工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

親を継いで、あるいは親を超えて‥‥、

ちょっと気になっていたことがあったのだが、今夜の中秋の名月のようにスカッとクリアになった。
おかげで月を愛でながら美酒にひたることができる。
以前、ある記事にコメントを寄せてくれた人のバックボーンのこと。
昨夜その人のBlogをつらつらと読み進めて分かった。
もしや、という勘が当たった、というのは正しくない。想像を超えた結果で驚いた、というところ。
読者には何が何だか判然としない物言いで申し訳ない。
気になっていたというのは、その方の業務内容がポイントだったが、それ以上にその人の出自の方が気に掛かった。もしやある物故者の縁者ではないのか、という点であった。
というのも、その故人には過去数度お会いしたことがあり、その一度めは本格的に木工をスタートする以前のこと。既に著名な木工家として活躍されていた人だったが、何も知らぬ若者の訪問を快く受け入れてくれ、親しくお話しさせていただいたのだった。
どうもこのコメント氏はその木工家の縁者どころか、ご長男であることが見て取れた。
インターネットというのは怖ろしい世界ではある。少し深く入り込めば氏素性を確認することができてしまう。
ただ反省もある。
Blogの文章、文体から親子であることを想定すべきであった。
お父さまも良い文章を著す人だった。DNA、二重螺旋は裏切らない。
ボクなどは技術屋の息子。親父は確かに読書家だったが、その対象は松本清張などもっぱら大衆小説。
DNAを裏切る人物に果たしてなれるかは、生物学的な領域の命題というよりも社会学的な問題であろうと、ここは強気に生きていくというのがおもしろいだろう。
次元は異なれども、このコメント氏も著名な親を超えて大成してくれるだろうことを見ていたいと思った。
お父さま譲りの道具、大切に使ってください。車もですね。
機会がありましたら、またお話し聞かせてください。

Apple Tabletが意味するもの

Apple Tablet
ところで皆さんは電車などでの移動の際、何をされていらっしゃるのだろう。
昨今、本を拡げて読んでいるという光景はめっきりと減っている。
若者に定番だったコミック本に目を落としニヤつくという姿もまばら。
たまに受験生が参考本とにらめっこという姿があると何となく微笑ましく思ったりするね。
ほとんど全てはケータイと対話している(メール、ネット接続)というのが実態だ。
こうした光景が間もなく変貌していくかも知れない。
タブレット型端末で新聞を読み、読書をするという姿に置き換わっていくかも‥‥。
先月9日、Apple社の音楽関連スペシャルイベントのステージに降り立った、スティーブ・ジョブズCEOのプレゼンテーション、興味深くご覧になった方などは既に強い関心を持って待ちかまえているのではないだろうか。
Apple社によるTablet型の端末開発はいよいよ最終局面にきているらしい。
スティーブ・ジョブズ氏の肝臓移植手術後の業務復帰以降、一体何に取り組んでいたかと言えば、このTablet型の端末開発なのだという(もっぱらの噂)。
もともと、あまりこうしたデバイスに興味を抱かなかったと言われるジョブズ氏だが、iPhoneおよびApp Storeの大成功、あるいはモバイル端末周辺の環境整備(ハードウェアではCPU、SSD、バッテリーなどの能力向上、ネットワークでの3G、Wi-Fi環境の整備)などで、その気になってきたというところか。
Apple情報サイトなど、それまではそのサイズ、機能などのスペックに関心が及んでいたのだったが、今回明らかになった情報では、そんな次元の話しではなく、情報流通の革新的な方向性を示唆するものとともにあったのだというからいささか驚かされた。
いやいや‥‥、Apple情報サイトらの想像を超えたところでの革新を伴ったデバイス開発であるらしい。
どういうことかと言えば、ボクが語るより関連情報サイト(AppleInsider)、(Gizmodo)、(Gizmodo日本版)をご覧いただいた方が良いだろうが、かいつまんで言えば、新聞、雑誌など印刷媒体を含む情報を、音楽のようにiTunesから配信するというアイディアを出版社などに働きかけているというのだ。
これらを新しいタブレットデバイス、リリースの起爆剤にするということらしい。

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ブラックウォールナット カップボード

bwカップボード

〈構成〉

  • 高さ1,800hであるが1本立ち
  • 上段は左右帆立、正面扉ともに透明ガラス(面取)
  • 内部・2枚の棚板、Topハロゲンランプ
  • 中段に2杯の抽斗
  • 下段は羽目板の扉、 内部・2枚の棚板

〈寸法〉
 900w 445d 1.800h

カップボード、いわゆる食器棚というジャンルのものになるが、上段の左右帆立が透明ガラスで構成される特徴からは食器をディスプレーするためのもの、つまりはキュリオケースの趣があるものとなっている。

主材を良質なブラックウォールナットで構成したことにも因るが、とても魅力的な家具である。

以下、詳しくみていくが、良質な木工家具が放つ美質を構成する複数の因子のうち、実はその主たるところは材種が持つ固有の魅力であり、また目的とする造形をより的確に表すための木理の選択配置にあると言えるだろう。

そして奇を衒わない端正なフォルム、あるいは伝統に踏まえながらもモダニズム志向から独自に創造されたフォルムは確かな存在感をもたらす。

言うまでもなく精緻な仕口、そして仕事の丁寧さなどは、それらの造形を確かなものとするための必須の要件だろう。

さてまず最初にフォルムだが、ほぼ1:2の矩形。
2枚扉の構成であれば、この間口より大きいと使いづらい。
外形は4本の柱の形状でイメージされる。
これは、いわゆるテリ脚と呼称されるなだらかな曲面形状だが、日本古来より社寺仏閣などに広く見られるカーヴである。

工房 悠の家具のフォルムに多用されるものだが、実は初期のものからは幾度かの変遷があり、現在の形に落ち着いた。
初期のものは、全域に於いてなだらかな曲線を描いていたものだが、今のものは、下部から7割ほどは直線で、残り3割で円弧を描く。
このほうがメリハリが効き、より重厚感を与えるようだ。

木取りは厚みにして40mmほどの追柾だが、左右2本合わせて木理が自然になる配置とする
こうした矩形のものに、曲線部分を取り込むというのは実は大きなリスクを負うというべきか。
多くの場合、破綻すると言っても良いほどだ。

以下個別に見ていく。
カップボード・ディテール

〈帆立〉

ほぼ上下2分割されるが、中央の桟は上段地板の納まりにもなる位置。
上桟は支輪部に照明器具を納めるスペース確保の問題もあり、比較的幅広となった。
したがって下桟は、これとのバランスを考えさらに幅を持たせる。

一つの帆立のような同一平面においてのこうしたパーツの設計は、常にバランスを考慮することは重要
(因みに照明電源コードは後部柱を欠き取り最下部から排出させた)
上段はガラス面となるが、2本の細い貫を置く。これらは正面扉の貫の位置と同一とすることで端正さを確保することとなる。
(因みに内部棚板の位置も同一である)

下段は1枚の板を嵌め殺しとした。
この板は、厚突きのウォールナット単板(柾目)をランバーコアに練ったもの。(自作)

〈正面〉

上段はガラスの観音扉。
扉の框部材は、1枚の板目の厚板から割いて木取ったもの。
したがって、結果全ては相似の木理。リニアな木目が引き立つ柾目取りである。
扉2枚の重ねには、いわゆるオガミを設ける
束、貫は6分(18mm)の幅だが、束は中央に配置せず、やや外側へずらすことで趣が出る。

仕口は2分の面腰。面はいわゆる片几帳面(エッジと深みにおいて効果的)。
抽手デザインも全体のイメージに強い影響を及ぼすが、ここはローズウッドで蝶型のものを自作した。

下段は4分厚の羽目板を納めた観音扉。框仕口等は上段と共通。

羽目板は、厚板から再製材して木取る。いわゆるブックマッチ。

抽斗前板はプレーンな外形。面は糸面のみで、駆体と同一平面。
良質なブラックウォールナットの柾目部を用い、端正なイメージを引き出す。
抽手はローズウッドで自作(ピンルーター、倣い成形と切り出し)

支輪は少し強い板目としたが、柾目であっても良かったかもしれない。
正面に向けてやや下にうつむき加減の傾斜を持つ。駆体より8分ほど出っ張っている。

見付全体形状はテリムクリ。

棚口はいずれも駆体より8分ほど出っ張らせている。
この意匠は西欧にも日本でもあまり見られないかも知れないが、李朝などでは決して珍しくはない。黒田辰秋御大の飾り棚にもあったはず。

最下部、棚口の下、画像では隠れて見えないが、左右の柱から棚口下部に持ち送りを設けている。こんな小さなものであっても全体のフォルムの統一性確保に寄与している。

カップボードという木工家具はいわゆる箱物の中では比較的需要が多いジャンルだろう。
マンションでのダイニング・リビングという構成の間取りは一般的で、客を招き入れる部屋に置かれるというものでもあり、オーナーの嗜好、美意識を表すものとしての性格を持つものと言え、より良いものを選びたいもの。


今回、「ブラックウォールナット カップボード」の概略解説を試みたが、これは既にWebサイトに納められた家具について、少し詳しく言語化してみようという試みの1つ。
今後、このように工房 悠の主要な木工家具について引き続いて解説を試みていきたいと思う。

1.000件目のエントリだって ?!

今日9月26日は死者・行方不明者5,000人、負傷者40,000人の被害をもたらした伊勢湾台風からちょうど50年。
当時ボクは奈良県南部の山中、陸の孤島と言われた十津川村というところに居住していた。
この地はわずかに半年ほどの居留だったが、運悪くこの巨大台風に見舞われた。
当概地は台風中心部からは逸れていたとはいうものの、雨風の強さといったら、半端ではなかった。
その夜は、ダム建設会社のエンジニアとして従事していた父親は工事現場に出向き留守で、残された母親と年の離れた幼い弟、そしてまだ小学生のボクの3人という心許ない状況に置かれ、社宅として借り上げ提供された借家の2階で、母親とともに雨戸を必死になって押さえていたことを今も思い出す。
部屋の隅には怯えた顔つきの弟がへたり込み、卓袱台には食べかけのケーキが置かれていた。
この50年も昔の伊勢湾台風を今もリアルに覚えているというのも、実はその日はボクの誕生日に当たっていたという事情もあってのことだろう。
本Blogらしからぬ、極私的なことから語り始めたのには1つ理由がある。
2.005年2月、このBlogを設置し、今回この記事で1.000件目のエントリとなる。
数えていたわけではないのだが、このBlogのサーバー側の運用内容が近々変更されるというので、管理ページに行ってみて気付いた。
つまりこの1.000件のエントリのこの日は、期せずして伊勢湾台風50周年のその日、つまり管理人の誕生日にあたったというわけだ(ハハハ、ただの偶然だけれどね‥‥)

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「蔵の中の椅子展 '09」はじまる

「蔵の中の椅子展 ’09」が明日26日から開催されます。(公式サイト
岡山でスタイリッシュな椅子をはじめとした木工家具の制作に勤しんでいらっしゃる守谷晴海さん(HARUMI FINE CRAFT)の企画によるもので、全国から良質な椅子が結集するようです。
今年の企画テーマは「こ・し・か・け」ということで、かつて床座が基本であった日本の住環境に、椅子文化がどのようにもたらされ、そして今、どのような椅子が求められているのか、と言ったような切り口での展示内容になるようで楽しみです。
私も末席を汚すかたちで参加させていただきます。
名称にあるように、倉敷の風情のある街並みに佇む蔵を展示会場としたもので、爽やかな秋の一日、一帯を散策しながら過ごすのにも良いのではないでしょうか。
私は昨年に引き続き2度目の参加です。
会期も2週間ありますので、どうぞお出掛けください。
なお、横浜・山の上ギャラリーでの「私の椅子展」は23日最終日を迎え、多くの来客と、成果をもたらしていただき、無事終了させていただくことができました。
企画主催された山の上ギャラリーのオーナー、スタッフの方々には長期間にわたる運営に、感謝を申し上げます。
また私の椅子をお買い上げ頂いたほとんどのお客様とは接客も叶わず、感謝の言葉を伝えることもできませんでしたが、失礼ながらこの場でお礼を申し上げさせていただきます。
ありがとうございました。

* 「蔵の中の椅子展 ’09」
■ 会場:ギャラリーはしまや
■ 会期:9月26日〜10月12日
     10:00〜17:00(火曜定休)
■ 問合わせ:「蔵の中の椅子展」実行委(HARUMI FINE CRAFT)
      TEL:086-296-2322 FAX:086-296-2461 
      harumifine@mx1.tiki.ne.jp

メディアなどから見るJames Krenov氏の訃報(続)

NewyorkTimes

米国メディアでは、昨日『New York Times』に比較的詳しい評伝が来ていた。
『New York Times』(09/09/19付)

この『New York Times』の記事は形式的な評伝に留まらず、クレノフの家具制作の本質がどういうものであったかを具体的事例に沿った解説を試みるなど、踏み込んだ良い内容となっている。

同居していた娘、Katyaさんによると父親クレノフは死の床で白檀の木片を手にしていたという。
“a pre-Kerouac hippie,”は、どのように訳するのが適切か分からないが、クレノフ氏の精神世界、思考スタイル、行動規範などの本質の一面を語るものなのだろうね。

「TOOLCRIB.COM」
このサイトでは、ネット上の関連ページが網羅的にリンクされていて、良いガイドになっている。

以下、そのリンクからこれまで触れていなかったサイトをいくつか。

「transcripts of Krenov interview done by the Smithsonian」
ちょっと旧く2004年のものになるが、スミソニアン博物館による長時間のインタビュー記事は深く読み込むことができありがたい。

「WoodCentral Interview with Krenov」
木工従事者としては興味深いものかもしれない。
WoodCentral という木工コミユニティーにゲストとして呼ばれ、ここでチャットをした時のログだね。

「A Conversation with James Krenov」
これは「FWW誌」#162(2003年)に掲載されたインタビュー記事。

サブタイトルにも引用されている文言だが、インタビューの最後に「どのように記憶されたいか」との問いに対し、
“stubborn, old enthusiast”(年老いた熱中頑固オヤジ ?)と応えていたのが、彼らしいというか、つい微笑んでしまうものだった

なお、あらためて書くのも辛いものがあるが、残念ながら日本国内では紹介すべき新たな記事は見あたらなかった。
Blog読者の方で、他に良い記事があるようであれば、ぜひご案内いただきたい。

なお、「FWW誌」では、最新号に「Sam Maloof」が特集されていたように、次号あたりでJames Krenov氏の特集が組まれることも大いに想定され、期待したい。

しかし、考えさせられる。
このスミソニアンのような国家レヴェルの機関(スミソニアン博物館は私立で設立されたものだが、現在運営資金の多くは合衆国政府が負う)が一木工家を高く評価し、その作品を保存に値するとする、評価基準の在り方にはただただ驚かされる。

art’s & craft’s への社会的要請、芸術的評価への彼我の差異はあまりにも大きい、ということと、それを担う作家、作品の力量、資質の差異もあるということか。(相補の関係だよ)

* 追記(09/09/23)
知人の木工家・大竹工房さんのサイトに「カレッジ・オブ・レッド・ウッド」訪問の時のエピソードが上げられていた。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~woodwork/
から、左メニュー「週刊マルタケ雑記」 >>過去のマルタケ の最後段からたどってください。
(対象頁URLは長すぎて、このBlogレイアウトを崩しますのでTopから辿ってください)
検索で拾われなかったのも、サイトのページ構成がフレームであったためですがお許しください。

老婦人と語る戦後モダニズム(坂倉準三展)

その展示会場の最後のコーナーに置かれていた低座椅子と、食堂椅子にちょこっと座ってみる。
壁に貼られたキャプションには制作年、製造メーカー名の記載はあるものの、デザイナー名が何故か記されていない。
このデザイナー、長大作さんが気付けば展示企画責任者を叱責するのではなかろうか。
日本における著作権の権利意識の低さを常に嘆かれていた長さんのことである。
そこへ、コンパクトな手押し車を押しながら、長さんと同年齢ほどかと思われる端正な顔つきをされた老婦人が話し掛けてきた。
弱った身体を手押し車に預けるようにして、一人で電車を乗り継いでここまでやってきたのだろうか。
「‥‥この椅子は坂倉先生のデザインなのですか ?‥」
「いえ、坂倉事務所におられた長大作さんのデザインによるものです」
「あぁ、そうですか。ちょっと座らせてもらっても良いですかね」
「どうぞ、どうぞ」と、ボクは隣の食堂椅子の方に移り、低座椅子に手助けしながら案内して差し上げる。
「私はね、天童木工の剣持先生の椅子を使っていましてね。今日はこうして、新橋まで坂倉先生のお仕事を拝見したくてやってきたのですがね、ちょっと身体がいうこと効かなくて、皆さんにご迷惑を掛けながら楽しませてもらっているんですよ。‥‥ありがとうございます」
笑顔でのそんな会話からはじまり、剣持勇、坂倉準三、長大作、シャルロット・ペリアン各氏の話題で楽しくお話しさせていただく。
失礼と思いながら聞けば、83になるのだという。
立ち入った話しをしたわけではないが、都内の閑静な住宅地でモダンな生活スタイルをされてきた方なのだろう。
新橋、汐留ミュージアムで開催中の「建築家・坂倉準三展」でのこと。

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メディアなどから見るJames Krenov氏の訃報

James Krenov氏死去に関しては米国関連サイトを中心として、いくつもの弔文、様々な評伝がupされつつあるようだ。
既報「James Krenov氏、訃報」後段を参照

転じてそれにしても国内における反響の少なさにも驚かされる。(数種の検索サイトへのアクセスから)
James Krenov氏への傾倒、理解の深度における彼我の差異は想像を超えるものがあるようだ。
エッ どうしてこの程度なの?

いやしかしネットでの反響を基準として、James Krenov氏の業績のあれこれを評価することの危うさもまた自覚しなければと思う。
反響の少なさを嘆いてみせるのは簡単だ。
しかしそれは外部の人に許されるものであっても、木工に関わる者が嘆くというのは、そのまま自身の関わりの結果へと向かってくるものだから安易であろうはずがない。

畢竟弔意などというものは、極めて個人的なものであり、心の中でThank youと語りかければそれで良いのだしね。

ところでボクは新聞紙面の「惜別」というコーナーに目を停めることは多い。(朝日新聞 夕刊 隔週1?のコーナー)
関心の度合いにもよるが、その故人と親交の深かった記者によるものと思われる評伝は、その人の隠されたエピソードを知ることで、親愛の情をより深く刻むものとなり好ましいコーナーとなっている。
そうした紙面を含め、恐らくは国内のメディアがJames Krenov氏を語ることはまず無いだろうと思われる。
これを記者の勉強不足 ! 、と難じるつもりはない。

難じたければ、国内に於いて、James Krenov氏の木工世界、工芸哲学の普及を怠った自分たちを責めるところからスタートさせねばならないのだから。

例えて言えば柳宗悦の民藝論と同等程度以上にJames Krenov氏を語り、強く位置づけねばならないだろうし、また伝承者・krenovianとして、そのスピリッツを作品化させ世に問うという営為の積み重ねの成果が、この程度の反響でしかないという冷厳な事実をこそ見据えなければならないということだろう。

そこへいくとやはり英語圏では事情は違うようだ。
驚くなかれ『TIMES』には長文の記事が上げられている。(こちら

まだ死去して数日経過しただけなので、今後更に別の大手メディアが報じることになっていくのだろうと思う。

国内でのうら寂しい状況については、著書『A Cabinetmaker’s Notebook 』の翻訳本が出される経緯を取り上げた記事(1)(2)でも触れたように、何も特別驚くべき事でもない。
ただしかし一方その影響力は決して広範なものではないかもしれないが、木工への志し豊かな人々、あるいは木工を深く掘り下げようという人々の水脈には深く浸透してきていることは疑うものではない。

ただそうした信頼に足る人々は、このBlog運営者のような軽いノリで社会と関わることをむしろ忌避する傾向にあり、知的で、寡黙で、籠もりがちで、外へは出てこないという傾向は共通しているようでもあり、ひとり静かに追悼するというスタイルを課しているのであろう。

彼らからすればボクのような半端者は余計なお世話であり、アホで愚か者なのだ。

クレノフを語り、クレノフ作品を模倣し、クレノフの人生に自身のそれを重ねたりと、程度の差異はあれども、彼の存在なくして、自身を語ることが困難である人は少なくないはず。

そうした木工界のアイコン、指標を亡くした今、James Krenov氏という存在の意味、業績、学ぶべき事、などを省みることが有為でないとどうして言えようか。

国内メディアのお寂しい状況があるとすれば、せめてこうしたネットでの個人メディアで情報を上げ、偲ぶことも何某かの意味はあるのではと思い、ピエロを演じアホを買ってでているというわけだ。

さて次に上げるのは『TIMES』のTop画像(krenovのプレーン)に興味があり、その元ネタを探したところ、やっと見つかったサイトであるのだが、ここに貼り付けてみよう。(亡くなる1年ほど前の取材からのものだろうか)
動画も含むが、もしかしたらこれが最晩年の姿を留めるものである可能性は大きい。

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ゴーギャン

就職して最初のボーナスを資金として買ったのはオーディオ装置(サンスイのSP、パイオニアのPAなど)と、絵を1枚。
会社の寮にその絵を掲げ、アルヒーフのレーベルでBachなどを聴いていた。
絵は複製品。ゴッホの「月と糸杉」、「ひまわり」の2枚組だった(と思う)。
複製品とは言っても、当時としてはめずらしい油絵の具が塗りたくられた立体感を再現させたもので、その頃の薄給とすれば、思い切った買い物だった。
ま、要するに、絵画の世界にさして詳しくもない貧乏な若者が、部屋での潤いを期待しただけのことだった。
ゴッホが、世紀末、パリ万博などで紹介された日本の浮世絵に強い興味を抱き、その画風に影響を与えたことなどを知るのは後年のこと。
また南仏アルルでのポール・ゴーギャンとの共同生活に希望を託しながらも破綻し、精神を病み早世したといった話しも、ややスキャンダラスな側面から関心を持つ程度で、特に深く伝記に分け入るなどということもなく、数度の引っ越しの過程で、この絵も行方が分からなくなっていった。
しかしその後、木工の世界に足を踏み入れる数年前から、様々なジャンルの芸術領域に関心が向くことになり、絵画への接し方も変わっていくことになる。
ま、誰しも人生を歩む過程で、おのれとは何ものなのか、世界とは何なのか、という疑問とともに、世界を掴みたいという欲望が持ち上がるものなのだろう。
対象への接近の度合いは変わり、深度は深まり、本質を掴もうという意識とともに、世界が見えてくるものだ。
絵画においても、その作者がどのような時代背景と美意識を持ってキャンパスに向かったのかといったようなところから眺めるようになり、そうした手法を通し少しは理解が深まってくるようであった。
さて、ゴーギャン。
必ずしも強い関心領域ではなかったのだが、名古屋ボストン美術館の会館10周年記念ということでやってきた「ゴーギャン展」を観る機会に恵まれた。
今回は、かの有名な大作 ≪我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか≫ が話題だったが、まだ作風が固まらない初期のブルターニュでの印象派そのものの画風のものからはじまり、タヒチ以降の作品まで、比較的整った作品数をもって展示されており、一通り見回すだけでもゴーギャンの画業を概観できるものとなっていた。
存命中は残念なことにその評価は必ずしも芳しくなく(ゴッホ同様に)、一人の男の人生としてみれば不遇なものであったようだが、しかし世紀末ヨーロッパが近代を迎えようという時代にあって、それに逆らうように、あるいは逃亡すかのようにタヒチという未開の南の島に向かったゴーギャンが掴んだ楽園は、彼自身の中では確かなものであったでろうし、少なくない数の子をもうけるなど艶福でもあっただろうから、悪くない人生ではあっただろう。
何よりも、 ≪我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか≫ をはじめ、魅力的な数々の名作を遺してくれたのだから、後世のものからすれば感謝すべき対象であり、芸術史に名を残す画家であることに違いはない。
今夜、これからNHK教育で、池澤夏樹による、この ≪我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか≫の解読があるようで、デビュー前から南島に魅入られている池澤がどのように読むのかは、ゴーギャンを理解する上で良いガイドになるだろう。(NHK ETV特集
当然にも“近代”ということが1つのキーワードになるのであろう。
そしてゴーギャン死後100数年、21cの我々はこれからどこへ行こうとしているのだろうか。
“我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか”
ゴーギャン展
  (〜09/23:東京国立近代美術館)

James Krenov氏、訃報(追記あり)

Krenov巨星、墜つ !

現地時間9日に亡くなられました。1920生、89歳でした。

クレノフ氏ほど、木工という世界の豊穣さ、芸術性、思弁性、現代性、可能性をその劈頭で実践するとともに、優れた書籍を著すことで雄弁に語り、また教育現場から多くの優れた木工家を輩出した人は知りません。

決してメインストリームでのはなばなしい活躍ではなかったかもしれませんが、その影響力の深さという点においては、この人物に代わる人はいないでしょう。

私は1988年、高山における「キャビネットメイキング、サマ−セミナー」で短い期間ではあるものの、師事させていただくことができ、多くのことを学ぶことができました。

決してkrenovianを自称するほどの作風を獲得しているものでもなく、最も愚かな生徒の一人でしかありません。

しかしこれからも遺してくれた数冊のテキストを頼りに、木工という世界を信じるに足る豊かなものであることに揺るがずに、一歩前へと進めていきたいと思います。

近況を知る人の話からも、年齢からしても、ここ数年衰えつつあったことは聞いていましたが、やはりこの突然の訃報には胸が塞がれ、ただただ脱力と、憔悴に沈むだけで、有用な情報を挙げる気分にもなれません。

ありがとうの感謝の言葉とともに、心からのご冥福をお祈りしたいと思います。
合掌。

公式サイト
* 過去関連記事
こちらから

近影は『Furniture by James Krenov and Students』より拝借

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