工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

加藤周一氏の訃報に接し

今朝起き抜けに加藤周一さんの訃報を知った。
膝から崩れ落ちるショックだった。巨星墜つ、という感じだ。
「多臓器不全」という病名を付されているが、89にもなる高齢であれば、老死(自然死)と言うべなのだろう。ただしかしそれだけで悲しみをグイと飲み込めるほど客体化できはしない。
毎月、定期的に朝日新聞に『夕陽妄語』(せきようもうご)というエッセーを書いてくれていて、それもこの7月が最後になってしまっていたので体調悪化を懸念していたのだったが、まさかの訃報には何とも無念としか言いようがない。
心からのご冥福をお祈りしたい。


「夕陽妄語」(朝日新聞に月1回の頻度で以前は夕刊文芸欄に、数年前からは朝刊に移動 ← タイトルからして朝刊への移動はすべきでない、と新聞社に抗議したことがあったな)は1984年から続いていたが、密かな毎月の楽しみなエッセーだった。
ボクは決して良い読者でもなく、文庫本になったものを数冊持っている程度だが、しかし何よりも戦後のリベラリストの陣営の強靱な時代精神を持つ知識人として、あるいは博覧強記な教養人(こんな言葉、死語になってしまったが)としてその発言を注視してきたし、ある種、荒廃の度を強める日本社会にあって、民主主義の堡塁を身体を張って守ってくれていた数少ない人であったと認識している。
事象への深い洞察は古代ギリシャ・ローマ研究から裏打ちされ、現代日本を語る際にも国境という見えざる障壁を打ち破り、他者の視座を持ち得たが故のコスモポリタン的な希有な知の人だった。
また戦争体験者として焦土の中に佇む中から決然と起ちあがり、戦後日本の平和と民主主義を戦い取るリベラル陣営の側に立つ強い精神を持った作家、文芸批評家、そして言論人として良質な仕事を残されてきた。
「岩波・朝日文化人」として半ば揶揄される時代にあっても、不屈に若者の中に入っていっては、欧州の社会哲学の紹介から、日本文学の評論までを語り、最近では右傾化の激しい日本にあって、「夕陽妄語」に代表される時事問題への積極的なコミットは、まさに死相にも近い相貌から、暖かい眼差しで自身の経験から自由と平和の大切さ解き明かし、希望と夢を語っていたのが印象的だった。
浅田彰氏は〈最後の正当派知識人だった加藤さんの死で、「基準」が失われた‥‥〉と評していた(12/06 朝日 夕刊)。死者へのはなむけの言葉とはいえ、1つの座標軸であったことは確かであり全く同意できるところだ。
鬼籍に入ってしまった加藤周一氏から私たちに遺された課題はあまりに大きいし、例え直接的な親交が無いにしても「基準」としてきた人が亡くなってしまうというのはとても辛いものがある。
恐らくは彼自身としても現今の日本をこのままにした状態で死を迎えることには断腸の思いがあっただろうと思う。
例え89歳という高齢による活動のペースと深さの低減があったとしても、頭脳と精神の衰えを見せることなく、常に強靱な思考と暗喩を効かせた豊かな言葉の一つ一つは、やはり宝石のような輝きがあり、対極のおぞましいまでのTV評論家などからは決して受け取ることのできない、人類が残してきた知の資産と近代世界の真の豊かさを語ってくれた人として、心からの感謝を捧げたいと思う。 合掌。
なお今月の21日に NHK「ETV特集」《 加藤周一 1968年を語る〜「言葉と戦車」ふたたび〜》が放映予定となっている。
いつ収録したのかは不明だが、加藤周一氏の生前最後の言葉を聞き逃さないようにしたいと多う。
自由と、平和を希求する人にとって興味深い内容と思われるので、ぜひチェックを。
またテーマからして直接的な対象年代の団塊世代には熱い時代との邂逅であろうし、そして何よりもそれを知らない若い世代には心を揺さぶるに値するものとして必見だろう。
■ NHKサイト 「ETV特集」
*お知らせ(08/12/11)
加藤周一氏、死去により「ETV特集」の放送日が変更になりました。
「加藤周一 1968年を語る〜“言葉と戦車”ふたたび〜」
12月14日(日)22:00〜23:30
 

《関連すると思われる記事》

                   
    

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.