工房通信 悠悠: 木工家具職人の現場から

1.000件目のエントリだって ?!

今日9月26日は死者・行方不明者5,000人、負傷者40,000人の被害をもたらした伊勢湾台風からちょうど50年。
当時ボクは奈良県南部の山中、陸の孤島と言われた十津川村というところに居住していた。
この地はわずかに半年ほどの居留だったが、運悪くこの巨大台風に見舞われた。
当概地は台風中心部からは逸れていたとはいうものの、雨風の強さといったら、半端ではなかった。
その夜は、ダム建設会社のエンジニアとして従事していた父親は工事現場に出向き留守で、残された母親と年の離れた幼い弟、そしてまだ小学生のボクの3人という心許ない状況に置かれ、社宅として借り上げ提供された借家の2階で、母親とともに雨戸を必死になって押さえていたことを今も思い出す。
部屋の隅には怯えた顔つきの弟がへたり込み、卓袱台には食べかけのケーキが置かれていた。
この50年も昔の伊勢湾台風を今もリアルに覚えているというのも、実はその日はボクの誕生日に当たっていたという事情もあってのことだろう。
本Blogらしからぬ、極私的なことから語り始めたのには1つ理由がある。
2.005年2月、このBlogを設置し、今回この記事で1.000件目のエントリとなる。
数えていたわけではないのだが、このBlogのサーバー側の運用内容が近々変更されるというので、管理ページに行ってみて気付いた。
つまりこの1.000件のエントリのこの日は、期せずして伊勢湾台風50周年のその日、つまり管理人の誕生日にあたったというわけだ(ハハハ、ただの偶然だけれどね‥‥)


さて、このBlog、特段有用な記事を上げてきたわけでもなく、ネットの片隅で細々と囁いてきただけだが、そうした気負いのないBlog運営だからこその1.000件というところか。
もっと言えば、Blogエントリ件数など、ただ継続する意志さえあれば積み上がるもので、記事の有用性、記事内容の質などとの相関性などは無い。
子どもの夏休みの日記に書き残される「今日は暑かった」「川で泳いだら寒かった」などといったような一言を1.000回積み重ねるのと同程度のもの。
しかし、小さい頃いつも母親に言われていた「あんたは三日坊主だからね〜」と言われ続けた頃からは、少し成長した証と言えるかな。
三日坊主という誹りを返上できた理由は、ひとえにBlog読者のアクセス、あるいはコメント投稿に支えられてのもの。
つまりネットの片隅に記事を上げるということは、不特定多数の方々に自己を晒すということになるが、そうしたIT新時代特有のメディアであればこその自己規制、自己抑制、秩序、あるいは逆から言えば目立ちがり屋としての意志の継続であったればこそだと思う。
日記を続けよ、と言われれば、またもや三日坊主の性癖がもたげるだろう。
さらに個人的な思いをあえて晒せば、無教養で、生硬な文章しか書けない者が、少し背伸びして、少しでも“知的な世界へ足を踏み入れることの快楽”というものに毒されてきたからとも言えるかもしれない。
こんな水準の低いBlogではあっても、エントリ主旨を構想し、資料を集め、検討を重ね、そして文章を起こし、推敲する。
しかもこれを日々、わずかに1〜2時間でやり終えupする、という作業は思うほどに自分には容易では無い。
しかし、そうしたプロセスというものは、自身の思考を鍛え、少しは文体も洗練されていくだろうという期待とともにあるだけに、本人にとってみれば隠された欲望を解き放ち、またいくぶんの快楽をも含むものである。
これは一方読者にとっては、はなはだ迷惑至極なものでしかなかったかもしれない。
でもここは開き直って、こう言い直してみよう。
「伴走してきてくれて、ありがとう」と。
Blogとはそうしたものなのだからね。
さて、1.000件を1つの通過点として、これからも記事を積み重ねていくことになると思う。
今後も読者には伴走してもらうことになるが、あまり迷惑ではない記事と、文体であることを、少しは努力していきたいと思う。
なお、昨今木工におけるテクニカル的な記事が上げられない傾向にあることは自覚している。
今後も暫くはこうした方向でいくようになるかもしれない。
以前から語ってきたところだがBlogという個人メディアにおいて、安易にテクニカル的な記事を上げることの良否(とまで言わなくとも、)、リスクについて自覚的でありたいと考えている。
これまでさんざん上げてきたクセにであるが。
ただメールなどでの個人的な質問などには、これまでのいきさつ上、誠実に応えていくつもり。
なお、1つ明かせば、先に3度のエントリにわたった「James Krenov氏訃報」に関する記事だが、かつてないほどのアクセス数をカウントしていた。
通常の1.5倍ほど。
つまり、国内での反響が少ないことの嘆きを漏らさざるをえなかったとはいえ、関心の強さは相応程度にあったとすべきだろう。
このことが意味するものは、有用な記事であればヒットするということであり、高度な検索機能を有するネット時代ならではのメディアとして、その可能性をより確信させてくれるものであるということだろう。
まずは、そんなところですが、
今後もお付き合いいただけるにふさわしい内容を心掛けたいと思いますので、よろしくお願いします。               artisan 拝

《関連すると思われる記事》

                   
    
  • 「さて、1.000件を1つの通過点として、これからも記事を積み重ねていくことになると思う。」
    最近、投稿の間隔が少し開いて来たようなので、心配していましたが
    上記のお言葉、少し安心しました。
    「昨今木工におけるテクニカル的な記事が上げられない傾向にあることは自覚している。」
    アマチュアとしては、ちょっと寂しい気もしますが、プロとしてのリスクも
    理解しないといけませんね。
    さあ、どうしよう。

  • acanthogobiusさん、あらためて申すまでもなくあなたのようなコメント氏の支援があったればこその継続でした。心からの感謝を !!
    > 最近、投稿の間隔が少し開いて来たようなので、心配
    インターバルが空いたりと暫くご迷惑をお掛けしますが、弛まず続けていく積もりですので変わらずのご支援を !

  • 遅ればせながら、1000エントリー、そしてお誕生日おめでとうございます。
    プロの木工家の方々のブログは、音楽家の(CDなどに付く)ライナーノーツのようなものかと感じております。もの言わぬ作品(家具)達の、込められた思いや背景を代弁するものかと・・。
    今後も更新を楽しみに拝見させて頂きます。

  • forestさん、forestさんの関心領域を刺激する記事を書けなくて申し訳ないですね。
    > 音楽家のライナーノーツ
    なるほどね。的を射た比喩です。
    ただ音楽家のライナーノーツも様々なスタイルがあるように、ボクたちのBlogも様々ですね。
    forestさんも、ステキな文章を書かれる方です。
    いずれまた書いてみたいと思いますが、ネット上の個人発信メディアBlogであっても、言葉というものを大切にしていきたいですね。(未熟だからこそ、ですが)

  • 1000件ですか、おめでとうございます。
    継続は力なり!若輩者の私が言うセリフ
    ではないのですが、見習いたいと思います。
    なにごとも、自分のスピードでぼちぼちですね。
    あっという間に9月も終わってしまいます。
    さてさて10月は、どうでしょう??
    10月こそ、工房へ。

  • kentさん、
    > なにごとも、自分のスピードでぼちぼちで
    kentさんも人生半ばに差し掛かり(?)、立ち止まり思うところも多々おありなのでしょうか。
    ボクはそろそろ人生の始末を、と‥‥、なんて枯れたことを言ってみたいものですが、俗物ではなかなかでしてね。
    ‥‥マイペースが良いようです。

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.