工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

自宅から300mのコンビニに強盗 !?

三面ベタ記事からは時代の裏側が読み取れたりするものだが、今日の夕刻のニュースにはホントにびっくりした。
そして次に顔を覆いたくなるほどの恥ずかしさに襲われ、何故か悪寒までしてきた。
いよいよ日本社会はとんでもない状況に陥りつつあるのかもしれない。
事件は35才の若い青年が自宅から300mの距離にあるコンビニに強盗に入り、非常ベルに驚いて、何も取らずに逃げ、翌日怖くなって警察に出頭、という事件。
師走を迎えて、要するにどこの地域でもよくあるような強盗未遂事件なのだが‥‥。
ちょっとこの事件の背景というものが、とても身につまされるようなものを持っていて、簡単にスルーすることもできないものではないのではと、立ち止まってしまったというわけだ。
昨日から今日に掛けての事件なので未解明な要素が大きいだろうからあれこれと分析できる状況ではないのだが、現段階の報道によれば‥、ということで少しだけ触れてみる。
この35才の青年、派遣社員として働いていたところを仕事が無くなり退社。
他の仕事も見つからず、カネが無くまともに食事もできず、水だけで凌いでいた。
住まいの家賃の督促状が来て、家を追い出されるせっぱつまった状況でコンビニ強盗を決意。
自首した時の所持金9円。

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座刳りは楽しからずや

座刳り
ボクが最初に手鉋での座刳りを間近に見たのは信州の訓練校でのことだったが、その時は軽い衝撃に近いものを受けたように記憶している。
反り台鉋、四方反り、南京鉋、それら数種のものをそれぞれ刃口サイズの違い、反りの円弧の違いを含め何丁も使いこなし、目的とする任意の形状を作り出すその技にはほれぼれとしたものだ。
確かに椅子制作のプロセスの中ではこの座刳りという作業には熟練の技が要求され、また肉体的にはかなり過酷なものといえるかもしれない。
しかし恐らくは椅子制作に於いて求められる機能(デザインを含む)の大きな要素の1つである座り心地を決定づけるものとして欠かせない重要な工程といえるのであり、逃れることなく楽しくやるのが良いだろう。
良く「手作り●▼」と称しつつも強力なサンダーなどで強引にやってしまう場合もあるようだが、これではお尻に優しく、美しい座面を得ることにはならないだろう。
ボクは「手作り●▼」という呼称は使わないが、もし「手作り●▼」という冠を字義通りの解釈、あるいはシニフィエとしての優位性が担保されるのであれば、こうしたプロセスこそそれにふさわしいものと言えるかも知れない。
これまで数100枚にもわたる座繰りを経験し、今や様々な他の加工工程同様、事も無げにやってしまう作業だが、ポイントをいくつかあげてみよう。
まず最初に書き置いておかねばならないことは、日本の台鉋のすばらしさということである。
冒頭述べたように、座刳りには様々な小鉋(台鉋)を使い分けていくのだが、これを可能ならしめるのが鉋の台と刃の形状だ。
被切削物としての座に求める3次元の座刳りは、そのポイントにおける形状をある固有の小鉋の刃と台の形状よって制御される。
小さな半径の円弧状であればそれに適合するRを持った刃と台の小鉋が必要とされ、しかし同じものでは平面に近いようななだらかな円弧状の部位は削れない(削れるが、適切な曲面にはならない)それぞれのRに最適な鉋を選び使いこなさねばならない。
このような作業に求められる小鉋は個々の作業者が自ら仕込むことが求められる。
もちろん基本的なサイズ、R曲面を持った既成の小鉋は市場でいくらでも入手できるが、現場の要求にはそのままでは応えることはできない。
やはりそれれぞれの曲面に適合させるために、刃と台の形状を整えなければならない。
恐らくは世界にはこうした作業に応えるための様々な鉋があると思われるが、日本の小鉋ほど洗練された機能を持ち、また任意に形状を変えることができるという意味において、最もすぐれたものとして分類されるのではないだろうか。(本稿続く)

出羽桜を一献

酒かろうじて夕刻の東の空におぼろげで幻想的な姿の満月が上がったが、間もなく厚い雲に覆われてしまった。
明日は寒くなりそうだ。
そして酒屋に立ち寄り、今年も《出羽桜 出羽燦々 無濾過生原酒》(純米吟醸)。
搾りたての新酒だ。
原酒なので確かに重厚ではあるが、フルーティーで、旨みが凝縮している。
初めて口にしたときのあの感動がまたもや蘇る。
生原酒であるので冬季限定になってしまうが、それがまた希少性を付与し、時機到来を待ち望む楽しみを与えてくれるのが良い。
今日は10数枚の座板の座刳り作業を進めたのだが、肩が上がらないほどに疲労がたまった。
出羽桜はこの疲れ切った五臓六腑に染み入るように身体を充たし心地よい。
実は今回は地元の地酒をと、密かにねらっていたのだが、入手できずこちらになった。
次回は何とかして手に入れたい。今年のの洞爺湖G8サミットに日本酒を代表する銘柄として公式晩餐会に用いられた静岡の地酒。

「加藤周一 1968年を語る」(放送日変更のお知らせ)

先の6日のエントリ「加藤周一氏の訃報に接し」の末尾で触れた NHK「ETV特集」《 加藤周一 1968年を語る〜「言葉と戦車」ふたたび〜》は、加藤周一 氏の死去を受けて放送日が変更されました。
(《水俣と向きあう〜記録映画作家 土本典昭の43年〜》と差し替え)
■ 《 加藤周一 1968年を語る〜「言葉と戦車」ふたたび〜》
■ NHK教育/デジタル教育1「ETV特集」
■ 放送日時:12月14日(日)22:00〜23:30(90分)
■ 参照:NHK Webサイト
情報をくれたOさん、ありがとうね。

ちょっと恥ずかしい話し(続)

〈承前〉
「グローバリゼーションと舞台芸術」とテーマされた「BeSeTo演劇祭」におけるシンポジウムでの磯崎新氏の発言から。

私は、新国立劇場設立のときの建築家として、コンペの審査委員までしましたが、‥‥日本で初めて「東京オペラ座」という感覚で国際コンペをやった。‥‥「国際コンペ」をどうやったらいいいか誰もわからない。そこで本来ならば呼ばれることのない立場のぼくが、いろいろな「国際コンペ」の経験があるということで呼び出されて、末席をけがしたというのがいきさつです。
そのときは、わりと国際的に注目を浴びまして、アイディアとしてかなりおもしろい案が世界中から集まってきました。ぼくはその中で、オペラの建物として画期的になるであろうと思う案を盛んに推したのですが、なぜか建築界から出てきた審査委員は賛同してくれなかった。
‥‥いろいろな建築の外の人たちと話していると、その人達は建築業界の裏の仕組みとは無関係ですから、「それはなかなかいい」とうことで、みんなその案に賛成し始めたんです。そこで誰がどういう操作したのかわかりませんが、コンペというのはロビー活動というのがかならず起こるんですけれど、ロビー活動をやったやつがいた。それはどういうことかと言いますと、二等以下はいくら外人(ママ)を入れてもいいけれど、一等だけは排除するするというものでして、ということは一等案を採用するわけですから、一等案は日本人に、という操作を審査過程の裏でやっていたわけです。‥‥
そうすると一等案は、ほとんど無名の人が出した、今の案の原型になったものに決まりました。
全世界の劇場建築には、いろいろなアイデアがあるけれど、その中の無難な、われわれから見れば二流のレベルの技術を寄せ集めたような何の特徴もない案が、最終的に意向に沿っているということで決まった。‥‥
資料を調べたらわかると思いますが、二等以下はほとんどが外人でした。この連中がこのときに提出した案というのは、80年代以降の世界の様々な音楽ホール、オペラ座、劇場のなかで大変ユニークなものとして評価されるものがザーッと並んでいたのですが、一等案だけはまったく恥ずかしいとぼくは思うのですが、それに決められてしまいました。‥‥‥
これでは恥ずかしくて、「東京オペラ」は建物としていいとは言えないし、また誰も歴史的には残してくれないと思います。
(2004/11、「グローバリゼーションと舞台芸術」シンポジウムから『演劇』018より引用)

新国立劇場設立に際し、国際コンペの内情を良く知る立場からの辛辣な批評である。
日本人を積極的に推すことは理解できないわけではないが、その結果国際とは名ばかりの閉鎖的なコンペの汚名を与えられ、さらには日本の建築家にとっては国際的競争力を削がれ、伸びるかも知れない才能までが早々と摘まれてしまうという結果をもたらすのでは。
贔屓の引き倒しという奴だ。
国際化、国際化と常套句のように叫ばれている今日だが、その実態たるやお寒いばかりの状態であり、むしろ昨今、より社会的な閉塞感の中にあって内向きな社会に傾斜しつつあるような危惧さえ覚える。
ノーベル賞をめぐるメディアの国籍をめぐる杜撰な扱いと受賞を巡る狂騒も、そうしたことのごくありふれた一面。
週末でもあり、ご愛読に感謝してYouTubeから中島みゆき『重き荷を負いて』(『ララバイSINGER』所収 2006/11、ビデオ映像は2007ツアーより)を、押しつけがましく

ちょっと恥ずかしい話し

ノーベル賞授賞式の様子はTVニュースで視た。
すばらしいセレモニーであったようだ。
三者三様のの喜び方で良いと思ったね。家具職人の息子であった益川教授の軽口も快調だったようで、失礼ながらちょっとかわいらしいじゃないか。
益川教授の受賞記念講演(Nobel Lecture)がノーベル財団のサイトから動画で見ることが出来る →こちらから
日本人として誇らしく思う、などと言えばナショナリストめ !、と指さされるかもしれないが、慶事であることの喜びを共有したいものだ。
ただ今回の物理学賞と化学賞に「4人の日本人が受賞した」、「日本人3氏が物理学賞独占」と、殊更に日本人を連呼するのは違和感が伴う。ちょっと恥ずかしくなる。
物理学賞受賞を健康上の理由からストックホルムではなくシカゴ大学の授賞式に臨んだ南部陽一郎さん(87才、米シカゴ大名誉教授)は米国籍である。
言うならば日系のアメリカ人だ。
あるいはまた化学賞受賞の下村脩さん(米ウッズホール海洋生物学研究所・元上席研究員)は、受賞対象の研究を含め、その研究基盤はアメリカだ。
当然にも国際的にはこの2人の受賞者はアメリカと分類されるというのが通念だろう。
このあたりのことについては、米国のメディアから引用するのでは公正さを欠くかも知れないので英国BBCから視てみよう。

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ギフトと贈与

apple
Appleが届いた。
年長のデザイナーの知人から贈られたものなのだが、ほぼ一方的に世話になっているにもかかわらずの贈り物。
その住まいの方角に向かいコクンと頭を下げる。
お中元とかお歳暮とか、いわばビジネス世界での儀礼の交換は、あまり馴染めない。
無論古来から贈与というものが民族間、部族間、国家間にあって有用なコミュニケーションのツールであったことは歴史的に、あるいは民俗学的にも明らかだし、近代から現代になってもなおその意味は消滅するどころか、むしろ拡大されてもいよう。
これが個人的な交際の場で援用されているというのも宜なるかなというところである
ここはやはり儀礼ではなく、心のこもったやり取りでありたいと思うよね。
その土地ならでは物産、稀少なるものなど、いずれにしても相手の心に届き、ちょっと喜んでもらえ、交流の潤滑剤になるのが良い。
さてところで、画像下のようなギフトは如何だろう。
工房 悠の「キャンドルスタンド」
少々 在庫あります。
この歳末から正月へ向けての家庭内のイベントに、そして世話になったあの人に ‥‥,
ギフトの選択というのもその人の感性とセンスを含め、相手に伝わるものだから。
【キャンドルスタンド】
▼ 寸 法 :350w 100d 140h
▼ 材 種 :クラロウォールナット、ウォールナット、
    カーリーメープル(キャンドルポット 部)
▼ 仕上げ:オイルフィニッシュ 
▼ 価 格 :21.000円(消費税込み)
▼ キャンドル: 取り替えのきくティンキャンドルは4時間ほど燃焼します(10個付いています)
キャンドルスタンド

CLARO(クラロ)って何さ

CLARO1
画像はウォールナットの亜種、CLARO WALNUTという樹種を用いた甲板の部分。
いわばCLAROのCLAROたる所以が表れている。
ご覧のように上下の細胞組織が分断されているのが確認できると思う。
また上のその部分から大きく絞り込まれているのも判るだろう。
理由を明かせば、これは接ぎ木された痕跡だ。
CLAROという樹種の由来を明示的に示している。
ちょっと不鮮明だったかな。
では次に下の画像はどうだろうか。
上は木表の方だが、下は木裏。
この板はかなり髄心(Pith center)に近い部分だが、それだけにこちらは接ぎ木した痕跡が明瞭。節のような黒く欠落した部分があるが、まさにここが接ぎ木の場所だ。(画像下、右下の影は送り寄せ蟻部分)
この丸太には無かったが、他のCLARO原木ではこの部分に太い釘が使われていて、刃物を大きく欠損させてしまうという失敗を数度やらかした。
上部は明らかに細胞組織が異なることが見て取れると思うが、異なる樹種を接ぎ木したことによる。
その結果、下の台木の方には上の接ぎ木された樹の細胞がアマルガムに混入し、変異させられ、一般のブラックウォールナットには決してみることのできない独特の色調をもたらす。
チョコレート色から赤紫色、そして黒から緑色へと、その色調は一様ではなく、それそれが縞状に絡む。
また木理もより複雑になり、縮杢、バール杢などが醸されることが良くある。
この丸太にも見事なバール杢、縮杢が出てきた。

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God is a concept

1980.12.08

初結氷の日

今朝はこの冬初めての結氷。今年は例年より寒いなと感じていたのだが、さにあらず例年よりも6日遅い初氷だとか。
雲ひとつ無い澄み切った空の向こうにはたっぷりと雪を被った冬富士が美しかった。
(以下、つまらん個人的な周辺雑記なので読み飛ばしてほしい)
午前は地域の防災訓練でAEDの取り扱い、三角巾の活用法など学習。
公民館の床に座り込んでのもので、数週間前の長時間にわたる和室での会議後、座る姿勢の問題が原因での腰痛(ぎっくり腰の再発)に苦しんだばかりだったので、再々発を怖れた。
失礼ながら頭にのっけていたヘルメットをお尻の下に置き、これに腰掛けることで事なきを得た。
昨今の心肺蘇生術では、患者からの感染防護という観点が重視されていることを思い知らされる。(マウス to マウスの問題)
専用の器具なども販売されているようだった。
午後は設計見積もり、図面書きなどで過ごす。
合間に書棚から加藤周一のものを取り出し、拾い読みの再読。
セブンアンドワイのサイトからも同氏のものをあらたに数冊ポチッ。
絶版になっているものもあるが、訃報を知りボクと同じように買い漁る者も多いかも知れず、在庫切れもあり得るので急ぐ。
石山修武、ウイリアム・リムなどとの共著で「アジア建築の現在―水辺文化とポストモダン」というものがあるようだが、セブンアンドワイでは取り扱いがない。
仕方がないからamazon.comからか。
セブンアンドワイのシステムは、宅配ではなく、近くのセブンイレブンまで届けるというものだ。
個別宅配などという過剰サービス(運送コスト、流通と環境の問題)から少しでも脱したいとの思いからだが、取り扱い数はamazonにはかなわない。
本当はMacですべてを済まそうというものぐさから脱して、地域の書店店頭に出掛けて発注すべきなんだが。
ドラフターに向かい、書に向かい、その間iTunesからはグールドでベートーヴェンのピアノソナタなどを流す。心をリセットしてくれる格好の音楽。
最近やたらと「癒しの音楽 云々」などと様々なところで「癒し」が乱発される傾向が続いているが、それだけストレスの多い社会なんだなと思わされるとともに、過度な「癒し」ブームにはいささかながら腐したくもなってくる。
ところで加藤周一の好む音楽はどういうものだったのだろうか。
やはりパリでの生活も長かったようだから、フランスロマン派あたりになるのか。
でも根拠があるわけではないがバルバラとかエディット・ピアフあたりのシャンソンにはまっていたりしたかもしれない。
何故かその方が彼には似合う。