工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

政権交代の果実は、今日ついに潰えた

衆院本会議で消費増税法案が可決

消費税率引き上げなど、社会保障と税の一体改革関連法案が本日の衆院本会議で民主、自民、公明3党の合意に基づく修正案とともに賛成多数で可決された。
通常国会は79日間延長されたので、参院での審議を経、今国会中に成立する見通しとのことだ。
「政治生命を懸ける」と断言したどぜうくんにはさぞかし慶賀なことであるだろう。

先の衆院選で民主党に政権を預ける最大の根拠となった、「税金の無駄遣い根絶」「政治家主導への転換」などを主軸とするマニフェストには、一言も書き込まれていない消費税増税がいとも簡単に易々と衆院本会議で可決されるという、この不可思議さにはボクはオドロキを超え、哀しみを覚えてしまう。

曰く、‥‥ 日本の財政はもはやこのままでは立ちゆかない、
‥‥ ギリシャ経済のようになっても良いのか、
‥‥ 「消費税増税」は国際公約、
‥‥ 「決められない政治」からの脱却、

これらのウソとペテンの脅し文句の数々は、為政者(権力者)からの恫喝であることは皆よく知っている。

財界主導の税制に舵を切る消費増税

そもそも、税制とは所得の再配分であるということは、近代政治経済の根幹を為すもの。
つまり税負担能力に見合う形で、所得の高いところから低いところへと再配分することで、社会を安寧に維持させ、活力ある社会経済を営み、発展させていこうという、近代社会が獲得してきた智恵であり、制度であったはず。

所得がなければ消費はできないのであって、そこから税負担を求めるというのがそもそもおかしな制度。
戦後日本の社会経済は、一億中流と半ば揶揄されながらも、高度な発展と「豊かな」社会を築き上げてきたのだが、様々な歪みが隠れていたとは言え、大きな破綻も無くやってこれたのも、一定の公平な税制が築き上げてきた中間層の厚みであり、活力であったはず。

そうした既存の制度では生ぬるいとばかりに、発せられた《経団連成長戦略2011》を、丸呑みし、提案されたのが、どぜう内閣の「社会保障と税の一体改革関連法案」なのだ。
最近ではさかんに週刊誌などでも取り上げられるようになっているので、ご存じの人も多いと思うが、経団連と一体化してしまっている財務省の勝栄二郎事務次官の意を体し「政治生命を懸け」ているのが、どぜうくんというわけである。

ここ数年の租税の実態をみれば、金持ち優遇税制が進んできたのかが分かる。
個人と法人の最高税率は下がり(所得税の最高税率:消費税導入前の75%から、導入後60%に低減)、一方で課税最低限が引き下げられ、貧乏人がキャノンやトヨタの経営者を支えているという構図になっている。

財政、税制など政策提言などで影響力のある政府審議会などのメンバーは、そうした財界のお偉方。

当然にも財界に有利な提言が為され、これをまるごと呑むのがかつての自民党政府であったわけだが、そこを変え、本来の主権在民の社会に変えようという市民の意識が集まったのが、2009年9月の政権交代であったはず。
その後、一度も国政選挙を経ること無く、あれよあれよという間に、自民党時代より、さらに貧乏人を苦しめる税制を取り入れようとしているわけだ。

所得格差がかつてなかったまでに拡大している現状に、加えて消費税増税が実施されれば、現状を超え、さらに金持ちに所得が移され、我が世の春を謳歌させ、貧乏人は塗炭の苦しみを味わい、より格差は拡大し、今以上に経済は低迷し、社会は劣化していく、という道筋が目に見えるようだ。
消費税増税で財政再建されるなどと、誰がホントに信じるだろうか。増税には景気を良くするしか方法は無いことなど誰でも知っていることなのに。

これほどまでにあからさまな見え透いた財界主導の内閣はかつてあっただろうか(コイズミはそうだったかな)

政権交代を成し遂げた民主党とは

政権交代とはいったい何だったのだろう。
どぜう内閣のマニフェスト真逆戦略を易々と丸ごと呑み込み賛成票を投じた民主党党員たちに果たして定見などあるのだろうか。キミたちは単なる数合わせの齣か。

なぜこのようなことになってしまったのか。
冷静に考えれば分からない話では無いと思う。
どぜうクンをはじめとし、内閣の主軸を占めている松下政経塾出身の面々らが、これらの財界主導の新戦略を強引に推し進めようとしているのは間違いないところ。
つまり政権交代を果たした民主党にはもともとそうした素地があったわけだ。

政権交代を成し遂げた当時、小沢元代表らが中心となって策定されたマニフェストも、現政権を構成している連中には、いわばあずかり知らぬことであると言いたいのがホンネなのかも知れない。
こうして、自民党以上に財界主導の守旧派というべき現政権が、イチジクの葉をかなぐり捨て本性を露わにした、と考えれば納得もいく。

口を開けば「国民のために‥‥」と語り始めるどぜうクンだがが、ほとんど意味の無い、感情も無い、ただの枕詞。
視線の先にあるのは、実は財界であり、エスタブリッシュメントであり、アメリカ政府というわけだ。

政権交代の果実はゴミ箱に、代わって表れたのは〈大政翼賛会〉志向?

しかも、この社会保障と税の一体改革関連法案審議の過程で飛び出した、民主、自民、公明3党の連立というアクロバットは、実は法案内容より、より怖ろしい内実を孕んでいるのではと、ボクは強く危惧する。
憲政史上、まれに見る暴挙だろうと思う。
まさに20年戦争へと雪崩れ込んでいった、戦前の〈大政翼賛会〉のキナ臭さをそこに見てしまう。

このBlogでも野田政権誕生に当たり、その意味、危険性というものを指摘したきたところだが、しかし翼賛体制へと舵を切るとまでは思いもよらなかった。

先の新組閣で航空自衛官上がりの拓殖大大学院教授、森本敏氏を防衛大臣に据えたのもオドロキだった。
親米国、反アジアのタカ派防衛族で良く知られる人物の登場であったわけだが、シビリアンコントロールなど知ったことじゃない、とばかりの信じがたい布陣だった。
これほど旗幟鮮明な意志表明に踏み切ったどぜう内閣だが、事態はここまで進んできたのかと、自身の不明を恥じている。

三党合意という野合への道筋がこうした施策で淡々と進められていたというわけだ。

こうして党内の少なくない数の真っ当な消費財増税反対党員を切り捨て、あろうことか、自民、公明の修正案を丸ごと呑み、採決へと雪崩れ込む‥‥、悪い夢を見せられているようだ。

メディアでは、ただ政局絡みの話しにおもしろおかしく解説を加えていくだろうが、今進行しつつある政治社会の潮流をこそ、冷徹に見据えていきたいと思う。

戦後日本、政治制度で言えば55年体制と言われる岩盤を崩して成立した政権交代の果実というものは、米国との距離を見直し、新たなアジア戦略を打ち立てようとした鳩山政権、あるいは新しい公共という価値概念を掲げ、崩壊しつつあった社会を再構築しようとした試みなどは、見るも無惨に敗れ、今では政権交代以前より、さらに米国寄りで、財界におもね、弱者を切り捨て、沖縄を切り捨て、原発ムラをてこ入れし、党を割り、ケツをまくる。

確かに経団連米倉会長には覚えめでたい政権かも知れないが、しかしこの政権は大きな時代の流れからは、反動以外の何ものでも無い。

そしてこれら反動は主要紙、TVメディアを籠絡し、市民を敵に回した、より一層の悪政を仕掛けてくると思う。
ただかりそめにもまだまだ憲法下での民主的制度はあり、これら反動の思惑通りに事が進むわけではない。

異議申し立て、不服従の方法はいくらでもある。
先週金曜日の首相官邸前には40,000人を集める「大飯原発再稼働反対集会」があった。
政党からの動員とは無縁の個人が主軸になったどぜう政権への抗議行動だ。

政局はほとんどチンプンカンプンだが、解散総選挙も遠くないうちにやってくるだろう。
今回の消費税率引き上げ法案に賛成した民主党党員には落選してもらうことだってできる。

‥‥‥‥
恐らく今頃、首相官邸には経団連米倉会長からの巨大な胡蝶蘭が届けられていることだろう。
でかした ! との添え書きとともに。


※ 参照
消費増税 衆院可決 政権交代が終わった日(東京新聞)
増税法衆院通過 反対57 棄権欠席19(ゲンダイネット)
官邸前4万5000人の衝撃 野田首相にトドメ刺す市民デモ地獄(ゲンダイネット)

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  • よく高税率で引き合いに出される北欧諸国は、確かに数字だけ見ると高く感じますが、総合的に見ていくと日本の「税」とは全く別物だと感じます。理想国家のビジョンがあって、政策が作られていくというプロセスで、税の引き上げひとつとっても、議論のレベルが段違い。

    もちろん、結果的に問題が発生することはありますが、「理想に向かう過程での問題」と「でたらめに突き進んでぶち当たった問題」ではその後に与える影響が全く違います(これは政治経済に関わらず、個人の人生でも同じだと思いますが)。

    今の日本は、国民も政治家も(一部を除き)ビジョンのない政策で言い争ってばかりで、せいぜいその場凌ぎの法律ができるだけ。根本的な解決の方向には向かっていないし、向かう気さえないのではと感じてしまいます(おかしな方向のビジョンはあるのかも^^;)。僕の同世代あたりは、そんな「空気」を読んでそのような政治には関わらない方が得策という考えの人も多いようです…

    しかし今の日本の制度では選挙で変えるのが一番効果的なわけで、そのためにはartisanさんのように、世相を読み、どの党どの議員の主張が良いのか、ということを自分で判断することが必要ですよね。黙って見ているだけでは、声の大きな方に流れていくしかないわけですから。

    とりあえず僕は、中身が根本的に変わらない限り、民主・自民・公明には期待できないと思っています(何人かの議員さんはいいこと言ってるのですが、採決となると党の方針に飲み込まれてしまいますね)。

    • motorajiさん、やや固いテーマへのコメントですが、ありがとうございます。
      私のエントリ内容の足らざる部分を補強していただける主旨の投稿でもあり、感謝です。

      北欧諸国の税制を取り上げての論考ですが、
      この社会経済の根幹を成す税制の背景にある、「自分たちで公共を担う」というエートス(心性、気質)を日本においても根付かせたいものだと常々願っています。

      たぶんこれはしかし、難しいでしょう。
      国民国家としての成立過程がかなり違いますし、
      あるいはキリスト教文化圏と極東アジアの日本という、様々な意味合いでの風土も異なります。

      ただ希望が無いわけでは無いでしょう。
      ポスト3.11状況下で立ち現れてきている、
      若者たちのめざましい活躍ぶり(災害ボランティアであったり、脱原発の活動などの)は
      新たな時代相の萌芽を見る思いがします。

      また若いmotorajiさんのように、しっかりと定見を持ち、語る人もいることは大いなる救いです。

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