハンス・コパーの遺言の1つが「自分の生の痕跡を遺さないで欲しい」と言うことだったというので驚いた。
したがって自著も無く、ルーシー・リーのように生前のアトリエでの作陶に励む姿を遺した映像などもなく、全ては作品にのみ語らせているということになる。

ルーシー・リーのように生前において既に高い評価を受け、様々な角度から取り上げられてきた陶芸家とは異なり、あらかじめ付与された作家性などは背景に追いやり、ただ展示された陶と純粋に向き合うことができるという意味では、観覧者の方が試されているようでもあり、少し緊張を強いられる展覧会だった。

これは造形の特徴からも同じような事が言えるように思う。
例えば器としての機能をあえて重視せず、若い頃にめざしたという彫刻的なアプローチとしか形容しがたい造形の数々。

しかしよく見ればそれらも、やはり陶の技法と陶のテキストに則った造形であることに気づく。

これらは昨日4月29日、昨年6月からスタートした【HANS COPER ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新】と題された大回顧展、全国巡回の最終地、静岡市美術館で行われた「スライドトーク」での西マーヤさんの解説での“種明かし”で見えてきたことだった。
More »

東日本大震災・災害ボランティア活動日録(7)

被災地・災害復興支援活動

3月24日(地震発生から13日経過)その2 天気:晴のち曇り

野営地に帰着後、ボランティアセンター受付に再度登録。
2名+学生ら2名は前日に引き続き、石巻市街の被災者住宅で大地震・大津波に大きな損傷を受けた家財道具などの撤去、廃棄作業、ヘドロのかき出しなど。

ボクはピースボート主体の炊き出しの手伝いだ。
炊き出しとは言っても、ここ石巻専修大学のグランド内、ボランティアの野営地の一角を借り、仮のテントを張り、プロパンガスなどを持ち込み、調理し、使い捨てのPackに詰めて、各避難所の方々にお届けする、デリバリー方式。
あるいはこの近所の被災者には取りに来てもらう。

メニューは野菜炒め風の丼。その数、とりあえず500食。
お米を炊く者、ひたすら肉を切り刻む者、タマネギを剥く者、刻む者、総勢6〜7名での作業。
ボクも包丁、まな板を持ち込み、調理し、また炒め、煮込む。

リーダーは都内でレストランを営むシェフ。
ピースボートの乗船も果たし、こうした緊急事態にはいつも積極的に活動しているように伺える。

多くのメンバーは学生、あるいは若い社会人だが、皆挨拶も良くでき、手慣れない作業なのだろうが、熱心に、ほがらかに、よく立ち働く。
この頃、ピースボートとしてのボランティア活動員の募集と説明会が都内で行われていたようで、そうした新たに供給される活動員の宿泊のためのテント設営も始まっていた。

ここ石巻ボラセン(ボランティアセンター)が置かれた石巻専修大学には、スポーツ競技のための大きなグラウンドが併設されており、石巻市はここを借りてボランティアらのテント設営地としている。
ボクたちが入った頃はまだ少なく、カナダからいち早く派遣されてきた緊急医療支援隊の巨大で真っ赤なテントが眼を引くぐらいだったが、ピースボートらの増設もあり、徐々に大小のテントが増えていった。
More »

小ネタ(違い胴付き、あるいは“おしゃぶり”)

仕口を自在に使いこなす、というのは家具作りに限らず、建築はもちろんのこと、様々なモノ作りにおける習熟にとり、欠かすことのできない重要な要素の1つだね。

ボクの修業時代とは、そもそも職人になろうと思うのはバチあたりな30も半ばになってからのこと。
10代から純粋培養で修行を積んだわけでもなく、いくつもの不純な属性を纏いながらのものであったわけだ。

それはともかくも、木工の世界に入ってからと言うもの、夕食後は毎日のように仕口に関わる書に親しみ、取り掛かっている家具制作に有効に使えるものがないか、必死になって探し、研究したもの。
それは修業時代があまりにも短かったことへの幾ばくかの焦りと、申し訳なさと、良い職人になりたいという一心からのものだった。

今ではただの長年弛まずやってきただけの職人風情の男でしかないが、若い頃はそれなりにまじめに取り組んでいたというわけだ。

ま、そんな昔話はどうでも良いことだが、仕口を抱負に持ち、これを適切に使いこなすことで、デザインの自由領域も拡がり、ねらった造形を無理なく、無駄なく、形にすることができるというもの。

今回紹介するのは、それほどのものでもない、昨日ご紹介したカップボードに用いた小ネタの2つ。

More »