工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

G8 サミットと世界市民のはざま

G8北海道洞爺湖サミットが開幕した。
1973年のオイルショックを機とする経済危機に直面した日本を含む欧米先進6ヶ国の首脳が集まった会議を起源とする(現在のG8からカナダ、ロシアを除いた国々)。
その後旧社会主義国をも含めG7、G8へと拡大してきたが、いずれにしろ世界の政治経済を支配する首脳たちのクラブだ。
カント言うところの「永久平和のために」が国際連盟結成への思想的基盤であるとしても、G8が果たしてこれを補完するものであるかどうかについては多くの疑問が出されている。
しかも近年では影響力は低下し、形骸化していることは北海道に集結している各国NGOの反G8の運動家の声を借りなくとも、広く共有されているだろう。
今回の洞爺湖サミットでは地球規模での問題になっている環境・気候変動、原油高騰、および穀物高騰でさらに追い詰められているアフリカなど発展途上国における貧困の問題などが主要なテーマとされているが、こんなことは今になって俎上にするまでもなく数10年前から顕在化してきた事柄だし、その原因の多くを産み出してきたのもこれらG8クラブの面々だったのでは無いのか。
さてところで地球環境問題だが、CO2の増大が地球温暖化の原因であるとの前提に立っての議論が果たして正当なものであるかについては専門とする科学者などからも多くの疑念が出されている。(槌田敦 『CO2温暖化説は間違っている』ほたる出版、など)
CO2原因説はCO2排出が大きく削減される原子力発電を推進させるための政治的な背景があるのではないかと言ったような内容で。
ボクの非科学的な知見などでは判断できる領域を越える。
ただ明らかなことはある。
「京都議定書」での主要なテーマである温室効果ガスの削減のメカニズムが「排出量取引」で行なわれるということのユニークさについてである。
確か経済原論では水と空気は交換価値はない、という前提であったはずだが、この空気までもが国境を越えて取引されることの意味するそのすさまじさにまず驚く。
時代は明らかに変わりつつある。
もう1つは、この環境問題というのは「生まれざる他者への倫理的義務」(柄谷行人)という視座の合意形成無くしては解決への道はあり得ないだろうな、ということ。
人なんて所詮刹那的に生きているもので、自分が生きている時間的スパンでしか物事の想像力は及ばないというのが今を生きている人々の多くの立場だろう。
そうした処世を旨とするボクたちが、果たして本当に自らの問題としてこの環境問題を捉えることなどできるのだろうか?
ましてや日本人には「世界市民」などというカント的視座の獲得など遠い世界のことでしかない。
G8がボクたちに何かもたらしてくれるだろう、などという期待などする前に、招かれることなく、このクラブから排除されている多くの国々の現状を知ることから始めてみようと思う。

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