工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

オウム真理教、高橋克也容疑者の逮捕劇

菊池容疑者逮捕を受けての切迫した状況にしては、あまりにノンシャランな高橋容疑者だった。
捕まえてくれと言わんばかりに、もっとも警戒されるだろう「マンガ喫茶」で御用。

事前にいくらでも逃走経路を確保し、高飛びできたろうに、大金の使い方も知らず、
まるで、ただのそこいらのわけのわからない兄ちゃんと変わらぬ生活者然。

反権力の意志のかけらも無ければ、歯向かう牙すらも磨り減っていたのだろう。

江川昭子氏はインタビューに応え、事件解明に繋がるような証言など期待できないだろう、というのは全く同意。

この間のメディアの騒ぎは、ただの祭りで、何もオウム事件に迫るような迫力も無ければ、意志も感じさせないものだった。

同じく気に入らないのは、菊池も高橋も、神奈川県警のお膝元で長年暮らしていたということ。
振り返ってみれば、オウムが暴走する端緒だった、坂本弁護士事件をめぐる杜撰な捜査と、失態の数々も、この神奈川県警。

あの時、疑わしいオウムに然るべく捜査の手を伸ばしていれば、オウムの暴走は防げたろう、というのは、多くの関係者が指摘するところ。

坂本弁護士は日本共産党に近いところで弁護活動をしていたことでの、無視、放置であったとの疑いが濃厚(県警と日本共産党との盗聴器を巡る確執などの因縁)。

そしてまた、長年にわたる逃亡を許したのも、神奈川県警お膝元であった、というこのやるせなさ。
まぁ、この時間の蓄積によって、逃亡者もあのようなノンシャランな輩に堕ちたと思えば、許せるか?

主要な幹部漣は皆、死刑と言うことのようだが、殺してしまうと言うのが国家の意思としても(私はそうした意志は持たないが)、オウム事件の真相には全く迫ること無く、吊して、全てが終わってしまうのだろうか。
メデイアもただおもしろおかしく、お祭り騒ぎ。

あのバブルの時代。きらびやかで、華やかで、狂喜乱舞した時代に、染まることができずに、違和を感じた若者たちを吸引し続けたオウム。

今や、若者たちは、そうした時代があったことさえ知らずに、明日の命をどう支えていくのかで汲々としている。
日本はいったいどこへ向かって行こうというのか。

無性に河野義行さんの話しが聴きたい。

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