工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

敗戦から80年、日本社会の光景に想う 4

『火垂るの墓』 日テレ放送画面から

『火垂るの墓』 加藤周一の涙

8月15日に放映された『火垂るの墓』はご覧になられたでしょうか。

1945年の夏、焼夷弾で焼かれる神戸の街を逃げ惑う二人の兄妹の余りにも悲惨な最期は、高畑監督とスタジオジブリの渾身の映像作品ならではのリアルな描写だけに「悲惨すぎてもう2度と観ることはできない」とされるほどに強い衝撃を与え、胸に迫り来るものがありました。

家を焼き出され、母親を空襲で亡くし、ホームレスとなった節子と清太ですが、二人で必死に生きようとします。
しかし敗戦後の過酷な食糧事情もあり、周囲の大人からも見捨てられ、最期は栄養失調で死に追いやられてしまいます。

映画の公開当時(1988年)、朝日新聞 夕刊に長期連載(29年間。この夕陽妾語を読みたいがために朝日新聞購読者になった人も少なく無かったとの話しも)されていた、文芸批評家の加藤周一さんの〈夕陽妾語〉とタイトルされたエッセーに『火垂るの墓』への魂を揺さぶられるほどの言及があったことをかすかに記憶していて、これをネット上で渉猟したところ、ドンズバ 辿り着くことができ、再読し、往時と同じく感銘を受けたのでした。
せっかくですのでここでも取り上げることにします。

夕刊紙の画像は加藤周一氏の全てと言っても過言では無い年譜や業績を記したwebサイトから拝借させていただきました。多謝(https://kshu.minim.ne.jp)

右画像から、文字起こししたのが以下です。(漢数字を算用数字に代えるなどしていますが、改行等はそのままです)


夕陽妾語 1988年の想い出 加藤周一

1988年の暮れ、消えない想出が三つ私の心のなかに生きている。その一つは、「ペレストロイカ」のモスクワである。そのことにはすでに触れた。

「生きるよろこび」

 もう一つは、野坂昭如原作(1967)、高畑勲監督のアニメーション映画『火垂るの墓』(1988)のなかに出てくる四歳の女の子である。1945年6月、神戸の空襲で焼け出されて、母を失った14歳の兄と4歳の妹が、酉宮の親類の家に身を寄せるが、冷たく扱われ、近郊の山の横穴で二人だけの生活を始める。七輪に火をおこして粥(かゆ)をたいたり、ほたるを集めたり、死んだほたるの墓をつくったり、海辺の砂浜を走ったり──そのほとんど牧歌的な二人だけの生活のなかで、女の子が飛んだり跳ねたりしながら全身でよろこびをあらわし、食べものを探しに行った兄が帰って来ると駈(か)けよって抱きつく。
 ついに食べものがなくなって、敗戦直後に、まず妹が栄養失調で死に、ついで兄が倒れるのだが、女の子は死ぬ前に、兄がもってきてくれた西瓜を食べ、「おいしい」とつぶやき、「兄ちゃん、おおきに」と言って眼を閉じる。私にはその4歳の少女の姿が、どうしても忘れられない。この世の中でいちばん確かなものは、少女が笑ったり、駈けだしたりするときの「生きるよろこび」であり、いちばん不確かなものは、彼女を殺したいくさを正当化するようなすべての理屈だろう、と私は思う。
 かつて「聖戦」を正当化するためには、さまざまの理屈があった。「八紘(はっこう)一宇」や「大東亜共栄圏」、「悠久の大義」や「近代の超克」、「神ながらの道」やその他1ダースばかりの壮大で漠然とした観念。そういうものがあったし、これからもあるだろう。それは時代と共に流行し、忘れられ、またあらためて流行する。しかしそういうもののすべては、4歳の女の子の一瞬の笑顔の百分の一にも値しない。映画を見ながら私はそう思い、溢(あふ)れてくる涙に閉口したが、それは私が涙もろいということだけではなかったろう、と今にして私は考える。
 『火垂るの墓』の少女の「生きるよろこび」は、単に動物的なものではなかった。そうではなくて、環境の変化を予測する能力の限界、またそれに適応する能力の限界を十分に意識し、兄との間につくりだした信頼と愛情の関係を通して、またその関係を通してのみ、いっぱいに感じることのできるよろこびであった。しかしそのほかにわれわれが人生を肯定するより根源的な理由があり得るだろうか。生きているのはよいことだ、ともしいうことができるとすれば、つまるところ、そういうよろこびの可能性が人間にあるからではなかろうか。この少女の生命の破壊は、われわれ自身の人生の意味の破壊にほかならない。だからいくさは、決定的によくないのである。

1941年12月8日真珠湾攻撃をもって、日米開戦が始まった日のこと。
その頃、まだ何者でも無いひとりの医学生だった加藤周一氏は「ある晴れた日」として、その日の行動を『羊の歌』(岩波新書)の中で述懐しています。

授業を終え、家に帰り、心配する母親に「勝ち目はないね」と答え、その足で新橋演舞場へと向かう。
そして言うのです。「そもそも私は始めから戦争を生きてきたのではなく、眺めていたのだ。」と。

街は真珠湾攻撃の戦果に大いに沸き立っていた最中、その喧騒から逃れ、新橋演舞場で数名の観客とともに文楽に興じ、冷めた目で日本の開戦を受け止めていた加藤周一。

そして長じて、独仏と日本を股に掛けての研究と執筆活動から「知の巨人」などと称され、鶴見俊輔大江健三郎らと〈九条の会〉の呼びかけ人になるなどの強固な批評眼を持つ加藤周一氏でしたが
『火垂るの墓』でボロボロと落涙するという図は、これを読む側も節子が日々弱っていくシーンが反芻させられ、胸が苦しくなるですが、
節子4歳の少女の姿は、加藤氏自身が東京空襲を含む戦争体験者の悲惨さを身をもって知るだけに、当時の体験と重ね合わせ、不覚にも涙腺を決壊させてしまっただろうことは想像に難くありません。

そしてその本質、戦火の中にあっても、少女の「生きるよろこび」の身体表現こそ、確かなものであり、兄清太との美しい信頼と愛情の関係もまた、人生を肯定する根源的な理由であると語り、
そしてこれらを問答無用に破壊する戦争を強く憎むのです。

後段の戦争賛美、植民地主義的妄言、国家主義的思想などの“観念”の浮薄な熟語の数々は、著名な文学者、評論家らによるもので、彼らは民主化を果たした戦後においても責任を取るどころか、身変わりの早さを競い、GHQ支配下の日本を巧みに泳いでく人士らだったのです。
しかも、現代に至ってもなお政治家の一部には、恥知らずにも「八紘一宇」を掲げるおぞましい議員もおり(自民党・三原じゅん子)、油断なりません。

高畑勲『火垂るの墓』については、ネット上に多くのテキストがありますが、加藤周一氏の〈夕陽妾語〉でのこのエッセーへの言及はほとんどありませんので、関連する部分の全文をここに残し、開戦時の冷めた目と、心を強く揺さぶった『火垂るの墓』からの衝撃を対比させ、戦火の下での幼児(おさなご)の命の輝きと悲劇性を考えて見ました。

高畑勲監督のリアリティと、お涙頂戴 反戦映画の忌避

高畑勲さんが没して7年ほど経ちますが、亡くなる数年前、2015年のインタビューを基にした朝日新聞の記事が本年5月に前後編2回に分け掲載されていますので、それを紹介します。

前編 悲惨だけの泣ける映画は「無力」 火垂るの墓、貫いたリアリティー

後編「見た人はそこに怯えてほしい」火垂るの墓、意地悪なおばさんの真実

前編 の〈コメントプラス〉で歴史社会学者の小熊英二氏が指摘されている通り、

日本が悲惨な目にあったことを語るだけのような映画は、これから戦争が起きないようにするためには無力だとも思います。

この一見硬質な物言い、日本社会一般の戦争に纏わる言説からすれば異質に映るかも知れませんが、深く同意せざるを得ず、襟を正される思いがします。

実際、日本の戦争映画の場合、お涙頂戴と、被害者意識を喚起するようなものばかりです。
高畑監督は、そのような映画は「これから戦争が起きないようにするためには無力」と言い切っていて、背筋が伸びる感じがしてきませんか。

もうびっくりしますよ。「愛する人のために戦う」が通用していく時代というのは

高畑監督は「愛する人のために戦う」などとの物言いなどは戦争下ではありはせず、ウソも甚だしいと語ります。
こうした高畑監督の厳しい視座というのは、ご自身の体験(10歳の頃、岡山市中で空襲に遭っている)に根ざしているだけに、戦争というものの本質を批評的に見抜く眼差しに裏付けられた指摘なのだろうと思います。

[後編]の「西宮のおばさん」には、多くの非難めいた感想が上がっているようですが、高畑監督は「誰もが、あの西宮のおばさんのような人間にすぐになっちゃうんじゃないか、と。
見た人は、そこに怯えてほしいんですね。」とし、してやったり!、かも知れません。

甘っちょろい戦争映画では「西宮のおばさん」のようには描かず、「隣組でみんなで協力して戦争に打ち勝ちましょう」などと描きたがるものです。
こうした倫理社会の教科書に書かれてしまうような「嘘」ではなく、戦争というものの異常事態下でのリアルな人間像を冷徹に描き、提示するのがリアリスト高畑監督なのです。

それは戦争下という異常事態ならではの非人間性ではあるのでしょうが、たぶん高畑監督は戦争下ならずとも、人というものの本質にはそうした意識下の悪意は誰しも心の奥底に隠されていると考えているのかも知れません。

それが露見してしまうのか、いや、その悪意は抑え、封じ込み、周囲の人々と苦難を共にする考えに立つのか、この決定的な違いこそ個々の人間性に依るものなのでしょう。
これは生得なものもあれば、倫理的思考によるものもあるでしょうし、様々な要因や、置かれた状況への対応如何でもあるのでしょう。

――どんな平和教育が必要だと考えますか?との問いに

戦争末期の悲惨さを伝えることだけが平和教育じゃなくて、理性的な教育が必要だと思うんですよ。
日本では、平和の問題、戦争っていうと、すぐに戦争末期の空襲とか原爆とかのことを繰り返し述べているけれど、結局、どんなに日本軍の兵士がニューギニアなどで悲惨な目にあったかとか、あるいは(日本軍が)中国で一体何をしたのかとか、そういうことについては浸透してないですよね。それ自体に問題を感じているんですよ。
 日本が悲惨な目にあったことを語るだけのような映画は、これから戦争が起きないようにするためには無力だとも思います。

確かに 日本の平和教育においては戦争におけるアジアへの加害はほとんどと言って語られる事はありません、
被害状況ばかりがクローズアップされ、中国大陸では重慶での絨毯爆撃(ナチスドイツのスペイン・ゲルニカ爆撃と並ぶ、史上初の本格的な無差別都市爆撃)、南京大虐殺、あるいは三光作戦などの戦争加害行為に関してはほとんど語られる事無く、大虐殺などウソだと主張する言説の方が蔓延る始末。
あるいは200万人という犠牲者のその多くが南方作戦での補給が断たれた結果の餓死、病死であった事実もまた日本軍のロジスティック能力を無視した太平洋戦争の本質を問うものであるからこそ?銃後の人々には隠され。未だに十分な総括がなされていません。

当時の朝日新聞をはじめとするメディアはこぞって大本営発表として戦果ばかりを報じ、こうしたネガティヴな事実は封印されていたわけですが、敗戦後は年を経るごとに、一部を除き、ますますこうした事実は隠蔽されてきています。

反核平和運動は、日本の平和運動の核心的なものと言って良いでしょうが、しかし世界的にはなかなか力になり得ていない現実があります。
アメリカでは、原爆投下を未だに正しい選択だったと考えている人が大半のようです。
それは言うまでも無く、「リメンバー・パールハーバー」であり、帝国日本軍の残忍さへの回答としての原爆投下の「正当性」主張なのです。

そうした冷徹な主客の関係性を考えた時、真に反核平和を全人類の命題とするには、被害だけでは無く、アジア大陸および太平洋全域で2千万万人とも言われる犠牲者を生んだ日本軍の戦争加害を認めることでしか真の意味においてスタートできないだろうと思います。
無論、帝国軍隊の兵士や戦争遂行に関わった人だけでは無く、これを銃後で支えた市民、民衆には被害者然として責任を免れるとするわけにはいかず、そこには人間としての自己省察も求められてくるのです。
そうした歴史的な意味において公正な立場に立ってこそ、平和運動も国境を越え、世界共通の理念へと昇華し、力を得ていくのでは無いでしょうか。

高畑監督の「(日本軍が)中国で一体何をしたのかとか、そういうことについては浸透してないですよね。それ自体に問題」とされる部分です。

日中国交正常化

かつて、日本と中国は田中角栄内閣の時代、1972年9月、〈日中国交正常化〉を果たしました。
英断でしたね。
この際、田中角栄の交渉相手であったのが国務院総理・周恩来で、
彼は「日本人民と中国人民はともに日本の軍国主義の被害者である」として、「日本軍国主義」と「日本人民」を分断するロジックによって「未来志向」のポリティクスを提唱し、共同声明実現が果たされたのでした。

傑出した大人物の周恩来とはいえ政治家ですので、こうした政治的ロジックは中国という国を世界に押し出すための対日世界戦略として日本と国交を結ぶための「方便」でもあったのでしょう。

本来、敵対し戦った国家間では、戦勝国が敗戦国に領土の確定と賠償を求めるのが筋というものですが、中国は賠償を求める事無く、請求権を放棄するという英断を下したのでした(日本はこれに代え、後にODA[経済協力援助]を行っていくことになりますが……)。

この「日本軍国主義」と「日本人民」を分断し、賠償と請求権を放棄するというところに〈日中国交正常化〉の核心があるわけですが、ここが、その後、日本人の対中戦争への勘違いを生み、歴史修正主義の跋扈をもたらす大きな要因になってしまったことは忘れてはいけないでしょうね。

人の情けを仇で返してしまう、こうしたことがまかり通るようではいけません。

習近平時代となり、中国のGDPは米国に次ぐ世界第2位に躍り出て、米ロに次ぐ核弾頭を整備し、南太平洋への著しい軍事的進出など、余りにも目に余る横暴な大国主義を撒き散らし、東アジアの秩序破壊的な要因を作り恥を知らぬ国になってしまっていますが、それとこれとはやはり弁別すべきで、対中戦争においてすさまじい犠牲を与えてしまったことを無きものにしたところでの、正常な関係構築などあり得ないでしょう。

〈日中国交正常化〉の理念に立ち返ることからしか、新たな関係構築はあり得ず、「台湾有事」なるものを回避するためにも、現在全く不正常な関係にある日中の国家間関係は正常化されねばなりません。
トランプによる相互関税は米中対立を抜き差しならぬものへと押し上げてしまっていますが、しかしだからと言って日中関係をこれに追従させるような愚は犯すべきでは無いでしょう。

むしろ、東アジアの秩序を取り戻すべく、独自の日中関係の模索を急ぐことがまた、米中関係における危機回避へと繫がっていくものです。

現在の日中関係の冷え込みに田中のオヤジは草葉の陰でさぞ悔し涙を流しているのでは無いでしょうか。

高畑勲監督の遺言

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この高畑監督へのインタビュー記事には示唆に富む言葉が幾つもありますが、最後に耳の痛い警句を

感情っていうのはね、しょうがないものなんですよ。日本も本当に「心」が好きなんだけど、そういう心ってコロリと変わるんだよね。やはり大事なのは、理性ですよね。

として、最初は与謝野晶子君死にたまふことなかれ」と言えたのが、
まど・みちお なども翼賛主義に陥り、戦争賛美に傾斜していく様から

僕は日本の大半の人がみんなそうなりやすいっていう、いや、なるに決まってるって、今からわかっている。
だって、空気を読むんでしょ、今の若いみなさんは。日本国の空気を読んで、なるに決まってるんじゃないですか。だから、絶対に足を踏み入れてはいけないんだ。

高畑勲氏は、いかに先の戦争を反省的に捉えても、日本人は同じ轍を踏むに決まっていると語ります。
悔しいけれど、私はここに反証を試み、異論を挟むことなどできはしないように思う。

なぜなら、この度の2025参院選、参政党の躍進に視られる〈敗戦後80年の日本の光景〉がこれを立証しているからです。

ここでは、これに加え、昨今の目に余る酷い事案から1つだけ傍証を挙げてみましょう。

週刊新潮コラムに作家の深沢潮さんが抗議 新潮社はHP上に文書掲載

『週刊新潮』紙上、20数年間続いてきたという元産経新聞記者・高山正之氏の「変見自在」というコラムがあるのですが、ここに差別主義的で悪意に満ちたエセーが書かれ、名指しされた当事者らの厳しい抗議に、出版社側も曖昧ながらもこの誤りを認め、コラムは終えることになったという一件。

朝鮮半島での植民地支配時代、人々から韓国名を奪い、日本名に強制的に改名させる『創氏改名』という非道な政策があったのですが、在日コリアンとして生まれながらも、日本国籍に帰化し、活躍されている著名人の実名を上げ、「創氏改名2・0」と題し、「日本も嫌い、日本人も嫌いは勝手だが、ならばせめて日本名を使うな」などと、在日朝鮮人がなぜ日本に定住することになったのかという基本的で歴史的な経緯も捨象したところからの悪意に充ち満ちた暴言が書かれ、これが当事者を困惑と怒り、恥辱と悲嘆、底知れぬ恐怖に追いやっただけでなく、日本社会のこの前時代的なヘイトが、大手出版社の週刊誌に真っ昼間堂々と掲載され、広く読まれてしまう、この異常さに慄かされるという事態を巻き起こしたのです。

これには当事者はもちろんのこと、多くの作家仲間が起ち、抗議の声を上げ、掲載から4週間弱、ついにコラムは終了が決まったという事案でした。

驚くのが、同社社員の一人が、「このコラムは新潮の思想の核心部分でもある。うちの読者が望んでいるのはその部分だった」と語っていることです。

メディア 対象記事(朝日新聞)

コメントの中でも指摘されていますが、同出版社のかつての雑誌『新潮45』杉田水脈衆議院議員(当時)による「『LGBT』支援の度が過ぎる」という論考が掲載され、大きな社会問題となり、その後、編集部からの特集を組んでの釈明ならざる開き直りもあったりで、結局、雑誌そのものが休刊に追い込まれています(「休刊」とはいえ、実質「廃刊」ですね)。

保守論壇のいかがわしさ、デタラメさを示す象徴的なものと言えるでしょう。
多くの名作を世に出してきた歴史のある出版社ですが、その影響力を考える時、こうした差別主義的な言説が一部右翼的な思考を持つ人々を煽ることを狙っての出版活動として展開されており、日本社会というものは、こうした異様な出版文化というものを抱え込んでいる実態があることは知っておきたいものです。

記事のコメントでも指摘されていますが、〈日本人ファースト〉という隻句とは、こうした「外国人敵視」を白昼堂々、大っぴらに煽るものであり、今や政治と出版文化が相互に補完し合い、日本社会が戦後培ってきた規範を大きく揺るがし、一気に劣化させていこうとしていることに、強い自覚を持って臨みたいものです。

本項 まとめ

今回は『火垂るの墓』を題材に、監督、高畑勲氏の生死を分かつほどの過酷な戦争体験を基にしたリアルなアニメ創作に込めた思いと、これを鑑賞する人々へのメッセージを取り上げ、併せ、加藤周一氏による映画評から、人間の生きる歓びこそ確かなもので、これを奪う戦争の非人間性を視てきました。

事態の緊迫化にあって、加藤周一さんほどに冷静にいられるかどうかは、全く自信はありませんが、
やはり日々生起する事柄に翻弄されることが無きよう、理性的なアプローチから社会科学的な知を備え、周囲の喧騒に惑わされぬ精神の強さを鍛えていくことなのでしょう。

そうした個の確立を基礎とし、人々とともに生き、歓び、生を燃焼していくことができさえすれば、例え、酷い時代状況にあっても、人生も捨てたものでは無いとの思いで満たされるのでは無いでしょうか。

もう少し 続きます

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