工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

衆院選投票日を明日に控え ③

改憲の先のファシズムか、民主主義を護るのか

衆院選で問われる課題は多様だ。

安倍首相が掲げた「消費税10%への増税の使徒」をめぐる課題。
確かに、国庫を覗けば借金の山で、これからの世代にその負債を担わせるのでは無く、2019年10月から施行されるはずの消費増税分をその穴埋めに使うというのが有権者への約束であったわけだが、この方針を根本から変え、社会保障や教育予算に充てるというのは、選挙目当ての人参ではあっても、財政基盤を揺るがしかねない無責任な経済政策ではあろう。

2011年、3.11東日本大震災、福島第一原子力発電の爆発、メルトダウン以降、原発を巡っては国論を二分する最大のテーマになっていたが、その後民主党政権であったことも幸いし、すべての原発が停止。
当時は東京電力供給地域での停電騒ぎなどもあったものの、新規火力発電所などの稼働や企業、一般家庭の省電力も促され、ここ数年は原発に依存することなく、ピーク電力消費時期にあっても、余裕を持った供給が確保されている。

ところが安倍政権は未だに福島第一原子力発電の廃炉のメドも立っていないにも拘わらず、原発を「ベースロード電源」と位置づけ、原発立地地域、周辺自治体の困惑をよそに、停止中の原発の再稼働を進めることに躍起になっている。
さらには東南アジアをターゲットとし、海外へとこの危険な原発の輸出を進めようとするなど、3.11の教訓などどこへいったのとばかりの白々さだ。


エネルギー戦略は現代社会にあって、大変重要な領域の問題だが、欧州、ドイツに見られるように、3.11の教訓から原発推進の戦略を大きく転換し、再生可能エネルギーへと一気に転換し、むしろそこから生ずる新たな経済戦略に価値を見出すなど、長い射程を見据え、将来性豊かな戦略を取ってきている。

こうして、3.11を機とし、世界は原発というエネルギー産業はもはや20世紀の遺物として認定されてしまったわけだが、日本という国はこれにしがみついて離さないという愚かなる時代錯誤的な戦略を取っている。

安倍政権のアベノミクスとやらが、5年経過してもなお成果を見ないという1つの要因として、この再生可能エネルギーへの産業基盤のシフトが為されないことが上げられるだろう。

ぜひ各党の原発政策を吟味し、3.11の教訓、さらには将来世代におけるエネルギー戦略の観点からも、この衆院選で交わされてきた議論を読み解くべきだろうと思う。

トランプの尻馬に乗ることが果たして真っ当な安全保障になるのかは大いなる疑問

トランプの大統領就任後、9ヶ月が経過する。
世界の人々が気付かされたのは、アメリカの民主主義なるものの愚かさだったのでは無いだろうか。

ビジネスマンとしての能力がありはしたのだろうが、大国、アメリカを率いる大統領としてはあまりにもリスキーでこの先3年半が持つのだろうか、という疑念は、Twitter発信の同時性もあり、ホワイトハウス内から、共和党へと伝播し、今や全米から、全世界へと拡張し、蔓延している。

この世界の鼻つまみ者・トランプには、我らが宰相・安倍首相が唯一全幅の信頼を置くといういじましさには、日本国民としてはなはだ嘆かわしくもなるわけだが、このまま与党の圧勝を許すことになれば、世界の混乱を引き起こすトランプの危険極まりない展開に付き合わされることになる。

安倍政権による「新安保法制」も「共謀罪」も、すべてはアメリカの世界戦略の一端を担うためにこそ強硬な手法を持って、議決されたと言うべきだろう。


問われてるのは、このまま落ち目の米国に従属的に付き従い、危険極まりないトランプの尻馬に乗り、日本という有力で未来ある資源を差し出し、アメリカの無謀な世界戦略の片棒を担ぐのか、
あるいは第二次世界大戦の敗北を噛みしめ、反戦平和を国是としてやってきた戦後社会と、その成果をもとに、世界からの信頼を勝ち取ってきた自負をベースとして、独自の北東アジアにおける立ち位置を揺るぎないものとして打ち固めるのか。

安倍首相がねらう9条改憲に拮抗するためには、有権者の側としては、そうした基本的な国家像をどのように描いていくのかといことが問われているのだろうと思う。

有権者の属性や立ち位置でその鼎も異なってくるのは言うまでも無いことだけど、それでもやはり争点を絞り上げるとすれば、こうした安倍政権の5年間の暴虐の数々を許すのか、そうではなく、頼りの無い一面があるやもしれないが、フツーの勤労者、自営業者、障害者ら弱者らとともに歩み、北東アジアの人々を敵視するのでは無く、共に結び合えるような寛容な世界を展望できるような政治選択にしか、未来は展望できないのでは無いかと思う。


明日のこの時間には雌雄は決しているだろう。
安倍政権を勝たせる(与党で2/3の議席)ということは、モリカケのような社会的不正をチャラにさせ、さらに全国的に蔓延させるということに繋がるだろうし、
9条改憲を日程化させ、北東アジアをより緊迫化させ、北朝鮮の核開発を使嗾させ、やがては戦火に巻き込むことを許してしまうことに繋がるだろう。

リベラル野党の数を1/3まで押し上げれば、まだまだ展望できる。
もちろん、小池「希望の党」はこのリベラル野党であるはずもなく、自公の与党に限りなく近いわけで1/3には入らない。
終盤の情勢分析では、野党第一党は「希望の党」ではなく「立憲民主党」が担うことになりそうだ。

さらには、この小池「希望の党」から当選した議員の少なく無い数が、「希望の党」を見捨て、枝野の立憲民主党を軸とする野党再編の側に転がり込んでくるのではないかと思われ、暫くは流動化しつつ、安定的な構図が見えるのは数週間の時間を要するのでは無いか。

いずれにしろ、この解散総選挙は、日本の近未来を展望する上で大変重要な選挙になってしまっている。
「排除」ではなく「包摂」、「ヘイト」ではなく「多様性」、人間の可能性、未来を語れるのは果たしてどっちか。
心して臨みたいと思う。 了

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