工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

戦後を生きるということ(続々)

今日も映画の話しから説き起こすことにしよう。
なぜなら、描かれた対象はボクたち2010年の北東アジアの国に生きるものにとって無関心ではいられないはずのものだが、〈あたかも質の悪い戦争報道であるかのように、「脅威としての敵」か「笑止の沙汰としての敵」の姿しか提示しない〉(08/12付朝日新聞夕刊・テッサ・モーリス=スズキ氏のコラム『北朝鮮の未来 想像を』から引用)メディアに代わって、この映画は隣国、北朝鮮の1つの実相をリアルに描いているからである。

『クロッシング』とタイトルされたキム・テギュンという韓国人監督による力作。

描かれるテーマは脱北者問題。

北朝鮮の炭鉱の町に住む三人家族。炭鉱で働く元サッカー選手のヨンスは、妻・ヨンハと11歳の一人息子のジュニとともに、貧しいけれど幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、ヨンハが肺結核で倒れてしまう。北朝鮮では風邪薬を入手するのも難しく、ヨンスは薬を手に入れるため、危険を顧みず、中国に渡ることを決意する。
決死の覚悟で国境を越え、身を隠しながら、薬を得るために働くヨンス。
脱北者は発見されれば容赦なく強制送還され、それは死をも意味していた。
その頃、北朝鮮では、夫の帰りを待ちわびていたヨンハがひっそりと息を引き取る。
孤児となったジュニは、父との再会を信じ、国境の川を目指す。
しかし、無残にも強制収容所に入れられてしまう…。
    (パンフレットより引用)

韓国人監督キム・テギュン氏は大勢の脱北者に徹底取材し、北朝鮮の民衆の日常生活、そして徹底した人権弾圧の象徴としての収容所をとてもリアルに描く。

経済的困窮、悪化する一方の食糧事情、公安警察により張り巡らされた監視国家。
東西冷戦が崩れ20年が経過している時代に唯一残った分断国家、朝鮮半島は戦後体制というものの一方の過酷な現実を象徴していると言って良い。

  ■ 蛭子能収さんの紹介Blog記事


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ところで今月29日には「日韓併合条約発効100年」を迎える。

現在の朝鮮半島をめぐる緊張を孕む情勢というものの発端が100年前のこの日韓併合に起因すると定義することがさほど無謀な解釈とは思わない。

管首相による「日韓併合条約発効100年」への「談話」だが、自民党など保守政党などからは当然としても民主党内からも多くの批判が投げかけられていた。

朝鮮半島への植民地支配をいまだに朝鮮人のために良かったことだ。創氏改名も彼らが望んだことだった、などとおよそ史実をねじ曲げる言論が幅を利かせる中、どれだけインパクトのある「談話」なのか、あらためて全文を読んでも1995年のいわゆる「村山談話」を超えるものではないことにすぐに気づく。

それ以上に異様なのが、この談話には北朝鮮に関わる言辞が皆無であること。
今年は「日韓併合条約発効100年」であるとともに「日韓基本条約締結45年」という節目の年でもあり、これへの談話であればいざ知らず、朝鮮半島全域を支配下においた韓国併合に関わる談話であれば、いかに国交がいまだに閉ざされた相手国とはいえ、一言もないというところに、むしろその異常さがにじみ出ているとも言えるのか。

この政権Top首相談話を読む限りにおいては、北朝鮮国内で呻吟する人々への関心も想像力のかけらもない、とても欺瞞に満ちたものでしかないように思う。

あるいはそうした問題を指摘するメディアも無ければ、言論も細るばかりで、歴史的な談話になるべきはずのものが、あらかじめ歴史の批評に耐えうる内実を持たないというところに、戦後65年を経てもなお、克服できないトラウマを抱えたままに、無為なままに、スルーさせようというあざとさを見る。

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今年は戦後65年、日韓併合から100年という節目の年であることは承知してはいるものの、しかしなにゆえ毎年毎年、8月になると判で押したように戦争を振り返り、靖国参拝が問題となり、議論は深まらないままに繰り返されるのか。
一方の支配された国々から毎年のように批判されるのか。
ただただ「戦争責任問題」が未解決のままに放置されてきたからに他ならないからだろう。

他の枢軸国、ドイツでは最高権力者ヒットラーは自殺し、ニュルンベルク裁判でナチス幹部は徹底糾弾され、逃亡者の戦後における追求も地を這うように継続された。
イタリアではムッソリーニは民衆の手によって殺された。

しかし一方の日本はと言うと最高権力者は免責され、これに代わり敗戦後直後、皇族出身の首相が「一億総懺悔」を唱えるというありさま。
戦争責任は指導者にあるのではなく、「国民」に等しく問われるべき責任というわけだ。

東京裁判においては戦争犯罪の罪に問われた軍人、政治家の多くが、上官の命令に従っただけと弁明を繰り返すのみ。
日本においては責任という倫理的規範はあらかじめ放棄されているかの如くに、それどころか、誰もが被害者だと開き直るという傲岸ぶり。

戦争というと、日本人の多くが今に至ってもなお被害者面をしたがるというメンタリティーというものは、既にこの頃に形成されていたのだろう。
丸山真男(政治学者)はこれを「無責任の体系」と名付け、膨大な事例にあたり論考を発表していった。
果たしてこれに代わる「一億総懺悔」というものが反省になり得るものなのだろうか。
民族の存亡までが踏みにじられた被支配国の人々が、果たしてこれを受け入れることができるものなのだろうか。
個々の責任はチャラにされ、戦争指導者も知らんぷり。
これでは他国からすれば日本人は何も反省していないと見なされても仕方がない。

ただこの戦争責任の不徹底という問題は国際的なパワーシフトによって、ある種強いられたという側面があることは否定しがたい事実でもある。
東西冷戦である。
GHQアメリカ占領軍は日本統治方針として自国の法体系にもないほどの民主化と非武装化をねらい、新憲法もそうした理想主義的な法理念の下で立案成立していったのだが、朝鮮戦争が始まる1950年前後からこの対日政策が大きく転換していくことになる。

米国を盟主とする西側陣営の一員として日本を再建させ、一定のタガをはめつつも「警察予備隊」という実質的な軍隊の再整備を進めた。
かたやA級戦犯の一人だった岸信介が政界に復帰し、ついには首相に登りつめるという不可思議な事態も米国の国際戦略の下で周到に計算されたことであるに相違ない。
言ってしまえば普天間基地問題で腰砕けになった鳩山前首相もまた、その米国による対日戦略のくびきから離れることができなかったと見ることができる。

沖縄はGHQ占領下、日本側からどうぞ自由にお使いください、アメリカ様、とばかりに丁重に熨斗付きで提供され、1973年の本土復帰後もなお、何ら変わることのない要塞の島として固定されてきた。
つまり戦争責任が不徹底なことと引き替えに、今日の様々な理不尽な問題が事あるごとに噴出してくるという構図が見えてくる。

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しかし果たしてこうしたことは未来永劫に続けられるものなのだろうか。
本当の意味で、戦争を総括し、隣国アジアの人々とともに手を携えて平和構築への道を歩んでいけるのだろうか。
ボクは決して不可能だとは思わない。なぜならば歴史と真に向かい合うことなくしてはこれからの時代を生き抜いていくことなどできないと思うからだ。

戦後65年にして、多くの軍人、軍属の人々が戦争の実相を語りはじめ、また侵略された国の民衆からの個人賠償に関わる裁判なども地裁レベルでは認定されつつあるという事実。
つまり世界史における見直しがやっと始まりつつあるということに着目したい。

オバマによるプラハ演説も、そうした歴史の見直しの大きな指標の1つだろう。
卑近な事例で見れば、鳩山首相の東アジア共同体への企みも、そうした理念の潮流の表れとして評価されるべきだろうと思う。
新たな時代を切り拓こうとする時、それは必然的に過去の歴史の見直しからしかスタートすることはできない。
タイトル「戦後を生きるということ」とは、こうした様々な意味において不徹底な日本という国に生きるという困難を受け入れ、背中に張り付いた分厚いその不名誉なレッテルを1枚1枚と剥ぎ取る作業を弛まず続ける勇気を持ち続けると言うことにも他ならない。

鳩山前首相が日米問題でこけたからといって、ボクたちが免責されるわけではない。
15年戦争、太平洋戦争における日本の死者310万人、アジアにおける犠牲者2,000万人の魂を真に弔い、次なる生まれ来る新しい人々に清々とした時代に生きてもらう責任がボクたちの世代にあるということを結語にさせてもらおう。


後記:日韓条約の問題、戦後賠償請求権の問題、イラクを侵犯し、全く総括のない日本の問題、アフガン問題、等々、語らねばならない問題は山積していて、いずれも今日の日本と米国と世界の関係を考える時、欠かすことのできないテーマであるが、今回は割愛した。

真・善・美という規範から考える時、あまりにも現実世界は背理したもので埋め尽くされているように見える。
民主主義という意思決定の手法もばかばかしく思えることも屡々。
しかしこのくだらない日常を生きていくのも人生だ。
倫理的実践に可能性を見失うことなく生きていきたいと思う。

昨夜、地方紙夕刊をパラパラとめくっていて、あるコラムに目が留まった。
辺見庸氏の『千葉景子さんと絞首刑』とタイトルされたもの。
先の記事、[2010、この夏のサブイ風景]で上げた問題でもあるが、ボクの筆がいかに弱々しいものかを知らされるものだった。
批評とはここまで相手を強く撃ち、同時に自己を検証し、足らざるところを戒めるものでなければならないかをあらためて教えられる。
最後の数行だけだが少し引用してみよう。

背信(死刑廃止論者の転向)は彼女ひとりだけの例外的なものだろうか。どうもそうはおもえない。すさみとは、人がただ墜ち、すさみつくすことではない。自他のすさみに気づかなくなること。熟れすぎたザクロのように、もろともに甘く饐えたそれこそが、すさみの極みなのではないか。深夜、鏡の自分と凝然とむきあう

全文はこちら(PDF:195KB)


週末恒例のYouTube、今日はThe BOOM「島唄」

HDクォリティーも含め、多くの動画がupされているが、The BoomのLiveバージョンは少なく、これでゴメンね。
ボクが最初に買ったThe BOOMのアルバムは「思春期」なので、調べてみれば1992年のこと。
「島唄」が収録されたアルバムだが、まだこの頃は話題にならず、翌1993年にシングルカットされ、徐々にブレークしていく。
昨年はデビュー20周年を迎える(公式サイト

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