工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

9/11から10年、消耗戦の果てに

金融資本の象徴としてのWTCへのアタック

9/11から10年目のグラウンド ゼロ・WTC(World Trade Center)跡地からの追悼式典、ブッシュJrとともに演壇に立ったオバマ米大統領は「我々はテロに打ち勝った」と成果を誇ったそうだ。
「反テロ戦争」を呼号しつつアルカーイダ、ウサーマ・ビン=ラーディン容疑者を含む多くの幹部を殺害したことを指すものとみられるが、果たしてホントに「テロに打ち勝った」と言えるのか、アフガンからの駐留米軍の撤収を既定路線としつつも、断片的に伝えられる現地からの報道は平定へと向かう様子とはほど遠いものでしかない。

9/11以降、ブッシュJrの対アフガン、対イラク戦争は凄惨を極め、WTC犠牲者の数十倍もの無辜の民を殺害し、欧米社会 vs イスラム諸国という二項対立は9/11以前とは較べものにならないほどまでに先鋭化し、露わにされ、憎悪のマグマが拡散し、火を噴いてきたというのが、この10年ではなかったのか。

攻撃対象だったWTCは単なるニューヨークのランドマークではなく、まさにマネーがマネーを生んでいく金融資本の象徴とも言うべきところで、9/11テロはその数年後に露わになったリーマンショックの前兆とも意味付与できるような衝撃だったはず。
犯行グループがそれをどこまで自覚していたかは分からないが、その後、アルジャジーラなどから伝えられたウサーマ・ビン=ラーディンのメッセージからもそれは読み取れたものだ。

近代、2つの大戦においても決して戦場になること無く、常に戦勝国として栄華を極め、世界に冠たる地位を築き上げてきたアメリカ合衆国であったが、この超大国の世界への横暴な振る舞いは時には9/11テロと同様な軍事手段で攻め込み、時には途上国経済に対し、国際金融機関の名をもってする新自由主義的経済政策でますます歪みを拡大させ、完全なる支配下に置き、時にはお前たちに民主主義を教えてやる、とばかりに、その民族、地域の歴史、文化を無視し、米国型民主主義なるものを押しつけるなど、その傲慢さ、傍若無人さにはいずれは報いが待っているだろうことは想定外であったはずはない。
(先に明らかにされた1940年代のグアテマラにおける性病人体実験などは氷山の一角[REUTERS]

旅客機でマンハッタンの超高層ビルに突っ込むなどといった、その手法においては確かに想像を絶する過激なものであったわけだが‥‥‥

この憎悪の無限のスパイラルを遮断することは果たして絶望的に無理なことなのだろうか。
やはり、いくつくところを考えるならば、これらの問題の根源というものはアメリカ合衆国という国そのものに帰すると考えるのが公平な立場だろう。

あるいは併せてその代弁人であり発火点であるイスラエルと言う国に帰すると言わねばならないかもしれない。

戦争を好むアメリカと、イスラエルという難問

イスラムの聖地はメッカ、メディナ、そしてエルサレムであるが、アメリカの壮大なパワーを背景としたイスラエルによるエルサレム支配は、ムスリムにとりまさに「新十字軍」と見なされ、ジハードの対象とされているのも頷けるところだろうし、本来の聖地の守護者であらねばならないサウジアラビアがイスラム諸国に銃砲を向ける米軍駐留を許しているという状態というものは、原理主義者ならずとも多くのムスリムからの怒りを買われても仕方ないところだろう。

しかしこれほどまでにアメリカ合衆国が戦争が好きな理由はどこにあるのか。
クラウゼヴィッツの「戦争論」を引くまでも無く、軍事パワーこそ政治力であるとするのは未だに真理であるだろうし、それよりも何よりもアメリカ合衆国の経済社会というものが戦争というものを前提とした軍事産業、軍事経済によって成立しているという側面はよく指摘されるところだ。
(新たに政調会長に任命された前原氏がさっそく「武器輸出三原則」の見直しに言及したのも、戦後日本が非軍事平和国家として嵌められていた枷を外し、アメリカ並みの軍事国家にしていこうとする策謀だろう)

アメリカはどこへ向かうのか

9/11から10年、アメリカ合衆国はこの後、どのような10年を歩もうとしているのだろうか。
「我々はテロに打ち勝った」かどうかは10年という時間単位を経ずしても早晩その実態は明らかになるだろう。アフガンもイラクも液状化しつつあるし、あるいは中東イスラエルもチュニジアから始まった「ジャスミン革命」による、エジプト・ムバラク政権の崩壊、パレスチナ国家樹立へ向けての歴史的な必然性などによる不安定化で、より中東情勢はホットな地域になっていくだろう。

フクシマの原発事故を機とする全世界的な原子力発電システムからの後退は、当面する問題として中東原油価格の高騰をもたらすだろうし、それはまたイスラム世俗社会国家の腐敗を深め、ムスリムたちの抵抗運動も世界的により高まっていくことになる。

また10年前とは明らかに異なりアジア、南アメリカからの新興プレーヤーが市場に大きく踊り出してきていることも世界の安定的調和の攪乱要因になってきた。
BRICs諸国、分けても中国要因は米国のこの間の10年にわたる「対テロ戦争」への過度の傾斜による一層の経済的破綻で、今年日本のGDPを追い抜いたとされる中国経済が、次にアメリカ経済を凌ぐ時期がもうそこまでやってきていることに焦燥感を覚えるエコノミストも多いという。

7月から開始したアフガニスタン駐留米軍の撤収路線は、現地アフガンの治安部隊に委ねられるほどに安定化したからと言うのでは無く、これ以上の戦費は捻出困難なほどにアメリカ経済は疲弊しており、式典でのメッセージでも「戦争の10年」から「平和な未来」への転換を訴えねばならなかったというわけだ。

9/11がもたらした21世紀世界の混迷は、今後もより緊張状態の高まりと新たなパラダイム転換へ向けての力学的破調として深まっていくだろう。

教訓と課題

こうして9/11からの教訓はボクらの前に山のように積み上げられている。

  • 米国という国の実態と本質を知ること
  • ただ無謬神話的に追随するしか無かった日本(しかもブッシュ本人でさえ、イラク侵攻は過ちだったと認めているというのに、当時の小泉首相をはじめ、国会でも、政府からも自己批判の弁など聞いたことが無いという恥知らず)
  • ムスリムたちの独自の歴史、文化、経済を排斥するのでは無く、多様さの1つとして認め合うこと(暴力的排除からは何も生まれない)
  • 金融資本主義の葬送の調べとしての9/11(昨今のユーロをめぐる混迷は不気味だ)
  • 日本と(米国を凌ぐほどの経済力を獲得しつつある)中国の関係、北東アジアとの関係を真剣に考えること無くしては、未来は無い

最後に

9/11WTCをめぐっては、一部にあれはやらせだとの陰謀史観も根強くあるらしい。
ボクは安易にこの手の見立てに与しないが、確かにいくつもの疑念無しとはしない。
しかしその後のアフガニスタン・イラクへの侵攻がもたらしたのが、世界的混乱と対立、米国の疲弊、日本の沈下(米国一国追従による要因 – 狭隘な思考と、社会経済の硬直化が大きい)として結果していることだけは明らか。

表層現象に流されること無く自立した見識を持ち、歴史的な視座での座標軸を打ち固め、明日へ向かっていくことだ。

* 参照
■ 9/11WTC追悼式典 PHOTOブログ
動画
■ REUTERS 特集「米同時多発攻撃 あの日何が起きたのか」

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