工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

個展を終了する

個展は昨日をもって会期を終了。
ギャラリー近郊から常連さん、そして以前からの家具のお客様、DMをご覧になって遠方から来られた方々、そしてこのBlogを見ていらっしゃるお若い方々、様々な方にご高覧いただき、さらにはまたお気に召されてご購入された方々、心から感謝いたします。
あらためて御礼申し上げたいと思います。
家具の展覧会というものは、他の工芸と較べてもなかなか難しいところがある。
その作家のものを気に入って揃えたいと考えても、住宅内では比較的大きな調度品ともなれば、既に所狭しと置かれているであろう日本の住環境を考えてみた場合そうそう沢山置くことができるものでもない。
あるいは既に使っているものを処分してそれに替えるということになると、それもまた昨今の環境保護の志向からすると安易に踏み切れないということもあるだろう。
陶芸であるとか、染織であれば、さほど保存場所に困ることもないだろうし、また既存のものを捨てる必要などなく気分に従って使い分ければよい。
まさに家具を購入するということは、経済原論で言うところの“命がけの飛躍”そのものであるやもしれない。


これは制作者側においても、それにふさわしい胆力を持った制作態度と、品質の良さというものを問うものとも言えよう。
以前にも書いたことだが、家具調度品を揃えるということは家族の生活の在り方、主の美意識を語るものでもあるだろうし、子達には成長過程で何某かの影響を与えるものであるかもしれない。
以前、テーブルセットをお買い上げ頂いたご夫人がこのようなことを言っていた。
「子供達にぜひ良い家具に触れさせて、座らせてやりたいのよ。もう大きくなってしまったので、少し遅かったけれど、うちもやっと少し余裕が出来てきたのでね‥‥」
家族の生活の軸にもなりえるようなものを手がけていることの自覚だよね。
さて、下の画像は会場に出品したもので、以前、帆立の方だけをチラリと上げた奴だね。
■ミズ楢チェスト
1,100w 480d 750h
明日からまた工房生活の日常に戻る。
個展終了というものも、心なしか寂寥感というようなものが漂い、少しアンニュイだね。
チェスト

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  • お疲れ様でした。
    売れる家具がどういうものなのか一度現物を見てみたいと
    思いつつも私の住む所から逃げるように(笑)遠くなる
    ばかりです。
    人間の手の感覚とは不思議なものだと思うことがあります。
    私の稚拙な家具でも触って「すべすべで気持ちが良い」と
    言っていただける方がいます。物理的に平滑という意味では
    付き板張りや樹脂コーティングの家具の方が平滑であること
    は間違いないのですが人間の手はそれだけではない何かを
    「気持ち良さ」として感じているのだと思います。
    日本人独特とも思える、この感覚、なんとか残したい
    ものです。

  • acanthogobiusさま
    あなたも同時期に展示会をされていたのですよね。
    お互いお疲れさまでした、ということで。
    お話しは家具の仕上げのことに関すること‥‥いわゆるテクスチャー(質感)への感覚のことだろうと受け止めましたが、確かに仰るように日本では古来からそうしたところへの微細な思い入れ、様々な表現というものがあったように思います。
    実は最近茶室の建具について調べる必要があり、戸板を探そうとしていたのですが、一般の2分3厘(ニブサン)の戸板ではなく、茶室などにはへぎ板でなくては本物ではない、というようなことを示唆されるということがありました。
    これなども質感のこだわりの極地の1つですね。
    でも残念ながら、以前はどの地域の銘木屋にもあったらしいこのへぎ板も、今では数えるほどの業者しか扱っていないだろうとのことでした。
    近代建築の進化とともに失われていく運命にあるのも、こうした質感を大事にする伝統的な文化もその1つであるようです。

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