工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

河野澄子さんの訃報に接し

日本社会を覆う閉塞感、人々の関係性における劣化がもたらす犯罪なども含む様々な社会事象は時に心を暗くする。
このネット上でもある種のキーワードで検索すればおぞましいほどの悪意に満ちた言説空間が広がっている。
かつて未来への夢と希望の根拠であった民主主義もメッキが剥げ落ち無惨な姿を晒しているかのよう。
こうした先の見えない闇の中にあって、ボクにとっては一点希望の灯りを指し示してくれている人がいる。
オウム真理教による松本サリン事件の被害者であり、同時に冤罪被害者でもあった河野義行さんのことだ。
この河野義行さんの妻・澄子さんが5日未明に亡くなられた。
事件発生から14年間、サリンによる後遺症により意識がほとんど戻らない中、愛する家族に見守られての闘病生活の末の死去。(毎日jp
心より哀悼の意を表したいと思う。
本当にお疲れさまでした。あなたの苦闘とその生命力が、河野家の支えであったことでしょう。


命あるかぎり―松本サリン事件を超えて1994年6月27日夜におきたオウム真理教によるサリン噴射事件の第一通報者であったことから関与が疑われ、サリン中毒被害の入院中にも強制捜査を受け、退院後は自白を強要され、メディアはこぞって犯人扱いでのキャンペーン合戦。
週刊新潮などはあることないこと、でたらめ記事のオンパレード。
結局翌年の地下鉄サリン事件がオウム真理教の犯行と判明し、結果河野さんは犯人ではなかったことが明らかになる。
その間の河野義行さんへのフレームアップ、メディアスクランブルはメディア、県警一体となって繰りひろげられ、結果としてオウム真理教による地下鉄サリン事件へと発展させてしまったとも言え、その責任の重大さは計り知れない。
(メディアの多くはその後謝罪文を出したが面談での謝罪は無い。また県警は一度も謝罪していない)
ボクが“希望の灯り”と形容したのは、こうした犯人視された1年間と、その後14年間にわたる、彼の怒りの感情の発露というものを、自身への災難を語ることに消費させるのではなく、常に一貫して公的空間への発言として語られていることに対してである。その冷静沈着さと、説得性の強い語りはいつもボクを驚かし、日本でもこういう人がいるということに感嘆させられるのだった。
一市井の人間が、ある時化学兵器のターゲットにされ、妻を意識不明の病床へと送られ、あまつさえ犯人扱いの人権侵害を受けながらも、地下鉄サリン事件の被害者のほとんどが「極刑でも足りない」と怒り猛るという状況の下、「私は、麻原被告も、オウム真理教の実行犯の人たちも、恨んでいない。恨むなどという無駄なエネルギーをつかって、限りある自分の人生を無意味にしたくないのである。」(新刊、「命あるかぎり」から)という姿勢で一貫している。
凡庸で感情のコントロールもままならないボクにはとても真似できない言動だ。
河野さんはオウム信者との交流もあり、彼らの謝罪を受け入れるだけではなくそこから一歩進み、彼らの教義への接近と対話を通して客観的な視座を獲得し、関与させられてしまった自身の責任において現代社会の闇と対峙しようと試みているかのようなのだ。
恐らくはオウム真理教のような現代社会に産み落とされた魔物の解明と無力化というものは、本来であれば敵対する関係であるはずの、この河野さんのような他者との交流、対話、働きかけの努力無くしてはあり得ないのかも知れないとさえ思えてくるのだ。
アメリカ、コロンバイン高校であった銃乱射事件での被害者遺族の中にも同じような姿勢の母親がいたことを、ある哲学者の講演で聴いたことがあった。
世界は広く、多様で、まだまだ民主主義への希求も捨てたものではないと思えてきたものだ。
*河野義行 公式サイト

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • 地下鉄サリン事件の日、通常は東銀座で都営地下鉄から
    日比谷線に乗り換えるところ、車内放送で日比谷線の
    不通を知らせれ、そのまま都営地下鉄で新橋へ向かい
    バスで職場へ向かった覚えがあります。
    職場へ着いてしばらくして大きな事件だったことを知りました。
    あと30分早く出勤していたら霞ヶ関駅で死んでいたかも
    しれません。
    今回の河野さん死去の話はニュースでも大きく取り上げられ
    ましたが、まだ多くの方が後遺症に苦しんでおられることを
    忘れずにいたいと思います。

  • acanthogobiusさん、そうだったのですか。危機一髪でしたね。
    (ボクもあの後は霞ヶ関駅での乗り換えを避けるように移動していました)
    オウム真理教教祖・松本智津夫は一昨年最高裁による弁護側からの特別抗告を棄却し、死刑判決が確定しましたね。
    最後は弁護団との疎通も出来ず、まともに公判廷に臨むこともできなかったようで、果たしてどこまで死刑判決を自身のものとして受け止められているかさえ不明です。
    空前にして絶後とも言うべき史上最悪の犯罪であるのに、その真相は解明されないまま宙づりにされている感じが否めません。
    河野澄子さん同様、被害に遭われ亡くなられた方にあらためてご冥福をお祈りしますとともに、多くの被害者の苦しみをともにせねばいけませんね。

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.