工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

木取りへ(番外コラム)

ところでO氏が語っていた松本民藝家具の木取りであるが、最近それらの工場との行き来は無いので不明であるが、以前お邪魔した折りに思ったのだが、年々材質の劣化という問題に苦労されているのでは、という感じだった。
国産の広葉樹についてはほとんど全てにおいて同様の傾向があるのだが、ボクが松本民藝の工場に世話になった頃と較べると、その品質には雲泥の差があるように思う。
当時、ミズメであっても、ウダイ樺(真樺)であっても、丸太は60cm以上のものが当たり前のように流れていたが、今やそうした幅広のものは希有で、もっぱら40 – 50cm以下のものが主流。したがって白太も多く品質の低いものが主体だ。
ところで材木屋に聞いた話しでは、最近の職人はミズメは加工仕上げが大変だからというので、忌避されるということもあると聞くが、本末転倒な話しではある。
確かに手鉋で適切に仕上げるのは、最も困難な部類に入る樹種だ。しかしこれは同時に適正に仕上がることができるならば、実に美しく、絹目光沢のある独特の艶を出してくれ、ほれぼれとする結果を産み出すという代償でもあるのだ。
ま、それだけに、ボクのようにミズメ、真樺をふんだんに使うものとしては心して掛からねばバチが当たるということになろうから、身も引き締まるというものだ。


このBlog読者にも若い木工職人もいるだろう。
材木だけは年々品薄の状況にあることだけはぜひ念頭において事業展開を考えていただきたい。
ミズメ、真樺の良いものがあったら、少々高いかな、と思ったとしても思い切って丸太を買い、ぜひ大切に使っていただきたい。
ミズメ、あるいは樺の本当の良さ、というものはやはり使ってみないことには判らない。最近では雑樺しか市場に流れていないので、そうした雑樺が、本当の樺だと考えがちだが、まったく似て非なるものであって、やはりホンモノを使っていきたいと思う。
どこがどのように違うのか、って?
全く別物だよ。色が違うだけではない。
素性そのものが全く異なる。雑樺がなぜザツカバなのか。所詮ザツカバとしか言いようのない“その他”の雑なものなのだよ。
加工性、耐久性、形状安定度、美しさ、光沢、材細胞の緻密さ、
全てにおいて似て非なるもの。
材木業界も家具、建築いずれも長期不況の中、ばっさばっさと伐採することもなくなったと思うが、まず何よりも合板に練り付ける杢としての消費はそろそろセーブして欲しいものだ。
消費財としての天然木ではなく、無垢材を大切に、高品質な建築材、家具材として、より耐久性のある資源としての活用を考えてもらわねば困る。
恐らく現状においてはボクらぐらいの年代が境かもしれないね。
国産の良質な材木を決して奢侈品的な価格帯ではなく、ごく一般的な価格で取引し、加工し、仕上げた家具を決して高価な価格設定でもなく市場に提供できた。
若い職人、これからやってくるだろう熱い意志に燃えた家具職人、彼らは国産材の本来の木味も知らず、鉋掛けでの快適さも経験できず、‥‥、
おっとっと、それじゃあんまりだわ、
いやいや、だからこそ美しく、良質で、堅牢性の高いしっかりとした家具を作ることで、木工製品の社会的認識を高らしめていき、そうしたたゆまざる働きかけを通し、天然資源の大切さを広く深く、社会的な同意を勝ちとっていくことが必要だと思う。
これらは若い木工家諸君の意志と力に掛かっている、という結語では如何でしょうか。
いやいや無論、そうした材木資源をめぐる現状というものは、恐らくはこうした今日的状態に貶められる元凶を作ってきたのが、先の世代、つまりボクなどの世代を含む関係者であることを否定するつもりはないので、共に担うべき課題であることを自覚しなければならないのでしょうな。

《関連すると思われる記事》

                   
    

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.