工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

敗戦から80年、日本社会の光景に想う 5

戦争を乗り越えて獲得された『日本国憲法』

日本国憲法の御署名原本(国会図書館 Webサイトより拝借)
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

日本国憲法 前文から

冒頭掲げたのは、『日本国憲法・前文』の部分。
内に300万人、外に2,000万人の犠牲者を生み、国土を焦土化させてしまった対中戦争、太平洋戦争でしたが、その壮絶な犠牲と灰燼の苦しみの中からの厳しい反省と教訓に育まれた 熱く深い思いから生み出されたのが『日本国憲法』でした。
戦争への反省と教訓をベースとし、不戦を誓い、世界各国との信頼構築を普段に行い、もって恒久平和を希求するという、世界に誇るべきものです。

しかし今、与党自民党から、日本維新の会、日本保守党、参政党 ら右翼の立場にたつ政治党派は、『日本国憲法』はGHQの押しつけによるものなので、自主憲法を作るべきとして画策されていることは衆知の通りです。

もちろん「憲法草案」はGHQの占領支配下での制定作業という制約下にあったことはその通りです。
これはしかし、日本軍の無条件降伏を求めたポツダム宣言を受諾した立場でもあり当然の経緯でしょう。

明治維新を画期とし、それまでの封建社会の時代から一気に近代国家への道を歩み始め、外には帝国主義的な拡張主義を展開し、しかしその結果、1945年、8月、日本国は一敗地に塗れたわけです
無条件降伏を求めるポツダム宣言を受諾し、完膚なきまで破れたのです。


そしてマッカーサーから幣原喜重郎内閣へ憲法改正が要請され、幣原内閣の下、憲法問題調査委員会が設置されていきます。
しかし、あくまでも明治憲法を基礎とし、これに修正を加えただけの茶を濁すような草案が近衛側から提示され、マッカーサーはこれを突き返すといった経緯であったり、
あるいはまた、日本には元々明治憲法下にあって、自由民権運動大正デモクラシーという国民主権を掲げる運動も豊富にあり(五日市憲法など)、有為な検討対象とされながらも、なかなかGHQが求めるような草案とはほど遠く、業を煮やしたマッカーサー配下のGHQ・民政局が前面に乗り出し、草案制定作業が本格化したことも事実でしょう。

ところで、新憲法草案において最大の難問が天皇の位置づけだったのは言うまでも無く、アジア諸国から欧米まで、戦争の最高責任者としての天皇への追求は実に厳しいものがあり、GHQにあっても天皇退位こそ喫緊の課題でした。

これに対し、この時期、東西冷戦の萌芽が見え始めただけに、米国の極東戦略にあって、天皇という日本国の最大の地位と権力を捨て去るのでは無く、活かす方向で天皇の戦争責任の免責を新憲法草案の第一条として明確に位置づけ、これを内外に天皇による勅語として表明することで最大の課題を乗りきったのです。

そうはいえ、GHQからの押しつけという非難は高まる一方で、日本の戦後政治の基盤を築いたとされる吉田内閣は、不戦を誓った九条を持つ、この新憲法草案によって、内外からの厳しい天皇批判を押し返し、天皇制の護持が可能となったことを高く評価し、他の国民主権、民主主義といった憲法理念の価値を 諄々と訴えていくのです。

ここで重要なのは、GHQによる押しつけ論に拘泥するのでは無く、その主導性を認めつつも、天皇の戦争責任の免責と併せ、一対となった戦争放棄を詠い上げた九条をこそ評価されるべきなのです。

また、当然ながらも日本側は、GHQ案を唯々諾々と飲まされたというものではなく、日本の法理、法の構造、アジア的保守性から解読し直し、ギリギリとしたGHQ民生局とのつばぜり合いを演じつつ、制定に漕ぎ着けたのです。

沖縄の切り捨てと、軍事要塞化

今にして思えば、この過程においては、東西冷戦が始まる時期でもあり、米軍支配下にあり軍事要塞化が進められていた沖縄が切り捨てられる経緯でもあったことも、実は新憲法制定にあって見過ごすことのできない重要なファクトだったのです(天皇からマッカーサーに、沖縄を米国側に差し出す文書も残っています)。

発布されてから80年近い年月を経る『日本国憲法』ですが、カント的な「恒久平和論」として、今だなお、その理念は世界に誇らしく高らかに謳われています。

「今だなお」と書きましたが、正しく言い直せば「未だに実現し得ていない、1945年の世界への約束と日本国の課題」と考えるのが実態に即した評価では無いでしょうか。

冒頭に挙げた『日本国憲法・前文』と、第2回で触れた参政党の『新憲法草案』の前文と読み比べてみてください。
日本書紀や古事記に日本のルーツを求めたいという考えはひとまず否定しませんが、しかし、日本は明治維新で近代国家を標榜し、大きく国の在り方、人々と国家との関係の在り様というものを大きく変えることを選択したのです(天皇主権から立憲主義へと)。

これは20世紀半ばの先進諸国においては、普遍的な法理として、歴史的な要請でもあったわけです。
これを歴史修正主義者らの汚れた手でグチャグチャにされたらたまったものじゃないですよ。
アジア諸国と日本の人々、2,000数百万人の血で贖われた『日本国憲法』と言っても、決して言い過ぎでは無いのです。

もう少し 続きます

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • 長文 拝読しました。考現学論考と受け止めます。

    学生時代、教職課程は日本憲法履修、全期受講の単位が必須でした。

    「君 しがらみとなりて 吾邦を留めよ」太宰府長官

    柵杭は、耐水性が高い、槙・いちい樫が役立ちますが
    荒山に生えていないのです。

    亜高山帯では、半月遅れて秋の虫たちが か細く鳴きはじめました。春・秋が駆け足、夏が長く居座り、体にこたえます。
    しばし、ご自愛願います。

    • 最近の報道ですが、教員のなり手が減少していることへの対応策として、文科省の諮問機関が、教員資格取得に「憲法」を含む一般教育科目は廃止、との意見が出ているというので、のけぞったことがありました。
      阿部さんの時代とは隔世の感があります。

      古文は不案内ですが、大宰府に左遷された菅原道真の和歌でしょうか。
      数年前、〈飛梅〉ではありませんでしたが、紅梅のほころび始めの頃に参ったことがあります。

      異様な暑さは全国的ですが、間もなく二十四節気〈秋分〉の1つ前の〈白露〉です。
      そこを越えると、降雨とともに気象モードも変移していくことでしょう

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.