敗戦から80年、日本社会の光景に想う 7(終)
8月15日と、靖国神社
8月15日〈全国戦没者追悼式〉における石破首相の式辞に「反省」の2文字が入ったというので批判の声が喧しいようです。
安倍第2次政権以来、12年ぶりに復活したフレーズであれば騒ぐのも分からないでは無いですが、歴史を顧みるべき式典に、これに真摯に向き合うことを拒む右翼ポピュリズム勢力が今般の参院選で台頭し、これに勢いづく1つの表象とも考えることができるでしょう。
同日、靖国神社では遺族を始め、炎天下、多くの人々の参拝の列を横目に涼しげな顔で廊下を本殿に向かう多くの政治家の姿がありました。
参政党は全ての国会議員に加え、多くの地方議員も参拝したそうです。

ところで、ここに祀られている兵士たちの大元帥であった天皇でさえ(昭和天皇、平成天皇、令和天皇、3代にわたり)、A級戦犯が合祀(1978年10月)されて以降、靖国神社に背を向けていることはご存じでしょうか。
天皇は大日本帝国憲法下で「大元帥」という軍を統帥する立場の最高責任者でしたが、にもかかわらず、なにゆえ靖国に背を向けているのか。
元宮内庁長官・富田朝彦氏が綴っていたメモ(富田メモと称される)に、昭和天皇がA級戦犯の靖国神社への合祀に、強い不快感を示したとされる内容が記されていたことは良く知られていますが、以降、3代にわたり、天皇の靖国に向ける視座は一貫して厳しいものがあるようです。(wiki参照)
一般に日本での保守主義、右翼の人々は天皇主義者と見做しても良いと思われますが、その思想に立脚するはずの靖国神社をめぐっても、これほどにも視座、考え方の落差があるところに、戦後日本における保守主義の矛盾を観て取ることができ、また天皇が靖国神社への参拝を拒否し続けるという、このいわば異常としか言いようのない状態が教える靖国神社の本質というものを今一度考えてみなければと思います。
世界を翻弄する〈トランプ2.0 〉
世界を敵に回すかのようなトランプの傍若無人な振る舞いや、中国の地球規模での台頭などを考えた時、
戦後80年の世界は今、戦勝国アメリカを盟主としたG7を主軸に、成長と発展を誇る長い時代が終焉を迎えていることは疑いないところでしょう。
成長と発展の源泉であったはずの自由貿易を悪し様にけなし、貿易赤字に苦しむ米国経済を建て直すためと称し、貿易相手国からの商品にすさまじいばかりの過大な関税を課す保護貿易を打ちだしたトランプがホワイトハウスの執務室でふんぞり返っているという“異常事態”は、世界の秩序破壊を促す狼煙のような衝撃を与えています。
自国経済の立て直しのためとはいえ、これほどの過大な関税では消費も冷え込まざるを得ないでしょうし、それは選挙でトランプを支持したロワーミドル白人層らの暮らしぶりに悪影響として結果し、保護される国内産業の方も、生産性向上への意欲を削ぐことに繋がりかねず、さらには友好国であった貿易相手国をアメリカから矧がし、中国、ロシアに接近させるモメントとして働き、トランプの思惑とは逆の結果をもたらす事態を招いていることも事実のようです(インドなど)。
こうしてトランプの熱意も上滑りというか、この過大な相互関税も どのみち来年の中間選挙前にもかなりの程度、撤回せざるをえなくなるのでは無いでしょうか。もうメチャクチャでござりますわ。
いずれにしても、この保護貿易に舵を切った〈トランプ2.0 〉も、彼個人の経済の読みからのものという側面もあるでしょうが、それ以前に、過度なIT依存と米国製造産業の長期低落傾向と、それゆえの世界支配からの落伍という歴史的な転換期を象徴するものとして、そのピエロを演じているのがトランプと視ることもできるわけです。
下図は〈2070年までの世界のGDPとランキング予測〉というものです。
ゴールドマン・サックスのデータから導き出した予測とのこと(Revitalize、というところのアナリストのもので、拝借しました)。
2030年代には、中国は米国を抜き。インドもこれを急速な勢いで伸張。
次いで、インドネシアが台頭。
このシナリオは多くのアナリストが認めざるを得ない指標では無いでしょうか。
日本を含むG7各国はノロノロと成長はするんでしょうが、インド、インドネシア、あるいはアフリカ、中南米諸国の経済成長に置いていかれるの図、といったところでしょうか。
世界歴史の推移を考えて視ても、この近未来のGDPの推移予測は、なにも不思議でも無く、過大な見立てでも無いように思えてくるものです。
これが歴史のダイナミズムというものでしょう。

無力な国連に想う
第2次世界大戦の終結後、戦勝国のアメリカ、イギリス、ソビエト、中華民国で構成される連合国により、N.Yに国連(国際連合)が設立されました。
国際平和と安全の維持、経済・社会・文化などに関する国際協力のための最高機関です。
しかし、ウクライナについても、ガザに関しても、そこでは国連の存在感は極めて薄いもので、本来の機能が果たされていない現状があります。
他でも無く、これにはトランプ就任後、国連の様々な機関への資金拠出を停止させたことも要因の1つでしょうが、そもそも、世界秩序がアメリカを先頭に崩壊し始めている現状においては、残念ながら国連も本来の機能を果たし得ないというのが現実だと言うことを、今の世界の現状が教えていると言っても良いでしょう。
私など、国連は、カントの〈永遠平和〉のための機関として設立されているとの思いもあり、ここに大きな安心と歓びを覚えていたものですが、まったく勘違いも甚だしいですね。恥じ入りますよ。
一番肝心なところでその機能が果たせないばかりか、いよいよその影は薄くなる一方。
ウクライナ戦争も、ガザの戦闘も、局地的なもののようではあれ、現在の戦後世界秩序、枠組みから不可避的に起こっているものと観ることもでき、その意味からは、この2つの地域戦争は世界の破局へと向かう長い戦争の始まりであったと、数10年後にはフツーに語られるのではとの思いさえあります。
破局への覚悟
歴史上、幾度もこうした破局は繰り返されてきたことですので、100年、千年単位での人類史のタームからすれば現在の悲惨な状況も、必ずしも異常でも不思議でも無いと言えるのかもしれません。
もちろん、人類は封建支配体制、君主制からフランス革命を劈頭とする市民革命を成し遂げ、市民を主軸とするところの近代社会へと進化させ、文明と社会の著しい成長と発展を遂げてきました。
その後、2つの大戦を経、「戦争と革命」の怒濤の20世紀を歩み、この反省と教訓に踏まえ、戦後いち早く国連が設立され、極めて不十分ながらも、世界突如を何とか維持してくることができたのでしょう。
しかし、現在は盟主米国も沈みつつあり、やがてその経済的地位を奪う勢いで台頭しつつある習近平・中国、そしてプーチン・ロシアのウクライナ軍事侵攻を巡る立場から良く語られるようになってるBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)、そしてこれに加え、アフリカ諸国、中南米諸国などで構成される中立的な立場を取るグローバルサウスもまた、大きな発言力を持ちつつあり、このように明らかに世界の秩序は多極化に向かっているのです。
この世界各国の置かれている立場と振る舞いから、戦後80年の来し方を振り返り、これからの行く先を考える時、現在の枠組みのままで統一的な何かを決するなどと言うことがいかに困難なものであるのか、言うまでも無いのです。
ウクライナやガザの悲惨な状況を止めるため、いくつもの議案が国連・安保理に掛けられてきましたが、1つといって、議決された試しがありません。
言うまでも無く、この戦争の当事者である、ロシアとアメリカが安保理の常任理事国だからです。
これら安保理・常任理事国には拒否権を与えられていることで、そのため安保理がまったく機能していないのです。
こうした状況を視れば、この先、状況打開へ向けパワーの行使、つまり戦争へと向かっていきかねないという事も頭の片隅に置かざるを得ません。
私がここで用いる「破局」の具体的な様相というものははっきり言って分かりませんが、やがて到来するであろうことは高い蓋然性を持って言うしか無いと考えています。
ただ大事な事は、その破局がもたらした灰燼の中から、新たにスックと新しい世界が起ち上がってくるということも人類の歴史が教えるところなのです。
日本社会の場合、明治維新を境とし、欧州から周回遅れではあったものの、アジア地域で唯一、近代化を果たすべく、帝国主義の道を歩みはじめたのでしたが、80年近い年月を経、その帰結としてすさまじい犠牲を生む 1945年の敗戦という現実をを突き付けられてしまったのでした。
その後冷戦期を経、一時期 繁栄を誇ってきたものの、今やG7の一員とは言え、経済社会、あらゆる指標において劣位の地位に甘んじているわけですが、その実態を認めぬ政治の貧困があり、このままではやがてくるであろう破局の時代に対応不能なままに突入するかも知れません。
つまり、破局後、灰燼の中からスックと起ち上がるにしても、新たに求められる価値観、新たな正統性なるものを阻む、新時代に適応できない勢力が幅を利かせているようでは、長期の混迷と経済的困難から抜け出すのは至難でしょう。
敗戦後80年、この時間軸の長さは驚くべきものがあります。
明治維新からはじまり、1945年の敗戦まで78年という年数を数えますので、その長さを越える80年というものがいかに長いかも判ろうというもの。
こうした時間軸から捉えるならば、近代という歴史における今の時代の位置づけもほの見えてくると思いますが、長いタームの時間軸の中に、リアルな現在の課題を落とし込みつつ、世界の中の自己を見失うこと無く、日々、真理が奈辺にあるかを問い、生きていくことができればそれで良いのではと思っています。
そうした揺るがぬ世界観、人生観があれば、破局後の世界においても生き延びることができるかも知れず、そこからまた、人々と共に生きる歓びを感じながら、新たな時代の新鮮な空気を味わいつつ、歩んでいけることも確かなことのように思います。
野坂昭如、高畑勲、加藤周一の言葉から託されたもの
そうした視点に立つためにも、先に引用した加藤周一氏の節子の「生きる歓び」「愛情豊かな人間関係」といった個人の生へのポジティヴな態度こそ、大事な事なんだろうと思います。
人生が思い通りにいかないからと言って、他者を怨んだり、いきなり一足飛びに国家に依存するのではなく、個として自律し、そこを基軸にしつつ、関係性を豊かに築いていくことなのでしょう。
二人の兄妹が西宮のおばさんに依存することを由としなかったことで、死への道を早めてしまったということにもなりますが、しかし清太自身の尊厳と、自立性から、二人で生きることを選択したことは、私はとてもよく分かる気がするのです。
14歳と4歳の兄妹としては、敗戦後の混乱という特殊な時代でもあり、あれが精一杯の人生だったのです。
原作者の野坂昭如氏はこの『火垂るの墓』について高畑監督との対談の中で、あれは「道行です」と幾度も語っており、高畑監督もそれを理解しつつ「アニメ創作」に励んだと思われますが、
そこをここで論ずることは致しませんが、ただ言えることは前にも語った通り、個の自立、自律とともに、生の歓びをポジティブに抱き、表現し、心を許す身近な人と「愛」で繫がることで、困難な時代を生きていくこともできるということは、たぶん、間違っちゃいないと思うのです。
私の場合、14歳の少年よりは、多少は生きる知恵も備えているでしょうし、いやいや、もはやいつ死に至ってもおかしくは無い年齢でもありますしね 😅
その上で、私としては、事態がどのように展開していこうと、ペシミスティックに陥ること無く、類に生きる個として、どこまでもオプティミズムの精神で歩んでいきたいものです。
皆さまには社会変動がどうあれ、良い近未来を迎えられんことを祈るばかりです。 了

木工家具のデザイナー & 職人のartisanです。
