工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

真実を見据えることの困難と、オプチミズム然とした生き方と

災害ボランティアへの準備を始めて、はや3週ほど経過する。
帰還後翌々日からは工房へと戻り、溜まりたまった業務へとシフトしつつあるものの、事後の諸々の整理、文書作成、貸与物資の返却等々、慌ただしく過ぎ去っていったが、概ねこれらも終わりに近づきつつある。

明日には義援金、支援物資を寄せていただいた方々への活動報告を兼ねた礼状発送で、一応の区切りが付きそうだ。
多くの方々を巻き込んでしまったことの負債は返さねばならないのは当然で、アドバルーンを上げた時に想像しなかったわけではないが、それを大きく超える様々な事後処理は、それまでの人生でさほどの社会的な活動経験が無かった事への教訓として噛みしめればよい。

礼状発送の後にも、現地活動のスナップなどを交え、リポートを上げていくのも務めとなるので、業務への一層の傾注とともに、努力していこう。

画像は庭に咲いたスミレと侘助。(クリック拡大)
やっとこういうものにも眼がいく余裕ができたと言うところか。
しかし東北ではまだまだ春の兆しを感じ取ることはできないだろう。
遅い春の到来とともに、こうした命の芽吹きにも眼がいくようになればうれしいのだが‥‥。

スミレ 侘助 侘助
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春へと向かって(若いボランティア隊員のリポート)

新年度の初日の今日、多くの社会人、学生らとともに新たな気分で臨んでいる。
これまで60数回のリセットを重ねてきたものの、今年の新年度ほど重く、また深く考えさせる春はない。
いつもの年と変わらずにこれから花開くだろう桜をどのように愛でるのかは分からないが、そのあまりの美しさに気圧され、それとの対比で被災現場がフラッシュバックしてくるのが怖くもある。

エスペランサ木工隊として共に赴いてくれた仲間の一人は若い。
そして今、本格的に木工を学ぼうとして意気盛んである。
工房 悠もこうして世代交代しつつ、新たな春を迎えるように、被災地でも美しい桜が花開き、希望の蕾を膨らませることを信じたい。

この仲間、堀内君がこの度のボランティア活動の報告をまとめてくれたので、以下掲載する。

 

I shall be released

─── 東北大震災 災害ボランティアを終えて ───

私、堀内がエスペランサ木工隊に参加した経緯、気持ち、活動内容、感想をご報告します。

私は神奈川の訓練校を卒業後、紆余曲折を経て工房悠の門を叩き、半ば強引に工房に通わせてもらっています。家具製作の基本とMacの操作、その他いろいろなものを工房悠さんで勉強中です。

3/11、その日僕は、午後から先輩の木工所へ応援にきていました。何十台もある椅子の部材の素地調整をまかされていました。

単調な作業にリズムが乗った頃、足下がふらつく、めまいか?と思った時先輩と目が合いました。

長く気持ちの悪い揺れだったのですがまさかこんな大惨事になっているとは思いもよりませんでした。

次の日、工房悠での休憩時間はいつものようにおいしいコーヒーと薪ストーブ、ガラス越しにさす気持ちのよい光の下、話題は地震と原発のこと。

そんな中ふと言った私の「現地に行きたい」という一言が、親方の心に火をつけてしまい、火がついたらさすが家具職人、あっという間に木工隊結成、義援金、支援物資の受付など流れるように進んでいったのです。

準備の期間、なんとか現地に入り何かしらの活動をしたいという気持ちも大きかったけれど、それ以上に不安も大きく、行ったところで何が出来るのか?テレビでのボランティアの現地入りはまだ早いなどの報道、刻々と状況が変わる原発、親兄弟の行くなと言う反対。

逆風の中それでも現地を目指した自分の気持ちは、心の奥底にある強い意志と自分を信じることにあったと思います。

22日の早朝、木で家具を創るという共通点で集まった三人が静岡県島田市に集まり、東北・宮城を目指しました。

ハイエースに200ℓ近い燃料と、自分たちが一週間現地で生活できる衣食住と最低限の木工屋の道具を載せたらほとんど一杯に。
それでもなんとか三人分のスペースを残し支援物資を詰め込み出発したのです。

ルートは被災地の通行止めや原発を避けるため山梨から長野、日本海へと抜けて新潟、山形、仙台という片道500キロ以上の強行軍。

なんとかその日の内に宮城県に入る予定でしたが、山形市内で22時を回ってしまい、明日に備えるということで一泊。

早朝に宮城県の石巻を目指しました。

この日の朝刊には石巻市、死者行方不明者2700人避難3万7千人と出ていました。

山形市内のコンビニの棚にある商品は残りわずかで、仙台に近づくにつれほとんどの商店は閉まり、営業するかもわからないガソリンスタンドには先が見えないほどの長蛇の列、たくさんの自衛隊の車。

なんとかナビをたよりに石巻市のボランティアセンターが設置されている石巻専修大学に着いた時間は昼過ぎ。

着いて早々状況もわからずボランティアセンター受付で登録。

不安とは裏腹に思った以上に機能していることに驚きました。

そのまま寝る場所の確保も出来ないまま、地図と依頼書をもらい自分達の車で現地に向かってくれとのこと。

依頼内容は津波で水に浸かった家具の運搬でしたが、行き先に近づくにつれ見慣れない光景が目に入ってくるのでした。

折り重なった車、道路の端につながれているボート、町が一面土埃で汚れたさまはアジア放浪で見た古い町並みを思い出すものでした。

依頼された場所に着くと、家の中は津波で浸かった家財道具とヘドロ、途方もない作業だと瞬時に直感し、ほとんどのものは使いものにならないのは明らかでした。

作業は9時から16時までという決まりらしく大学へ戻りテントの設置、夕食の準備に取りかかり、キャンピングスタイルでなんとかあたたかいものを食べることが出来ました。

水道はなく、電気はなんとか大学構内までは来ていて携帯の充電程度には借りることが出来ました。

トイレは仮設が四つ、テントは救援物資を保管する倉庫の隅に張らせてもらうことが出来たのですが、三日目には物資で一杯になり寒空の外へ移動させられました。

寝袋に段ボールだけの強者もいたり、朝、テントから顔を出すと辺り一面雪が積もっていた日もあり、朝晩は非常に冷えたものです。

計四日間のボランティアの活動内容と依頼主とのやり取りなどここでは書ききれませんが、とにかく水とヘドロに浸かった家財道具の片付けに追われ、街の至る所にゴミの山が出来ていました。

石巻に着くまでは不安で一杯だった気持ちはすぐに吹き飛び、お手伝いさせてもらった被災者の心から出る感謝の気持ちを一杯に受け、今までに感じたことのない充実感は自分の人生にとって大切な経験になると思っています。

そしてもう一つ大きく得たものはボランティアで来たいろいろな人との出会い、学生から自分の親世代の人まで、国籍、年齢、関係なしに情報も十分ではないところに何か自分に出来ることはないかというあついハートで集まった人たち、それぞれにここに来るまでの思いとドラマがあるんだと感じ、大切な経験、繋がりにしたいと思っています。

今回の大震災は日本にとって大変な出来事だと思います。

今回身を以て感じ伝えられることは、日本人の心は美しいということです。

テレビ、デマ、噂などの一方的な情報に流されず、自分の感じるままに行動すればきっと日本は復興と同時に忘れられてしまった美しい日本になると思います。

まずは自分に出来るほんの小さなことから‥‥。

このたびの地震により被害をお受けになった皆様に、心よりお見舞い申しますと共に、一日も早い復興をお祈りいたします。

今回エスペランサ木工隊に支援を託してくれた皆様、家族、友人、本当にありがとうございます。

皆様の気持ちがあったからこそ現地に向かうことが出来ました。

現地で活動をともにした若い友、ありがとう。
服部さん!、現地での作業をスムーズに出来たのも僕への見えないところでのサポート、ありがとうございます。

そして今回木工隊を結成した次郎さん、心から感謝しこの経験を糧に日々精進したいと思います。

2011/04/01  堀内 圭

災害ボランティアに手を上げる前に(自律した活動のために)

雪の朝

雪の朝(石巻ボラセン)

「新しい公共」のケーススタディとしての災害ボランティア活動

暖かいハートを持つ多くの人々が我も、吾もと被災地へ向け赴こうとしている。

2010年8月の政権交代において、ボクが最も期待を掛けたのが当時の党首(民主党政権、第1期内閣の首相)鳩山が掲げた「新しい公共」という概念だった。
その後残念ながら萌芽的なものは見えたものの、首相の顔の付け替えを機に、雲散霧消となり、ゴミ箱にうち捨てられようとしていた。

恐らくはこの度の東日本大震災をめぐる多くの方々による支援活動は、この「新しい公共」という概念の主要な思考スタイルを現実のものとしている1つのケースと考えても良いのではないだろうか。
激甚的災害というカタストロフィーによってもたらされた、いわばショック療法的な生成過程のニュアンスを色濃くし、それ自体とても日本的で特異な様相であるものの、実はこうした支援に起ち上がる澎湃たる人々の出現というものは、まさに「新しい公共」を先駆的に体現しようとしていることに他ならないものだと言えるだろう。

政治的言語でイメージするのが苦手な人々にとって「新しい公共」なるものがチンプンカンプンではあっても、実態として産み出されていることを見れば理解は容易い。
もちろん、単なるイメージを超えて、思想哲学的な言語に昇華させ、定着させる作業も必要だろうが、それは哲学家、思想家の領分の仕事だ。
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石巻B.Cへのアクセスと震災関連情報サイト

石巻市B.Cへのアクセス

宮城県石巻市南境新水戸1番地

ところで、ボクたちがこの被災地を抱えたボランティアセンター(以下B.Cと略)へとアクセスするためには、いくつかのハードルがあった。

この石巻市B.Cが設置されていることは宮城県の社会福祉協議会Webサイトが提供している県のB.C情報ページで明らかだったが、残念ながら電話が設置されておらず、また上部機関の県のB.Cでは、石巻市B.Cの状況は皆目分からないとの木で鼻を括った返答に終始。

やむなく、津波被害ではやや軽微であった松島町B.Cが県外のボランティアを受け入れており、ひとまずここに当方の活動可能な態勢と相手側の要請を調整させていただき、登録することとした。

* 右衛星写真は石巻市街にいくつかの関連ポイントを示したもの。
撮影は3.11震災直後と思われる。
市街地のほとんどはヘドロに覆い尽くされていることが地面の黒い色調で読み取れる。
   国土地理院提供の衛星写真を元に作成


実はこのエントリーも決して簡単ではなかった。
最初は県外の個人の方は受け入れがたいとの対応。
そこで当方が自己完結型の支援態勢(往復の移動手段の燃料を所有、活動期間中の寝食を自力確保等)を持って臨むのだということを理解して頂くことで、じゃぁ、ぜひお願いしたい、との言葉を引き出したという経緯だった。

こうして受け入れ態勢を整えた上で現地へと赴いたのだが、現地まで150Km手前の山形市内であらためて事前の現地情報入手、分析を行い、その結論として、あえて松島町ではなく津波被害がより深刻な石巻市へと突撃することに。
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神なき苛烈な現場でのボランティア活動

雄勝地区

雄勝町


神なき苛烈な被災現場に別れを告げ、昨夜遅くに帰還した。

雪中、あるいは雨中でのヘドロまみれの家財道具の片付け、廃棄の作業は、延々と繰り返すいつ果てるとも分からない慣れない一輪車(ネコ)を駆使してのもので、それはシジフォスの如くの過酷な作業だったが、しかし終わりはあるものだ。

22日に出発し、大地震、津波被災地の1つ、石巻市に入ったのが翌23日お昼過ぎのこと。
さっそくボランティア登録後に、午後の活動が与えられて以降、26日夕刻までの延べ4日間にわたる被災者支援活動に従事。

そして石巻市ボランティアセンターから与えられた全ての活動は終了し、昨27日朝、ひとまず被災地への別れを告げ750Kmの移動ルートを駆け抜けて帰還した。

肉体的疲労は蓄積しているのだろうが、それを覚えさせないほどの心の疲れ、悲しみで、あり得べきわずかな充足感をも吹き飛ばしてしまう。

しょせんわずかに数名での支援活動などというものは、超広域被災現場にあっては豆粒のような小さなポイントでしかなく、メディアが連日報ずる大きな物語からは比較にならないほどに影響力は小さいというのがその実態。
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苛烈な現場での過酷な活動

石巻市 日和山公園より石巻港を望む


果たしてこれが現実?、我が目を疑う光景が目前にひろがっている。
3階建てのビル屋上に乗っかっているマイクロバス。
河口から上流に約3km、渓流を阻んでしまっている流れ来た家屋。
1つ1つ描写するとすれば、数回分の更新でもなお書きたらないだろう。
いや、描ききれるわけもない。

これは石巻から約1、5時間ほどの路程の雄勝湾へ向けて展開される光景の1つ。

22日早朝に出発し、翌23日正午頃に災害ボランティアで張り付く石巻市ボランティアセンターが設置されている石巻専修大学キャンパスに到着。

これまで4日間にわたる被災地での活動を終え、本日撤収することに。

僕たちが人間生活の中から作り上げてきた豊かな言語表現であってもなお言い表すことのできない壮絶の現場、悲嘆を眼前としながら、打ち震える悲しみを一旦胸に収め、被災者の要請に応える活動を中心として努力してきた。

帰還後、あらためてリポートさせていただきたいと考えているが、先ずは無事、万感の想いを残しながらも、帰還の途に着く。(03/27)

(画像は石巻市日和山公園から石巻港を望む)
iPhoneからの投稿

希望の明日へ

やっと、わら草履も編み終え、鼻緒を付けているところ。
数時間後には出発できるでしょ。

荷捌き、整理、再梱包と、皆さまからの思いのこもった支援物資を扱ってみれば、それぞれに被災地では何が求められ、何が喜ばれるかと言うことを良く分かっていらっしゃることに気づかされる。

赤ちゃんの衛生のための、女性の身繕いのための、ボクなどには配慮の行き届かない品々が複数の女性から届けられている。

そうそう、一人の女性は数ヶ月前に見送った祖母の形見の杖などを持って馳せ参じてくれたし、あるいは一人の男性は父親のために買いおいた服飾品を、もはや着る主も鬼籍の人となってしまったことで、一式手紙と共に送ってきた。
それぞれに身内への愛と惜別がこもった品々が、被災地の避難民に届けられる。

いえ、ボクだって絵本を調達したり、握り飯という定番を超えて、ちょっと気の利いた食の提供もできるようにと奔走したよ。

ボクはめったに落涙することなどない旧い男だが、このところ涙腺が緩んでならない。
年のせいと言ってしまえばそれまでだが、あまりに過酷な状況を前にすると涙も出なくなると言うから、まだまだ決壊にはほど遠いというわけか。
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逞しい仲間たち


活動拠点を、より深刻な場所へとフォーカスしようにも、現地との連絡が取れない。
県の災害対策センター、あるいは社会福祉協議会、およびボランティアセンターなども状況は全く分からないとのこと。
一方では報道がその深刻な地域を取材し、深刻な状況を伝えている。

行政ネットワークが完全に破断し、その間隙をメディアがスクープしていく。
メディアは電源供給可能な大型トラックで被災地へと乗り込み、サッと被災者の前にマイクを突きだし、カメラを回す。

ボクたち個人の支援は機動力もなければ、情報も少なく、したがって効果的な支援内容と、それがもっとも望まれている地区へのアクセスも困難という隔靴掻痒の感が強い。

そんな中、まずは活動拠点の見通しはついた。
Welcom ! のメールも届き、明後日、物資と燃料と、満載された支援物資、および地震・津波による被災からの復興へ向けてのお手伝いをするための機材を搬送していく。
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被災地と彼岸

3.11東日本巨大地震・義援物資搬送、義援金について

被災地への義援物資、今回分はFullとなってしまいました。
皆さんの数々の思いやりの籠もった物資、確かにお預かりいたしました。
本当にありがとうございました。
一方の現地活動資金を含む義援金の方はまだまだ募っております。
ご賛同、ご協力いただける方は以下の口座へと振り込んでください。
(ご協力いただけた方には、活動終了後、会計報告させていただきます)
■ 銀行名、支店名:静岡銀行 初倉支店
■ 預金の種別:普通預金
■ 口座名:エスペランサ 木工隊 工房悠
     エスペランサ モツコウタイ コウボウユウ
■ 口座番号:0228828

このところの業務外繁忙での睡眠不足もあるのだろうが、支援物資受け取り、燃料携行缶借り受けなどでのハンドル捌きはうつら、うららと、こんころもち良くなってくる陽気の週末。

カーラジオから聞こえてくるのは避難所で仮の暮らしを強いられている人の名前、名前。
新聞、TVでのどこそこに123人、あっちには36人、と員数だけでの呼称に替わり、ここでは例え名前だけではあるものの一人ひとりのIDentityがあり、極限的な恐怖から生き延びた人達の鼓動が聞こえてくるように思える。

タッチパネルでTVに切り替えるといきなり哄笑の渦に包まれた。
NHKに限らず、全てのチャンネルが震災関連の番組で占められていた状態から、いつもの日常へと替わっていたというわけだ。
ただの哄笑ならともかくも、知性も品もないようなお笑いにはついていけずに、SDメモリからのピアノ曲に変えたのだが、日常に戻りつつあるのは決して悪いことではない。
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被災地への義援物資、義援金を募っています

スワッ、春一番か、と思わされる突風が吹き、大きく育った庭の夏ミカンがボタボタと落下するほどの強い風に終日見舞われた寒い一日だった。

TVモニターから次々と報ぜられる被災地の映像の一部には、吹雪いてるところもあれば、犠牲者を一人静かに偲ぶように、はらはらと舞い降りる雪の光景もあった。

同じ寒さでもこうも違うのかとの思いも、以前のそれとは違い、明らかに彼の地に足を踏み入れ、雪を被りつつ活動する自身の姿を重ねてしまっているのだった。

本BlogにLinkしているkokoniさんが更新した記事にREUTERSによるスライドが紹介されていたが、TV媒体では伝えられない(伝えにくい?)現地のビビットな画像があるので、こちらでもURLを貼り付けておこう。(kokoniさん、失敬 _(._.)_
こちらから)左サムネールで選ぶのも、メインをクリックするのもOK

これまでも何度かこのREUTERSのスライドを紹介したことがあったが、専属のカメラマンか、契約カメラマンかは不明なるものの、対象を捉える視点とアングルはCapa的視点を持つ優れたものが多いと感じていた。
今回も期待を裏切らない、良いショットが少なくないように思った。

つまり、全世界の人々の眼差しが「日本」「東北」へと注がれているということ。
であれば、極東のちっちゃな島国の地球市民の一人として、現場でにおいても、それを包み込む全国の注視する人々も、世界に恥じない規範を持って臨んでいきたいものだと思う。

さて、今日は仕事もそこそこに準備に奔走。
成果のほどは‥‥、
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