工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

『A Cabinetmaker's notebook』の翻訳、刊行される

木の家具昨日1冊の本が届けられた。『木の家具 制作おぼえがき』というものである。
夕刻からは近隣の街での酒席が控えていたので、ぱらぱらと目を通しただけであったが、今日から少し読み始めることにした。
240頁ほどのものなので、その気になりさえすればこの週末にも読了できるほどの分量だが、なかなかそうはいかないだろうと考えている。
この本は翻訳書であるがその原著にあたる本は20数年前に手にとり、その後も折に触れては開くような大切な本でもあったので、あらためてこれと向き合うというのも今さらな話しではあるのだが‥‥、
読解に難渋するだろうという予測にはいくつかの理由がある。
原著は英語で書かれたもので、家人の手を借りて主要部分を翻訳しながらの読書だったが、恐らくは翻訳の稚拙さによりそのほとんどを正しく解釈していなかっただろうと思われるので、その意味では20数年来頭に巣くっていたもやが晴れ、難渋さの多くの部分からは解放されるといううれしさがある。
しかしそれは同時に、これまで曖昧にしてきた本書の詳細が明らかになることを意味するものであり、その事柄の多くは木工家という自身の仕事と深く関わるものであれば、より深いところで対峙させられてしまうことは自明であり、それが難渋な解読を強いられるということになる。
自身の普段の家具制作というものと、この著書に著される世界との隔たりを思い知らされることにもなるだろうし、その彼我の差異に打ちのめされることも多いかも知れない。
これまでそれなりに理解してきた積もりでいる著者への知見の間違いに気付かされることも多いことだろう。
でもしかしそれは正さねばならない事柄だし、その勇気は持ちたいと思う。
当然にも、この勇気とは、自身の木工家具制作における志しと資質というものを強く問うものであり、単なる知見を深めるためのものに留まらないという覚悟を求められるという意味においてである。
ただそうした戸惑いにも近い思いとは裏腹に、この書の魅惑から逃れることなどできはしないだろう。
何故ならば木という素材を対象として、家具を制作するという、ありふれた行いというものに、明確な動機付けと、ビジョン、必然性、あるいはそこに求められる姿勢というものを示唆してくれることになるだろうことは明らかで、とてもわくわくさせられるほどの喜びが待っていると思えるからだ。
ところでこんな危うい木工家に依らずしても、この新刊本を紹介するにふさわしい人物は他にたくさんいることを知っているが、amazonから辿ることも適わない書物だし、残念ながらネットを検索しても非常に少ない数のページしかヒットしない状態にあるので、あえて発刊の知らせだけでもネット上に置きたいと考えた。
その数少ないサイトの1つは、「工房 悠」サイトからもリンクしている小山亨さんのサイトである。
実は本件は他でもなく彼からの1本のメールで知った。感謝したい。
小山さんは翻訳者とともに、この著者の薫陶を受けた同窓である。
原著は『A Cabinetmaker’s notebook』。James Krenov著。


James Krenov(以下、クレノフとする)という名前を前にして、その人が生理的な反応を示すのかどうか、その好き嫌い、反応の大小はさておきつつも、その反応の在りようにその人の木工における感性、志向、理念というものを多分に表すと言ってもあながち間違いではない、謂わば木工界におけるある象徴的なアイコンなのである。
ここで詳述する積もりもないが、市場で受け入れられる評価と、それとは関係のない普遍性、あるいは本質という次元での評価というものは、時として異なるということはまま(いや、大いに、と言い換えた方が良いのかな)あり得ることであり、この事例はその象徴でもあると言えるかも知れない。
彼の名はハンス・ウェグナー、あるいはジョージ・ナカシマといった恐らくは誰しも知るようなものでないことは明らかだし、著者自身も高名であろうとすることを望まないような人であるので、例え数少ない人が対象であっても、真に理解する人(理解しようという意志を持った人)に伝わればそれで十分なのだろう。
クレノフにとってこの原著が最初の書き下ろしである。(何度か出版元を変えつつ版を重ねてきたが、初版は立派なハードカバーのものだった)
その後立て続けに3冊の本を上梓した。
この本の序文(Sterling社版以降)にも発刊に至る経緯が書かれているが、多くの出版社がその魅力を高く評価しつつも、果たして市場でどの程度の評価を得られるか全く見通しが立たないというタイプのものであったが、出版に踏み切った結果、編集者、著者とも驚かされる結果が待ち受けていた。
世界的に大きな反響を呼び、出版は成功したのだ。
その後3冊の本を世に問い、それらはいくつもの出版社により再版され、現在に続いている。
著述を専門としない、木工を本業とする木工家による本でありながらもこのような長きにわたり受容されているというのは、いささか特異な事例ではないだろうか。
さて、今回の翻訳本もぜひそのような受容のされ方であって欲しいと切に願う。
隠す必要も無いだろう。決してメジャーな出版社からの発刊でもないし、翻訳(訳注多い)者も決して知られた人物ではない。九州の片田舎に住む木工家である。
ボクはしかし、このようなマイナーなスタイルで冷たい世間に船出した本であってむしろ良かったと思う。
逆説的な見方というのではなく、本の性格上、メジャーな出版社がじゃぶじゃぶと広告費を投下して販売したとしても、それが果たしてその本にとって幸せであるかは別の話である。
深く静かに、絶えることのない地下水脈のように少しづつでも売れ続け、受け入れられるような書物であって欲しい。
そうは言ってもこの新刊本、ぜひ多くの木工家、多くの木工ファンの方々の手に渡ることを願わずにはいられない。
せめて版を重ね、出版社の重荷にならないものであってもらいたいし、翻訳者にも労作に見合うにふさわしい印税をもたらして欲しいと願う。
ひいては、もう好きなテニスもできなくなってしまっているらしい米寿という高齢のクレノフその人にも、日本でも少しは受け入れられたよ、という報告を届けられるようにしてもらいたいと願わずにはいられない。
クレノフが来日したのはただ1度だけである。詳しくは次回に触れたいと思うが、1988年の夏、高山でのキャビネット夏期講座に講師として招聘された時のことだ。
縁あってボクもこの末席に座らせていただいたのだが、クレノフをよく知る複数の人から漏れ伝わってくる話しによれば、2度と日本の地に足を踏み入れなかった理由は決して年齢だけのことでもないように思われる。
著述に専念していた頃をはさみ、当時はストックホルムと北米を頻繁に移動し、積極的にワークショップを開催するほどのフットワークの軽さがあったのに比し、この日本へのつれなさと言ったら、ちょっと異様としか思えないものがある。
多くの人が語るように彼の日本の伝統文化への興味と深い理解は水準を越えるものであるようだし、日本の木工関連の道具、刃物への認識と評価はかなりのものがある。
レッドウッドに毎年のように日本の若者を受け入れてきたのも、彼のそうした日本への深い思いが促したとみるのは決して間違いではないと思う。
にもかかわらず、日本の地を2度と踏まなかったということには、クレノフその人を考える時、日本の木工家の一人として無視することのできない難題のようなものをつきつけられているように思えてならない。
ボクの周囲には幾人かのクレノビアンを自称する人がいて、まだストックホルム郊外にアトリエを構えていた頃に訪ねた人たちもいる。
あるいは、1988年の訪日以降も毎年のようにレッドウッドを訪問し、深い交流を継続している人もいる。
そうした深くクレノフを理解している人であるのに、何故かあまり聞きたくないような逸話がそのようなところから漏れ伝わってくることがあるのには軽い驚きを禁じ得ない。
これには相応の理由もあるのだろう。これは孤高の木工家というもののある側面を語るとともに、一筋縄ではいかない人物像というものが浮かび上がるのだが、またそれ故に独特の人間的魅力というものを推し量ってみたりする。
そうした人間性というものが、ある種の排他性と共に狭隘であるかもしれない日本では受容されにくい理由の1つであるという仮説は成り立つかもしれない。
この辺りのことは翻訳者、三ツ橋氏の解説により、かなりの程度で解き明かしてくれるだろう。
このように他の国と較べ決して木工を取り巻く環境、あるいは木工文化が決して浅いとも思えない日本において、なぜかクレノフの受容のされ方は不当に過ぎると思うのだが、その背景に潜むものが何であるかを論ずることは意味のないことではないだろう。
欧米諸国と肩を並べて近代化を果たしてきたとはいえ、伝統的な木工文化を一方に残しながらも、急速な大衆消費社会の到来とともに家具のマーケットは充実していったように見えて、しかしその内実はお粗末なものであったのかもしれない。
そのお粗末さ加減に実は自分もどっぷりと浸かってしまっているという現実と、一方でのクレノフを受容し、これを対象化しようという意識の隔絶を埋めるのは容易いものではないかもしれないが、この刊行をきっかけとしてそうした怠慢から覚醒し、何某かの新たな世界観に近づけるとするならばうれしいことではないか。
昨日この本が届いた直後に翻訳者の三ツ橋さんに電話して、刊行の喜びと感謝の言葉を伝えたのだが、この著書、著者をめぐる運命的な出会いと、その後の様々な苦労のお話しについては、ここで語れる範囲で明かすべきと思うが、恐らくは本人はそうしたことを望まないだろうし、船出したばかりのこの本に余分な色調を帯びさせるのは良くない。
ただ1つ言えることがあるとすれば、この好著は、翻訳者、三ツ橋さんというクレノフ本人に薫陶を受けた優れた木工家に依るものであったことの幸福である。
ボクは三ツ橋さんのプロフィールに関してはバックグラウンドを含めほとんど知らない。
葛城さんのサイトのクレノフ関連記事で見受けられる程度の認識でしかない。
しかしざっと読むだけでも、彼の知見、洞察力、倫理観、木工への熱い思い、そして優れた文章力は、やはりこのある種の聖典を翻訳するにふさわしい木工家であるとの評は、決して間違ったものではないだろう。
実はこの原著については、これまで幾人かの関係者が翻訳にチャレンジしてきたということは知られた話しなのだが、残念だが刊行に至るものではなかった。
本書において三ツ橋さん自身も語っていることだが、これほどの好著がこれまで翻訳刊行されなかったというところにも、その受容のされかたに大きな問題があることを示していると言われても仕方がないだろう。
これには様々な問題があったことを偲ばせる。
版権の問題、若い頃アメリカに住んでいたとはいえ、ネイティヴではないことによる独特で難解な英文、
あるいは哲学的な雄弁と、ボーダレスな帰属性からくる複雑な世界観が横溢するような物言い。
そうした様々な複雑な要因が阻害し、本格的な翻訳を安易に許さなかったという背景は理解できる。
しかし三ツ橋さんの解説では、こうした経緯を国内の木工家の「怠慢」と難じているが、それが否定しがたい現実なのである。
そうした背景、ある種の無謀さを承知の上で、あえて辛苦を背負い、使命的とも思えるような強い信念を数年にわたって継続させ、このように上梓されたことに深く敬意を表したいと思う。
この本に関しては、もう少し個人的な思いも含め、次回でも触れていこうと思う。
注文は下記、出版社まで問い合わせてください。

『木の家具 制作おぼえがき』

原著『A Cabinetmaker’s notebook』James Krenov著

■ 三ツ橋修平(訳註)
■ 出版社:中井書店

〒599-0216 阪南市緑ヶ丘1-14-15
TEL: 072-474-1230
FAX: 072-474-1231
振替: 00920-3-130087
Webサイト:http://www.nakaishoten.com/

■ 定価(税込):1890円
■ ISBN:978-4-931553-12-5

PS:昨夜、どこぞの大臣とは異なり記者会見の必要も無かったので、少し度を超えて深酔いしたようで、今朝はバッドコンディション。
皆さんのおかげで楽しい席でした。
こんな体調で読み進めるというのも、如何なものかとも思うが‥‥、
昨日酒席でもこの本をお披露目したので、同席された方々はぜひ中井書店にアクセスするようにしてください。
まず読んでいただき、その後周りにもこのような好著があることを知らせてください。
*画像は原著(再版されたSterling社版1991年)と新刊翻訳書

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • artisanさんのクレノフへの思いが伝わってきましたが
    最後まで読むのにちょっと苦労しました。(笑)
    早速注文しておきました。

  • acanthogobiusさん、さっそくの注文、ボクからも感謝申します。
    恐らくは原著もお手元にあると思いますが、acanthogobiusさんは英語も得意のようですので、比較対照することで、木工関連文書における翻訳手法としても好著になるかもしれませんね。
    >最後まで読むのにちょっと苦労しました
    ははは、お付き合いありがとうございます。
    これまでの1回あたりの分量としては最大になってしまったかも。
    悪文の極みかも。
    これは詫びねばなりませんが、紹介の本は、とても読みやすく優れた文体ですのでご安心下さい。

  • 装丁にミスがあるのが分かったらしく
    作り直しているそうです。
    (糊付けが少しあまいそうです。)
    入手は3月末になりそうです。
    気長に待ちましょう。

  • acanthogobiusさん、そうだったのですか。
    数カ所、明らかな誤植があるようでしたが、「装丁にミス」ですか。
    写真のクレジットとか?
    >糊付け
    そんな感じは受けませんがね。
    いずれにしろ、再版してのリスタートという誠実な対応であれば受忍してくださいますか。

  • 今日、三ツ橋さんから直接送られて来ました。
    今月末と思っていたのでちょっとびっくりしました。
    三ツ橋さんのご丁寧なメモも同封されていました。
    「口コミの形で伝わる方がクレノフに似つかわしいと思う」
    という内容でした。
    ありがとうございました。

  • acanthogobiusさん、良かっじゃないですか。
    現著者を知っていらっしゃる方、Fine Woodworkに興味のある知人がいましたら、ぜひ薦めてやってください。

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