工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

伊藤和也さんの遺影に接し

今日は久々に晴れ上がった。
空の青さはアフガン東部、ジャラーラーバードの空ほどでは無いかも知れないし、何より極東の端っこ、湿潤な気候の日本に久々に無言での帰還を果たし(そう、帰還という表現が良いかも知れない)、本人の気分は本当のところどうなのだろうか。
棺の前に進み出たとき、ついそのような不埒な問いかけをしてしまった。
伊藤和也さんの通夜が掛川市内の葬儀場で営まれ、末席に座らせていただいた。
会場には大好きだったという坂本九の「見上げてごらん夜の星を」が流され、設えられた祭壇は花々で飾られ、中央にはアフガニスタン東部ナンガハル周囲で伊藤さんが現地住民と共に試験栽培をしていたというお茶の木々が生い茂り、そこにアフガン大地を背景に微笑む伊藤さんの遺影があった。


決して大きくはない会場であったため、3つの部屋を用意されていたものの、それでも足りないほどの参列者であふれ、焼香の列はいつまでもいつまでも延々と続くのだった。
知人でもなかったボクには知った顔はほとんどなかったが、TVで見知ったご遺族、中村哲さんはじめペシャワール会の方々、カレーズの会のレシャード医師、そして外務省から数名、さらには地域の国会議員などなじみの顔がいくつかあった。
通夜の儀が終わり、司会者に促されるままに棺の前に進み出て、お父さまに掛けることができたことばは、ただ「悔しいですね」というひと言だけだった。
非礼を承知で言うのだが、和也さんにとっての見送りとは、日本国内のエアコンが効いた立派な葬儀施設でのそれよりも、荒涼としたアフガンのガレ場でのアフガン民衆に囲まれた野辺送りの方が、黄泉の世界への旅立ちとして似つかわしかったのかも知れない。
しかし父母の待つ日本の地に帰還し、多くの親族、友人に囲まれての葬儀もまた重要であることに違いはないのだが。
なぜこのような場違いな思いを吐露するのかと言えば、先のエントリで触れた伊藤和也さんの非業の最期の日本国内での受け止め方に関わる。
確かに「自己責任パッシング」(あの時のことを高遠菜穂子さんは「武器を持ったイラク人には殺されなかったけど、武器を持たない同胞には〈殺され〉ました」と語る)は表面化しなかったけれども(ネット上では「遺体搬送に税金は1銭たりとも使うな」などという悪罵が飛び交っている。ペシャワール会の運動資金には一切の公金は投下されていないことを知っているのだろうか?)、それに替わり政府筋(某官房長官)からは、「だから言ってるでしょう、如何に対テロの戦いが重要なのかと言うことが分かってくれたはず。さらなる支援強化(米国の軍事侵攻への)を検討すべき」などと言ったことが喧伝され始めている。
中村哲氏などの活動の姿勢の基本は、丸腰で現地の人々と共に「生き延びるために」灌漑用水路を作り、もともとあった緑の大地へと蘇らせるための事業であり、そうしたことを海外の者の手に委ねられざるを得ない最大の理由が他国から仕掛けられた戦争による荒廃にあるのだということ。
そこには平和憲法、9条を有する日本のNGOだからこそできることがある、との考え方で一貫しているわけで、「対テロ戦争」なる軍事侵攻こそ、戦乱と荒廃の最大の原因という認識がある。
「対テロの戦いが如何に重要なのかと言うことが分かったはず」などという蒙昧で筋違いな物言いは伊藤和也さんの苦闘と死を辱め冒涜するるものであって、いわば中村医師らとともに伊藤さんの死を賭して戦った事業を簒奪する無礼な物言いであるということを理解せねばとつくづく思う。
伊藤さんの死に対する誤った政治的な利用は断じて許されてはならないと思う。
伊藤さんの遺志に反するような言論は、ただただ悲しみが増し、癒えぬものとして沈殿していくばかりだ。
ニュースで伝えられるところによると、昨冬の干魃からくる超不作と、世界的穀物高騰の煽りを受け、アフガンの民には多くの餓死者が出るのではとの危惧が囁かれている。
画像下は、現地のアフガンの友人に作ってもらったという民族楽器「ルバーブ」。
和也さんが撮りためた、現地の風景、アフガンの人々の柔らかい笑顔などの写真、お母様に送られたという民族衣装など所縁の品々が紹介されたコーナーに置かれていた。
ルバーブ

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