工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

ギャラリー展覧会、初日立ち会い。

ギャラリー 1
今回の展示会場「ギャラリー 一会」は三河地方の伝統的な住宅建築様式に踏まえた建て方によるもので、オーナー小野さんのこだわりを岡崎市内の在来工法を専門にする研究熱心な石原棟梁が建築。
太い梁と柱、そして腰板と床板、すべてこの地方の松、杉をふんだんに使った居心地の良い空間となっている。
木材を使った家具を置くとすれば、やはりこの本格的な建築様式、偽りのない材料使いに見合うだけのものでないと、まるで浮いてしまうこと必定。
ということで、今回は重量級のテーブルを始め、ソファなど、ブラックウォールナット材を中心に様々なジャンルのものを持ち込んだ。
会場の制約、照明の制約の関係で、なかなか全体像を撮影することはできないが、大凡の雰囲気は伝わるだろう。
ぜひ会場に足を運びご覧いただき、ご高評くださればありがたい。
ギャラリー 2

明日から個展がスタートします。

台風15号に刺激された前線が中部地域一帯に雨をもたらしている。
今日はギャラリーへの搬入とあって、工房を出る朝の段階では雨中の作業を覚悟したものの、目的地、日中は雨も上がり、降雨の影響を受けずに無事に運び込むことができた。(雨男の汚名を挽回 ?)
会場の岡崎市は先般の豪雨水害の被災地。
顧客にも被災され、愛車を使用不能にされた人がいる。
(事前に話のあった新たな制作依頼はしばらく中断もやむなし)
そこへきて、また新たな台風の通過が懸念される中、個展はスタートする。
また現地に来てから知ったのが、地方議会と市長の選挙が目前に迫っているとのこと。
このような政治状況は客足にどのように影響するのか、ボクの理解を超える。
しかしこれまで2度の個展で築き上げた顧客との関係もあるだろうし、ギャラリーへの信望も厚い客層に如何に作品をアピールさせるかが勝負どころだ。
搬入後の開梱、レイアウト中に、さっそく地元メディアの取材があった。
作業着のままに写真を撮られ、出品作の解説を求められる。
DMとともに、ちょっとしたプレゼン書類を送っていたのが幸いしたのか。
さて今日は近くのホテルに宿を取り、明日の口開けの接客に備える。
JR駅前にオープンしたばかりの新しいビジネスホテル。
すべてにおいて、清潔で、しかもITシステムが進んでいて、宿泊精算も含むすべてのやりとりがルームカードキー1枚で事済む仕掛け。
普段は楽天からの予約だが、今回はホテルサイトからダイレクトで契約。
この方がポイント含め割安だった。
明日の天気は?、全く期待できない模様だが、こればかりはどうしようもないだろう。
雨男の面目躍如 ?
明日は会場スナップ、掲載したいと思っている。

白い曼珠沙華

曼珠沙華1
倉庫への行き帰りに白色変異の曼珠沙華が群生していた。
群生はちょっと大げさか。
しかしこれまでこの真っ白な彼岸花というものは普通の真っ赤なものの中にひとり(一輪)白を主張しているという姿で出会うと言うことが多かったように記憶している。
ちょっと盛りは過ぎていて、画像に納めるには躊躇しないではなかったが、いつまた出会えるかも知れず、車から降りてiPhoneカメラでバシャッ。
いえいえ、ホントにiPhoneのシャッターボタン(液晶画面のそれ)を押すとバシャッっと、デジタル合成ではあるがフォーカルプレーンシャッターのような操作音が鳴る。ちょっとおおげさ。
身辺、いささか胸塞ぐようなことがあり、心落ち着かないここ数日ではあったが、何とか個展準備も終え、明日は搬送、設置へとこぎ着けた。
ちょっとお天気が心配されるが、こればかりは如何ともし難い。
iTunesからショパン、ポロネーズを流し、心静かに夜の静けさの中、スコッチ傾けながら出品データの整理。
Filemaker社、BENTOを使ってみたが、まだ使いこなせず四苦八苦。
TVからは中山某大臣の確信犯的妄言が繰り返し流れる。怒りを越えて泣けてくるほどの情けなさ。
こんな輩を大臣に仰がねばならない一市民として、ただただ恥じ入るばかりだ。
曼珠沙華2

秋の全国交通安全運動

秋の全国交通安全運動が、実施されている。月末までの10日間だね。
このところ工房に閉じこもっているので、車両運転にともなう期間中の警戒シフト(トラップ?)に捕まるということも無いが、無事故でいきたいものだ。
ボクは車の運転は嫌いではない。高速道をぶっ飛ばして、京都、大阪を日帰りするのもさほど苦ではない。
時には巡航速度1○○Kmで走ることさえある。(おいおい、ちょっとそれは‥‥)
これは以前より読んでいただいている方々には繰り返しになり恐縮なのだが、信号機のない横断歩道の通過にはくれぐれも注意したいと思う。
今回の全国交通安全運動の重点項目にこのことが盛られているというワケではないのだが、法規的にも定められているにもかかわらず、ほとんどといって良いほどに違法な運転をしているというある実態がある。
既にお判りのことと思うが、信号のない横断歩道において、横断しようとする歩行者がいれば、一時停止し、歩行者の横断をさまたげてはならない。
あるいは、そのために一時停止している車両がある場合、この車両を追い越して通り過ぎてはならない。
このBlogを読んでくださる方は思いやりの心が豊かで、遵法精神のある方ばかりだろうから、この歩行者優先の原則を忘れてはいやしない人たちであろうと信ずる。
ところがあろうことか、守られていないケースに頻繁に出会う。
というよりも停まってくれるケースは実にまれ。
つまり、横断歩道のラインが引かれていても、全く無視されるマークでしかない、ということが実態のようなのだね。

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木材供給の変容を憂う秋

工房
スーパーの棚には松茸と栗が並び、ゴーヤはさすがに隅に追いやられている。
個展を前にした追い込みで遅くに工房を出れば、虫たちがさんざめいている。
いつのまにかすっかり秋が深まっていた。
週末に掛けて雨模様だそうで、今日の工房はとても蒸し暑かった。
Tシャツを数枚着替えたのも久々だ。
今日は高所作業の際、うっかり脚を踏み外し、腰をしたたかに打ち付けてしまった。
古傷がうずくというか、若い頃にぎっくり腰をしているので、これが再発するとチトヤバイので心配だが、しばらく安静にしていたら仕事を再開できるほどだったので安堵する。
展示会への出展作の制作も今日で全て終わった。
楢のチェストの甲板の木取りにややてこずってしまった。
気付くのが遅かっただけだが、耳の部分の大きな虫穴を取り切れず、それに代わるあらためて別の巾広の材を探すのに一苦労。
昨今、楢と言えば、流通しているのはもっぱらロシア極東産のものばかり。
昔入手した道産の楢も、徐々に底を突いてきている。
ロシア極東産のものも良いものもあるのだが、やはり道産のものと比較すると明らかに質感、色調、品質は異なる。
寂しい限りだね。
いつも思うのだが、概して材木というものは国内産のものの方が品質が高い。
楢も、タモも、クルミも、他のほとんどの材種において同じようなことが言えるのではないか。
地球上の植栽を考えたとき、南北の極では異なるが、緯度が同じであれば、基本的には同じような材種が生育しているようだが、なぜか、それぞれ品質が違うようだ。
これには様々な要因が考えられるが、まず何よりも気象の違いなのだろう。
これについては門外漢なのでこれ以上の記述は控えるべきだろうから言わないが、何故か良質なものが日本にあった(あえて過去形にしなけれねばならないのだろうか)ことは関係者としては誇りとすべきと思う一方、枯渇してしまっている状況を考えれば、逆に関係者としてはその責任の一端を担わねばならないとさえ感じてしまう。
うちの使用量など微々たるものであるに過ぎないが、これは使用量の多寡において論ずるべきものでもないだろうからね。
ボクなどは既にかなりの在庫を抱えているので必ずしも直接的な不安材料ではないが、今後の世代のことを考えれば、やはりそれまでの受益者としてみれば関心下に置くわけにはいかない問題でもある。
Top画像は今日の工房スナップ

木工と身体性

昨日取り上げた1,300φほどの円卓の甲板を削ることは決して容易なものではない。
機械設備の充実したところでは、手鉋などに依らず、サンディングマシーンで削っちゃうかもしれない。
一方“手作り○○”と称する機械設備の無いところでは、やはり鉋などに依らずにポータブルサンダーで削っちゃうかもしれない。
過去何度か記述してきたように、恐らくはそうしたサンディングでの仕上げでは、本来の無垢板ならではの木理を引き立てる良質な質感を獲得することにはならない 。
サンディングでは、ひどいときには、春材、晩材の材質の堅さの違いからうねうねとしてしまい、本来の平滑性は得られないだろうことも容易に想像できる。
結論的に言えば、やはり木材繊維をシャープにカットする良質な工具鋼の刃を持ち、平滑に削ることのできる台鉋に依ることが最も望ましいことは、例え時代が変わろうが、その本質において他に代替できるものが無い以上、やはり今日的にも優れた方法であるということに違いはない。
そうした当たり前のことを愚直に理解し、必要であれば鉋掛けにともなう肉体的な負荷にも耐えられる身体を持ちたいと願う。
ボクは人生の半ばを過ぎようとする頃にこの世界に入った。
今考えれば遅きに過ぎたとも言えなくはないが、その後の自身の十分とは言えない木工人生に、そのことを方便としたくはない。
ただやはり松本で木工所の門を叩いた後、暫くの間はその苦しさに音を上げ、自身の選択には誤りがあったのではと、何度か悔いたことも確か。
鉋を持つのも初めて、やっと抱えることが出来るようなミズメの大きな厚
板を振り回すのも容易ではなく、身体は連日悲鳴を上げた。
夜中、床に着くと手のしびれが止まず、寝付けなかったことも多く、整形外科通いも始まっていた。
しかし今にして思えば、若くもない今日、大きな甲板を喜々として削ることの出来る技と胆力というものが残っているのは、やはりそうした修業時代の苦しい鍛錬の日々があったればこそだろうと考えるし、そうした機会を経ることなくしては木工の本質を追求するなどということも口先だけの浮薄なものに堕してしまう。
例え山頂まで岩を持ち上げることが徒労と見做されるシジフォスの苦行であっても、これを繰り返すごとに鍛え上げられる彼の肉体と精神はボクにはやはり神々しく思える。
俗人であればとてもそのような不条理に耐えられはしないが、しかし木工の苦しい修行などはしっかりと自身の鍛錬に繋がり、実利としての見返りさえ届けられるのだから。
シジフォスの上腕の筋肉のきしみほどでなくとも、仕事に打ち込むことで鍛えられるものはその者にとって偽りのない普遍的な価値の1つでもある。
拝金主義に貶められた現代社会にあって、職人という存在様式は少しは真っ当な生き方であるかもしれず、そのための必要な鍛錬は求めてすべきことだ。
親方などの話しに耳を傾ければ、職人が肩で風を切って闊歩していたシアワセな時代は確かにあったかもしれない。
現代は職能も職域もバラバラになったり(デザイナー × 職人、販売業者 × 職人 etc )、グローバル社会の到来などで職人の生き方も困難なものになっている。
それだけに職人として生育していくだけの社会的余力にも欠け、時間的余裕も奪われている。
そうした状況をどのように打破していくのかは我々の存在の在り方そのものを問う課題でもある。
しかし社会環境の変容へ恨みを募らすことよりも、何よりもボクたちひとり一人の意識の有り様と、それに裏付けされた高い職能を持って良い仕事を残すことから始めねばならないことだけは自明だ。
(今回のエントリはユマニテさんの記事にインスパイアされ促されたたものです)
鉋掛け

板剥ぎと白髪

板矧ぎ

画像は板矧ぎ、圧締中のもの。
ご覧のように方形の木取りになっているが、円卓の甲板になる。
うちでの板矧ぎの方法は様々。
薄いもので600mm以内であれば普通のハタガネを使うことも多いが、このようなテーブルの甲板であれば、溶接屋に特注した板矧ぎ専用のクランプを用いることが一般的。
以前、横浜のダニエルの工場見学をさせていただいたときにも、同じようなクランプが使われていた。
無垢板の剥ぎには結局こうしたWタイプのクランプが良いようだ
うちのものは信州で一般的に用いられているものを参考に作ったもの。
このクランプの特徴は‥‥、とここまでタイプして思い出した。過去、このBlogで記述していたっけ(こちら
要するに、両方向から力が均等に掛かるので圧締しやすい、使いやすい、しかもTop画像にもあるように、矧ぎ口部分でビミョウに折れ曲がったりしがちなところを、クサビを咬ませることで修正が簡単にできることを特徴とする。
ただスクリューの長さの制約があるので、巾への対応が十分ではない。
ダニエルのものにはバーに10cmほどのピッチで穴が穿たれており作業性が高いようだった。
今回、うちのクランプの最大のサイズ(1.25m)を越えてしまう大きさのものであったので、中央部はポニークランプで対応させた。
円卓であるので、端の部分を欠き取ることで、本来の剥ぎ専用クランプをかろうじて対応させた。
ウォールナット材の甲板、1,300mmの巾を白太部分を入れずに3枚剥ぎという、かなり贅沢な木取り。
剥ぎ終わった後、1人で振り回せるのか知らん。
せっかくだからここで板剥ぎのポイントを。

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“枯葉”(YouTube)

スタンダードナンバー、“枯葉”といえばシャンソンのイブ・モンタンのものを嚆矢とする。(ナチス支配から解放されで間もなく、1946年に公開された映画「夜の門」の中で歌われたものだが、新人歌手であったイブ・モンタンのものはヒットせず、その後ジュリエット・グレコにより普及したようだ‥‥原曲名:「Les Feuilles mortes」)
一方米国内でも大ヒットしシナトラはじめ多くの歌手に歌われ、スタンダードナンバーとして定着。
Jazzでは不朽の名演、マイルス・デビス&キャノンボール・アダレーのもの《SOMETHIN’ ELSE》(Blue Note)が良い。
YouTubeからマイルスのものを探そうとしても、それは徒労でしかない。
1958年の収録であれば映像ソースなんてものがあるわけがない。
(無いわけではなく、静止画、あるいはBGMとして使われているものをいくつか探すことはできる。でもあまり良いものではなかった)
そこで2nd.choiceとしてキース・ジャレットのものをを探した。
音質も映像もまずまず。

今日は秋のさわやかな大気が日本列島を覆ったようだ。
空が抜けるように高く、風が肌に心地よい。
かなり大量に鉋掛けをしたのだが、滲み出る汗もさほど不快には感じないほど。
明日は一段と秋めくという。

展覧会のお知らせ

今月末より個展をします。
会場は愛知県岡崎市の「ギャラリー 一会」です。
この会場は今回で3度目になります。
出展内容は、カップボード、チェスト、ライティングビューロー、テーブル、椅子、ソファ、フロアスタンド、手筺、など数10点。
いくつかの新作をメインに、工房 悠のプロパーな作品群が並びます。
どうぞお出掛け下さい
DM

【杉山裕次郎 木工家具展】
■ 会場:ギャラリー 一会 (岡崎市)
■ 会期:09/30〜10/05  am11〜pm6

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ちょっと台風一過

空
見事な秋晴れ、とはいかなかったものの、昨夕の予報よりもかなり早い時間帯に台風第13号 (シンラコウ)は駿河湾沿いを通過していったようで、今朝は雲が多いものの雨は残らず良い週末となりそう。
台湾から石垣島を襲いながら中国大陸へと一路目指していたものの、何を嫌ってか、急転日本列島へと牙をむき始め後は東北東へ進路を取り脇目を振らずに真っ直ぐ。にゃろめ〜
台風現況
今日は法事で昼間からしたたか酔ってしまい、工房へは入らない積もりだったが、どうしてもやっておきたいことがあり、数時間だけ汗を流した。
昨夜の台風が置いていった厚い雲と蒸し暑さも、法事から帰宅した頃にはすっかりと秋空に変わり、ほろ酔いを払うことができるだろうと思ったからだが、やはり手元不如意であったようで、玄翁の頭は逸れて親指をしたたか打ってしまった。
そういえば修業時代、ボクの親方は5時になればさっさと部屋に戻り、一杯引っ掛けてから、あるいはコップ酒を手にしながら再び工場へとやってきて、弟子のボクの仕事を邪魔するのだった。
でも、問わず語りに明かされる若い頃の職人世界の話しはなかなか魅力的なものではあったのだ。
Top画像は今朝の大井川土手から下流へ向け、iPhoneカメラを向けて撮ったもの。
下は法事の会食料亭前の瀬戸川土手に咲き始めた彼岸花。
同じくiPhoneで。
このBlogの420pxサイズぐらいであれば十分すぎるほどの解像度ではある。
腕の善し悪しは、ケータイのカメラの場合あまり関係しないしね。
彼岸花