工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

われらが日本という国の不思議さ(衆院選を終え・・・)

快晴で風も無い好天に恵まれ、この時季にしてはとても暖かな、良い日和だった。
前回、2009年の衆院選挙の時は、数日前に期日前投票を済ませたのだったが、今回は投票日当日の早朝、コートも着込まずに、妻と自転車を走らせ、近くの公民館へと向かった。

前回は政権交代への事前情報も多く、それへの高揚感も手伝い、晴れ晴れとした投票行為だったと記憶するが、今回は天候とは全く裏腹に、頭も、自転車のペダルも重く、義務的に投じたようなものだった。

その夜は、ボクの予想は外れるどころか、予想をはるかに上回る勢いでの自民の圧勝と、維新の進出を報じるTVに打ちのめされてしまった。
背筋が凍るばかりの緊張に耐えられずに、いつになく早めに頭から布団を被って寝てしまうほどだった。

安倍総裁を戴く自民:294、石原-橋下の維新:54 、公明:31、
民主:57、みんな:18、未来:9、共産:8、社民:2、

審判は下った。民主は現有議席の1/4という、およそ信じられないほどの惨敗。
自民の294という議席は、公明でも維新でも合わせれば、衆院定数480議席の2/3を超える圧倒的多数となり、これは再可決権を有し、参院とのネジレもお構いなしに、その気になればどんな法律だって通るという議席配分だ。

今朝19日の朝刊(朝日)では「政権交代良かった:57%、自公2/3は良くない:43%」との世論調査結果がきていたが、自民支持者の少なくない数で圧勝結果に戸惑っているのがわかる。
支持しておいて圧勝は良くない、というのもおかしな話しで、責任回避の弁でもあるわけだが、まぁ、それが実感というところだろう。

さて、来年夏に控える参院選では振り子は戻るのではとの観測もあるが、その見立ては甘いだろう。
自民-公明-維新-みんな、これらが連携しての参院奪取が行われるのでは無いかとの不安がよぎる。
結果、両院での2/3が果たされ、もう怖いもの無しで、改憲発動へと踏み出すだろう。

いやいや、そうした予測はあまりにも一面的に過ぎると考える向きも多いと思う。
しかし、安倍総裁が掲げた公約の上位に、改憲への踏み込みが来ていたことを忘れてはいけない。
また今回の「民意」はそうした温和な見立てを蹴散らすほどの勢いと、時代潮流を感じさせる。

少し過去の話に戻る。
かつて、小泉政権時、ブッシュイラク侵攻をめぐる状況下での日本人人質事件をめぐり、政府首脳からメディア、あるいはネット上で「自己責任」という言葉とパッシングが氾濫し、関西空港では解放された3名に対し罵詈雑言が浴びせ掛けられ、卵が投げつけられるという事件があった。
その光景を前にし、ボクは震え上がってしまうほどの怖ろしさで打ちのめされてしまった。

異国での恐怖の状況から解放された同胞を迎える、真っ当なスタイルとは対極の、排他的で、歪みきった正義感から発する、暴力的な振る舞いが、広く一般に受容されてしまっていることへの恐怖は、形容しがたいほどのものがあった。
どんな社会にも、一定程度、こうした浮薄で思慮の浅い輩はいるものだ。
しかし、当たり前に、広く一般に受け入れられてしまうという、日本社会の、日本の人々の怖さというものは、以後ボクの奥深くに、消し去ること無く黒々とした残影として刻印されてしまった。

北東アジアの海域で吹き上がる昨今の領土問題もまた、衆院選に暗い影を投げかけていたのも間違いない。
尖閣諸島の領有権をめぐり、火付け役の石原慎太郎に脅されるかたちで、野田首相の国有化決定へのかつてない踏み越えは、まさに一線を越える決断だった。

この新たな事態は北東アジア海域を双方の軍事的挑発の場へと変えてしまったのだが、巻きおこる中国人の反日デモの嵐は、中国市場からの日本の閉め出しなど、極めて大きな経済的損失も含み、1972年の田中政権による日中国交回復後、最悪の状態へと突入してしまった。

今回の自民-維新の圧勝の要因の1つに、こうした対中緊張の時局が影響していることは明らかだろう。
ましてや、対中、対韓外交政策では、もっとも右翼と見なされている安倍総裁が政権を握れば、いくらでも緊張関係を生じせしめ、日本総体を排外主義、ナショナリズムに熱く動員するなどということは赤子の手をひねるよりも簡単なのではないだろうか。

戦後民主主義など、もはや過去の遺物に過ぎないのかも知れない。
後世、2012年衆院選は「戦後民主主義、死滅の日」として記憶され、記録されてしまうほどのものなのかもしれない。

反戦・平和などというメッセージなども、かつては広く受容される、日本が依って立つテーゼのようなものだったが、この2012年冬、9条改悪、自衛隊の国防軍化などが公約に掲げられるなどという、以前ではあり得ないことが、平然とまかり通る時代になってしまっている。
口を開けば「反戦・平和」と語っていた福嶋社民が、風前の灯火の議席をさらに減らし、2議席になってしまったのがその明示的な象徴だろう。

日本人犠牲者300万人、主には日本軍によるアジアの犠牲者2,000万人と言われる、20年戦争(アジア・太平洋 第二次世界大戦)の悲惨な歴史をあらためてここで語るまでも無いだろう。
歴史がいともかんたんに繰り返されるなどとは思いたくは無いが、しかし、いとも簡単に極右が圧勝するのが2012年の日本社会なのである。

今回の衆院選を巡っては、いくつかの欧米の主要紙が、この右傾化(一部には極右という言葉を使いつつ)への強い懸念を示し、話題にもなっていたが、こうした国々にも右翼はいる。
しかし彼らがメインストリームに出てくることはあり得なかったのがこれまでの歴史が教えるところだ。
右翼はいるのだが、社会の抑制が働き、主流の場に躍り出てくることはまずありえない。
あるいはドイツに至ってはナチスを公然と語ること事態、許容されないという市民的共有理念があり、また法的制度さえある。

悲惨な戦争への反省がどうであったのか、という鼎が、彼我の違いとして表れてきているとも言えるだろう。
石原慎太郎は海外では明確に右翼として名を馳せる著名人だ。そんなのが首都の首長であることに、日本という国の不思議さが語られるのは、いかにも恥ずかしくてならなかったのだが、彼が率いる維新が大躍進したことには驚くばかりだ。

2012衆院選は、3.11後初の国政選挙だったわけだが、3.11という史上稀に観る大災害と原発事故から、どう日本が起ち上がるのかは、海外から強い関心を持って注視されていたと思う。

その結果、日本人の選択が脱原発どころか、原発再稼働をねらい、「人からコンクリート」へと日本病(借金大国)をさらに深刻化させ、あまつさえ勢い余って国防軍保有からアジアへと牙をむき出しにするという策謀を見せられ、困惑を超え、頭を抱え込んでしまっているのではないだろうか。(本稿 続く)

Top画像:被災地・気仙沼(2011/08)

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