工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

職業としての家具作りについて (3)

家具製作のもう1つの本来の姿

近代産業がもたらした大衆消費社会によって家具というものが住宅の中へとあまねく導入、設置されていく過程において、その供給元は町の木工屋からマスプロダクトの製造システムを整備した家具メーカーへとシフトしていった。それまでの木工屋は細々と商いを続けるか、家具メーカーの下請け、孫請けとして傘下に納まることで糊口していくことになったであろう。

大量生産、合理的製造システムは一定の品質を保持しつつ廉価に販売できることで、住宅の近代化、生活の近代化に寄与していった。
この家具メーカーにより生み出される家具も、時代と共にその品質は向上していったことも確かなこと。
一方この量産製造システムへのシフトの過程というものは、家具の構成というものを大きく変貌させていく過程でもあった。

当然無垢材のように自然有機物そのものを素材として用いることは量産システムには馴染まないことが多く、これに変わって合板という人工的な材料が開発、取り入れられるようになっていったことに典型されるように、材料そのものの変化というものが大きく家具の姿を変えていった。

このことは確かに品質の安定化をもたらした近代工業社会の恩恵ではあっただろうが、実は木という有機素材の姿を借りた全く別物、工業製品としての商品を見せられることになったことも一方の事実だった。
言い換えれば、量産システム=大量の複製(コピー)システムには有機素材としての固有性は阻害要因以外の何ものでもなく、如何にこの不安定性を排除させるか、の闘いでもあっただろうから、家具の素材としての木もまた他の工業素材同様のマテリアルの1つとして(固有の表情を剥ぎ取ったそれとして)解釈されねばならなかったのだ。

また家具の素材は「木のように見せる」方向だけではなく、近代工業社会の主産物でもある石油化学製品を積極的に取り入れることで、木では叶えられなかった可塑性を活かした新たなモダンデザインを開発、製造していくようになっていった。

ここでちょっと脱線させてもらうが…、

高級家具売り場で売られている、ある東北地方の錺金具(かざりかなぐ)を用いた有名な伝統的木工家具(「伝産」指定)の箪笥があるのだけれど、これは今もほとんど合板で作られていて、しかもその合板に使われている欅の突板はとても品があるとは思えないロータリーの突板(りんごの皮むきみたいな木取り→木目が不自然なアバウトなものになってしまう)。錺金具も手打ちではなく、プレス成形。「伝産」指定というのはもちろん、無垢のちゃんとしたもので指定を受けているはずのものだが、販売している方は似て非なるもの。しかし「伝産」指定のラベルが仰々しくぶらさがっている。。
これを高級伝統工藝家具として決して安くない価格で売っている。ほとんど詐欺だ

これは量産製造システムへのシフトにおける影の部類の象徴的な事例の1つだろう。

量産製造システムへのシフトというものは当然にも家具製作をめぐる技術体系を大きく変貌させていくものであったが、ここでは論考の外に置きたいので詳しくは触れない。

さてこのように家具製造をめぐる環境は大衆消費社会の到来とともに大きく変貌してきたのだが、これは家具というものが有する(シニフィエとしての)本来の姿の変容でもあった。
かつては木という素材が持つ人間社会との親和性、あるいはその希少性、あるいはまたこの地球上で植物の中にあって最大の質量を有する巨大な生物への畏敬の念、などといったものを尊ぶという自然観などへの憧憬もまた家具から失われていくことでもあっただろう。

こうした結果、近代化がもたらした人間社会への恩恵の影には少なからず何某かのものを失っていく過程でもあったわけだが、家具、およびその製造過程においても効率性、利便性、表層の美しさ、(=浮薄、厚化粧、)などといったことへの反措定として、本来の家具の姿を取り戻そうという作り手、およびこれに呼応する消費者が立ち現れてくるのは必然なことであったと思う。

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他愛ないことをもっともらしく冗長に書き連ねているわけだが、自分もこの先展開が危うくなるのを規制するために、大まかな道筋を明らかにしておきたい。

  • 現代(近代を経た)における家具製作に求められるもの
      モダンをバックグラウンドに
  • 家具工房という形態が抱える問題とその打開の道筋は
  • 家具工房の多様性
  • 家具工房という生き方とは
  • 「二足のワラジを履く」(宮本さんの提言)という選択肢は
  • 若き木工職人へ

概ね、このような内容でできるだけコンパクトに(?)記述してみようと考えている。

実は全く未着手で、業務の合間を見付ながら、考えつタイプする、ということになり、やや間延びしたものになってしまうことを宮本さんはじめ訪問者にはお断りしておきます。

また本件については同業の諸兄、諸姉にもそれぞれお考えがあるだろうから、突っ込み、茶々含め、コメントくだされば励みになります(いい加減に結論出せ ! というのが一番多いかも知れないが…)

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • この東北の伝統的木工家具は当方の県のことを指しているんですよね。入社仕立ての人もすぐに組み立てに廻るんだと聞いたことがあります。

  • aiさん、もしかして脳裏に浮かんだ家具メーカーは同一かも(笑)
    >入社仕立ての人もすぐに組み立てに廻るんだ
    それは初耳ですが、さもありなん、かと。
    これはメーカーのみの責任ではなく、流通販売者も含めた業界全体の問題でしょうね。

  • いつも楽しみに興味深く読ませて頂いています。
    artisan氏の現在の木工業界の現状を踏まえてのこのテーマは木工 訓練校リンク集と合わせ、木工家を目指す人間にとっては警告と道しるべの両方の意味でとても意義深いと思います。ご多忙な毎日でしょうが、ご執筆の方頑張って下さい。
    このリンク集や木工業界のお話を見るたび、「僕が木工の勉強を志した時も、このような情報サイトがあったらよかったなあ…」と思ってしまいます(笑)。

  • 貴殿のコラム、興味深く且つ真摯に読ませていただいています。私の考えは少し異なるので、暇に任せてコメントさせていただきます。まず私のポジションは完全な消費者であります。現在供給されている木工家の作と称される方の家具は概して特定の危ない方の好むようなデザインか、今ではない過去の貧しかったアメリカ的な家具をカントリー調なとど称して決して安くない価格で販売をされているものに出会います。たとえば天板もサイドはナチュラル、仕上げは概してオイル仕上げ、なぜストレートカットでないのでしょうか。大手と対抗するのであれば、手間のかかるラッカー塗装でないのでしょうか。私は全くの趣味で木工らしきことをしていますが、オイル仕上げ程度のごまかし的な仕上げであれば、何も高額な出費をすることなく、入手できます。別の角度から考えますと家具サイズ(特に椅子)は今の日本人のサイズを考えて作成されているとはとても考えられません、寸足らずのチンチクリンに写るのです。私はそれがいやさにアメリカの椅子をもう3、40年以前から使っています、最近生まれたばかりの子犬が味見した為、新しく入れ替えましたが、前のものと寸分変わらない物を今も供給しており、座り心地のために、同じものを購入いたしました。こんなことは日本製では100%無理ですね。一点ものを作っておられる木工家の方であれば、図面も納品され、今後同様な物を復元する必要があるときには、その図面から復元可能くらいの配慮が普通ではないてでしょうか、いずれも高額ゆえのサービスとも考えます。いい例が、現在ボード操作しながら付けている腕時計、ピンキリです。人によって高級外車を上回る価格の物もあれば、100円ショップのものをされている人も当然おいてです。それは個人価値観の問題であり、供給側とはまったく関係の無い事象と思います。結論は木工家が何を供給し誰に受け入れられるか、ただこれだけではないでしょうか。
    はっきり言える事は、我々の生活は昔の日本ではなくなった、完全に二極化されてきたと言うことではないでしょうか。生意気書いて恐縮です。しかし真実です。
    2006/4/22  Genji Sugi

  • Genji Sugiさんコメントありがとうございます。
    なかなか手厳しい批判的な内容ですが、まずはしかと受け止めねばと考えます。
    ユーザー側からのこのようなコメントは忌避すべきものではなく、今回の論考を深めるためにも受忍せねばならないというのが基本的立場でありたいと思います。
    いくつもの論点がありますので、このコメント欄でお答えするには不適だろうと思いますので、別項、日を置くことなく記事の中で触れさせて頂きましょう。
    なお、供給側としましてはいくつか誤解もあるように思えますので、これも解かねばなりません。(塗装、エッジの処理、など)

  • Genji Sugiさん
    はじめまして。スウェーデンで家具の勉強をしているIkuruです。すでにartisanさんが次のエントリーで触れられていますが、本当のオイルフィニッシュならばは決して手抜きな仕上げではありません。しっかりした下処理及び、重ね塗りをする為にはかなりの手間と時間がかかります。
    ラッカー等の化学塗料を使用した塗装は工業生産には向いていると思いますが、完成当初の状態は良くても、10年、20年と使ってきた物となってくるとオイル塗装の物との差が目立ってきます。簡潔にいうと、化学塗料の物は摩擦により剥がれてくる部分がひどく汚くなる(もしくは、そう見える)という事です。オイルの物はそこまで差が目立ちません。
    私が学んでいるマルムステン校でも当初はその点に気付かなかったようなのですが、今は良い見本として椅子たちが並んでいます。
    いずれの塗装にしろ、一層を塗っただけの物ともっと手間暇をかけた物の差は大きいと思います。新車の時点では差がないように見えますが、軽自動車とメルセデスの塗装が大違いなのと似ているかもしれません。

  • Genji Sugiさん、はじめまして。
    私は木工家として家具を製作している者です。
    Genji Sugiさんのコメント、興味深く拝読させていただきました。
    オイル仕上げに関してですが 「設備がなくてもアマチュアでもとりあえず簡単に施すことが出来る」 ということからの誤解があるのではないでしょうか。
    ちゃんとしたオイル仕上げでは、用途と目的に合わせてオイルを選び、とても手間をかけて仕上げます。
    私が自分の作る家具にオイル仕上げを施す理由は、オイル仕上げが木の持つ質感を最大限に引き出す仕上げだと感じているからです。
    それはラッカー塗装やウレタン塗装を否定するものではなく、実際手間をかけた本物のラッカー塗装の良さは承知しています。
    でも私個人としてはオイル仕上げの質感を好みます。
    ただ、悲しいことに木工家の中には手を抜いたオイル仕上げをする人がいるのも事実だと思います。
    そのあたりのことも誤解が生じた遠因なのではないでしょうか。
    オイル仕上げがごまかし的な仕上げではないことを理解して、本物のオイル仕上げの良さを知っていただけたらと思います。
    図面の納品はなるほどと感じました。
    私も考えてみようと思います。

  • 皆さん、ありがとうございます。
    必要にして十分ではない管理人の回答を補強して頂く内容のコメント頂き、感謝しています。
    お二人が仰るように、オイルフィニッシュの本来の魅力を認知してもらうためにも努力したいと思います。
    オイルフィニッシュを施すには、材料の吟味(材質が悪ければごまかしが利かず、良ければより引き立つ)、仕上げ精度の追求(ウレタン、ラッカーではほどほどの仕上げが良い、逆にあまり高精度に仕上げるとステインが載らず、芳しくない。しかしオイルフィニッシュは、しっかり高精度に仕上げないと本来の質感が望めない)、など前処理における精度が要求されます。
    テーブル天板などへのオイルフィニッシュの問題性(輪染みが出やすい、などの)にはウレタンをMixさせるなど、様々な研究が必要になりますが、ユーザーの協力を得ながら努力したいものです。

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