工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

木に内在する表情を読め

くるみラダー
今日の仕事は椅子のバックのラダーの木取り、成形加工など。
200本近く作るので1日仕事だ。
成形は帯ノコ、ルーターマシーン、面取り盤などを駆使して、精度の高い正Rの円弧状ラダーを作るのだが、無論ナイフマークは残るものの、とても綺麗な切削肌で仕上げることができる。
したがって後はホゾを付けた後、面取り、サンディングと移行し完成する。
機械設備の問題からこうしたプロセスが確保できない場合はどうするのだろう。
もちろん1本、1本手鉋で作成することもできなくはない。
しかし円弧の精度、寸法精度を同一複数の条件で確保するというのは無理な話し。=無謀。
また所要時間はとんでもない単位となることも確か。
これらは全て人件費となって商品(作品?)の価格へとはねかえる。

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「木工家ウィーク 2008・NAGOYA」へのご参加を

ネット上で木工関連のサイト、Blogにアクセスされている人は既知のことと思われるが、題記のような催しが6月初旬に開催される。
企画詳細はWebサイト「Woodworkers Week 2008 NAGOYA」に譲りたいと思うが、本件起ちあげ準備段階から少し関わってきた者として考えるところを書き記したいと思う。
木工家による活動形態も様々なスタイルがあると思われるが、主には自身の思うところに従い、デザイン・設計し、木材を主たる素材とした家具などの木工品を小規模の工房、あるいは個人という単位で制作、販売するという生業であると、とりあえずは措定できるだろう。
まずはじめにこの木工家という生業とその存在の特徴を社会的な側面から見て行こうと思う。
木工家具制作という業態は他の産業と同様に1960年代以降の大衆消費社会の到来とともに、大小の規模の差異はあっても基本的には工場での大量生産システムへと大きく変貌してきたが、しかし一方近代以降も細々とした規模ではあっても伝統的な木工制作技法を駆使した優れた木工家具を制作する個人、あるいは工房スタイルでの業態というものも存在してきたし、彼らの弛まない活動というものが優れた木工の世界というものを現在に伝え、そしてこれは日本の世界に誇るべき遺産として継承されているということも確認できるだろう。
一方大衆消費社会があまねく行き渡る70年代以降、こうした状況に大きなインパクトを与えたのが世界的な激動期の到来とともにカウンターカルチャーのムーヴメントの渦の中から澎湃として巻き起こった大衆消費社会というものへの疑念であった。
これは広く多くの市民に文明と利便性を約束した繁栄の裏側に胚胎した使い捨て文化の蔓延(大量消費社会=大量廃棄文化)、あるいは工場労働者として強いられる非人間的な社会環境への疑問も当然のように意識させられてきたことなどから、ものづくりという活動形態に人生の多くの部分を担わせることで自己実現を図る若者たちが産まれてきたことは必然性があったというべきかもしれない。
企業人として大量生産、大量消費の歯車となって疲弊していく道を選ばず、例え経済的な豊かさから見放されたとしても、もの作りという豊かな人間性を獲得できる道を選択する中から、失われつつあった健康な美と、丁寧な仕事から産まれる造形の確かさというものは、居住空間に精神的な潤いと美しさを求める市民の求めと合致していくことで、新たな家具制作のムーヴメントを起こしてきたとも言えるだろう。
その手法は日本古来から伝わってきている木工技法を駆使しつつも、時代の先を見据えたモダンデザイン、あるいは自身の信ずるところから産み出されるオリジナリティーあふれるデザインを特徴とし、その意味では既存の家具制作とは大きく異なる新鮮なものを提案してきたとも言える。
さて柄谷行人がこのところ論究している「歴史の反復」という視点からこれを見据えるならば、19世紀末期のアーツ&クラフツというウィリアム・モリスの提唱と運動というものの「反復」(=“再興”)という位置づけも可能なのではないだろうか。
西欧における産業革命後のマシンテクノロジーがもたらした生活環境の激変と、もの作りの世界の非人間的な労働環境への反旗でもあったアーツ&クラフツという、手業による美しいもの作りの復権は、その後のアートとクラフトの世界に大きな影響を与えていったことは詳述するまでもない歴史的なエポックであった。
ここに柄谷行人の「歴史の反復」120年説を敷衍させるべきかは留保するとしても、既存の生産システムへのカウンターとして評価すべきものが起きていることは疑いようがないだろう。
こうした歴史的な必然性というものに、例え当事者が無自覚ではあっても、その活動形態は明らかに既存の木工家具制作の分野に大きなインパクトを与えて来たと言って良い。
東南アジアの有限な自然素材としての南洋材を円の力を背景としてばっさばっさと禿げ山になるまで皆伐し、それをテクノロシーによって0.15mm〜ほどの薄さまで剥きとり、合板とし、これを用い大量生産の粗製濫造の家具に変身させてきたシステムとは異なり、
この自然素材を本来の伝統的な手法で木工品として再びの生を与えようと志す私たちの働きかけというものは、現代の居住空間を豊かにし、生活スタイルまでをも提案する方法として広く社会的認知を得ることで、いわばオールタナティヴな制作形態としての家具工房というスタイルを獲得してきたと言えるだろう。
私も個人的にはかなり「遅れてきた青年」ではあったが、家具工房を起ちあげ、今日まで多くの方々の理解と励ましに支えられ、それなりに充実した木工家という人生を歩んできたところだ。
さて、今日、世界は大きく変貌しつつある。
資源の高騰、穀物の高騰と言った経済的問題として顕現していることだけでも、まさに世界的なファンダメンタルズの変容と見なすべきかも知れず、一方での米国一極支配は地球至る所へと不安定さをもたらし、未来への希望を摘み取るあからさまで荒っぽい資本の論理というものがまかり通り、荒廃し閉塞した社会を産み出している。
この新たな状況とともに、BRICs(ブリックス)諸国の台頭という事態は、もの作りの世界に大きな影響をおよぼしつつあると言わねばならない。
昨日も少し関連することに言及したが、材木市況はボクがこの世界に入ってきた数十年以前とは大きく異なってきているばかりか、数年前の状況とも変容してきているというのが実態だ。
国産の広葉樹は求めようがないほどに枯渇してきたのは別の要因によるものであるとしても、海外からこれまで安定的に入ってきた材木も高騰していることはもちろん、まともな材質のものが入らなくなってきているという悲しむべき状況を呈している。
こうした状況は木材に限ったことではない。家具制作に必須の金具などの関連素材も同様だ。
あるいはまた地球温暖化をくい止めることが21世紀に生きる全ての人々に取り最大の課題となっていることを考えると、CO2を吸収してくれる木材資源を主素材とする木工家具制作というものは如何なる持続可能性がそこに見出せるのか、という問題設定は決して不当なものと言える自信など無い。
こうした現状への強い危機感とともに、一方における木工家という存在様式は、昨今の労働環境の激変、あるいは自然素材を有益に使おうという意識の高まり、木工本来の制作スタイルから産み出される良質な木工家具を求めようという顧客層の拡がりも増加傾向にある中で、その社会的評価も定着しつつあることも確かなことだ。
こうした持続可能性を展望しつつも、様々な木工家具制作をめぐる環境の激変にどのように立ち向かい、これを乗り越え、次なる地平へと飛躍するかは、私たちに課せられた重要な課題であろう。
このような問題意識を共有しつつ、次の時代を担う多くの若き木工家とともに、次への展望を見出していこうとする1つの試みとして「木工家のネットワーク」というものを標榜する「木工家ウィーク」というものが開催されようとしている。
全国各地域で活動されている木工家の方々にご参集いただき、いくつかの展示会企画とともに「記念フォーラム」(講演会など)を聴講していただきたいと思う。
この「記念フォーラム」では長 大作 氏(建築家・家具デザイナー)、諸山 正則 氏(東京国立近代美術館工芸館主任研究員)をお迎えし、“木工房からの仕事―今暮らしを考える”と題して講演をしていただくとともに、質疑応答という形でディスカッションを深めていく予定である。
〈長 大作〉さんはご存じのように戦前からの建築、家具デザイナーとして多くの優れた家具デザインを著し、また近年では「暮らしの中の木の椅子展」(朝日新聞社)での選考委員を長く務められ、工房家具への造詣も深い方。
86歳になる現在もなお、自身のデザインを復刻させたり、若いデザイナー、木工家とともに真剣にデザインについて熱くディスカッションする若い心を持つ“巨匠”だ。
〈諸山 正則〉さんは東京国立近代美術館工芸館主任研究員として「近代日本の木工芸ー明治から現代までー」(1987)、および「現代の木工家具ースローライフの空間とデザインー」(2003)を企画され、またこの分野での高い見識を持たれる碩学として日本の木工芸をその第一線で研究発表、批評してきた人である。
様々な調査研究の中で培った背景を持つキュレーターとして、私たちにとって示唆を受けることの多い講演となるだろう。
なお、リンクしたWeb サイトは、出来たばかりと云うこともあり、必ずしも十分なコンテンツが作成されているわけでもないが、可能であれば今後継続的に充実させていきたいという意向もあると思われるので、それを待ちたいと思う。
会場でお会いできることを期待して‥‥。

虫害は薪へと姿を変え

今日は薪づくりで汗を流す。
早くも冬越しへ向けての準備、と言うわけではないのだが、ちょっと訳あって‥‥、
今日は長く材木屋に預けておいた鬼クルミ他、数種の材木を届けてもらった。
座布団椅子のラダー部、9分板がまとまった量で必要となったのでね。
引き上げたのは延べ2立方ほどの材積だったので、フォークリフトのある倉庫でうちのトラックに載せ替え、工房へと運び込んだ。
さぁ、大変。
鬼クルミの大半が鉄砲虫にやられていた。
カミキリムシの幼虫だね。
時季的には幼虫から蛹にかえり、成虫となって這い出す頃なのかな。
もちろん、白太は当然にも虫害を受けていることは覚悟していたし、また材木屋からも申し訳なさそうに同様のことが伝えられていた。
しかしその実態は予測をはるかに超えていた。
白太どころか、赤身までやられていた。
この薪づくりというのは、虫害部位をバンドソーで取り除いたところを薪ストーブの長さに切りそろえた、ということ。泣く泣くだね。
本来であれば広葉樹への虫害というものは、白太部分に入るというのが通例。
しかし胡桃は赤身の部分も美味しいし(?)、柔らかい。
虫もほっとかない、というワケだ。
今日はお天気も良好。屋外で作業をしていると初夏の日射しが降り注ぎ、Tシャツから除く腕も日焼けするほどだ。
と言うわけで、虫害にあった板を虫干しした。しかしこれはほとんど効果は無いという。
決定打は?
材木屋の主人曰く「木酢液」だそうだ。
さっそく入手して、噴霧、噴霧しましょ。
ところで、改めて思い知らされたね。
この胡桃板。ほとんどが30cm越える幅を持ち、赤身がバシッとした板。
こんな板、製品ではもう入手不可能。
昔は当たり前のように流通していたものなのにね。
したがって本日のartisanの顔は、喜々とにやけつ、時折虫害で半べそ、というビミョウなものであった。
明日も晴れるだろう。
虫害

藍・さわやかな和染めの世界(芹沢けい介美術館からのご案内)

芹沢美術館パンフレット静岡市の芹沢美術館より、新しい展覧会企画の案内がきているので、ここで紹介させていただこう。
今回は「藍・さわやかな和染めの世界」と題された芹沢けい介がコレクションした日本の様々な藍染めを集めたもの。
約150点にわたる紹介となる。
(けい介のけいは金へんに圭:このBlogでは文字エンコードでの制約から漢字表記できない)


▼ 芹沢銈介の収集品より 藍・さわやかな和染めの世界 
▼ 2008年6月7日(土)〜8月31日(日)
<休館日>毎週月曜日(7/21を除く)、7/22

当館に収蔵する芹沢銈介が収集した日本の藍染めの資料は、数百点にものぼります。
その内容は非常に多様で、視野の広い、行き届いた収集といえます。
裃(かみしも)、被衣(かづき)、こぎん、労働着、道中着、火消し装束、万祝い、浴衣などの衣料の他、風呂敷、油単(ゆたん)、夜着(よぎ)、のれん、幟(のぼり)、馬飾布、多数の裂(きれ)類があって、技法も型染、筒描、絣、刺子あるいはこれらを併用したものなど各種あり、大変変化に富んでいます。
今回の展覧会では、これらの中から150点をご紹介いたします。
<同時開催> 平成19年度新収蔵 芹沢銈介作品展

(美術館サイトより)

■ パンフレットのPDFデータは以下。
〈表面〉http://www.koubou-yuh.com/serizawa_ai1.pdf 1.1MB
〈裏面〉http://www.koubou-yuh.com/serizawa_ai2.pdf 1.1MB

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

本件とは関係ないが、今夜は満月。
昨夜からの雨も午前中にすっかり止み、晴れ上がりクリアになった大気の向こうに大きな満月が望める。

「知るを楽しむ:グレングールド」(NHK教育)

NHK教育「知るを楽しむ:グレングールド」はこれまで2回にわたって放映されてきたが、明日火曜日の放送を含めこの後2回シリーズは続く。
ところでクラシックのピアノ演奏家として、これほどまでに様々な形、つまり評伝、ドキュメンタリー映画、文学、エッセーなどの媒体、様式で取り上げられる人は他にいただろうか。しかも亡くなって四半世紀の時間が経過するというのに未だになお‥‥‥。
ボクは文学も映画も好きだが、日本文学といえばやはり漱石かなと思うのだが、グレン・グールドの枕元には『草枕』が置かれていたこととか、映画『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターの愛聴盤が「ゴルトベルク変奏曲」であるとか、彼を巡っては演奏の特徴を評すことば以上にその特異な属性、キャラクターのものめずらしさとともに、とても思弁的でかつ論理的思考を好み、一般的な芸術家肌の演奏家とはかなり様相を異にする人物であったなどど言うように、こうしたエピソードには事欠かない
そうした属性も含めた人間的魅力の虜になってしまった人は多いのではないか。
レクター博士などという仮想の猟奇的人物を借りなくとも、多くの著名人が愛聴していることなどわざわざその名を上げる必要も無いほどありふれたこと。
しかしどうしてここまで魅了されてしまうのだろうか。
魅了されるのはそうしたエピソードが示す特異な人物だからと誤解されると困るのだが、クラシックの音源の売り上げのランキングがどうなっているのかは調べねば判らないが、バッハのピアノ演奏家として限ってみれば、恐らくダントツにこのグレン・グールドが圧倒しているのではないだろうか。
バッハの鍵盤楽器の曲は時代的に本来であればオルガン、チェンバロで演奏するということになるが、この常識というものとらわれず、ピアノという近代の楽器でバッハの演奏というものを再定義したのがグレン・グールドと言っても良いのかも知れない。
そうしたグレン・グールドの魅力の深淵にあるものを解読しようというのがこの番組のテーマであろう。
これまで、
第1回/伝説の誕生、第2回/〝コンサートは死んだ〟と進んできているが、番組は宮澤淳一氏(青学準教授)が進行役を務め、随所に日本で最初にグールドを高く評した吉田秀和氏のインタビューをはさみ、時折坂本龍一も顔を出す(学生時代の教授も、その演奏法に影響を受けたと自認している)という構成。
明日第3回目は「逆説のロマンティスト」、そして最後は「最後のゴールドベルク」という予定。

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今日は電気屋さん

フロアスタンド配線
フロアスタンドだが、先に触れたように照度コントロールスイッチの固定金具の特注制作の納品を待っているところだが、数週間にもわたりそれを待つわけにもいかず組み立てることにする。
その前に配線作業をしておかねばならない。
1,600mmの長さを持つ柱、左右の柱を繋ぐ貫などに電源コードを埋め込まねばならないからね。
それぞれの部品に配線を施し、このそれぞれの端子を接続しながら木部全体を組み上げていく。
メッセンジャーケーブルをあらかじめ貫通させておき、木部完成後に本来の配線作業を行うという手法もあるが、これは木部の接合部の加工が複雑になるのでしない。
電気配線に必要な様々な圧着端子、接続端子なども最近では比較的簡単に入手できるようになっているので、何らプロと変わりのない完全な作業環境で臨めるだろう。
なおボクは若い頃は電力会社に勤務していたことがあるが、こうした電気配線に関わるノウハウは少し理解しているしね。
フロアスタンドこのフロアスタンドは「工芸都市 高岡クラフトコンペ」の入選作。
自分が言うのでは説得性に欠けるが、仕事の品質はレベル以上のものがあるはずだし、デザイン的にも、ちょっと自信作。
ブラックウォールナットの高さのある2本の柱と、下半分のの格子、その上の棚。
そして和紙のシェードという取り合わせ、バランス、端正さ。
ちょっと余談だが、柱の面は1分の切り面を取ってある。格子は5厘の切り面。
こういうところは坊主面ではなく切り面というのが古来から日本の住環境における伝統的な約束事だが、その大きさなどはいつも考え抜く。小さすぎても大きくてもいけない。柱の断面の大きさから必然的に導き出される面の大きさというものがある。
これを無視すると、途端に端正さが失われる。

『世界の終わりの過ごし方』

このところ、普段あまり視ないTVにかじりつきになることが多い。
昨夜もNHK BS2の映画劇場に釘付け。
サンダンス・NHK国際映像作家賞特集として「世界の終わりの過ごし方」(ルーマニア)がとても良かった。
このところルーマニアの映画はカンヌ映画祭などで評価が高くなってきているが、この「世界の終わりの過ごし方」は全く予備知識もなく、そのタイトルに引かれTVの前に座ってしまっただけであったが、その直感に間違いはなかった。
チャウシェスク政権末期のルーマニアの人々の日常を背景に、思春期の姉と学齢期に達したばかりの幼い弟が繰りひろげるドラマ。
家族愛、近隣の人々との暖かい交流に見守られ、しかし時にこれと衝突し、成長していく2人。
こうして書けばどこにでも転がっている物語にしか過ぎないが、しかしこの映画はルーマニアの圧制の時代の最期を背景とすることによって、その様相はよりドラマティックでもあり、どこかもの悲しくもある。
そして全ての人々が愛おしく、過酷であろうはずの日常をたくましく生き抜く姿は美しくさえある。時折ドラマの変転の狭間に顔を出す知恵遅れのオジサンへも、その地域にとっては欠かせない存在として暖かな眼差しが注がれる。
やや展開が荒っぽい感じも与えるが、寓話的な手法として見れば許せない範囲ではない。
未熟なエロスも挟まれているが、相手役の青年はなかなかの面構え(どこかエゴン・シーレのような)で気に入った。
姉役の女優もクールな面構えの中に時折見せる笑顔は美しかった。
姉は、周りからは疎まれるが現状を打破しようと考える意志の強いボーイフレンドとともにドナウ川を渡河して駆け落ち、国外脱出を企てようとする。
しかし彼女一人、川の中程で引き返してしまう。
弟はこれを真似てのものか、河に沈むし、そして最後この6歳の少年はチャウシェスクを襲うべく、大統領に近づくために一計を案ずるのだが、あのバルコニーでの演説中の民衆からの嵐のようなチャウシェスク打倒の声にうろたえるシーンの中にこの少年のパチンコ玉を打つ姿を嵌め込む。
そして独裁政権は倒され、人々は自由をかちとり、解放された民衆は乱舞する。
圧制の下でも、絶望することなく、かといって現状を打破しようと起ちあがるのでもなく、シニックに、優柔不断に、そしてたくましく日常を生きる市井の人々。
オトナのように賢くはないが、この姉、弟のどこか危なっかしくも、たくましく生きる日常の姿に、民衆の生命力というものを体現させられていて秀逸な映画だった。
生きると言うことはかくも尊いものだ。

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実はこのエントリ、書き始めはNHK教育の「知るを楽しむ:グレン・グールド」の話しを書こうと思っていたのだが、ちょっと筆が別のジャンルの話しに滑りすぎてしまった。
グレン・グールドは次回に。

薫風と、四川大地震

乾湿計薫風(くんぷう)、早苗月(さなへつき)、橘月(たちばなつき)晩春、新緑、五月雨(さみだれ)、五月晴(さつきばれ)
いずれも皐月5月の異名、季語。
さわやかな陽気だ。何をするにも快適な季節。
もちろん木工職人も快調。
工房の寒暖計、乾湿計の針はそれぞれ24℃、35%を指している。
いつまでも、いつまでも、この心地よさを ! などと不埒なことを口走ると田植えが始まったばかりの農家に叱られる。
しかし新聞、TVを見ればたちまち憂いは深くなる。世界はいつも非対称。
中国四川省の大地震。伝わってくる被害の様子は、目を覆うばかりの悲惨なものばかり。
がれきの下にはいまだ1万人を越す人々が救援の手を待ち望んでいると言われる。
犠牲者への哀悼の意を表すとともに被災者への心からのお見舞いを申し上げたい。
まずは人命救助が最優先されるが、今後、被災地の復興問題に留まらず、様々な領域において多くの問題が噴出するのではとの懸念は強い。
8月には北京五輪を控えているが、中国当局としては国威発揚を大きな眼目としている以上、無論予定通りに開催するだろう。
既に一部ではダム、貯水池が「危険なレベルの亀裂」が生じているとの報道もある(AFP BB News)。
この地域は少数民族が多い地域と言うこともあり、もともと貧民が多いとのことだが、中国民衆の人心の不安定化に繋がらねばと願うばかりだ。
このところ、米国の経済状況の低迷のあおりを受け、中国経済の指標も下落傾向。
多くの工業生産拠点を失い、農地の埋没なども含め、穀物高騰、エネルギー高騰という世界経済の不安定化をさらに加速させる要因にならなければよいのだがと思う。
先の胡錦濤主席の日本公式訪問においてあらためて確認された「戦略的互恵関係」の発動としての緊急の国際的支援を行ってもらいたい。
昨日、消防隊員ら17名を成田にスタンバイさせたものの、中国側の受け入れ態勢の不備などで、見合わせてきていたが、今日になってやっと日本からの国際緊急援助隊を受け入れることを表明した。
今夕に30名、明日さらに30名、計60名規模のチーム。
消防、警察、海上保安庁、国際協力機構(JICA)などで編成される。
今後、被害状況が詳らかになれば、さらにこの規模を拡大して支援態勢を再構築すべきだろう。

オバQの破損

うちの集塵システムは、とても脆弱。
ムラコシ製のいわゆる「オバQ」が1つ稼働しているだけ。 恥;
一昨日このオバQが木のブロックを吸い込み、高速回転する羽根にぶち当たってしまい、ちょっと耐え難い異音を発するようになってしまった。
20年このオバQを使用してきたが、このようなことはこれで2度目。
羽根を外して変形した部分を叩き出したりして整形すれば直るのだろうけれど‥‥。前回試みたものの、芳しくなかった。
したがって今回は機械屋にレスキュー。痛んだ羽根を更新することにした。
ムラコシは県内の企業なので、機械屋経由で発注したものは翌日入荷。
ま、プーリー外しもめんどうなので、持ち込んでくれた機械屋に作業を依託することにした。
通常のプーリー外しでは爪が入らないため、その部分を薄くグラインダー加工したものでなければならず、機械屋も3種ほど試みての作業であったことを考えれば、自力ではなかなか難しかったのかもしれない。
ところで、こんな記事をエントリしたことには理由がある。
このように集塵機に木のブロックを吸い込ませてしまうことは良くあり得ること。
そこで、吸い込んでも羽根にまで到達しないような障壁、フィルターを設けることで予防しようと思うのだが、こうした対策を施している方はいないでしょうかね。
ただ安易に、簡便にやろうとすると、このフィルターが飛び込んできた勢いのある木のブロックに押し込まれ、これが羽根に当たってしまう危険性がある。
かえって面倒だ。
これを避けるためには、太い焼きの入った番線様のものを荒いメッシュにして溶接しなければならないかもしれない。
請う、Good idea !

ハードウエアの準備はお早めに

現在は「座布団椅子」、「フロアスタンド」、「センターテーブル」など、それぞれ数Lotを並行して制作しているが、いくつかのことで想定外のことが起き、やや停滞気味。
1つは金具が入手できなくなっていること。
「ディスプレーフロアスタンド」の照度コントロール付きスイッチを固定するためのナットが手に入らない。
それまではスイッチ製造販売業者から40円@で入手できたものだが、ナットは既に在庫が切れ、今後の製造の予定はないのだという。
おいおい、困るよ。もう木部刻んじゃってるもん。
このスイッチ部分は、木部を彫り込んで、完全に内蔵させる設計であるのだが、スイッチ操作部分の外部露出のところで木部と固定させるためのナットが必要。
画像をご覧頂ければお分かりのように、ネジの本体側(オス)は短く、木部埋め込み構造を満たす長さのナットが必須。
したがってちょっとばかりこのナットの形状は特殊なものになる。
このナットの安定供給を前提にした設計なので、これが入手できないということになると‥破綻だよ。-_-#

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