工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

「私らは侮辱の中に生きている」17万人の怒り

(cc) NODA Masaya / JVJA

〈さようなら原発10万人集会〉と銘打った「さようなら原発1,000万人アクション」の一環の集会とデモ。代々木公園には主催者側の当初の想定を大きく上回る17万人が集結し、怒りの声が都心をこだました。

梅雨明けを思わせる炎熱の太陽の下、広大な都心の公園は老若男女、巨万の人々で埋め尽くされた。

昨年9.19明治公園に集結したのが6万人だったが、ほぼ3倍の大増員を数えた(警察発表はそれぞれ、25,000人 → 75,000人と、同様に3倍と相応しているのがおもしろい)。

ボクは友人ら数名と、個人が中心のブロックに参加し、気炎を上げ、再稼働への抗議をたたきつけた。
デモは整然と執り行われ、ショッピングで賑わう原宿の若い人々にも歓迎の声で返されるなど、大いに盛り上がり、明治公園までの約3kmを歩き抜いた。
手に手に手作りのプラカードを空高く掲げ、あらんかぎりの声で「再稼働反対 ! 」「原発いらない ! 」と唱和された。

(cc) NODA Masaya / JVJA


主催者側がどの程度の参加者数を見込んだかは知らないが、恐らくは戦後最大規模での抗議行動であったのではと思う。
先月末の大飯原発3号機の再起動という暴挙で、意気消沈するどころか、いよいよ抗議の声は大きくなり、7.16、17万人の怒りへと繋がった。

ボクの周囲にも、どこに所属するわけでも無く、こうした抗議活動には無縁だった若い人たちが大勢参加してきており、あるいバギーカーを押しながらのママさん、腰が曲がったおばあさん、いなせな手ぬぐい鉢巻きの釜ヶ崎の日雇い労働者たち、いろんな人が、いろんなスタイルで、怒りの中にも満願のステキな笑顔でそぞろ参加していたのが目立った。

モヤモヤした日常における個人の鬱屈も、同じ思いで集う人々との間で交わされる挨拶と情報交換で一気に弾ける。
あちこちで小さな祝祭空間が出現し、やがて大きなエネルギーとなり会場を支配する。

この〈さようなら原発10万人集会〉は決して頂点では無いだろう。
再稼働を撤回し、あらためて議論をつくし、福島第一原子力発電所事故の検証を本格的に着手し、脱原発への道筋が明確になるまでは、何度でも何度でも、野田政権の屋台骨を崩すような抗議行動が展開されていくと思う。
多くの参加者がこのことに確信を持ち、新たな決意を胸に秘めて帰路に就いたと思う。

帰宅すれば、政府原発聴取会に前日の仙台会場に続き、名古屋会場でも電力会社幹部社員が推進派として意見表明をしたというニュースが流れていた。

これについては別項考えたいと思うが、とにかく、タイトルに上げた集会での呼びかけ人の一人、大江健三郎氏発言の「私らは侮辱の中に生きている」そのものを象徴する出来事だと思う。常識ではあり得ない事態が、市民へのあからさまな侮蔑がまかり通っている。
もうこれは、この政権は自己崩壊していく前兆としての事態と言って良いのだろうと思う。

でも自己崩壊するからとして、シニカルにみやるのではなく、市民の手で放逐するというのがジェントルマン的手法だろう。

今、ボクたちがこうした脱原発の活動へと促され、こうした現場で様々な地域で活動している方々の話に耳を傾け、ともに街頭で訴えるというこの行動形態は、いわば民主主義のレッスンをしていることなのだろうと思う。シングルイシューだからといって、何も恥じるものは無い。
福島などまるで無かったかのように再稼働へとがむしゃらに前カガミになっている野田政権と、これと対峙し、再稼働撤回、脱原発へと声を上げ続ける人々の間には、原発という国策をめぐる本源的な争いが隠されている。(いずれあらためて考えたい項ではあるが)
市民により治められるはずの民主主義は原発問題で危機に瀕しており、これを糺すための手法・レッスンを実践的に行っているということになるだろう。

明日への希望へと繋がる〈さようなら原発10万人集会〉の片隅での参加者の一人として、誇りと自覚を持って、振る舞っていきたいと思う。

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  • 「私らは侮辱の中に生きている」こんなときでもジェントルな意見が言えるのは羨ましい、僕は「恥を知れ」とか「男としてどうなんだ」とかばかりテレビに向かって言ってます。 大きなデモンストレイションの場として今は何だか早く選挙にならないか期待している自分が居ます。

    • たいすけさん、求められるメッセージの内容は、それぞれの社会的立場からのものがふさわしい訳ですが、大江氏は文学者のそれを「侮辱」という言葉に託したわけでしょうね。
      すれば、私には「恥を知れ !」と叫ぶのがふさわしいかもしれませんね。

      仰るように、現在の民主主義制度下での政策変更の有効な手段の1つが投票行為です。
      「原発容認」×「原発否認」で明確に色分けされ、決されることでしょう。

      なお、7.16のメインステージの様子、こちらでご覧ください。

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