工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

われらが日本という国の不思議さ(衆院選を終え・・・)その3

(承前)
衆院選、投票日から1週間を経、メディア上での興奮もやや沈静化しつつあり、客観的な分析に移りつつあるようだ。

「勝者なき選挙」

こちらでも、少し今回衆院選の特徴的なところを統計上から眺めてみる。

  1. 投票率:59.32%(前回2009年:69.28%・10ポイントも落としている)
     因みに衆院選関連TV特番の平均視聴率も10ポイントほど落としているそうだ(ビデオリサーチ
  2. 比例得票率(大勝した自民だが、大敗した前回2009年と変わらなかったのが判る)
    • 自民・得票率:27.62%(前回26.73%)
    • 民主・得票率:16%(前回42.41%)
    • 維新・得票率:20.38%
    • みんな・得票率:8.72%
    • 未来・得票率:5.69%
      つまり、自民の票はほぼ変わらないが、前回の民主の票は、維新、みんな、未来に持って行かれた、ということが読める。
      参照:読売(自民の比例得票率、大敗した前回選とほぼ同じ)
      「勝者なき選挙」と言われる所以だ。
  3. 〈女性議員の激減〉
    2009年:54人、今回:38人(16人減)その割合は1割を切り、8%
    女性政策で貢献していた(と考えられる)小宮山洋子、藤田一枝、井戸まさえ、西村智奈美などの落選
    一方、ジェンダーをパッシングしてきた自民党系は大幅に増加。西村京子、稲田朋美、高市早苗などの面々

その他の分析はメディアに任せるとして、

《小選挙区》政治制度の問題が露見

選挙制度、小選挙区の悪しき側面が大きく投票結果に表れたと言うことも明らかだ
2009年の政権交代時も、2003年郵政選挙時も、今回も、まるでオセロゲームのようだ。

米国のように、共和、民主の2つしか政党が無い(他にも無くは無いのだが、)国と異なり、今回に象徴的なように小党乱立の政治状況下にあって、小選挙区制度で、有権者の政治意思を広く公平に掬い上げるというのは、ほとんど悪い冗談の類だ。

多くの票が死票になってしまい、日本の政治制度の根幹である代表民主制の正統性が疑わしくなっていると言わざるを得ない。
投票率を10ポイントも押し下げ、危機的水準にまで張り付いた要因を考えれば、以下のようなことが容易に浮かび上がる。

  • 最後まで自信を持って投票する対象が現れなかった
  • 選挙戦序盤から、メディアによる自民圧勝の報道は繰り返され、複製され、投票日直前には洪水のように流されるといった風で、もはや投票への意欲が萎えてしまった。
  • 政治不信への抗議としての棄権

等々、
しかし、だからといって自民圧勝を難じても詮ないことだろう。

無論、事前の世論調査、事前報道など、メディアのスタンスには怒りにも近いものがある。
維新への、あの異様とも言える露出度の演出は、TV、新聞の中立性(そんなものは仮構でしかないことは判っていても、である)を大きく踏み外していたと思う。

あるいはまた、開票速報はメディアにとっては視聴率も稼げるだろうし、高揚感も手伝い、騒ぎ立てるのは判らないでも無いが、自民圧勝を受け、当然にも懸念されるだろう原発再稼働、脱原発への急ブレーキ、TPPへの前のめり等々を視野から外し、キャピキャピと盛り上がるのはあまりに大人げない振る舞いだった。

ネットでは開票における不正があったのでは、などといった話しも散見されるが、確証があるわけでも無いので判らないが、例えいくらかの操作が行われたとしても、結果を大きく左右するものとなったとは信じがたい。

選挙戦を巡る周囲の環境への異議申し立ては、さしあたって、来夏の参院選へ向け、議論を継続する(特にネット解禁の問題が大きいのかな)としても、結果への冷徹な分析から逃げるような意味を持たせてしまう、キワモノ的な物言いはほどほどにすべきだろう。

《極右の勝利とリベラルの完敗》を見据え、対峙するところからしか、何事も始まりはしない。

《脱原発票》はいったいどこへ・・・〈未来の党〉とは?

さて、次に特徴的なところで触れねばならないのは、原発を巡る意思はいったいどこに消え去っていったのか、ということだ。
ぜひ、思い起こしてもらいたい。投票日の12月16日。そのちょうど1年前のできごとを。
野田首相による《福一、収束宣言》が出された日だった。

しかし、そんな強弁は誰も信じちゃいない。
今回の野田民主党の歴史的敗北は、この大嘘つきにあったと言い換えても良いぐらいのものだ。
つまり、投票日1年前の収束宣言とは裏腹に、現在進行形の福一事故による放射能ダダ漏れは依然として危機的であり、まさに日本国土を蹂躙している放射線をめぐる課題は、第一級の政治課題であって良いはずだろう。

しかし、その実体はどうだったか。
福島現地の被災者の投票行動について、なかなか言いづらい側面もあるが、一言で言えば、再稼働容認の党が勝っている。(参照:読売

あるいは未来の党の惨敗は、個別に読み解き、分析しなければならないほどの問題を抱えているとは言うものの、最大の公約が再稼働反対、脱原発、自然エネルギーへのシフトとして特化した新党であったに関わらず、全く票に結びつかなかったことは明らか。
小選挙区では小沢一郎(岩手4区)と亀井静香(広島6区)の2人のみが勝ち残っただけ。

小沢一郎の生き残り戦略としての「未来」、あるいは「小沢隠し」としての嘉田由紀子代表を担いでの新党起ち上げ、とのメディアの大々的なキャンペーンをが奏功したことも間違いないだろう。

小沢の一連のカネを巡る疑惑は、司法の上で法的には完全に決着が付いたものの、相も変わらない小沢吊し上げという、日本のメディアの荒廃ぶりには、ほとほと愛想が尽きた。
しかし、そのキャンペーンは日本の隅々にまで行き渡り、人々の奥深くに沈着し、これほどのものであるわけが無いと信じていただろう、賢明な嘉田代表の思惑を木っ葉微塵に吹っ飛ばしてしまった感が強い。

小沢氏は経世会を継ぐ政治家として、いわば保守の中でのリベラルという位置づけになるのだろうが、一方、改憲、集団自衛権容認の立場でもあり、護憲、平和を信念とする立場からすれば、信頼に足るとは思えない。

しかし国会の議席を巡っては、そこは大人の判断で、脱原発を信念を持って力強く推し進める党があれば、それを支持したいと思う。
でも、今回の新党起ち上げをめぐる一連の推移を見れば、あまりにも“木に竹を接ぐ”の類いで、鼻白む感があったことも事実だ。

まぁ、今後、来夏に控えている参院選へ向け、党勢拡大に向けがんばってもらいたい。

同様に、福嶋社民も大きく議席を減らした。

何よりも、再稼働容認、さらには原発新設を掲げる自民の圧勝は、この夏のパブリックコメントなどでの脱原発の意志はいったいどこに消え去ってしまったのか、と首をかしげるほどのものがあろう。

1つ参照すべき事柄として、未来への票を見れば、50代以上の中年〜高齢者が主体で、20代からは全く支持されていなかったと言われている。
もっとも放射線にビビットな若年層からの脱原発票が、どこかに消えてしまっているのが、なかなか興味深く、また日本社会、政治意思の特徴を表し、寒気がしてくるほどだ。

まとめ

以上、衆院選をめぐる状況を簡単ながら見てきた。

3.11以前から明らかになっていた日本社会経済の疲弊は、3.11で、より露わになり、今やどん底と言っても良いような状態を見せている。
3.11後、いまだ日本社会は福一原発危機の只中にあり、これをもたらした既成政治からの脱却と、新たな政治風土の育成こそ求められていると思う。

過ぐる2009年政権交代では、沈みつつあった日本を立て直すべく、既成政治を抜本的に立て直し、官僚主導から政治主導、中間層への再配分の強化、壊れてしまっている地域共同体の復活強化などといったマニフェストを掲げた民主の圧勝で、日本政治への期待を集めたのだったが、3人目の野田首相に至っては、その全てのマニフェストをボロ屑のように捨て去り、あろうことかマニフェストとは真逆に、TPP導入、消費増税と、敵(新自由主義者ども)に塩を送る戦略へと転換し、今日の衆院選敗北への道を掃き清めてしまっていた。

その結果、必然的にもたらされた自民党への回帰は、単なる二大政党の政権の譲り合いではなく、ステージは大きく変わり果て、戦後民主主義の屋台骨を揺るがすような事態の到来を告げるものとなっており、ボクたちに相当の覚悟を求めるものになっている。

戦後民主主義を受動的に謳歌してきた、ノンシャランな姿勢など、もはや通用しない時代へと、大きく転換しつつあることを教えている。

ファシズムは冬の寒さの如く吹き荒れながらやってくるとは思わないことだろう。
むしろ、春風とともに微笑みながらやってくるのかもしれない。

衆院選を経て、ボクたちは今、とんでもない状況に立たされていることに気づくべきだろうと思う。

本論考の最初に触れたように、改憲(前文、9条第2項の改悪、それら改憲のための96条改定)国防軍設置、教育改悪(維新・橋下が大阪でやっている国家主義的教育が全国化すると言うこと)、排外主義、侵略主義的な外交戦略とは、戦後民主主義にとって変わる、次元の異なる新たな地平での国家像が作られることに等しく、「戦争のできる国」への変貌が完遂されていくということだ。

ボクは楽観も、悲観もすまいと思う。
この度の衆院製に露骨に現れた、衆愚の政治に怒っても仕方が無いだろうし、当選者の相貌に醜悪さを感じ取り、滅入っても仕方が無い。
それが日本であり、日本人の偽らない姿であり、自分もその同胞の一員であることから逃げようとも思わない。

近代100数十年、多くの先人が自由と平和を追い求め、闘ってきた人々の流した血と涙により、今の日本があり、彼らの末裔の片隅に棲息するヘタレな個人ではあるけれど、不当には同ぜず、不服従の姿勢で、かすかな希望を見失うこと無く、生きていくしか無いだろう

最後に、ホロコーストからの奇跡的な生還者だったマルティン・ニーメラーの有名な告白[1] でも引用し、本稿、とりあえず終えることにしよう。

ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だからなにも行動にでなかった。

次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。

それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにいつも不安をましたが、それでもなお行動にでることはなかった。

それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だからたって行動にでたが、そのときはすでにおそかった。

❖ 1つ懸念がある、というか、この結果をどのように受忍しているのか、聞いてみたい人がいる。
辺見 庸氏からだ。(このところ氏のWebサイトは音無だ)
ここ数年、体調悪化が進んでいることは知っているけれど、衆院選の結果に憤死するのではと、冗談で無く心配している。

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❖ 脚注
  1. Martin Niemöller’s  famous quotation: ”First they came for the Communists … “ []
                   
    

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