工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

敗戦から80年、日本社会の光景に想う 3

「日本人ファースト」の危険性

ここでは参政党の「日本人ファースト」という、あまりにも分かりやすいキャッチフレーズについて少し視ていきたいと思います。

BBCの東京特派員・シャイマ・ハリルらによる参政党躍進に関する2つの記事が総論的、かつ比較的コンパクトにまとめられていますので、まずこれを参考までに張り付けます。

「【解説】参院選で極右政党が台頭、「日本人ファースト」で議席拡大(2025.07.22)

【解説】 日本での極右の台頭、トランプ大統領と外国人旅行者によって急加速」(2025.07.29)

7月21日、都内で撮影(ロイターから拝借/Kim Kyung-Hoon)

この「日本人ファースト」ですが、神谷代表自身も語っている通り、彼が心酔してるという米大統領・トランプの「アメリカファースト」からのパクリであるのは言うまでも無いのですが、ただ前提とする根拠はかなり違いますので、ここは要注意です。

トランプの「アメリカファースト」の方ですが…、
米国が中南米からの多数の移民で、白人ロワーミドル(ブルーカラーの白人層)のポジションを奪っているという状況(2050年には半数以上が非白人になるとの予想:Bloomberg米国でヒスパニック系320万人増、コロナ禍以来の人口増の大半占める〉であるのに対し、
日本社会の方は、外国人は日本人総数のわずかに3%でしかないというのが事実(日本に30日以上滞在する外国人は377万人)。

この彼我の大きな差、数10年後には白人の数は半数を割っていくというアメリカ社会の状況をそのまま日本に適合させようというのは土台 無理筋なのです。
50%を越えていきそうなアメリカと、たかだか3%でしかない日本。次元が全く違います。

ただ、2003年から始まった海外からのインバウンド観光客の積極的誘致(ビジット・ジャパン事業)は、コロナ禍を挟むも、昨2024年は3687万人というかなりの人数に上るようで、長期に日本社会に溶け込もうとしている外国人に較べ、当然にも彼らは日本語も分からず、電車待ちにホームでは列を作って並び、ゴミは路上など公共空間には勝手に捨てない、などといった日本社会の暗黙のルールも分からず、これに顔をしかめる日本人が多いのも事実でしょう。

しかし、日本社会に溶け込もうとしている定住外国人と、日本の自然と食を楽しみ、「旅の恥はかき捨て」とばかりに日本社会の暗黙のルールを守らないツアー客とをごちゃ混ぜにしての非難は公平を欠きはしないでしょうか。

加え、「外国人犯罪が増えている」だとか、「日本の社会保障制度を悪用している」などとするSNSなどの煽りは事実誤認であるか、まったく根拠の無いデマです。

しかるに、円安による物価高騰、インフレ、購買力の低下を背景とし、実質賃金は物価高に追いつかず、目減りの一方という経済状況が市民生活を困窮に追いやっている中で、その矛先を外国人に向け、スケープゴートに仕立てるという詐術はあまりに下劣で、恥を知るべきでしょう。
しかし事実としては、この「日本人ファースト」が強く社会にインパクトを与え、2025参院選で参政党を躍進させたのです。

出口調査の結果からは、参政党に票を投じた人々の多くは政治の「無関心層」で、前述のような自民党の失政の結果、「寝た子」が起こされ、余りに分かりやすい「日本人ファースト」に喚起させられ、投票行動へと駆り立てられたとの分析もあるわけですが、このキャッチーなメッセージに釣られると同時に、代表の神谷氏からの非科学的でスピリチュアルな陰謀論に基づいた民主主義的な価値観への軽視や非難ともなれば、その影響力をマックスにしてしまった2025参院選の結果というのは、とても危険な状況だと思います。

例えば、
「反ワクチン」
「小麦の有毒性」
「陰謀論めいた、グローバル金融資本批判」
「若い女性は社会に出ずに子を産め」
「男女共同参画の否定」
そして、それらの危険性の根幹を表すのが〈参政党の憲法草案〉です。
これについては後段で詳しく見ていきます。


日本でのロワーミドルというクラスは数千万人というボリュームだそうですが、この人々の生活困窮からくる経済社会への怒り、将来不安というものは、これまで日本政治を牽引してきた自民党による失政の結果であって、外国人のマナーの悪さが最近目立ってきたからと言って、たかだか総人口の3%でしかない外国人にその責任を求めるってのは、余りに浅はかか、あるいは意図的で下劣な考えからくる排外主義でしかありません。(排外主義:自らが属すると信じる集団に他の集団や民族などを対立させ、後者を攻撃的に排斥しようとする立場・主張)。

参政党の得票のための巧妙な悪巧みに日本社会がマンマと踊らされてしまったというところでしょう。

因みに、外国人を単純労働者(「技能実習生」「特定技能」など)として受け入れることにしたのは、保守系の右派の方々が大好きな安倍政権による政策からだったということは押さえておきたい事柄です。

一見複雑で、見えにくい日本の経済社会の低迷からくる生活の困窮というものを、根拠薄弱ながらも、安直で、陥りやすい欲情からの外国人排撃に訴えかけ、これがいとも容易く成功してしまった。

「日本人ファースト」を貫徹した結果、コンビニ店員、介護や大規模農業の現場はどうなる?

でもどうでしょうか。コンビニ店員の多くは今や外国人がほとんどですし、介護や大規模農業などの職場でも外国人労働者無しでは立ちゆかなくなっている現状がありますし、人口減は待った無しという冷徹な現状を前に「日本人ファースト」などとして、彼らのポジションに日本人労働者が好んで代わってくれるとでも言うのでしょうか。

日本社会から分断され、蔑まれ、差別されていく外国人労働者は、それでなくても賃金面から劣る日本の労働現場を避け、よりマシな韓国などへと流れつつあるとのことですので、ブレークしまくった「日本人ファースト」社会ともなれば、ますます日本で働く魅力は薄れ、誰にも来てもらえなくなる結果を招き入れるということでもあるわけです。

さらに問題なのは、参政党の「日本人ファースト」が大きく支持を伸ばしてるというので、これに浮き足立ち、自民や国民民主党、さらには立憲までもが、歪んだ視座から外国人政策を唐突に打ち出すという嘆かわしい状況が観られたのですが、どうしてこうも日本の政治党派は、排外主義に弱いのでしょうか。

参政党のような極右の党派が躍進する素地を作ってしまっている日本社会の荒廃は確かにありますが、しかしだからと言って、穏健保守層が主体とされている自民党が、参政党に揺さぶられ、浮き足立ってしまうというのは実に嘆かわしく、相当にヤバイ状況です。

いつの時代も、政治の周縁にはこうした極端なメッセージを掲げ、秩序破壊的で問題の多い党派はありましたが、しかしそれはあくまでも政治の周縁を彩るものではあっても、主流となって暴れるということはまずありませんでした。
こうした政党はやがて数年もすれば消え去っていく運命のものでしかなかったものです。

しかしこの参政党はそうした泡沫的な政党として侮るのはどうも間違いかも知れず、日本社会に根を下ろしかねない、右翼ポピュリズム政党としての力を備えつつあると言うのが、大方の見立てのようです。
このままでは喫水線を超え、日本社会は一気に変質していきかねません。

石破政権以前の 安倍-菅-岸田政権までは、清和会(=安倍派)を中心に極右層を抱え込み、飼い慣らし治めることができたものの、石破政権はそれまでとは異なり穏健保守の志向に映り(石破首相は決してリベラルでも何でも無く、軍事オタクの右派ですし、安倍-菅と較べた時、相対的に穏健に映るだけ)、右派、極右の有権者は、石破自民党を見限り、新たに勃興してきた参政党、日本保守党へと支持を乗り換えている状況と言えるでしょう。

これらの状況は戦後営々として築き上げてきた日本国憲法の下で人権を擁護し、共に平和で安心して豊かな生活を追い求めるという理念がガラガラと崩れ去る痛々しい姿にも見え、悲しくてなりません。

前述したように、外国人を単純労働者(「技能実習生」「特定技能」など)として受け入れることにしたのは、安倍政権でしたが、
本来であれば、外国人労働者を入国させる政策を打つのであれば、同時に戦後日本社会の姿を変えていきかねない、この新たな外国人施策をしっかりと社会に説明し、外国人受け入れのための「共生施策」を構想し、様々な職業内容に即したきめ細やかな施策を打ち立てるといった、当たり前の戦略をなぜ採ってこなかったのか(「移民政策」では無いとする建前論から一歩も出ようとしない政府の考え)。


名古屋入管施設内でのスリランカ人・ウィシュマ・サンダマリさんの悲劇的な死など、入管施設での度重なる外国人差別の意識から生起する悲惨な問題などを観る限り、日本では外国人を受け入れる理念というものが決定的に欠如していると言わざるを得ない現状があります(1969年、衆院法務委の質疑で「外国人は煮て食おうが焼いて食おうが自由」と、法務省出入国管理局の参事官が書いた本があるとの指摘があり議論されています。(第61回国会 衆議院 法務委員会 第25号 昭和44年7月2日

半世紀以上昔の国会で交わされた外国人差別に充ち満ちたの議論ですが、名古屋入管の悲惨な事件からは、現在もなお入管の現場では「外国人は煮て食おうが焼いて食おうが自由」という理念が貫かれているのではとの疑念を抱くのは、あながち不当なものでは無いことを教えています。

2025参院選で強力なインパクトを社会に与えた「日本人ファースト」ですが、これは参政党の選挙戦術におけるキャッチーなものだったので、政策全般を観て欲しい、との釈明が返ってくるかも知れませんが、多くの有権者の鬱屈する心に響くフレーズであったことは間違いが無いようで、いかに根拠薄弱で間違ったメッセージであったとしても、「寝た子」を起こし、広く、強く、人々を喚起させている、そのことを怖れるのです。

人は誰しも、安易に表には出せないような理性的では無く薄汚い欲情の精神が宿っているのはフツーの事です。
しかし、政治党派がこれを表世界に引きずり出し扇動するというのは、よくよく注意せねば、ナチス、ヒトラー、ゲッペルスの手法に陥ってしまいかねないのです。

大事なのは、入国してくる外国人を排他的に考えるのでは無く、豊かな社会を共に作っていくべく、彼らと共生するにはどうすれば良いのか、そのためにはどのような法制度を整え、外国人を迎え入れる市民一般にどのようなメッセージを発していくのか。
政治党派にはそこを競ってほしいものです。

参政党の憲法草案から

参政党に大事な一票を投じた有権者は、当然にも? 党の政策の根幹を為す〈憲法草案〉も参照されたかと思いますが、そうで無い人にもぜひご一読されることをお薦めします。

参政党が創る 新日本憲法(構想案)

参政党が創る 新日本憲法(構想案)(一部)

参政党がめざす国家像の骨格がここに表明されています。
[前文]はまるで日本書紀古事記か、と思わされるほどに古色蒼然とした趣きで貫かれています。

80数年前の戦争は「國體」(こくたい)を護るためのものとして始めたものですが、戦後日本はこれを反省し、大日本帝国憲法下の「天皇主権」から「国民主権」へと大きく転換させるものでしたが、
この憲法草案はそれとは真逆に、[前文]には「天皇主権」を謳い、國體を奉じる文字が散りばめられています。

さらには子どもたちを兵士として無謀な戦争に駆り出すための精神的な支柱であった『教育勅語』を持ち出し、これを尊重すべきと謳っているのです(九条4)。
この『教育勅語』は日本国憲法とは相容れないもので、日本国憲法の発布と同時に法的効力を失っていますが、この復活を狙い〈憲法草案〉にあえて一項、設けられているのです。

他にも幾つものトンデモ条文が並べられているのですが(参照➡️〈それでも参政党を選びますか
消えた「法の下の平等」「思想の自由」、 盛り込まれた「神話教育」「軍事裁判」 参政党憲法案の危険性〉(Tansa

とにかく、敗戦による国土の焦土化、300万人の戦死者というすさまじい犠牲から生みだされ獲得された、私たちの戦後『日本国憲法』に謳われた「基本的人権」「法の下の平等」「表現の自由」などの主要な骨格はゴミ箱に放り込まれ、これに替わり、暗然たる社会に染め上げてきた天皇主権の明治憲法の精神が再び亡霊のように蘇り、そこに食糧自給など農本主義的な装飾を加えたものが散りばめられた、時代錯誤甚だしいアナクロニズム満載の草案で、ホント驚かされる代物です。

敗戦後80年、多くの問題を抱えつも、「日本国憲法」を戴きつつ、何とかかろうじて民主主義を築き上げてきた日本社会に唾を吐き、これを貶めるような驚くべき信条、そして政策の数々。
こんなもの、日本社会が受け入れられるはずも無いものの、しかし、参政党支持者の人々に強くアピールしたという事実は軽くはありません。

識者の中には、このようなトンデモ憲法を標榜する参政党へ投じた有権者をバカ呼ばわりする人もいるようです。
まぁ、確かに、参院選演説で「核武装は安上がりだ」などとバカ丸出しの候補者がいたようですが、
バカ呼ばわりされれば、当事者はこれに反発し、より政治意志を強めるだけでしょうし、そもそも、私も含め、インターネット社会の到来辺りから、日本人総体がバカになってきているとも言えるわけで、
それを言えば、ブーメランで自分に返ってきてしまいかねませんから、少なくとも私は言えない、かな…😓


1937年11月 南京攻略を祝う提灯行列(長野市アーカイブより)

今回は敗戦後80年というメインタイトルでもあり、少し視点を変えてみます。


先の戦争に於いて、関東軍を初めとする軍部の跳梁跋扈による、中国大陸への謀略的な進出、銃剣を振り回しての侵略行為に、日本社会は全国各地で提灯行列を組織し、歓呼の声で迎えていたというのが史実です。

もちろん、一部のメディア、文学者、評論家、学者などからの批判的な言説もあったでしょうし、さらには日本共産党の闘いもあったのでしょうが、佐野・鍋山の転向に象徴されるように、闘いの根は悉く潰され、
1938年の「国家総動員法」は、ついに人々の生活の全てが国家統制とされ、戦争態勢へと雪崩を打っていくまでに。

その先頭に立ち、人々を駆り立てたのが、著名な評論家や学者、そして高村光太郎などの文学者らだったのです、
なお、興味深いというのか、これらの識者は、戦後、米軍占領支配下、いち早く米国を讃え、民主主義を説いて回るなど、変わり身の早さを競う人士たちでもあったのです。


結局は、上も下も、右も左も、日本社会には自立した近代社会における理念など根付かず、それらはあくまでも表層的なものに過ぎず、家父長制などアジア的封建遺制から一歩も出ていなかった、
ただただ(宮台真司 言うところの)ポジション取りに汲々しているだけの愚かな者達でしかなかったのです。

今回の参院選における参政党の躍進は政治ウォッチャーでも無い私たちには驚きを与えたことも事実ですが、トランプを先頭に、各国で台頭しつつある右翼ポピュリズムの地殻変動的な動向にシンクロしたものでもあるでしょうし、また、前述のように100年ほどの日本の近代史を紐解くならば、参院選の結果に見られるこうした現象というものは何も不思議な事では無いのかも知れません。

しかし、そうは言っても、敗戦後80年を経、日本社会を揺るがしかねない右翼ポピュリズム政党の躍進というものは、〈日本社会の地殻変動〉の有為な指標であることは間違いが無いように思われるのです。

2022年の暮れ、TV番組〈徹子の部屋〉において、黒柳徹子さんの「来年はどんな年になるでしょう」という問いに対する、タモリさんの「新しい戦前になる」という隻句は、また1歩、現実味を深める 2025年の暑い夏だったのかも知れませんね。

次回に続きます

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