工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

芽が出そう

山形でもソメイヨシノが開花したとニュースに来ていたが、今日の暑さは異常。
もう薪ストーブ片づけちゃおうかな、と思わされるほどのものだ。
当地ではこの冬、結氷したのはわずかに3日ぐらいしかなかった。
このまま春を迎えてしまうのだろうか?
自然が壊れてきている〜
ソファ画像はアングルも何もかも良くない状態のものだけど…。塗装中の家具なので…。
ソファの木部。
これは2人掛け。実はもう1台、3人掛けのものも制作し、これは既に張り屋へ。
近くの木工所のリタイアした親方が立ち寄り、興味深げに見てくれた。
「俺たちの若い頃は、張りも自分たちでやったものだ。バネを使った奴だぜ」
と、懐かしげに話をしてくれた。
現在ではスプリングもポケットコイルと言って、布にくるまれた状態のものを調達できるので、かなり簡便になっている。
しかしボクは自身ではしません。
餅は餅屋。良いプロの職人さんにしてもらう。
しかしソファの品質は木部3割り、張り7割り、というバランスだろうから、張り屋にも気合いを入れてやってもらわねばなりませんね。
また完成したら、良いアングルで誰かさんにも満足してもらえるような撮影をしてご覧いただこう。

国立新美術館・ポンピドー・センター所蔵作品展を観て

裏口、ロゴ
六本木のTV局に所用で出掛けたついでに、同地域に新たにオープンした「国立新美術館」に立ち寄った。
美術愛好家ならずとも、この地域が上野に次ぐ新たな美術館ゾーンになることは知られているところだろう。
既に4年前に開館した森美術館(六本木ヒルズ森タワー)、間もなく開館予定のサントリー美術館(東京ミッドタウン)、そしてこの国立新美術館と、都心の一角に3つの美術館が集中オープンする。
さて、オープン間もない美術館では企画展「異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900ー2005 ポンピドー・センター所蔵作品展」を開催中で、これを観覧した。
正面新しい美術館のオープン記念展であるので、当然その美術館の所蔵作品が展示されるのかと思うのは大きな勘違い。
オープン記念として企画されたのはパリのポンピドー・センター所蔵の作品を展示するものだ。
この美術館は構想当初「ナショナル・ギャラリー」と仮称されたのだったが、実は所蔵作品を一切持たない。貸しギャラリー、レンタルスペースというわけだ。
日展、二科会、国画会などの公募展展示場などとして機能する。
これまでは東京都美術館が大小様々な公募展を担っていたのだが、十分な展示スペースが確保できない、スケジュールが一杯、などという状況の打開策として構想されたのが、この新美術館という訳だ。
この新しい美術館への様々な評価は後述するとして、まず企画展の感想から。
20世紀の世界的芸術の中心地、パリに集った外国人芸術家たちの作品約200点を展示するもの。
世界に誇る近現代美術の殿堂、レンゾ・ピアノ設計で有名なポンピドゥー・センター収蔵のものからだ。
藤田嗣治:カフェにてレオナール・フジタ(藤田嗣治)をはじめ、ピカソ、シャガール、ミロ、マティス、モディリアーニ、キスリング、ブランクーシ、ジャコメッティ、マン・レイ等々。
様々にアイデンティティを模索してたどり着いたパリ。フジタのように故国から追われるように求めた安住の地、パリ。
異郷の地でエトランジェとしての葛藤をバネとした創作活動の成果だ。
これだけ20世紀を俯瞰する芸術作品が一堂に揃えば確かに壮観。
しかしこれだけでは美術教科書を復習うようなもの(無論、ホンモノとの邂逅はそれだけで至福ではあるだろうが)。
こうした美術史に名を残す著名な芸術家以外にも、現役で旺盛な制作活動をしている若いエトランゼたち(南米、アジア、アフリカなどの)の作品もいくつかあり、ポンピドゥー・センターの美術界における現在的意味を感じさせるものともなっている。
チケットを購入する時は、かなり混雑するとのおどしも受けたが、さほどでもなく、一つ一つの作品をじっくりと鑑賞できた。

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木工家具制作におけるサンディング (その3)

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サンディング無しの仕上げ
少しサンディングから脇道に逸れるが、仕上げ一般について別の角度から考えてみたい。
第1回目の項で、日本建築における仕上げ手法の特異性について語ったことをさらに少し膨らませてみる。
木工家具の製作にも様々な仕上げの考え方があることは既に少し述べてきたが、鉋の掛けっぱなし(サンディングをしない)、ということについて。
ある著名な木工家の仕上げには鉋を掛けっぱなし(サンディングは一切しない)、ということもあるようだ。というよりも、それをあえてテクスチャーとして尊ぶ、という考え方に基づいているようだ。
最初、展示会でそれらを見たときはその仕上げ方に驚くとともに新鮮な感覚を受けた。
いわゆる鉋枕(鉋掛けで生ずる際の浮き上がりを指す)であったり、鉋のビビリ[びりつき]などをあえて残して、それを味わいとしているのだった)
あるいは別の著名な木工家の家具では針葉樹を用いた仕上げに槍鉋を掛けて仕上げるという方法を取っていることは良く知られたところだ。
当然にもこれにはサンディングはされないのであろう。針葉樹という柔らかい材質という理由もあるが、せっかくの槍鉋の仕上げのテクスチャーが損なわれてしまう。
こうしたことは仕上げ方法における1つの見識として考えることができるだろう。
ただやはり先に述べたように逆目も何も残したままでの仕上げということであれば、必ずしも一般的なものというものではない。
余程鉋の切れ味を高め、優れた技能で臨まねば、その仕上げの品質は作家の意図から離れてキッチュなものに陥るリスクを抱えていると考えるべきだろう。
さらに言えば、こうした仕上げが安易かというと決してそのようなものではない。平滑に仕上げることは、ある程度の鉋掛けの技法と、それなりのサンディングシステムがあれば相当程度に仕上がる。
しかし一方、鉋仕上げフィニッシュでは、相応の美意識と、鉋、槍鉋の技能が求められる。
木工家具の様々な展示会、家具ショップ、あるいはWebサイトで見る家具の中には、板面の平滑性を求めず、如何にも無垢で、手作りでござい、というような仕上げ手法を訴えるものもめずらしく無いが、ボクの眼からすればちょっと違うんじゃないの、と思わされるものの方が多いかも知れない。
形を崩す、あるいは侘びさびを求める、という手法はかなり高度なものと知るべきだろう。
であれば凡庸なボクのような木工家はしっかりと鉋で平滑性を求め、良いサンディングをする方が真っ当な考え方だろうね。
切削における鉋とサンディングの違い
次に切削の工程において鉋を使うことと、サンディングで行うことの違いと特性についても見ておこうと思う。
ボクはどちらかと言えば、その限界と懐疑が問われつつあるとはいえ、近代合理主義の考え方に近いからなのかも知れないが、目的とする結果が同じであれば、より合理的な手法を取るべきと考えたい。
ここで言えば、例えば目的とする寸法にまで平滑に、あるいは目的とする形状へと、切っていく、あるいは削っていく、そのプロセスは基本的にはどのような手法を取ろうとも構わないとさえ考えている。
したがって例えば一定の寸法まで平滑に削るためには、鉋であれ、サンダーであれ構わない。
いわゆる量産工場では手鉋など無用であるばかりか、かえってそのような手業は忌避されるものと位置づけられるだろう。
(鉋を扱うことのできる職人がいないという理由もあるだろうが、それ以上に手鉋を使わなくて済むような設計と仕上げのシステムが整えられているためだ)
大きな工場では大体どこでもワイドベルトサンダーが設備されているだろうから、無垢の板であっても、これで削れば良い。
要するにサンダーと、鉋とどちらが切削能力があるのか、同時にまたどちらが切削精度が高いのか、という基準から考えて、選択すれば良いだろう。
個人の工房ではワイドベルトサンダーなど設備されているところはまず無いと見て良いだろう。
あるのはせいぜい3点ベルトサンダー、あるいはポータブルサンダーだね。
確かにそれらでもある程度は削ることが可能だろう。
しかし残念だが、ワイドベルトサンダーのように厚み規制が効かないので、正しい意味での平滑性を保証することは、ほぼ無理と考えるべきだろう。
(無理を承知でこうしたサンダーで削っている木工所も沢山あることは知っているが、ここではそうした低品質な木工を対象とはしていない)
一方手鉋であれ、下手なポータブルサンダーよりもはるかに切削性能は高いものだ。何も手鉋を使うことに職人的倫理観を求めたり、職人的ストイックを求めずとも、実際の切削能力において、サンダーよりも切削能力が高い、というところに選択の要を求めることが出来るものなのだ。(このあたりのことは意外と誤解されているかも知れない)
しかも、平滑性という重要な切削工程における必須要件を満たすためには、(ワイドベルトサンダーという利器を除けば)圧倒的と言っても良いほどに手鉋の方が優れていると断言しておこう。
以上平明に述べたつもりであるが、切削工程での道具、機械の選択において、合理的手法という考え方からしても鉋の選択ということが非合理的で頭でっかちな考え方ではないことにお気付きいただけただろう。
さらにもう1つ付け加えれば、切削肌ということからすれば、これまた同様に鉋で切削した方が良質な板面を求めることができると言うことは言うまでもないことである。
したがってワイドベルトサンダーの圧倒的な切削能力の前にあっても、この切削肌、という1点において鉋は優位に立つと言って良いものなのだ。
(ここでは切削能力を考えてきたが、ひとまずは生産性という要素はあまり重視してこなかった。確かに手鉋は疲れるし、鉋は研がなければ切れない。研げば鉋はチビる。
一定の切削能力を鉋に与えるためには、相応の修行も必要となる。
こうした生産性における彼我の差異は、別途考慮すべき問題ではあることは言うまでもない)

材木の高騰にどのように対処すれば?

ウォールナットの人乾材(米国、あるいは中国での現地製材・人工乾燥材)5/4″材の在庫が少なくなってきたので、近隣の業者から仕入れたが、またまた価格が高騰していた。
ここ数年来、値上がりが続いている。
背に腹は替えられないので、泣く泣く大枚はたくことにしたのだが、これは決して一過性の上昇というものではなく、しばらくは(数年から数10年単位での話)この傾向が続き、いずれ安定するにしても、そのうち値崩れしてくる、というようなものでは無いような気がする。
我々としては、今後の業務継続にあたってはかなりの覚悟というものを迫られてくる事態として捉えていかねばならないものかもしれないね。
米国産のブラックウォールナットの海外供出は、その7割ほどが欧州、残りが中東、アジア向け。
このところ中東においてもウォールナットの人気が高いようだ。
無論、アジアは中国の加熱気味の沿岸部経済の活況を背景に、かなりのボリュームでウォールナットが使われているし、韓国においても同様だろう。
日本での需要も経済回復の勢いを受けて伸びているようで、こうした様々な事情が価格の高騰を招いていて、数年前の感覚ではとても入手できなくなってきている。
また、このウォールナットのような米国材に限らず、楢、たも、樺などの道材、内地材も高値安定。
なお、問題は価格だけではない。
道材とは言っても、もはや正しい意味での道材は入手が難しい。そのほとんどはロシア材、あるいは中国材になっているだろう。
北海道に陸揚げされ、本州以西へと搬送されれば道材だ、などとはくれぐれも考えないように。
正しい意味での道材の楢などは道内での流通量の1〜2割ぐらいしかないのではないか。
つまり我々が10年ほど前までは普通に入手できた道材などはもはや入手できなくなりつつあると言わねばならない状況なのだ。
ボクは昔は毎年(全国規模での材木市)、あるいは毎月(地元の材木市)のように材木市で競り落とし、道材の中でもかなりの良材を在庫していたが、それもかなり使ってきたのでさほどの余力があるわけではない。
後は北海道の業者から購入しているものの、ほとんどはロシア材だろう。
あのわずかにピンクがかった素性の良い道産の楢はこれからは大切に、大切に使っていかねばならない稀少なものとなってしまったようだ。
ボクなどは在庫を使っていくだけで生涯での使用量は概ね賄えるだろうからさほど心配するほどではないが、若い木工家にとってはこうした困難な時代を迎え、材料問題はより深刻なものとなるだろう。
さて、今回購入したウォールナットだが、人乾材ではあるものの、米国に本社を置くN社のものと較べ比較的色の劣化の度合いは低いようだし、幅もかなり広め(20〜40cm)の中径木が多く、高価格ではあったものの決して悪い買い物ではなかった。
それを考えれば、1立方余りを片付けた肩の疲れも吹き飛び、旨い晩酌になった。
出羽桜というわけで、酒の銘柄の薦め(何のこっちゃ、結局そこへ行くの?)。
〈出羽 燦々 誕生記念(本生)純米吟醸〉
前回紹介した酒と同じブランド。
ただ「無濾過原酒」ではなく「本生」というもの。
基本的には米、水、酵母などは同一なるも、濾過工程の違い、絞る季節の違い、などの差異が微妙に味わいに変化をもたらしている。
やはり個人的な嗜好で言うならば、「無濾過原酒」の方を選びたい。より酒そのものの旨さ、キレがあるように思えた。
しかしこれは今年の新酒を待たねばならない。
それまでしばらくはこの出羽桜の様々な銘柄を楽しんでみようと思う。
ありがたいことに買い求めた店ではファンが多いようで多くの品揃えをしている。
材木のように原材料が枯渇するようなことは無いだろうから、安心してじっくり楽しんでいこう。
ぐい飲みは小川幸彦 作、灰釉焼き締め

東光寺の白梅

白梅
所用で出掛けた帰路、少し足を伸ばして島田市の郊外にある東光寺・日吉神社を参拝。
東光寺鬱蒼とした木立に囲まれた山間地のどんづまりに突如として現れる山寺だ。
三脚を所持していかなかったので、手持ちでの撮影だったが、寺社特有の佇まいを納めることが出来た。
ここは「猿舞」という民俗芸能が今も伝えられている古刹。
毎年4月14日には境内に設えられた舞台で雄雌の猿の仮面を付けた子供が、楽人の笛と太鼓に合わせて舞う。
白梅もほぼ満開で、目を楽しませてくれた。

木工家具制作におけるサンディング (その2)

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第2回目の記述に先立って、何故このような一見ありふれた作業工程について記述する気になったのかについて冒頭触れておきたい。
その意図を共有していただければ、この論考もより強い関心を持ってもらえると思う。
まず1つには、木工家具制作におけるスタイルに関わることなのだが、いわゆる“手作り”木工と称する木工のスタイルにおいては、仕上げ加工の手法についてのこだわりが少なからぬ要素を占めていると思われるが、“手作り”木工における仕上げ加工の手法とは言っても実に様々なプロセスがあるというのが実態であり、ここで一度、仕上げ加工工程のサンディングというものについて(鉋での仕上げとの対比において)整理しておきたい、という動機があった。
2つには、未熟な職人に傾向的に見られることとして、「サンディングぐらいだったら上手くできます」と言われるものの、実はそのほとんどがサンディングというものがどのようなものであるかを正しく理解しないままルーティンワークとしてやっているという実態を見るに付け、サンディングという工程の重要性と、高度な技能であることを語っておきたいという動機があった。
3つには、サンディング作業に使われるいくつかの機械への故無き誤解というものが厳然としてあることを正しておきたい、という動機があった。
“手作り”という呪縛からのことなのであろうか、
手作業でのサンディング > ポータブルサンダー > ベルトサンダー(マシーン)
と、並べた場合、左の方が品質は高いだろう、という根拠薄弱な誤解があることについて指摘しておきたい。
先に結論を言えば、一般に多くの場合(いくつかの例外はあるものの)その優劣は逆なのだ。これは別項で詳しく記述しようと思う。
さて1、3、については項をあらためて考えるとして、まず2番目の問題から述べておきたいと思う。
「サンディングぐらい」という粗末な扱われ方
良く新参者が「サンディングぐらい出来ますのでやらせてください」などと軽いノリで請け負おうとすることがあるが、この「サンディングぐらい‥‥」というのがくせ者。
任せた結果、とんでもない結果が待ち受けている。
サンディングの目的とするところは材面の研削ととともに材面の均質化というものも同じく要求されるのであるが、未熟な職人に任せた場合こうした要請にはほど遠いばかりか、時には、あるいは多くの場合、材面の形状を変質、阻害させてしまうという結果をもたらしてしまうから話しはやや複雑になってくる。
未熟な職人には材面の木理を判別する眼というものが無いからであろう。一通りサンディングされているからそれで良いだろう、という程度に留まっていることによる。
一見きちんとサンディングされているように見受けられても、実は目的とする材面の均質化が図られていないことが多い。
これは薄暗い工房の中では分かりづらいレベルのものになるので、見落としがちということもあろう。
これはは木という有機素材ならではの固有の特性が影響していると考えて良いだろう。
つまり材面というものは複雑極まる細胞の配置によって構成されている。
また木という有機物を構成している繊維細胞というものは、1つとして同じ配置ではあり得ない。
繊維の向きも違えば、配列の密度も違う。とりわけ日本の広葉樹は四季の多様な変化に彩られ、年輪というものを明瞭に醸しだすものであるが、この年輪こそ複雑極まる細胞配列の多様さを規定づけている。
したがってこうした複雑な材面を均質にサンディングするにはその材面の木理をしっかりと読み取る眼を養わねばできるものではない。
同時にこうした木理を的確に判断し、これを均質に研削するためには一定の熟練と、研削技能が要求されてくることは理解していただけるだろう。
さてどのようにしてこの均質さを識別するかと言えば、塗装すれば明瞭に浮かび上がり、判別が容易になる。
適切にサンディングされている部位の塗面は、本来の木理が明瞭に浮かび出て、美しい。対し不十分なサンディングの部位では、浅黒く木理は沈んだものとなる。
でもこれでは工程というものは非可逆なものだから、答えにはならないね。
ではどうするか。意外と簡単なことだ。誰しも経験のあるところだと思うが、明るいところで板面をよく見れば識別できるし、なお太陽光に角度を微妙に変えながらかざしてみればさらに良く分かる。
しっかりとサンディングされていれば、板面は曇りというものがなく、木目が明瞭に浮き出ているはずだ。対し、不十分なサンディングでは木目が不明瞭で毛羽立っていたり、ぼやけていたりする(その多くの場合、逆目のところにこうしたぼやけが生じやすい)。
別項で詳しく述べたいが、手作業でのサンディングでは、この明瞭な木目を引きだすのはかなり困難であり、逆にあまりむやみやたらサンディングすることで、平滑性を奪ってしまう、という落とし穴に落ち込む怖れは多い。
サンディングとはあくまでも適切なサンドペーパー番手の選択、適切なサンディングシステム(機械、工具の選択)、適切な加圧、およびスピードで、平滑性を維持させつつ、均質化を図り、木目を明瞭に引きだす、という工程であることを知っておきたい。

木工家具制作におけるサンディング

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サンディング作業というものについて少し考えてみたい。
少しまとまった記述になるので、数回に分けてエントリしようと思う。
ただ原稿はエントリしながらぼちぼちと…、ということだし、資料画像もまだ十分に整えられていない現状なので、インターバルを置きながら、ということになる。
はじめに
サンディング作業にもその目的とするところから大きく分類して2つの種類がある。
1つは一般に素地調整と言われる塗装工程のプレ段階としての工程を指す。
もう1つは素地調整前にあってこのサンディングという手法によって加工のある部分を委ねることがある。つまり成形作業の工程をサンディングによってやってしまおうという工程を指す。
ここでは主に素地調整としてのサンディングを重点的に記述するが、必要に応じて成形作業についても触れていきたいと思う。
さて何故素地調整としてサンディングという作業工程が必要かと言えば、塗装に至る前段階に必須のものだからだ。
塗装を必要としないものであればサンディングなど不要だろう。それが例え未熟な水準のものであったとしても(よほどひどいのは除くとして)手鉋で仕上げた素地の状態のほうがよほど質感に優れたものになる。
これは建築における杉、檜などの柱の仕上げを考えていただければ理解できる。日本建築の粋の1つでもある柱の艶というものは建築職人により見事に仕上げられた手鉋による削りならではのものがあるだろう。
これはサンディング仕上げなどの方法では出せるテクスチャーでは無く鉋という切削道具ならではのものだ。
このように日本という文化圏、建築を含む木工への伝統的な手法には特殊日本的な価値概念というものに規定されるものがあることは確認しておきたい。
これは木工、あるいは建築に供される木材というものへの特異な感性からの思い入れ、評価というものに裏付けられていると考えられる。
伊勢神宮の式年遷宮では20年ごとに社殿と鳥居、その他を建て替えるというものだが、ここに象徴されるように白木の建築へ託す独特の思い入れは、伊勢神宮に留まることなく広く一般に共有されているものと言えよう。
ここには数寄屋建築、寺社建築の伝統というものに支えられ、連綿として今に続いてきた技術的背景を条件としてきたことを見ることが出来るだろうし、またそうした技術を尊ぶ精神というものが建築、木工の仕上げの在り方への評価基準として歴史的に形成されて来たとも言えるだろう。
やはり鉋から始まり、鉋に終わる、という木工文化における日本固有の技術的アプローチは、如何に近代を迎えてからの技術改革の波に洗われても、簡単に廃るものではない。
そうした確固とした木工の伝統的な技術体系の中軸にある鉋掛けでの仕上げというものは、これからもなお大切にされねばならない手法であることは言うまでもない。
さてしかし一方、塗装をするとなればその塗装システムの内容にもよるが、何らかの素地調整というものが必要になってくる。
確かに手鉋で仕上げられた材面の質感には上述したように魅力的なものがあるが、しかし残念ながら塗装工程で要求される均質な材面を手鉋で確保することは、例え熟練した職人の技であっても至難なものになる。
言い方を変えれば、手鉋で仕上げた切削肌とサンディングされた切削肌は全く異質なものであり、塗装を施すために要求される切削肌は手鉋によるそれではない、ということになる。
この物言いはやや誤解を呼ぶ怖れがあるかも知れないが、これは仕上げ品質の優劣を問うものではなく、全く目的とするところが異なるがための評価だということを理解していただきたい。
手鉋で完璧に仕上げられた切削肌はとても美しく、それだけでほどほどの耐水性もあり、耐候性も高いものがあるだろう。
したがって建築資材に用いられる部位にはそうした仕上げ肌のものが求められるだろう。
指蝕でもサンディングの切削肌と較べようがないほどに気持ちが良いものだ。
細胞レベルで考えれば、鉋による仕上げ肌というものは繊維がシャープにカットされ、したがって木質そのものが本来有する堅固な肌が明瞭に現れ、それなりの防護壁となって耐水性、耐候性が保たれる、ということになるが、一方サンディングという手法では、板面をザラザラに荒らしてしまう(番手の差異はともかくも)ことで、本来の木質が有する特質を引きだすことなく、逆に阻害してしまうことで、汚く不快なテクスチャーとなってしまう。
しかし塗装を施すには、むしろこうした肌の方が適切なのだ。やはり素地調整という工程が求められることになる。
少し煩雑な説明になってしまうのではしょるが、簡単に言えば均質に塗料が付着する肌が必要となってくるからだ。
如何に高水準の熟練度で手鉋を駆使したとしても、複雑多岐にわたる広葉樹の繊維の流れを、完璧に“均質に”仕上げることは至難。
そこで、この手鉋の世界では求めることが無理な木肌をサンディングによって補う、という工程が必須となってくると理解していただければ良いだろうか。
これまでの説明では十分に理解していただけないかも知れないが、この後、各項目での解説を進める中でこれまで述べた概説は諒としていただけるはずである。
今回のところでは、大凡のところで了解していただければ良いだろう。
なお、冒頭記したように、まだこの後の原稿を用意している訳ではないので、どのように進めていくかは未定だが、大凡以下のような内容で考えている。

1、サンディング作業の大きな誤解
2、適切なサンディングの仕上げ方とは
3、サンディング関連機械
4、サンディングの電動工具
5、手業でのサンディング工程

なおこの論考は必ずしも木工全般にわたるサンディングについて記述するものではなく、あくまでもボクが20年ほどの木工家具制作において実践的に獲得してきたスキルを基準とするものだ。しかしこれは決して狭隘な範囲でしか通用しないというものではなく、広く一般に了解できるものとして読んでいただけるものと考えている。
なお当然にもBlogというツールでの記述なので、コメント、TBなどでのアクセスは記述内容にも深みが出るだろうし、また励みにもなるので大いに望みたい。 

Top画像は工房近況:サンディングを終えた家具の部品

Hans j. Wegner 訃報 (92歳)

ハンス・ウェグナー氏、92歳での死去。
1月26日にコペンハーゲンの自宅で亡くなったようです。
葬儀後娘さんから発表されたようですが、死因等についてのコメントは無かったようです。
International Herald Trubune」紙に死亡記事が来ています。
高齢の中、最近までメディア対応もしていたようですが、巨星墜つ ! という感ですね。
心からご冥福をお祈りします。

進化していたMAG-LITE

MAGLITE1
今日は旧暦で12月15日。つまり十五夜の満月。
月明かりの下で甘い囁きを、と願いたいところだが、この寒さではちょっとね。
明るすぎるのもちょっとね。
でも明るさが求められる時はたくさんある。
前回のLED記事へのコメントにもあったように交通信号機に導入されとても視認性が高くなっているのはご存じの通り。
あるいは新型の車のテールライトにも導入されつつあるようだね。
当然夜道にも明るい懐中電灯は必須のアイテム。
もちろん、電化製品 IT製品には欠かせなくなっているのは言うまでもない。
Macでもスリープ状態にすると、1.5mmφほどの小さな穴から高輝度の白色LEDがゆっくりと瞬きをする。
さて、今日は懐中電灯のLED。
工房の機械のメンテナンスの際の内部へのアクセスでは場内照明では足りず、懐中電灯が必要になることは多い。
普段はminiMAGライト AAタイプ(単3電池)電池2本のものを使用していた。
恐らく20年ほどにも長きにわたって使用してきているがとても耐久性が高く、確か1度玉を交換しただけ。しかもご存じのようにこの玉は購入時にテール部分に内蔵されていたもの。
MAGライトはその性能、耐久性、使い勝手への信頼は類種を圧倒していて愛用し続けてきたものだった。
さて一方、銀行、郵便局などへの近隣の移動には自転車を使うことを基本にしているが、最近この自転車のライトが破損してしまっていた。そぅ、コケてしまって破損しちゃった。
そこであらたに自転車店や、ホームセンターなどでライトの機種選びをしていたが、LEDを用いたなかなか本格的で照度の高いものもあり、その中からいくつかに絞り込み、あらためて最終確認のためにネット上で検索していたら、USA MAGライトもLEDのものが発売されていることに気づいた。田舎の店舗では見掛けることはなかったので、MAGライトのLED対応への踏み切りには気づかなかった。
こんなエントリー、旧聞に属する話題なのかもしれず、その場合は遅れた老人のたわごととして読み飛ばしてもらおう。

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角ノミのスポットライト更新

LED1うちの工場は冬時はやっぱり暗い。たいして大きな工場ではないが、高い位置に水銀灯があり、各機械配置の上部やや比較的低い位置に蛍光灯がある。
通常の加工作業はこれでまず十分だろう。
因みにボクの同年代のほとんどが老眼鏡を使用しているようだが、ボクはまだまだ裸眼で0.1mm程度の判別は付く。長年の工場作業で視力の劣化がさほど進んだというものでもないようだ。
でもさすがにこの程度の照明設備では「角ノミ」の手元での微妙なスミ位置判断は難しいもの。
そこで当初より、スポット照明をしていたが、なかなか芳しくなかった。(これまでの照明「角のみ盤への照明器具取り付け」
恐らくほとんどの工場でもそうだと思うが、角ノミ本体にフレキシブルアームに付けた白色灯で照らしていた。
しかしなかなかノミの穿孔位置に的確にスポットを当てるというのは容易ではないのだった。
・大きな光源が邪魔・影が出来る・白色灯はフィラメントなので振動に弱い etc。
そこで遅れ馳せながらLED照明を用いることにした。
なかなか快適だ。
・とても小さな光源なので視野が遮られることが全くない。
・フィラメントではないので振動に強い。
・求めたのは3つのLEDが直線方向に並んだものなので、影が出来にくい。
・角ノミの錐のブラケット底部に取り付けたので穿孔位置直下にスポットさせることが可能
・DC4.5V電源、AA3本(単3乾電池3本)なので、外部に電源コードを引っ張る必要がない。
などなど良いことづくしだ。
LED1さて、今後の課題だが、このLED、照度があまり高くないので、同じものをもう1つ反対側に取り付けようかな。明るさ倍増、影がさらに無くなり全方向からのスポットになるだろう。
あるいは、さらにもう少し照度の高いものを探そうかな。
ともかくも加工設備全般に、このLED照明器具の取り付けは効果が高いものと思われるので、積極的に取り入れていきたいものだね。
他に考えられる取り付けた方が良いと思われる機械、工具としては…、
【木工機械】・帯ノコ盤・ボール盤・ルーターマシン など
【電動工具】・ハンドルーター・トリマー など
既に電動工具では、マキタあたりが充電インパクトドライバ、トリマーの一部機種への高輝度LED照明搭載が進んでいる。今後はこうした設計思想が一般的になっていくと思って良いだろう。
それまでは他の機種へのLED対応はカスタマライズで試みてみようと思う。
電動工具へはAC電源のものをメインSW連動で駆動する。機械へは逆に乾電池対応のものを取り付ける。
電動工具メインSW連動工作は配線図が必要だろうし、少しばかり電気に関する知識も必要とされるが、克服できないものでもないだろう。
なお、今回紹介のものだが製造元は現段階では伏せておきたい。
その理由は照度がやや不足していることと、耐久性において検証されていない、といったところからまだお奨めできるレベルのものではない事による。
そうした条件でなお求めたいということであれば、メールでもいただければ情報提供しよう。
でも恐らくは多くの木工職人が既にこうしたLED照明を取り入れていると考えられるので、良い情報があったらご教示いただきたいと思う。(知らないのはオマエだけ、とお叱りを受けるようなエントリーだったかな?)
したがって今日のところではこうした照明もあるよ、気になったら自身で探してください、ということでおゆるしいただきたい。
次回はもっと明示的なことを記述しようと思う(苦笑)。