工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

まだまだへたばるわけにはいかない(倉庫移設大作戦)

倉庫1
最近あることで高校のクラスメイトとの電話でのやりとりが数回続き、仕事をリタイアしたのだとか、オレはもう悠々自適にやっているとか聞かされると、なるほど、われらの年齢からすれば、そうした人生の転機、ライフサイクルの新たな局面を迎える時期であるというのが一般的な了解なのか、と思い知らされるものだった。
一方我が身を振り返れば、15坪のプレハブ材木倉庫に身動きも取れないほどの在庫と、外には乾燥を待つ天然乾燥中の山が7つ、8つ。
これを見ればオレはまだまだとてもリタイアするわけにはいかないじゃないか、とひとりごちたものだった。
ここ数日材料倉庫の移設作業に翻弄され、材木との格闘を強いられる過程で、失念してしまったものも含め在庫材木の品質、ストック量をあらためて再確認させられてのことである。

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雑誌『もくたろ』創刊

mokutaro1つの雑誌がこの12日に創刊された。
『もくたろ』というちょっとユニークな誌名を持つものだが、ここで少し紹介しておこう。
『もくたろ』という誌名には「つくる家、直す家」とサブタイトルされているように、これから住宅を新築しようという人、あるいは改築しようという人に向けた雑誌だ。
さらにその出版企画意図は、この創刊号の特集に明確に表れている。
その特集は「板倉の住まい」。
4寸角という太い柱に1寸の板材を落とし込んでいくという素朴で堅牢な構法、いわば木造建築の原点のような構法を「板倉」と称することは周知の通りだが、これを実際の建築現場に取材し、日本に於ける建築の在り方を共に考え、広く提示していこうという、メッセージ性のある熱い雑誌だ。
建築業界に関しては語るほどの知見があるわけでもないが、素人でも分かる指標として日本の住宅建築の耐久性についてのデータがある。
何とこれが30年と言われているのだが、人生最大の買い物と言われる対象にしては、あまりの品質の低さに驚くばかりだ。
確かに湿潤なモンスーン気候の環境下で堅牢性を維持するのは容易いことではないのは分かるのだが、恐らくはその問題点の前に、ある時点を転機として住宅建築の基本のところで間違ってきてしまったということも無視するわけにはいかない。
戦後から徐々に始まった米国からの建築工法の導入と、それとともに入ってきた工業素材の如くの木材資源の問題のことである。

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一気呵成に確定申告を(Macダウン顛末、オワリ)

修理報告書
Macが帰還した。
安寧の日々が戻ってきた、という感じだね。
2月末にクラッシュしたPowerMac G5。
4日にピック&デリバリーでAppleの修理センターに旅立った愛機だったが、思いの外手こずったようだ。
画像は「修理報告書」の主要な部分。
このPowerMacはIBMチップの DualというタイプのCPUなのだが、これが2つとも逝かれてしまっていたらしい。
実は修理に出した翌日には「修理完了」などという案内もあったのだが、これが何とガセネタ。
この時は1個のプロセッサーを交換しただけで、修理後の動作確認をしていたところもう一方のプロセッサーもダメだったとのこと。
この部品が国内には無く、海外からの取り寄せとなったことで時間が掛かったようだ。
この間サブの13インチのノートで凌いできたのだが、最近のMacも解像度が高く、その分文字がとても小さく表示されるために、眼が疲れる。
無論眼の老化を否定するつもりはないが、普段使っている20インチのApple Cinema Displayは、高精細で長時間の作業も眼が疲れるということが無かったので、その違いに戸惑ったのは事実。
あるいは、ノートにはテンキーが無く、この時期に必須の作業となる確定申告の作成には不都合でもあった。
12時頃にヤマトの宅配便で届けられたのだが、仕事の予定を変更し帰ってきたMacのセットアップを優先させ、データの破損が無いことを確認した後に一気呵成に確定申告の作成を進め、今し方プリントアウトし終えた。
コンテナ右の画像はヤマト便で届けられたPowerMac専用のコンテナ。
Apple社とヤマトとの共同開発?
担当ドライバーは初めてのことであったようで開梱に戸惑っていた。
このコンテナは二重三重の緩衝材に加えて、エアー充填でくるむなど、完璧な梱包となっているのには驚かされた。
さてところで、このCPUのトラブルだが、13年間にわたるMacユーザーとしてもはじめてのこと。
カスタマーセンターに原因などを尋ねたところ、使用による劣化であり、決してめずらしいトラブルでは無いとのことであったが、ほんまかいな。
そうであれば受忍するしかないのかも知れないが、コンピューターの心臓部を交換したからには、せめてこの後、これまでの使用期間と同等の5年間以上は持ってくれないとね(マザーボードの他の部位の劣化も無視できないから、そんなわけにはいかないか ? )。
やれやれだ。

Macのお勉強(Macダウン顛末、その2)

ターゲットディスクモード今、デスク周りはMac3台と、外付けHDD、それらを繋ぐ電源コード、Firwire、USBなどのケーブル類で占拠されてしまっている。
延べ35時間ほどこの状態を維持しなけりゃならん。
さて、一昨日のMacダウンは、かなり重篤な障害だった。
結論的に言えば、やはりマシーン、ハードウェアの損傷であるとの診断が下された。
つまりシステムなどを含むデータが納まったHDDのトラブルというのではなく、ロジックボードなどハード部分の損傷である疑いが濃厚ということ。
Appleテクニカルサポートとのやり取りで行った自力での修復作業はいずれも功を奏しなかった。
PRAMリセット、SMUリセットなどを講ずるも結局は起動せず。
Shiftキーでのセーフモードでも、CキーでのCD起動も、Optionモードでの起動もダメ、ダメ、ダメ。
しかし実は途中1度だけCD起動でアーカイブでの新規インストールに成功したのだけどね。
今思えばぬか喜びであったのだが、アップルマークの下にギヤが現れ、回転し始めた時は地獄での天使からの微笑みのようで感涙させられるほどのものだった。
その後アーカイブでの新規インストールに成功。
当然、このままではOSバージョンが異なるので、ネット接続し最新のOSバージョンをダウンロード。
そして、再起動 !
果たして…、
これが何と、再起動できず。またもや、である。
元の木阿弥という奴だ。

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“一月往ぬ、2月逃げる、3月去る、Macダウン”

“一月往ぬ、2月逃げる、3月去る”などと教師から脅されたのは、あれは中学に上がろうという年のこの時期のことだったろうか。
今日28日の日めくりを破くと月が改められる。
こんな忙しい日々だというのに、何とあろうことかメインのMacがダウン。
昨日の朝、いつものようにPowerMacG5を起動しようと電源ボタンを入れた。
暫くすればログインの画面に切り替わり、これにパスワードをタイプすればデスクトップが現れるはず。
数分のインターバルが必要なので、その間歯磨きなど朝の所定の身繕いなどを済ますのだが、大変、大変 !、ファンが暴走中 ! とあわてふためき妻が伝えにくる。
ありゃ、モニターを見れば林檎マークまで起動が進んでいることが確認できるものの、次のログインへのステップへと進行する様子はなく、ファンの音だけが真夏の酷使状況のよう。
原因究明はともかくも暴走を止めるために、強制終了する。
あらためて電源を入れるも、状況は変わらず。
次に試みるのは、Mac本体から繋がっている周辺機器のケーブル類を全て外し、PRAMクリア。
command、option、P,R、この4つのキーを電源投入と同時に押し、2度目の起動音まで押し続ける。
たいして大きくもない左手の手で中指だけを除き4本の指を大きく拡げ、キーを押さえるのは大変だが、これも慣れだね。
いやこんなもの慣れたくなどないわい。
しかし結果は期待するものではなかった。全く状況は改善せず。
残る手段はシステムインストールディスクでの起動と、再インストールか。
何でもやるけれど、データの逸失だけは御免被りたい。
このマシーンを設置してからというもの、ノントラブルでの快適環境が継続してきていたので、この突然に見舞われた事態はとても衝撃的。
Back upはまずまずできているとは言うものの、何とか軽微な修復作業で復帰させたい。
こんな状態でもあるので、ちょっと暫くはこのBlogエントリもインターバルが空くようになってしまうだろう。
とりあえずはサブのマシンがあり、Blogコメント、あるいはメール取得は可能なので遠慮無く。
実は、よりによってこんな時期に、という個人的事情が重なってのものでもあるのだが、これについてはまた触れることもあるだろう。

第81回アカデミー賞から

第81回アカデミー賞、決まったが、その結果は下馬評とはちょっと違ったようだね。
最多13部門にノミネートされていた「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」は、完敗だった。
主要部門はみな持って行かれ、ジミ〜な美術賞、メイクアップ賞、視覚効果賞、の3冠。
「スラムドッグ$ミリオネア」が、主要部門を含む最多8部門に輝いた。
・作品賞・監督賞(ダニー・ボイル)・脚色賞・撮影賞・録音賞・編集賞・作曲賞・歌曲賞
主演男優賞は、同性愛者をカミングアウトし、米国史上初めての政治家に扮したショーン・ペン(ミルク)。
主演女優賞はケイト・ウィンスレット(愛を読むひと)
日本のメディアを興奮させたのは、「おくりびと」(滝田洋二郎監督)の外国語映画賞、そして「つみきのいえ」(加藤久仁生監督)が短篇アニメ賞を獲得。
すばらしいですな。
因みに、この外国語映画賞というのは、比較的新しく設けられた部門で、それまでは「特別名誉賞」というものがあり、これには過去、「羅生門」(黒沢明監督)、「地獄門」(衣笠貞之助監督)、「宮本武蔵」(稲垣浩監督)が受賞している。したがって「初受賞」というのは間違いではないけれど、こうしたことを触れた上で表明すべきだろうね。
メディアの報道にあっては、このような場合、先人に対する敬意を損なうような解釈は注意しないとね。
さて「スラムドッグ$ミリオネア」だが、これはボクにとっては必見の映画になりそう。
第66回ゴールデン・グローブ賞4冠、英国アカデミー11部門ノミネート、映画俳優組合賞(再最高賞)、全米監督組合賞、などなど、アカデミー受賞前にいくつもの栄誉に輝いている。

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木工という営みを支えるもの(クレノフの教え)

思えば『A Cabinetmaker’s Notebook』 という書物に出会ったのは1986年の春だった。
自身で求めたものではなく、その4月から世話になりはじめたばかりの松本の職業訓練校の教官から貸し与えられたものである。
その経緯は今ではもう思い出せないが、既に刊行されていた4冊をまるごと渡されたことだけは今でも覚えている。
ボクは必ずしもこの教官にとって良い生徒ではなかったはずだが、生年も近かったこととか、全くの素人として門を叩いたわけではなく、数年前から木工に触れていたことでのコミュニケーションの取りやすさといった、他愛ない関係からのものであったに違いないが、しかしその時はその後のボクの木工人生に深い影を投げかけるほどの書であることに、さほどの自覚を持って受け取ったわけではなかったと思う。
ただしかし、その本から受ける示唆、インスピレーションというものは、英語を解せない者であっても、重要な文献であることを感じ取り、その教官の許しを受けないまま、主要部分を複製させていただくことにし、それを遠くにいる妻に翻訳してもらうというやや無謀な企みを図ったものだった。
krenov_school1そして、それから2年後、何とこの著者がその手で木に小刀を入れ、またキャビネットメイキングの何たるかを語る場に席を置くことができるチャンスを得たのは、工房を構えたばかりの頃のことだった。
高山の飛騨国際工芸学園の開校初年度の記念イベントとして、この著者J・クレノフ氏が招聘されたのだった。

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『A Cabinetmaker's notebook』の翻訳、刊行される

木の家具昨日1冊の本が届けられた。『木の家具 制作おぼえがき』というものである。
夕刻からは近隣の街での酒席が控えていたので、ぱらぱらと目を通しただけであったが、今日から少し読み始めることにした。
240頁ほどのものなので、その気になりさえすればこの週末にも読了できるほどの分量だが、なかなかそうはいかないだろうと考えている。
この本は翻訳書であるがその原著にあたる本は20数年前に手にとり、その後も折に触れては開くような大切な本でもあったので、あらためてこれと向き合うというのも今さらな話しではあるのだが‥‥、
読解に難渋するだろうという予測にはいくつかの理由がある。
原著は英語で書かれたもので、家人の手を借りて主要部分を翻訳しながらの読書だったが、恐らくは翻訳の稚拙さによりそのほとんどを正しく解釈していなかっただろうと思われるので、その意味では20数年来頭に巣くっていたもやが晴れ、難渋さの多くの部分からは解放されるといううれしさがある。
しかしそれは同時に、これまで曖昧にしてきた本書の詳細が明らかになることを意味するものであり、その事柄の多くは木工家という自身の仕事と深く関わるものであれば、より深いところで対峙させられてしまうことは自明であり、それが難渋な解読を強いられるということになる。
自身の普段の家具制作というものと、この著書に著される世界との隔たりを思い知らされることにもなるだろうし、その彼我の差異に打ちのめされることも多いかも知れない。
これまでそれなりに理解してきた積もりでいる著者への知見の間違いに気付かされることも多いことだろう。
でもしかしそれは正さねばならない事柄だし、その勇気は持ちたいと思う。
当然にも、この勇気とは、自身の木工家具制作における志しと資質というものを強く問うものであり、単なる知見を深めるためのものに留まらないという覚悟を求められるという意味においてである。
ただそうした戸惑いにも近い思いとは裏腹に、この書の魅惑から逃れることなどできはしないだろう。
何故ならば木という素材を対象として、家具を制作するという、ありふれた行いというものに、明確な動機付けと、ビジョン、必然性、あるいはそこに求められる姿勢というものを示唆してくれることになるだろうことは明らかで、とてもわくわくさせられるほどの喜びが待っていると思えるからだ。
ところでこんな危うい木工家に依らずしても、この新刊本を紹介するにふさわしい人物は他にたくさんいることを知っているが、amazonから辿ることも適わない書物だし、残念ながらネットを検索しても非常に少ない数のページしかヒットしない状態にあるので、あえて発刊の知らせだけでもネット上に置きたいと考えた。
その数少ないサイトの1つは、「工房 悠」サイトからもリンクしている小山亨さんのサイトである。
実は本件は他でもなく彼からの1本のメールで知った。感謝したい。
小山さんは翻訳者とともに、この著者の薫陶を受けた同窓である。
原著は『A Cabinetmaker’s notebook』。James Krenov著。

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iWoodという“工芸品”(補記)

iWood3しつこくも第2弾。

とはいっても、昨日の記事の追記を少し詳述させていただくだけだが、しかしここにMiniot社の、iWood品質への強いこだわりを見ることができる。

電源スイッチ、およびボリュームコントロール・シーソースイッチ部への極限的なまでの品質追求などがそれである。
(昨夜、記事を上げた後、関連する記事のBlogを狩猟してみたのだが、一様にすばらしい品質であることを讃えながらも、こうしたディテールへの言及はほとんど無いようなので、少し木について語ることのできる者がネット上に書き置いておくのも無駄ではないと思ったからね)

〈音量ボリュームのシーソー〉
画像を参照いただきながら解説を試みよう。

まず最初はシーソー機構による音量ボリューム。
ご覧のように左右の輪郭部は完全にカットされているが、中央は浅い切り込みがあるだけ(図中、矢印)。
これによりシーソーとして機能。木の柔軟性、復元性を活かしたボリュームコントロールを可能にしている。

〈電源スイッチ〉
音量ボリューム機構と似ているが、こちらは向かって右が支点(図中、矢印)、左の輪郭部が切り抜かれ、上下動を可能としている(左側を押すことでON、OFF切り替える)。
ただここは木口であるので、恐らく自然のままとは考えにくい。確かに共木の木口であることは認められるが、何らかの補強が施されているのだろう。

〈Dockコネクタ部〉
底のDockコネクタ部だが、左右の孔はマイク。
木口になるが、その加工仕上げ精度は高い

〈カバー接合部〉
iWood4
前回既に書いたように、ここは凹凸の刻みでロックされる機構となっている。

この接合ロック機構の保持は経年変化によりどの程度の信頼性が維持できるのか心許ないが、しかし本体とカバーはかなりタイトに収まっているので、外れてしまうということにはならないだろう。

〈パーソナルメッセージ刻印〉
文字数の制限があるが、カスタマーが任意にメッセージを付加することができる。
このレーザー彫刻によるパーソナルメッセージ刻印は無料サービスだが、大きなロゴ、モノグラムなども有料で受けている。

〈メーカー ロゴ刻印〉

裏蓋下部にはメーカー ロゴが刻印。全てにおいてクールだね。

さてざっと概観してきたが、技術的に注目すべきはレーザー彫刻、レーザー切削の応用と、その切削加工、仕上げ精度の高さが1つ。

あとは本体が入る内部の彫り込みはどのようにして彫り込まれたのか。
専用の刃物を装着してのNC制御による彫刻ということであろうけれど‥‥。
ボクはこの辺りは素人なので、解説の資格がない。

以上、Miniot社への礼賛記事となてしまったが、木を素材とする仕事をさせていただいて、時折このような思いもかけない技法と、クールなセンスを見せつけられることがあり、やられた〜、とばかりに驚かしてくれるのが嬉しい。

まだまだ木というものの可能性というものを教えられるiWoodである。

そうか、考えてみればオランダは木靴の伝統的文化があるよね。
してみれば、これもiPhoneの木靴と見れば分かりやすいか。
オランダの木靴職人にしてみれば、得意分野?

何やら変な具合の結末になってしまったが、落とすと間違いなく破損するだろうから、この上からプラスチックのカバーで覆ってしまおうか(爆)。

ところで今日は二十四節気の“雨水”。次の“啓蟄”へ向けての春への胎動ということだが、明日は全国的に大荒れとの予報。
北国では大雪の警戒が必要。
当地域では大雨とのこと、留意されたい。

iWoodという“工芸品”

iWood4

果たしてそんなものが工芸品という定義に当てはまるのか、という疑念を指摘されるのを承知であえて言ってしまおう、これは立派な工芸品だ。

iPhone 3Gのケース。
画像にあるように木製である。
残念だが、うちの製品ではない。
iWood と称するオランダ製の工業製品である。

ある日本の代理店経営者とこのiWoodに関する話しをさせてもらったところ、「手作りですので、なかなか思うように生産ができないようで、入荷が少ない‥‥」との弁。
木製だもんな、手作りだからな、と首肯したのだが、いざ手元にきてあらためて確認すれば、優れた工業製品であると見た。

確かにプラスティック、鉄製品などとは全く異なる自然木を素材とするものであったとしても、またそれがいかに優れたものであったとしても、これを“工芸品”と呼称するにはいささかのうしろめたさのようなものに囚われてしまうのは否定しがたいところかも知れない。

ところで“手作り”という、今や手垢に汚れてしまった物言いでしかその品質を言い表すことができないというのは実に嘆かわしいものであるが、このiWoodは“手作り”などと言う属性で価値付与されるべきではなく、工業的生産システムにおいてこそ、これほどの品質の製品が生産されているということを知るべきなのだ。

したがってこのiWoodはIT社会という現代におけるもの作りでの“工芸品”と呼んでしまっても構わんだろう、というちょっと馬鹿げた主張なのである。

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