工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

クレーメル < ピアソラ > ・・アルゲリッチ

このBlogで相互にLinkさせていただいているkokoniさんがギドン・クレーメル(Gidon Kremer)によるピアソラ(Astor Piazzolla)演奏のアルバムを2回にわたって紹介していた。
ボクも発表当時にその2枚を購入し楽しんでいたし、今もiTunesの再生回数の項目を見れば比較的高いレートを示すものとなっている。
あらためてこの2人に関わるデータをネットで狩猟しているが、その結果他にもいくつかのアルバムがあることを発見したりと、アルバムリリースの12年前の軽い衝撃にも似た興奮を覚え、より近しく感じさせてくれた。
ここまでクレーメルがピアソラに耽溺している背景に一体何があるのか調べてみたいとあらためて感じている。


ブエノスアイレスと言えばピアソラとは世代は異なるもののマルタ・アルゲリッチも同じ出自を持つ(ピアソラ:1921生、アルゲリッチ:1941生)が、アルゲリッチ自身によるピアソラ演奏など果たしてあるのかは詳しくは知らない。
同郷のバレンボイム自身はピアソラの演奏はあるものの、少なくない共演相手のアルゲリッチとの演奏にピアソラを取り上げたという話しも聞かない。
ピアニストのCDではボク自身はグールドに次ぐ枚数を持ってはいるアルゲリッチだが、当然にもピアソラ物は無い。
この謎はどのように解きほぐせばよいのか?
ブエノスアイレスを同じく出自とし、ニューヨークという活動の場でも異常接近したかもしれないし、ピアソラが第2の故郷としたパリでもその可能性は高かったはず。
アルゲリッチ自身もクラシックピアノ演奏家としては個性的な型破りの演奏スタイルが特徴だし、ピアソラはタンゴを単に踊りの付随音楽としてではなく、クラシック(バロック)、Jazzの要素を取り込み、独特の解釈を持ち込んだタンゴ界では異端児、革命児という特徴を持つ。
まさに2人の背景には無視できない民族的アイデンティティーと合わせ、強烈な個性と卓越した音楽技法という共通するものがありすぎ。
あえてアルゲリッチがピアソラを避けるのには、強烈な自意識、ピアソラを過剰に意識してのもの、ということはあるのか無いのか。
誰か教えてくれ〜。
ちょっとクレーメルから離れてアルゲリッチに偏ってしまったようだが、
アルゲリッチとクレーメルの共演の方はいくつもある。
一緒になって室内楽の名曲を探し出しては好演しているとの認識はあったので、どうもこの2人の繋がり(ステージ上、あるいはスタジオだけではないプライベートな領域でも‥‥)から種明かしができるのではとの推測は決して的外れなものではないだろう。
詳しい方、この二次方程式を解いてくれませんか <(_ _)>
ピアソラはタンゴというブエノスアイレス生まれの踊りのための音楽であった物を、ステージ上で演奏するに値するファイン・ミュージックとしての評価を定めた最大の貢献者。
ボクはたまたま若い頃からアルゼンチンタンゴが好きで聞く機会も多く、ピアソラの演奏にも触れていたが、やはり近年ピアソラをブレークさせた火付け役はこのギドン・クレーメルであり、またヨー・ヨー・マであったことは否定しがたい事実。
冒頭記したように、クレーメルの2枚のアルバムをリリース直後に購入し、また確たる記憶ではないが、ほぼ同時期にこのアルバムをひっさげて世界ツアーを行っていたステージの様子をTVを通して観ることもできた。
Gidon Kremer – Historie Du Tango Cafe 1930 (Astor Piazzola)

このクレーメルによるタンゴ、ピアソラの音楽性と、そのタンゴ独特の歯切れの良いリズムの刻み(バンドネオンという楽器の特徴からきている)は、ステージの楽器から奏でられる音だけではなく、足踏み、楽器を床に打ち鳴らすなどといった演奏を観るに付け、聴衆に強い印象を刻印するものだった。
むしろクレーメルの演奏によって、ピアソラの音楽性がより彩り強く、印象深いものに結晶したものと言っても良いのでは?
それまでは考えられはしなかっただろうブエノスアイレスの場末の猥雑な音楽でしかなかったものが、ピアソラという才能と、民族性、音楽性に見出され、これが現代クラシック界の鬼才ギドン・クレメール、ヨー・ヨー・マなどによって、まさにワールドミュージックとしても高いレヴェルの評価を勝ち得たことは、とても嬉しく思う。
ピアソラ命、という人からはクレーメル盤への批判もあると聞くが、もしピアソラが存命していたならば、共演という話しも当然のようにあっただろうし、火花散る緊張したすばらしい演奏が聴けたに違いないとさえ思えてくる。
初期の頃はアルゼンチン本国、タンゴファンからはむしろ破壊者として否定的な評価を受けるという憂き目を受けていたものの、その後の信念を貫く作曲・演奏活動は欧米を中心として高く評価され、晩年パリで脳溢血により倒れた時にはブエノスアイレスから大統領専用機が迎えに出され、国民的英雄として帰国したという逸話がよく知られているように、その最期は栄誉に包まれたものであったようだ。
Astor Piazzolla: milonga del angel

近年、国内でも小松亮太さんがバンドネオン演奏者としての確たる評価を定めつつあるように思うし、国境を越えた演奏者との共演、コラボを通し、ピアソラの新時代の解釈と普及に努めてくれるのはうれしいことだ。
Verano Porteño (Piazzolla) – Ryota Komatsu

《関連すると思われる記事》

                   
    

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.